ネズユウ
⾬の⽇はいつもより空が低くて、なんとなく寂しくなる。ぽつり、ぽつりとアスファルトに丸い跡がついて、傘のないおれは悲しくて仕⽅ない。ふらりとやってきたシュー トシティだけれど、住宅街の中にはいつもの喧騒が嘘のように静かな公園がひっそりとあった。いつもの日差しが叫ぶ公園よりかは何百倍もましだけれど、誰もいなくて役⽬を果たせない遊具たちがなんとなく哀れだった。
静かな街の地⾯に、⿊い花が咲く。絶え間なく降り注いで、⿊い花が地⾯を埋め尽くしてしまうから、公園に独り⽴つおれは、ただ低い空を⾒上げていた。何がしたいわけでもないし、何と思われたいわけでもないけれど、ただ、傘を持っていない今だったら、泣いてしまっても誰にもばれなくていいかな、だとか、そのくらい。特に泣きたいわけでもなかったけど。
本当にちょっとした気分の話。⾬の中、傘をささずに踊る⼈間がいてもいい。それが⾃由ってモンだろう。
そう、おれは解放されたのだ!久々に刺されなかった。無傷で彼⼥と別れられたのは、何年ぶりだろうか!
おれの何が悪いのかは知らないが、おれの恋⼈になりたいと⾔ってついてくる⼥は、良い⾔い⽅をすればみんな繊細で、はっきり⾔うなら⼤体メンタルがヘラっていた。⼀〇⼈中⼀〇⼈はそんな感じであるので、もう、そういう⼥を惹きつけてしまう体質なのだと思うことにしている。シンガー という職業のせいにはしたくないので。
さりとて⾃分のことが嫌いなおれが、おれのことを好きだという⼥を無下にできるわけもなく、こうして⼀〇⼈中⼀〇⼈の⼥に酷い振られ⽅をしている。殴られて終わるならまだマシ、おれを名指しした遺書を遺して睡眠薬をオーバードーズされたときは、もはやこっちが死にたくなった。それでもまだ可愛いほう。⼥というものはなぜ逆上すると刃物を握るのだろうか。
⼿の甲と太ももは、リハビリがひどく⼤変だった。腹や背中を刺されたときは緊急⼊院した。おかげで⽬前に控えていたツアー や単独ライブはすべてお釈迦である。嗚呼、おれが⼀体何をしたってんですか、神様!
「 ネズさん?」
―― と⾔っても意味がない。今回は互いに無傷で済んだのだ。…… ちょっとおれの顔に⾚い跡がついただけだ。それを良しとして、新しい⼈⽣の始まりを祝おうじゃないか!
「 あのー……」
とはいえ。いい加減このダメンズウォー カー ならぬメンヘラウォー カー にも嫌気がさした。
今度の彼⼥はメンヘラじゃなくて、マリィにも優しくて、マリィの⽅も素直に彼⼥に懐いてくれて、家族みたいに楽しく⾷事ができたらいい。きみはカレー しか作れなくてもいいから。何なら⾷事はおれが⽤意するから。⾁も⿂も野菜も嫌いだけど、頑張って作りますので、ねぇ。
おれの知らぬところになら別の恋⼈を作ってもいいし、⾃由にしてくれって。はあ、おれはこんなにも彼⼥に優しいのに、なんでいっつもこんな振られ⽅をしなけりゃならないんですか。ちょっと腹が⽴ってきた!
「…… ネズさぁん」?
おれは何も悪くないでしょう。優しくしたし、記念⽇は⼤切にしたし、まめにプレゼントをあげたし、欲しいとねだられれば、正直嫌だったけれど、彼⼥に捧げるラブソングまで作ったのに…… 。
「 こら、ネズさん」
ぐいと服の袖を引っ張られて、視界が薄ピンクの⽔⽟模様に変わった。傘だ。そういえば、ほんの少し前から体に⾬粒がぶつかってこないと思っていた。…… で、これは誰の傘で、おれは誰に服を引っ張られているのでしょうか。
「 ⼈を無視しちゃだめって学校で習わなかったんですか!」
下の⽅から聞こえた声の主に⽬を向けると、果たしてそこには、⼩さなガラルクイーンが⼀⽣懸命背伸びをしておれに傘を差していた。
「…… なにしてんですか」
「 ネズさんこそこんな⾬の中で傘もささずにぼやー っとして!⾵邪ひきますよ!」
そう⾔いながらガラルクイーン、もといユウリはハンカチを持った⼿を届きもしないおれの頭に伸ばしている。思わず屈んでやると、よく⾒ればユウリだって左肩が濡れていた。
「 きみだって濡れてるじゃないですか。ほんとに、何してんですか」
「 知ってる⼈が⾬が降ってる公園で傘もささずに焦点の合わない⽬をしてたら、誰だって声かけるに決まってるじゃないですか」
それはそう。全くもってそう。⾔われてみればその通り。はたから⾒ればおれはだいぶヤバかった。これでは元カノを悪しざまに考えていた⾃分がひどく恥ずかしい。ごめん、元カノ。謝る相⼿はもういないけれど。
「 すみません」
代わりのようにユウリに謝ると、ぷくりと膨れたまんまるほっぺの少⼥は屈んだおれの頭をハンカチ越しに撫でた。あったかい⼿だった。まだ⼦供の⼩さな⼿だった。その温かさを感じながら、嗚呼、また⾃⼰嫌悪。あの⼦たちだって、最初からメンヘラなわけじゃなかったのにね。最初はあの⼦たちだってあったかい⼿をしていた。それを冷え切った指に変えたのは紛れもなくこのおれのせいだった。まだ何が悪かったのかまではわからないけれど、きっと、すべて彼⼥たちが悪いわけじゃなかったことだけは、わかった。わかってしまった。
「…… ユウリ、ありがとうございます」
「 うわ、こわい。ネズさんが素直だ」
「 殊勝になってみれば失礼なやつですね…… 近くのカフェでタオルでも借りましょうか。きみも肩が濡れてますし、冷えたでしょう」
「 ほんとですよ!エネココアおごってください!」
「 うわ、図々しいですね」
まだほっぺを丸くしたままのユウリから傘を借りて、⼀番⼿近なカフェへと向かう。おれの頭は傘に思い切りぶつかるけれど、傘をできるだけ低く持って。
――そういえば、あの⼦にもそうしてあげたっけなぁ。何代前だか忘れた彼⼥のことをほんの少し思い出したけれど、今隣を歩いているのはユウリであるので、すぐ忘れた。
そうしてカフェに⼊れば、よく調教された店員は蒸しタオルをお盆に積んで持って来た。ありがたくタオルをお借りして髪と服をちょっと拭いたあと、ユウリは届いたエネココアを飲みながら話しかけてきた。
「…… それで、何であんなところでぼんやりしてたんですか」?
聞かれると思った。嘘をつく意味もないので正直に彼⼥に振られたことを話すと、「 わぁ」と⾮難めいた声が上がった。⾮難される覚えがなくもないのでおれは黙った。
「 ねぇネズさん、それって、あたしが今ここでネズさんのことが好きです!なーんて⾔ったら、あたしと付き合うんですか」?
ほら、あたしって超優良物件じゃないですか。マリィとも仲良しだし、カレー は美味しく作れるし、バトルはとっても強いからネズさんに⼼配をかけることなんて何もないし。と続けるユウリ。ほう、⾔われてみればその通り。ユウリは優良物件である。
けれど。何故だか、ユウリに「 好き」 と⾔われても、おれは軽々に彼⼥を恋⼈にはしないだろう、と頭のどこかで感じていた。
「 うん、お断りしますね」
「 えっ、今の流れ絶対オッケーだと思った」
「 ⾃分でもオッケーって⾔わなかったことにびっくりしてます」
「 え、ほんとにダメですか」
「 だめですねぇ」
だって、おれはハタチ越えててきみはまだ⼗五歳だし。チャンプと芸能⼈の交際はマスコミが黙ってないし。そしたらお互いのファンもうるさいし。つらつらユウリと付き合わない理由を述べて―― それから、やっぱり。
「 きみは、おれと付き合っても幸せになれねぇですから」
それは⻑年の経験から。おれはきみを幸せにしてやれないよ。だって、⼀〇⼈中⼀〇⼈を幸せにできなくて、何でいまさらきみを幸せにできるだろうか。そう思ったら⾸を縦には振れないし、振りたくない。
「 じゃあ」
エネココアを包んだ⼿は、震えていただろうか。
「 ⼗⼀⼈⽬を幸せにできる⾃信がつくまで、彼⼥作っちゃダメですね」
「 そういうことになりますね」
「 それじゃあ、あたしが⼗⼀⼈⽬になる予約していいですか。ネズさんが彼⼥を幸せにできる⾃信がついたら、きっとそのころにはあたしも⼤⼈だから」
「 それは……」
さっきと違って、ユウリのアーモンド⾊の瞳は真剣だった。茶化すような声でもなく、ごまかすような感じもしなかった。
だったら。きみと在る未来をちょっとだけ想像する。おれの隣で、きみが幸せそうだったらいいなぁ。そう思ったら、何だかおれまでちょっと幸せだったから。
「…… いいですよ。その代わり、おれの知らないところでヘッダー が錠剤と注射器の裏アカ作らないでくださいよね」
「 なんですかそれ」
「 わからないならわからないままでいいです」
あったかいコーヒーを⼀呼吸で飲み込むと、いつの間にか⾬は⽌んでいた。
静かな街の地⾯に、⿊い花が咲く。絶え間なく降り注いで、⿊い花が地⾯を埋め尽くしてしまうから、公園に独り⽴つおれは、ただ低い空を⾒上げていた。何がしたいわけでもないし、何と思われたいわけでもないけれど、ただ、傘を持っていない今だったら、泣いてしまっても誰にもばれなくていいかな、だとか、そのくらい。特に泣きたいわけでもなかったけど。
本当にちょっとした気分の話。⾬の中、傘をささずに踊る⼈間がいてもいい。それが⾃由ってモンだろう。
そう、おれは解放されたのだ!久々に刺されなかった。無傷で彼⼥と別れられたのは、何年ぶりだろうか!
おれの何が悪いのかは知らないが、おれの恋⼈になりたいと⾔ってついてくる⼥は、良い⾔い⽅をすればみんな繊細で、はっきり⾔うなら⼤体メンタルがヘラっていた。⼀〇⼈中⼀〇⼈はそんな感じであるので、もう、そういう⼥を惹きつけてしまう体質なのだと思うことにしている。シンガー という職業のせいにはしたくないので。
さりとて⾃分のことが嫌いなおれが、おれのことを好きだという⼥を無下にできるわけもなく、こうして⼀〇⼈中⼀〇⼈の⼥に酷い振られ⽅をしている。殴られて終わるならまだマシ、おれを名指しした遺書を遺して睡眠薬をオーバードーズされたときは、もはやこっちが死にたくなった。それでもまだ可愛いほう。⼥というものはなぜ逆上すると刃物を握るのだろうか。
⼿の甲と太ももは、リハビリがひどく⼤変だった。腹や背中を刺されたときは緊急⼊院した。おかげで⽬前に控えていたツアー や単独ライブはすべてお釈迦である。嗚呼、おれが⼀体何をしたってんですか、神様!
「 ネズさん?」
―― と⾔っても意味がない。今回は互いに無傷で済んだのだ。…… ちょっとおれの顔に⾚い跡がついただけだ。それを良しとして、新しい⼈⽣の始まりを祝おうじゃないか!
「 あのー……」
とはいえ。いい加減このダメンズウォー カー ならぬメンヘラウォー カー にも嫌気がさした。
今度の彼⼥はメンヘラじゃなくて、マリィにも優しくて、マリィの⽅も素直に彼⼥に懐いてくれて、家族みたいに楽しく⾷事ができたらいい。きみはカレー しか作れなくてもいいから。何なら⾷事はおれが⽤意するから。⾁も⿂も野菜も嫌いだけど、頑張って作りますので、ねぇ。
おれの知らぬところになら別の恋⼈を作ってもいいし、⾃由にしてくれって。はあ、おれはこんなにも彼⼥に優しいのに、なんでいっつもこんな振られ⽅をしなけりゃならないんですか。ちょっと腹が⽴ってきた!
「…… ネズさぁん」?
おれは何も悪くないでしょう。優しくしたし、記念⽇は⼤切にしたし、まめにプレゼントをあげたし、欲しいとねだられれば、正直嫌だったけれど、彼⼥に捧げるラブソングまで作ったのに…… 。
「 こら、ネズさん」
ぐいと服の袖を引っ張られて、視界が薄ピンクの⽔⽟模様に変わった。傘だ。そういえば、ほんの少し前から体に⾬粒がぶつかってこないと思っていた。…… で、これは誰の傘で、おれは誰に服を引っ張られているのでしょうか。
「 ⼈を無視しちゃだめって学校で習わなかったんですか!」
下の⽅から聞こえた声の主に⽬を向けると、果たしてそこには、⼩さなガラルクイーンが⼀⽣懸命背伸びをしておれに傘を差していた。
「…… なにしてんですか」
「 ネズさんこそこんな⾬の中で傘もささずにぼやー っとして!⾵邪ひきますよ!」
そう⾔いながらガラルクイーン、もといユウリはハンカチを持った⼿を届きもしないおれの頭に伸ばしている。思わず屈んでやると、よく⾒ればユウリだって左肩が濡れていた。
「 きみだって濡れてるじゃないですか。ほんとに、何してんですか」
「 知ってる⼈が⾬が降ってる公園で傘もささずに焦点の合わない⽬をしてたら、誰だって声かけるに決まってるじゃないですか」
それはそう。全くもってそう。⾔われてみればその通り。はたから⾒ればおれはだいぶヤバかった。これでは元カノを悪しざまに考えていた⾃分がひどく恥ずかしい。ごめん、元カノ。謝る相⼿はもういないけれど。
「 すみません」
代わりのようにユウリに謝ると、ぷくりと膨れたまんまるほっぺの少⼥は屈んだおれの頭をハンカチ越しに撫でた。あったかい⼿だった。まだ⼦供の⼩さな⼿だった。その温かさを感じながら、嗚呼、また⾃⼰嫌悪。あの⼦たちだって、最初からメンヘラなわけじゃなかったのにね。最初はあの⼦たちだってあったかい⼿をしていた。それを冷え切った指に変えたのは紛れもなくこのおれのせいだった。まだ何が悪かったのかまではわからないけれど、きっと、すべて彼⼥たちが悪いわけじゃなかったことだけは、わかった。わかってしまった。
「…… ユウリ、ありがとうございます」
「 うわ、こわい。ネズさんが素直だ」
「 殊勝になってみれば失礼なやつですね…… 近くのカフェでタオルでも借りましょうか。きみも肩が濡れてますし、冷えたでしょう」
「 ほんとですよ!エネココアおごってください!」
「 うわ、図々しいですね」
まだほっぺを丸くしたままのユウリから傘を借りて、⼀番⼿近なカフェへと向かう。おれの頭は傘に思い切りぶつかるけれど、傘をできるだけ低く持って。
――そういえば、あの⼦にもそうしてあげたっけなぁ。何代前だか忘れた彼⼥のことをほんの少し思い出したけれど、今隣を歩いているのはユウリであるので、すぐ忘れた。
そうしてカフェに⼊れば、よく調教された店員は蒸しタオルをお盆に積んで持って来た。ありがたくタオルをお借りして髪と服をちょっと拭いたあと、ユウリは届いたエネココアを飲みながら話しかけてきた。
「…… それで、何であんなところでぼんやりしてたんですか」?
聞かれると思った。嘘をつく意味もないので正直に彼⼥に振られたことを話すと、「 わぁ」と⾮難めいた声が上がった。⾮難される覚えがなくもないのでおれは黙った。
「 ねぇネズさん、それって、あたしが今ここでネズさんのことが好きです!なーんて⾔ったら、あたしと付き合うんですか」?
ほら、あたしって超優良物件じゃないですか。マリィとも仲良しだし、カレー は美味しく作れるし、バトルはとっても強いからネズさんに⼼配をかけることなんて何もないし。と続けるユウリ。ほう、⾔われてみればその通り。ユウリは優良物件である。
けれど。何故だか、ユウリに「 好き」 と⾔われても、おれは軽々に彼⼥を恋⼈にはしないだろう、と頭のどこかで感じていた。
「 うん、お断りしますね」
「 えっ、今の流れ絶対オッケーだと思った」
「 ⾃分でもオッケーって⾔わなかったことにびっくりしてます」
「 え、ほんとにダメですか」
「 だめですねぇ」
だって、おれはハタチ越えててきみはまだ⼗五歳だし。チャンプと芸能⼈の交際はマスコミが黙ってないし。そしたらお互いのファンもうるさいし。つらつらユウリと付き合わない理由を述べて―― それから、やっぱり。
「 きみは、おれと付き合っても幸せになれねぇですから」
それは⻑年の経験から。おれはきみを幸せにしてやれないよ。だって、⼀〇⼈中⼀〇⼈を幸せにできなくて、何でいまさらきみを幸せにできるだろうか。そう思ったら⾸を縦には振れないし、振りたくない。
「 じゃあ」
エネココアを包んだ⼿は、震えていただろうか。
「 ⼗⼀⼈⽬を幸せにできる⾃信がつくまで、彼⼥作っちゃダメですね」
「 そういうことになりますね」
「 それじゃあ、あたしが⼗⼀⼈⽬になる予約していいですか。ネズさんが彼⼥を幸せにできる⾃信がついたら、きっとそのころにはあたしも⼤⼈だから」
「 それは……」
さっきと違って、ユウリのアーモンド⾊の瞳は真剣だった。茶化すような声でもなく、ごまかすような感じもしなかった。
だったら。きみと在る未来をちょっとだけ想像する。おれの隣で、きみが幸せそうだったらいいなぁ。そう思ったら、何だかおれまでちょっと幸せだったから。
「…… いいですよ。その代わり、おれの知らないところでヘッダー が錠剤と注射器の裏アカ作らないでくださいよね」
「 なんですかそれ」
「 わからないならわからないままでいいです」
あったかいコーヒーを⼀呼吸で飲み込むと、いつの間にか⾬は⽌んでいた。