お隣さんが俺のファンだった件について
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いつも通り朝早くに起きて顔洗って適当に髪をセットしてスーツ着て外に出た。通勤ラッシュ、そして仕事と戦う覚悟は出来たのであとは出勤するだけである。俺は朝の冷たい空気を吸い込んだ。
「あ、おはよーございます」
「あっ、おはよう!学校頑張ってね」
「あざす」
家を出た時ちょうど目の前を隣の家から出てきたらしい制服姿の山田二郎くんが歩いていたので挨拶をしてとっとと歩いていく。すると向かいから山田くん、そう長男の方の山田くんが歩いてきた。どうやらゴミ出しに行っていたらしい。俺は片手を小さく振って挨拶した。
先日、カメラマンとレイヤーとして出会った彼、山田くんと俺はあれからよく会話する様になり、そう、知り合いと呼べるくらいには仲良くなれた。それもこれもマジカルミラクルガールズ──最近話題の女児向けアニメ。ちなみに俺の最推しはマジカルラブリンである──のおかげだ。
同担であるからか話は合うし、たまに一番くじで手に入らなかった、またはダブった賞を交換するなどして親睦を深めた。こんなクソ陰キャと話してくれる山田くんは正直もう神としか言い様がない。
「おはよう、朝から大変だね」
「お隣さん、これから仕事すか」
「そうだね、まあ頑張るよ」
「っす、俺も頑張ります!」
今日も今日とて萬屋の仕事が舞い込んでいるらしい。立ち話もそこそこに俺たちは別れて進んでいく。
「あっ!お隣さん!!」
「んっ!?」
気を抜いた直後に背後から声がかかった。今度はなんだと振り返って見れば山田くんは此方にとてとて走ってきて、俺の顔を見て決意したように言葉を発した。……改めて、身長でかいなと思った。
「良かったら次のマジカルミラクルガールズのオンリー、一緒に行きません!?」
「えっいいの!?」
俺は耳を疑った。この陽キャ感マシマシの隣人と一緒にイベント参加なんて。俺が隣を歩いていいんだろうか。えっ、よく考えたら俺人とイベント行くのなんか初めてじゃないか?
思わず聞き返せば山田くんは嬉しそうににかっと笑って答えてくれる。
「全然イイっすよ!ずっと一緒に行きたかったんです」
「マジか~!!ありがとう!ごめん予定調べてからでもいいかな、まだ一ヶ月はあるよね?」
「大丈夫っす、もし予定空いてたら連絡ください!」
「オッケー、じゃあまたね」
「あ、……っす、仕事頑張ってください!」
どうしよう、取り敢えずその日の予定絶対空けとこう。
俺はまだ遠いその日が楽しみすぎてこれから仕事だと言うのに頭の中はキラキラお花畑状態だった。もう今日一日の仕事ずっと超スマイルでやれるかもしれない。
……なんて調子で浮かれていたがそういえば俺は山田くんにとても推されているレイヤーなのだ。いや、多分ボロ出さなくちゃ大丈夫だろうと思うが。もし顔見知りのレイヤー仲間と会った時にうっかりレイヤー活動してる時に使ってる名前で呼ばれたりしたら、あっ、しまったそれ考えたらもう怖くなってきた。
だってその、あれだ。山田くん結構いい人だったし、その、とても卑しい俺が予想していたようなご近所のおばさま方に言いふらしたりなんてのは無いだろうと思ったがその、推してる美少女……美少女?まあレイヤーさんが実は男で、しかも隣に住んでるクソ社畜陰キャだったりしたら絶望的だろう。なんだかとにかく申し訳ない気分になる。
俺は考えるのをやめた。とにかく会社のことだけ頭に浮かべていた。想像上のオフィスで、ハゲ課長の頭だけが輝いていた。
───────────
「おはよ~ございまーす!」
「おお君か!今日も元気だね」
「へへ、ありがとうございます!!今日もバリバリ働いてやりますよ」
「いいねえ!若者はそうでないと!俺も若い頃はよくやってたもんだ!」
「さすが課長!俺も課長を見習って頑張ります!」
いつも通り上司のご機嫌取りをしてから椅子に座る。外から見りゃ明るく見えるだろうが今の俺の気分はそうでもない。今朝お隣さん……山田くんのイベントの誘いを受けたはいいものの自分がレイヤーとバレないかとにかく不安になってきた。ただでさえ前々から山田くんにバレるのが怖くて宅コスや自撮りすら自粛していたせいで謎のストレスが溜まっていたというのにそれに上積みされたストレスが最早牛久大仏並の重さを誇っていた──しかし実際の牛久大仏の重さは知らない──。俺はほんとうに肩のあたりが重く感じてため息を吐いた。
「はあ゛ぁ~~……」
「あっ!?俺なんかしましたか!?すみませんすみません……!」
「えっ!?いやいやいやただのため息ですって!!」
隣ですごい勢いで頭を下げたのは同期の観音坂独歩さん──あまり話したことはないがいつも仕事を押し付けられているのは知っている──だった。どうやら俺のため息が自分のせいだと何かの理由で勘違いしているらしい。ごめんなさい観音坂さん。ただ女装したいなとか考えてただけなんです!!!うわ最低な理由だな俺!!
「へ、あ、すみませ、ん……」
「もう謝んなくていいっすよ……ちょっとした私情で、それだけですし」
「そうですか……」
しゅんとした顔で観音坂さんはPCに向き直った。いつから出勤してるんだてかこの人めちゃめちゃ仕事早いな?よく仕事押し付けられんのわかる気がするな。……でも多すぎるし明らかに雑用混じってるだろこれ。さっき倉庫整理とか頼まれてなかったか?
「観音坂さぁ~~ん?よかったらこれのコピーおねがーい!」
「ひっ!わかりました!!」
いやいやいや今の仕事で手一杯でしょなんで受けちゃうんだよ……!
俺は観音坂さんに雑用を押し付けようとした女を見た。似合わないブルーのアイシャドウとダマだらけのマスカラで瞼を彩った小太りの女だった。多分同期のやつ。俺は書類だけ押し付けてさっさと帰ろうとするその女の背中を睨んでから独歩さんが手にした書類をぶんどった。
「へっ!?そ、それ俺の仕事なんで……!」
「プレゼンあるんですしそっちに集中してください。こういうの俺がやるから」
「いや申し訳なくてそんな」
「大丈夫ですって!観音坂さんがやったって事にして渡しときますから!」
「は、はあ……じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます……」
「はーい、あ、資料の見直しですか?頑張ってくださいね」
観音坂さんのアホ毛……アホ毛と言っていいのか分からないけどはねた髪の毛がピコンと動いた気がした。しんどそうな顔してるし後でもうちょい労ってやろうと思った。俺はとりあえず書類をコピー機に突っ込み、あの女が言ってた部数コピーして渡しておいた。もちろん観音坂さんがやった事にした。俺に任せたなんて言ったら怒られるに違いない。
俺はコーヒーをふたつ紙コップに淹れてデスクに戻った。夜中寝ていなかったのかちょっとうとうとしている観音坂さんにお疲れ様、と一言声をかけて紙コップを渡したら嬉しそうな顔をしてお礼を言ってくれた。せっかく綺麗な顔をしているのにいつも下ばかり向いてたら勿体ないなんて考えていた。俺は普段コスプレをしているからか人の顔のことには人一倍敏感だった。
俺も近々取引先とのお話──とかオシャレに言うが普通に商談である──があるので色々としなければならない事があった。例えばそうだな、心の準備とか?……なんて。まあとにかくそれもひと段落ついたので昼飯替わりのカロリーメイトを口に突っ込んだ。ぱさぱさしてて口の水分が一気に持っていかれるがチョコレートの甘味がちょっとだけ俺を癒してくれる。
普段食堂で食事をするのだが最近うるさいグループが増えてきて屋上のベンチに場所を変えた。ちょっと移動が面倒なのと風が強い日はカロリーメイトの包装紙やら箱やらが飛んでったり何かの拍子に外れたネクタイピンがぶっ飛んでいったり大変だったが今日は風邪も穏やかなので安心して食事ができた。
何より人がいない!!そう、人がいない!!
俺は実はとてつもない人見知りでオフィスじゃ明るく振舞ってるものの本心はビビりまくりだった。陽キャの絡みといったら怖いもので飲み会にはほぼ強制参加だしみんなうるさいし人の顔写ってる写真勝手にSNSに上げるしもう無法地帯である。俺は疲れた。もう猫かぶるのも会社も辞めてエジプトとかに旅に行きたいとか常々思っていた。
お空とビル群だけが視界に映り込むこの屋上は俺にとってオアシスなのだ。何も考えなくていいから。
「あの」
「アブ・シンベル神殿……」
「……はい?あの……あのっ!!」
「エッ!?!?観音坂さん!?!?びっくりした大声出さないでくださいよ!!」
「ハッ……す、すみません!!ぼーっとしてたので!!!き、気付いて欲しかったんです!!すみません!!」
雲の流れを見ながら遠い国のことを考えていたら隣に観音坂さんが居ることに全く気付かなかった。ごめんなさい。謝りたいのは俺の方だよ。アブ・シンベル神殿とか聞こえてたかな、ごめんなさい。
「い、いや話聞いてなかったの俺ですし全然いいっすよ……こっちこそすみません逆ギレして……」
「えっ!?いやいや突然大声出した俺も悪いですし話しかけたのがそもそも悪いですし俺が悪いんです俺が俺が俺が…………」
「……カロリーメイト食べます?」
「えっ、た、食べます……」
何かブツブツ言い始めたのでカロリーメイトで口を塞いだ。口の中カラカラになれば喋りたく無くなるはずだと思った。俺の口の中は今砂漠状態なのですごく喋りたくない。観音坂さんも同じ気持ちを味わえとかそんな感じの謎の企みがあった。
「……さっき、仕事肩代わりしてくれてありがとうございました」
「え?全然いいですよ……てか同期ですよね、そろそろ敬語外してもいいですか?……いや突然外すのって難しいっすよね」
「んん………えっと、わかる……突然タメで話そうとか言われてもキツい……」
「お、おお……?だよな……?俺もか、観音坂……と話したことあんまなかったし……?実は隣のデスク受け持った時すげえ緊張してたんだけど……?」
咳払いをしてからぎこちない口調で話し始めた観音坂さん……じゃなくて観音坂に俺も応えようと頑張ってみる。噛むなよ、レイヤーの対応力見せてやれ俺……!しかし努力も虚しくちょっと噛んだし観音坂と同じくらい、それどころか観音坂以上にぎこちない。しかも無駄なカミングアウトまでしてしまった。もうなんなんだこれは??
「マジで……?その、明るいから結構そういうの慣れてるのかと思った……」
「いや……ただの猫被りだよ」
「俺にもそのコミュ力分けて欲しいくらいだな…」
「は……俺はその仕事の速さ分けて欲しい……」
「「………………」」
この一対一のクソほどぎこちない会話に俺たちは既に変な汗をかいていた。観音坂は手に持ってたカロリーメイト握り潰してたし俺は背中のシャツが汗で張り付いてた。
本当になんでだか分からないけど仲良くなれそうな気はした。
────俺たちが課長のことを同じ『ハゲ課長』という蔑称で呼んでいたことに気づいたのは、少しあとのこと。