水面下で瞬いた【貴志部大河】
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夏祭りで射的をやろうと言い出したのは総介くんであった。和泉くんなんかも意外と乗り気で、私は薄いカーディガンの裾をまくりながらその光景を眺めていた。
たくさんの提灯に囲まれた神社は公園までの一本道が全部出店で囲まれていて、公園の真ん中のやぐらからであろう、ぼやぼやと弾むように軽い太鼓の音が聞こえる。まだ先にも出店はあったがどうやらみんなが目的にしていたのはここの景品である発売されたばかりのサッカースパイクだったらしい。
意気揚々と偽物の銃をかまえる総介くんだがやはり重量があるからか、少し値が張っているゆえにそうなっているからなのか、簡単に落ちるものではない。マネージャーとはいえ狙う商品もないので入り口のあたりで買ったイチゴ飴をかじる。ぱりぱりと飴のかけらが砂の上におちた。
「もっと上狙えよ」
「分かってるっつーの」
跳沢くんが退屈そうに言うがそれをはじくように言って神妙な面持ちの総介くん。反して貴志部くんと和泉くんは単純に射的を楽しみたいだけにも思える。私はとくにすることもなく空を見上げている。夏の夕暮れは冬よりも気が長い。橙色が、桃色が、藤色が、まだらに散らばってうすく混ざり合っていた。きれいだった。
特別おなかは空いていない。飴のかけらをサンダルで踏んづけた。足下のあめは細い音で鳴く。硝子のような音だ。それくらい些細に聞こえたのは、今日がお祭りだからなのかもしれない。どうせなら浴衣でこればよかったかな。いや、いいや。いいのだ。
淡く煙を焚いたように濁る祭の景色に目を奪われる。最初からこの空間に囚われていたのだ。肺に響く太鼓の音が少しずつ私の鼓動を大きくざわめかせていくように。
誰にも気付かれてないといいな。実は桜色のリップを塗ってあること。でも、貴志部くんだけこっそり気付いてくれるといい。それで背伸びした私を、心のなかで好きなだけ馬鹿にすればいい。それでも貴方のためということは気付かないのでしょうけど。
「志村はやらないのか」
「私は、いいよ。そういうの上手じゃないから」
じゃあ欲しいものは。暇そうにしていたのがあからさまだったのか和泉くんが気を使ってくらているのが分かる。ちらりと貴志部くんのほうを見れば、跳沢くんたちに薦められて仕方がなさげにコルクの詰められた銃を持つ彼の姿があったのだった。
「気を使わせちゃってごめん。お祭りにこられただけで充分にたのしいから……」
そういうと私が最後の言葉を言い切るか切らないかの瞬間、後ろでぱんと銃が轟いた。形式的と呼ぶにはあまりに鮮明で、ごとん。厚紙の箱がぐらりと傾いて倒れる。総介くんが和泉くんを呼ぶ。人使いが荒いんだからと面倒な顔をする彼も言うほど悪い気はしていないように思えた。
相も変わらずすることがない。それは貴志部くんも同じようでぽつりぽつりと滲ませるような会話は、貴志部くんの言葉は、私のまんなかをすぐに奪い取ってゆく。満たして、溢れるくらいにかき混ぜられて、真っ直ぐ立っていられないんじゃないかってくらいに私をいっぱいにしていく。ずるい。
「ここからでも太鼓の音が聞こえるね」
「少し耳を澄ませてみて。祭囃子も聞こえる」
夏の音が聞こえる。風景だけを丁寧に切り取って唄にしたような些細な声が聞こえる。それはざわめく人々の声であったり湿度の高い空を仰ぐ風であったり、とにかくそこは夏なのであった。誰に聞いたって、夏なのであった。
きっと小さな子供が飛ばしているのであろうしゃぼん玉が夕日の空へ何度も反射する。暗さを増したからか緋色の提灯に灯りが灯った。ただ電気が通っただけなのに、私にはそれに命が吹き込まれたのだと思った。
きりっとしていながらも上品さを感じる貴志部くんの顔は端整だ。いったい何人の子がこの目に心酔しただろう。いったい何人の子がこの人にときめいたのだろう。提灯が灯ったことで祭らしさをさらに纏った道はどの屋台も体に悪そうなにおいをしている。小さい頃はあんなにベビーカステラが好きだったのに。
「綺麗だ」
「うん」
何を思ったのか貴志部くんは銃をとりコルクをつめている。まだ何か取るのかな。偽物とはいえ銃を持つ貴志部くんはいつもよりかっこよく見えた。貫禄というか風格というか、気温のせいではない体の熱を感じていく。ぱん。短い音が確かに耳をつんざいた。煙草と同じくらいの大きさである箱を貴志部くんは私に差し出してくれたのであった。
「あげる」
声をあげれば、欲しかったんだろ。ずっと見てたじゃないか。と。彼にはお見通しのようだ。無意識だったのに。
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小さな箱の中でネックレスが揺れている。好きな人からのプレゼントなんて大切にするに決まってるじゃないか。なんだか、なんだか。ああ君ってば、ほんとうに、勘違いさせてくれるなあ。ずるいんだ。ずるいのに好きなんだ。ずるいから好きになってしまったんだ。そんな私をみて、貴志部くんは儚くゆれる提灯を見上げながら呟く。
「桜の香りがするね」
刹那聞こえた声に足が愕然とすくむ。貴志部くんは初めから分かっていたのだ。したまぶたをゆっくりとゆがめ微笑を造る少年のあざとさを知る。もうだめだ。それこそ、立っていられなくなる。甘くてちょっと掠れた男の子の声が私の目の前で、私の、目の前で……。
「きしべ、くん」
「はぐれるよ。行かなくていいのか」
羞恥にまみれた私の顔を楽しんでいるのだと理解するのに時間はかからない。だからこの男はずるいのだ。いつも獲物を捕らえる瀬戸際まで静かに息を潜めている。いつもぎりぎりまで。総介くんたちは少し遠くに行ってしまっているがまだ目視できる。でも、向こうはこちらに気づいていないようだった。走れば追い付ける。声を出せば気付いてもらえるのに!
「追い付きたくない……」
「知ってる」
やっと吐き出した言葉は涙が混ざってしゃがれていて彼はまた扇情的に目を細めた。平気な顔で人を煽る少年の姿がそこにあった。人混みに流され彼等は少しずつ見えなくなっていく。私たちも流されていつのまにか水風船の屋台の前に佇んでいた。言おうとした言葉を喉のきわで飲み込んだ。ずるい。本当にひどい人。
照明に照らされた水にはいくつもの水風船が浮いている。表面のほうで光が反射されているので底のほうはうまく見えない。そんなに深いものじゃないはずなのに。貴志部くんは依然くすくす微笑んでいる。浮かぶ数々の球体は色を纏いその身を水に委ねているのだ。私はそれがひどく薄情に思えた。水の下のことなんか知らないのに。水の上のことさえ知ってればどうでもいいくせに。
「いつからリップに気付いていたの」
「集合したときから」
「どうして」
赤い提灯がゆれた。ぐらりと視界がほのかにゆれた。桜色のはじまりだったのだ。それは、確かにお水の下でなびく確かな恋であった。静かに微笑む少年だった。ひどく気の長い夏の夕暮れの話であった。
「夏だからかな」
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