ネズユウ

ベッドに寝っ転がって、ノー トに詞を書くのはおれ。その横に、ちょこんと座ってるのはきみ。きみはおれのペンが滑るのをただじっと眺めてた。⾒られているとやりにくい、そんな抗議もむなしく、ユウリは紙の上を滑るペン先を⾒つめていた。どうせ読んでなどいまい。眺めているだけだ。そう⾃分を説得して⼆時間。 ―― これで終わり。最後の⾔葉を紙に書き込んで、この曲は⼀応の完成を迎える。

―― さよならだよ――

最後の⼀⾔はあまりにそっけないけれど、これしか思い浮かばなかった。さてさて⽂字書きはこれでおしまいだ。サイドテーブルにノートとペンを追いやって、おれはベッドの上で仰向けになって転がった。

ぐつぐつ煮えた頭を、ユウリの優しい⼿が撫でてくれた。こうしてユウリを放置して歌詞書きを始めてから⼆時間になる。その前の約束もスタジオ⼊りの予定が⼊ったからキャンセルして、さらにその前も急な打ち合わせが⼊ったからキャンセルして。そして今⽇はこのざまである。時にきみの優しさはおれの胸を引き裂くのです、なんてね。
「…… どうして好き同⼠なのに、さよならしちゃうんですか?」
不意にユウリが⾔葉を発した。どうやら本当に書き途中の歌詞を読んでいたらしい。何とも気恥ずかしいが、「 さぁ?」 とだけ返した。ふと書いた詞がちょっと失恋曲っぽくなっただけで、別におれ⾃⾝が胸を引き裂くつらい別れを経験したことがあるわけではない。
「 これはネズさんの気持ち?」
「 いや、全然。…… でも、こういう思いをしてる⼈は別に…… 少なくないと思いますよ」
だからこういうのも意外と売れる。そんな打算は飲み込んだけれど、事実、望まない別れを経験した⼈間はそう少なくないと、おれは思う。
どんなに好きでも、どんなに愛し合っていても、いつかはきっと離れてしまう。⻑く伸ばした前髪越しの左⽬に⾒える世界は、歪んでばかり。
「 永遠なんて、ないんですから」
そう、永遠なんてない。だからおれはバリアを張った。好き好んで孤独を選んで、いつか来る別れを拒んだ。だからおれは前髪を伸ばして⽬を隠した。誰かに⾒透かされるくらいなら、誰とも⽬を合わせたくなかった。永遠なんて存在しない。
「 だからネズさんはあたしを⾒ないの?」
ぽつり、と、ユウリが呟いた。そんな⾔葉がユウリから出てくるのが信じられなくて、おれは思わず⾶び起きた。
「…… なんでそんなことを⾔うんですか」
彼⼥のことはちゃんと⾒ているつもりだ。ユウリのジムチャレンジの時に出会って以来、おれはユウリを⾒守ってきたつもり。今でもこうして⼤⼈の友⼈としての付き合いを持っているのだから、甚だ⼼外だ。それでもユウリはなぜか悲しい顔をする。
「 だってネズさん、あたしとの間に線を引いてるから」
「…… は?」 ―― 呼吸が⽌まりかけた。
どうして、知っているんですか。おれの、⼀番弱いところ。誰にも⾒せなかった、おれの⼼の⼀番柔らかいところ。陸に上がった⿂のような呼吸をするおれを⾒て、ユウリは⼩さくため息をついた。
「 あたしもいつかネズさんから離れてくって思ってる。だから、あたしが深⼊りできないように、線を引いてる」
「…… どうして」
「 ネズさんのことだから、わかります。ネズさんは誰よりも怖がりで、誰より痛がりだから」
そう。彼⼥の⾔う通り、おれは怖がりで痛がりの臆病者。⾃分でも⾒たくなかったところを指摘されたおれは押し黙るよりほかない。こんなところを⾒せたら、本当に嫌われてしまうと思った。それこそ、友⼈付き合いさえしてもらえないほどに。だから上っ⾯で優しくて物わかりのいい年上の友⼈を演じ続けていたのに。―― どうして。疑問が頭の中を駆け巡る。
「 どうして知ってたのに、おれを嫌いにならなかったんですか」
やっと出てきた⾔葉がこれでは、⽬も当てられない。本当は最後までごまかすべきだったのだ。「 何でそんなことを思うの」 とでも茶化しておけばよかった。…… けれど、呆けた顔で⾔ってしまった⾔葉は今更取り消せない。諦めよう。おれは、ただの臆病者だ。
「 おれは弱くて、狡くて、どうしようもないよ。きみが⾔う通り、怖いんです」
「…… うん。でもあたし、それでもネズさんのことが好きだから、離れてあげられそうにないです」
おれの冷たい⼿の甲に、温かい⼿が触れた。
「 ねぇ、ネズさん。永遠って無いかもしれない。でも、あたしが⽣きて死ぬまでの全部をネズさんにあげます。あたしの永遠を、あげる」
「…… ユウリの、永遠」
「 あたしの世界が終わるまでが、あたしの永遠。それをあなたにあげる」
⼤真⾯⽬な顔で、ユウリはおれの⼿を強く握った。嗚呼、⾺⿅みたいな話。こんなおれのことが好きだなんて、こんなおれのために永遠をくれるだなんて、嘘みたいなことを、彼⼥は真剣に語っている。それを嘘だと⼀蹴するのは簡単で、全部冗談だとおどけるのも簡単だ。けれど。
「 本当に、きみの永遠をくれるんですか。こんなおれのことを、好きだと⾔ってくれるんですか」
こんなに頼りないおれだけど。バリアを壊して、きみを抱きしめてもいいですか。境界線を消して、きみのもとへ⾛って⾏ってもいいですか。それでもきみは、おれを好きでいてくれますか。そう聞くと、ユウリは何処までも優しい顔で、⽬を細めて微笑んだから。
ああ、おれの永遠もきみにあげるよ。今更嫌だなんて⾔わないでよ、ねえ、どうか、この⼿を離さないで。伸ばした⼿がユウリの頬に触れた。優しく笑うきみの⽬から⼤粒の涙がこぼれる。それがなんだか綺麗だったから、おれは初めてきみを抱きしめた。
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