ネズユウ

いつだって⾃分より⼩さな⼥の⼦は、おれより先に、遠くへ⾏ってしまうような気がして。いつの間にか、おれの知らないきみになってしまう気がして、おれはきみを抱きしめることしかできない。きみに愛されていると勘違いもできないのに、まるで⽭盾の塊。
「 ネズさん、早く早く!あたし、先に⾏っちゃいますよぅ!」
どうか、そんな怖いことを⾔わないで。ワイルドエリアの焼けつく太陽の下で笑うきみの何気ない⾔葉が怖くって、おれは⾜をもつれさせながら彼⼥の傍へと⾛るのだ。

はじまりは何気ない⽇。彼⼥はいつだって唐突なものだから、突然「 好きです」 と⼿を握られても驚きはしなかった。好かれている⾃信はあったし、⾃分もユウリのことが好きだったから、何も考えずにきみの⼿を握り返して「 はい」 と⾔っていた。それからはずっと幸せな⽇々。当たり前みたいに毎晩ユウリと電話をして、くだらない話をして、週末には⼆⼈で街やワイルドエリアを駆けまわった。ああ、なんて輝かしい⽇々!
そんな⽇々が怖くなったのは、いつからだったか。思い返せば、ソファで彼⼥を抱きすくめているときにユウリのスマホに⼊ったスポンサーからのメール通知が⽬に⼊ってしまった時だと思う。
『 ユウリさん、他地⽅での巡業の件ですが』
⾒えたのはそこまでだったけれど、全⾝から⾎の気が引いた。考えてみればちょっとした仕事。すぐに帰ってくるし、そうすればまたいつものようにユウリはおれの胸に⾶び込んでくるとわかってはいた。けれど、それが永遠じゃないことに気付いてしまっては、怖くて仕⽅なかった。ユウリは、今はおれのことを好きと⾔ってくれている。おれもそうだ。ユウリのことが好きで仕⽅ない。けれど、それは多分、永遠じゃない。いつか彼⼥はおれの⼿から離れて、遠くに⾏ってしまうかもしれない。思わずユウリを抱きしめる腕の⼒が強くなると、ユウリは「 どこにも⾏きませんよ、この話も、何度も断ったのにしつこくて」 と⾔って笑った。 ―― 怖かった。キスをしても、抱きしめても、彼⼥が遠かった。彼⼥を愛している気持ちは⾍の息になっていく。
ねぇ、ユウリ。隙間を閉じるように触れ合ってよ。⼆⼈の隙間を埋めるように、混ざるように、ひとつになってよ。何処にも⾏けなくなってよ。そんな醜い⼼ばかりの、おれ。そんなおれに微笑みかけてくれるきみが、また遠くて。
「 ネズさぁん?」
少し先を⾛っていた彼⼥が⾜を⽌めて振り返った。おれはほんの少し泣きそうなのをこらえて、なんとか⾜を動かしてついていく。ああ、ほんの⼀〇メー トルが、気が狂いそうになるほど遠い。まるで落下するみたいに、おれは彼⼥へ向かってたった⼀呼吸の距離を⾛った。世界で⼀番苦しい⼀呼吸だった。するとユウリは微笑んで⼀歩を此⽅に向けておれに⼿を伸ばすから、世界で⼀番苦しい⼀呼吸は、世界で⼀番⽢い⼀呼吸に変わってしまう。わかっていたようにユウリはするりとおれの胸に⼊り込む。隙間なんてないくらいにぴったりとくっついた⼆⼈は、なんだか滑稽なオブジェみたい。でもそれだけで、おれの不安はすっかりきみに⾷べられてしまうのだ。
「 ネズさん、だー い好き」
「…… おれも、好きですよ」
ああ、愛しい。おれの冷たい⼿を嫌がることもなく、髪を撫でさせてくれる。頬に触れればくすぐったそうに⽬を閉じる。
ユウリ、おれはもう何処にも⾏けないよ。きみのことが、好きで、好きで、好きで、仕⽅ないから、どこにも⾏けやしない。恋⼼は⾍の息になったり、息を吹き返したりで忙しい。
「 ユウリ」
こんなに、こんなに愛してる。抱きしめるほどにきみが愛しい。ぴったりくっついて奇妙なオブジェになったふたりだから、きみの⿎動が聞かなくても分かる。ドクドクドキドキ鳴るきみの⼼臓が分かるから、ああ、今⽇もおれはきみに愛されていると安⼼できる。
「 ネズさんったら、最近なんだか⽢えんぼさんだ」
「 ⾔わねぇでください」
恥ずかしさを隠すように腕の⼒を強めると、くるぢい、とくぐもった⾮難の声が上がった。
けれど、おれを引きはがそうとしないのが彼⼥のやさしさだ。
「 ねぇ、ネズさん」
「 今度は何ですか」
「 ずっとこうしててください」
そう⾔って、ユウリのちいさな指がおれに縋りつく。体を縮めておれに縋る体が、苦しいほど愛しいから、おれは、勘違いをキメることにした。
「…… 離しませんよ」
そう、⼀⽣。きみは賢い⼦だから、おれが勘違いするってわかっててそんなことを⾔うんですよね。きみはずっとおれに抱きしめられててくれるんですよね。いつまでもおれにその温さを分け与えてくれるんですよね。ねえ、おれはもうそのつもり。きみを想う気持ちは、もう⼆度と⾍の息になったりしない。そう思ったら、もう何も怖くなんてなくなるから、もう、永遠に勘違いでもいい。いつまでもこうしていたいし、ひとつ欲を⾔うなら、これが勘違いじゃないことをきみの⼝から⾔ってほしい。
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