泡沫トワイライト
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放課後、一旦家に帰宅した楓香は冷蔵庫を開ける。ラセーヌ並盛の特製プリンが入った折箱を取り出すと、手提げ紙袋に入れて家を出た。
まだ外は明るくて帰宅部の生徒達をチラホラと見かける。
楓香が向かっている先は沢田の自宅だった。
バーベキューをするので夜ご飯を一緒に食べないか、と沢田の母からお呼ばれされたのだ。きっと三者面談の時のお詫びだろう、家族揃って心優しい人達だなと感心した。
塀に囲まれた赤色の屋根が目印だ。沢田と書かれた表札に、少しドキリとする。約束の時間までに到着出来てホッとしたものの、男子の自宅に上がるのは初めてで緊張した。
居候の子供達の弾んだ声が中庭から飛び交う。沢田とその母親、リボーン以外は全員初対面だ。人見知りの自分が上手く馴染めるか多少の不安を覚えつつ、インターホンを押す。
すぐに玄関のドアが開き、沢田が出迎えてくれた。
「佐倉さんいらっしゃい!もう少ししたら迎えに行こうと思ってたけど、無事に着いたようで良かった」
「スマホのアプリのおかげだよ、今の時代って便利だよね。おじゃまします」
「はい、どうぞ。ちょっと散らかってるけど…」
脱いだ靴を揃えると、沢田に案内されるまま廊下の奥へ進んだ。
キッチンから沢田の母親、奈々が顔を覗かせる。
「あら、いらっしゃい楓香ちゃん」
「おじゃましてます。今日は誘って下さってありがとうございます。こちら良かったら、どうぞ」
紙袋から折箱を取り出して渡すと、奈々が目を輝かせて頬に手を添えた。
「もしかしてラセーヌのプリン!?嬉しい、これ大好きなのよね~。ありがとう、食後にみんなで頂きましょ!」
手土産が好評のようで幸先の良い出だしだ。
余所様の家でご馳走になるのだから、なるべく失礼のないように過ごしたい。
「楓香ちゃんの大好きな桃も用意してあるからね」
「本当ですか、ありがとうございます!嬉しいですっ」
沢田から楓香の好物と苦手な食べ物やアレルギーを事前に聞いた奈々は、最善の注意を払って準備していた。
そんな奈々の気遣いに応えたくて、手伝いを申し出るが客人だからとやんわり断られる。
「もう少しで準備が終わるから、それまでツっ君の部屋で待っててちょうだい」
うふっ、と意味ありげに笑った。
先導する沢田の後ろを歩いて二階へ上がると、TSUNAと書かれたドアプレートが目に入った。
何故だか生唾をごっくんと飲み込んだ楓香は促されて部屋に入る。
六畳ほどの広さの室内は壁際にベッドと勉強机やテレビが配置され、床は青を基調としたシンプルなカーペット、中央に小さな机と座布団が敷かれていた。ウォールシェルフには漫画やゲームのフィギュアが飾られている。
(これが男の子の部屋…!)
感動してぐるりと見渡していると、大きな瞳と視線が合った。
「ちゃおっス、楓香」
特徴的な眉をした子供がハンモックから飛び降りた。
「こんにちは、リボーン君」
ラセーヌ並盛で会った時以来の再会である。相変わらず、何を考えているのか読めない黒曜石が此方を見上げていた。
「ふむ…黒曜石か、いいセンスだ」
「…えっ、私、口に出してた?」
考えていることを喋ってしまったのだと思い、手で口元を隠す。
しかし、沢田は首を横に振った。
「リボーンは読心術が使えるんだ」
「ど、読心術って相手の表情や仕草で心を読むことが出来るっていう技のこと?」
「そうだぞ。今、楓香はこう思った。じゃあ男子の部屋に初めて上がるから死ぬ程緊張してるってこともバレバレってこと!?」
「…わぁぁーー!!後生だから心を読まないで!」
物理的に黙らせるべくリボーンの口を押さえるが、ゴム毬のようにピョンピョンと素早く避けるので体力が底を尽いた楓香は息を切らす。
「……そっか、初めてなんだ」
「ちょっと!何ニヤついてるの沢田君!」
締まりなく笑っている頬を抓る。だがあまり効果はない。
「今、ツナは思った。緊張してる佐倉さんかわ、」
「うわああーー!!リボーン勝手に心読むのやめろよッ!」
一気に沢田の心臓がひやりとする。内心、焦りと羞恥でいっぱいだった。
そんな彼の反応に楓香は一瞬きょとりとした後、思案気な顔をして「…か、川?」と呟いた。
準備が整った奈々に呼ばれ、楓香達はベランダに向かった。
アウトドアテーブルの上にはとうもろこし、カボチャ、なすびなど定番の野菜や紙皿が並べられていた。
沢田はバーベキューコンロに火を付け、下味を付けた肉を焼いていく。
「あ、佐倉さんは縁側で座ってていいからね」
そう言われたが、トングで肉をひっくり返したりと忙しくしているので、見兼ねて手伝おうとするが断られる。
手持ち無沙汰になり、奈々から頂いたオレンジジュースをちびちびと飲むことにした。
乾いた喉が少し潤い、口に残る酸味を感じながら隣を一瞥する。
アイスコーヒーが入ったグラスを口付ける幼子の姿は違和感しかない。
(…でも不思議と様になってるんだよなぁ)
ぷにぷにとした頬はお餅のように膨らんでいて、どう見ても正真正銘の子供だ。
「この間のデートは楽しかったか?」
ゴホッ、と噎せればニタリと意地悪な笑みが返ってきた。
不意打ちを食らった楓香はジュースが器官に入ってしまったせいで酸味の刺激もあり、じわりと涙が滲む。
「何も考えずに素の自分で居られる、そういう存在がアイツには必要だ」
差し出されたティッシュを受け取り、目元を拭う。
「俺はお前だと思っているぞ、楓香」
「…えっと…よく、分からないんだけど」
「ちなみにアイツは両刀使いじゃねーからな」
(そ、そうなの!?)
リボーンはカメレオンのレオンをプロペラに変身させると、頭に取り付けて宙を飛んで行く。
(なにそのタケコプター!?)
あのカメレオンは未確認生物UMAなのだろうか。スマホで検索するが有力な情報は載っていなかった。
またジュースを飲んでいると、下から視線を感じた。まん丸な二つの目が此方を見上げている。
「あーっ!なんか知らない奴、発見!」
ビシッと指を向けてきたのは、牛柄模様の全身タイツを着たモジャモジャ頭の男の子だった。
(…ツノ生えてる…もしかしてこの子、ペットのアホ牛?)
また個性的な子が居るなぁと観察していると、男の子が楓香の周りをマイムマイムのように踊る。
「君は誰だい?僕はランボ♪僕は誰だい?君はランボ♪」
なんてクセの強い自己紹介なんだ。オレンジジュースを置いて、縁側から腰を上げる。ランボの前に身を屈めて目線を合わせた。
「私は楓香っていうの。よろしくね、ランボ君」
「ランボさん優しいから、よろしくしてやってもいいんだもんね!」
えっへんと腰に手を当てて胸を反らす子供が可愛らしくて、くすりと笑ってしまう。 その小さな紅葉の手を取り、握手をした。
すると、タッタッタッと軽い足音がやって来る。
「こんにちは!ツナ兄の友達?」
ヘーゼルナッツの瞳をした少年が首をこてんと傾げ、上目遣いで訊く。
「初めまして、私は佐倉楓香。沢田君の友達だよ」
「ぼくはフゥ太。えへへ、楓香姉って呼んでもいい?」
「モチロン」
「やったぁ、楓香姉♡」
季節外れのマフラーに口元を埋め、少年はぺかーっと破顔する。それを直視してしまった楓香は、脳天まで雷のような電流が突き抜ける。
(この子、あざと男子だ!自分の可愛さを自覚してる!)
只者じゃない少年に慄いていると、彼の後ろに隠れていた子供がゆっくりと前に出た。
「〇△#☆*」
ゆで卵のようにつるんとしたおでこが愛らしい、声からして女の子のようだ。言葉が聞き取れず返事に困っていると、フゥ太が口を開く。
「この子はイーピン、香港出身の恥ずかしがり屋だよ。早口で喋るから、聞き取れない時はぼくが翻訳してあげる」
「そうなんだ。よろしくね、イーピンちゃん」
カンフー服が良く似合っている糸目の少女はペコッと挨拶をすると、すぐにフゥ太の背中に隠れてしまった。
「プププ!やーい恥ずかしん坊!」
下卑た笑いを浮かべるランボはねちっこく弄る。ムッと口を尖らせたイーピンが「ランボ、しね!」と飛び蹴りを食らわしていた。
焼けたお肉の匂いにつられて、天空散歩をしていたリボーンが「腹へったぞ」と帰ってくる。プロペラから通常形態に変身したレオンはソフト帽の定位置に戻った。
「あと一人居候が居るんだが、幻の食材を求め旅に出てて不在だぞ(本当は俺がそう仕向けたんだがな)」
(この家には個性が爆発している人達ばっかりだな…)
言葉を失っていると、「みんなー焼けたわよー」と奈々が声を上げた。
待ってましたとばかりに紙皿を持った子供達が一斉にコンロへと群がる。いつの間にゲットしたのか、リボーンが持つ紙皿にはカルビの山が乗っていた。
「うわっ、すごい量…焼肉好きなんだね」
「ちげーぞ。大人になるとカルビが重くて食べれねーから、ガキのうちに味わっておくだけだぞ」
「もしかしてだけど、黒ずくめの男に毒薬飲まされてないよね?気が付いたら身体が縮んでいたとかないよね?」
「…………フッ」
(なにその意味深な笑顔!?)
子供にしては精神年齢が高すぎるので冗談のつもりで言った筈が、まるで核心を突かれた反応をしたので楓香は目を泳がす。
「ほらお前も食え」
「あっ、ありがとう」
網目の跡が付いたカルビを分けてもらい口に頬張る。炭火で炙ったお肉は最高に美味だった。
焼肉や野菜などたらふく胃袋に詰め込んだ子供達は、ケフッと小さく息を吐く。
ランボの見事に膨らんだお腹をさすってあげていた奈々が眉根を下げた。
「お腹いっぱいなら食後のデザートは食べられないかしら…」
その言葉に息を吹き返したフゥ太達が我先にと奈々へ詰め寄る。
「「デザートは別腹!!」」
切り替わりが早いその態度に、楓香と沢田は顔を見合わせて笑みを零した。
しかし、事件は起きる。
楓香が手土産で持参したプリンが全て忽然と消えていたのだ。楽しみにしていたデザートを横取りした犯人探しが始まったが、すぐに事件は終息に向かう。
―――チャキッ
リボーンが愛銃を向けた先に居たのは、ぽっこりとお腹が膨らんだランボだった。
「おいアホ牛、お前なんでそんなに肥えてんだ?」
表情一つ変えないリボーンだが、そのこめかみにはピキッピキッと血管が浮き出ている。彼の怒りを察した沢田が慌てて庇う。
「食べ過ぎてお腹が膨らむなんて、いつものことだろ」
「何を食べ過ぎたんだ?」
「そ、それは、お肉とかさ」
「そのモジャモジャ頭の中からはみ出ているスプーンは何だ?」
「ぎくっ」
苦い笑みをした奈々が、ランボの頭に埋まっているスプーンをおずおずと引っこ抜く。
それはラセーヌ並盛のロゴが刻まれた特注スプーンで、プリンとセットで配布されているものだった。
「死ね」
―――ズガンッ
放たれた弾丸がランボに迫るが、間一髪のところで沢田がトングで弾道を逸らす。
「や、やめろよリボーン!危ないじゃないか!(母さんや佐倉さんも居るのに!)」
(沢田君すごい、ここでも動体視力トレーニングが役立ってる!)
子供が拳銃を所持していることに一切の疑問を持たず、楓香は沢田の動きに感動を覚える。
「この世で一番恐ろしいモンが何か知ってるか?食べ物の恨みだ」
「オ、オレっちは悪くないもんね!プリンが食べられたがってたんだもんね!」
「黙れ」
相棒を手裏剣に変身させて、犯人に向かって投げ付けた。
「ぐぴゃっ」
トスッとランボの眉間に命中すると、まん丸の目がゆらゆらと潤んで大粒の涙が溢れる。
「い、いだぁあい!いだいよぉ!うわああん!リボーンなんかぶっころしてやるぅ!」
モジャ頭の四次元ポケットから大きなバズーカを勢い良く取り出すが、手を滑らして前方にぶん投げてしまう。
「あ、」
楓香は目の前に迫り来る物体にどうすることも出来ず、頭を両手で守って目を閉じた。
―――ボフンッ
一瞬にして辺り一面をもんもんと煙幕が包み込む。
(いた…くない?)
バズーカに直撃した楓香だったが、痛みや痺れもなく五体満足だった。
ぼんやりと桃色の視界に目を凝らすと、色を着けるように色彩が戻る。
「…ここ、どこ?」
床から天井まである大きな窓から、月明かりが部屋に降り注いでいた。
夜風に乗って、チョコレートの甘い香りが鼻腔に届く。
その洋室は沢田の部屋より何倍もの広さで、床全面には上質な絨毯が張られていた。奥にはガラス張りで木製の本棚とアンティークな色合いのキャビネットが隅に置かれている。
豪壮さの中に風雅な趣きもあり、嫌味は感じさせない。
部屋の真ん中には、机と一人掛けの椅子があった。座っているのは、昏い青藍の長髪を束ねた大人の男だった。
机に置かれている三段タイプのケーキスタンドには、一口サイズのチョコレートやお菓子が並べられていた。
男は長い脚を組み、飲んでいたコーヒーを優雅にソーサーへ戻す。
その整った唇が弧を描いた。
「おやおや」
右目に紅玉、左目に蒼玉を嵌め込んだ美しい瞳が射抜く。
あまりにも綺麗で、思わず見惚れてしまった。しかし、そのオッドアイが怪訝に細められ、楓香は我に返る。
「これはまた随分と、可愛らしい来客ですね」
カツン、とブーツの踵が鳴る。
男は身を屈め、楓香の顔を覗き込んだ。
「僕の[[rb:指輪 > モノ]]を盗むとは、愚かにも程がある」
抑揚のない低音が耳元に囁かれる。
研ぎ澄まされた殺意を浴びて、楓香は小刻みに全身を震わせた。
「今すぐに返しなさい。さもなくば、お望み通り地獄へ送っても良いんですよ」
冷たい指が楓香の首へと伸びてきて、背筋がゾクリと凍える。
「ま、待ってください誤解です!私、何も盗んでません!」
男に生殺与奪を握られ、緊迫した状況に楓香の脈が耳を劈く。
一体自分に何が起こっているのか理解出来なかった。
数分前までは沢田家でバーベキューをしていた筈だった。ランボのバズーカ砲に巻き込まれた瞬間、見知らぬ男の部屋に上がり込み、更には盗人だと誤解され殺されそうになっている。
そんな現状に思考が追い付かなかった。
「君は何者ですか」
「…わ、たしは」
口を開いた途端、視界が揺れるくらいに強烈な爆発音が響いた。
一方、その頃。沢田家は騒然としていた。
「ど、どうしようリボーン!佐倉さんが未来に飛んじゃった!?」
「うるせーぞ落ち着けツナ。それよりも…」
またレオンを変身させ、プロペラを頭に付けたリボーンは上空から辺りを見回す。何かを探しているようだ。
「…ねぇ、なんで十年後の楓香姉、現れないの?」
フゥ太が沢田の袖を弱々しく引っ張る。ランボやイーピンも不安げに様子を伺っていた。
「そ、それは、その…きっと故障してるんだよ。ほら壊れやすいって言ってただろ、なぁランボ」
「…昨日、博士に直してもらったばかり、なんだぞ」
「…#$#””%」
最悪の未来を想像してしまい、一同は顔色を暗くさせて口を閉ざす。奈々は状況をよく分かっておらず目を瞬かせた。
十年バズーカに撃たれた者は五分間だけ十年後の自分と入れ代わるタイムマシンだ。
だが、十年後の楓香は一向に姿を現さない。それが意味すること、つまり彼女は―――。
かちん、と、乾いた音がして何かが転がる。
十年バズーカを食らった楓香は姿を消し、代わりに一つの指輪が落ちて来た。
「なんでこんなところに[[rb:指輪 > リング]]が?」
それを拾い上げると、沢田はまじまじと見詰める。
指輪に嵌め込まれた石は、流れ星を閉じ込めたような不思議な輝きを放っていた。
楓香の捜索を打ち切ったリボーンはレオンを虫眼鏡に変身させて、指輪を観察する。
「どこにも楓香の姿がねーな。その指輪が代わりに未来から飛んで来たってことか」
指輪を手にしてから目を逸らさず、暫く黙り込んでいたツナが唇を震わせた。
「……ど、…して…」
信じたくない。だが、沢田の直感がそう告げる。
十年後の未来に楓香は存在していない。それは病死でも事故死でも他殺でもなくて、
「何か分かったのか、ツナ」
「………佐倉さんは…自ら、」
ドテッ。衝撃で楓香は盛大に尻餅をついた。
痛みを堪えながら目を開ければ、己の身体の隙間から火薬臭い桃煙がもうもうと溢れている。
視界には、見覚えのある人達が突然現れた自分を凝視していた。五分が経ち、時空を超えて現代に戻ってきたのだ。
「もう、一体どうなって…」
「佐倉さんッ!」
血相を変えた沢田が力任せに楓香の肩を掴む。
その痛みに顔を歪ませるが、彼のただならぬ様子に戸惑いながら訊き返した。
「沢田君、どうしたの?」
今にも泣き出しそうな沢田は眉尻を下げ、力なく膝をつき俯く。
「…そんな未来、俺は認めない」
自分の肩に置かれた手が震えているのを見て、数日前に繋いだ骨ばった大きな手と、屈託のない沢田の笑顔を思い出した。
その彼が今、みっともなく楓香に縋り付いている。
「……どうして、命を絶ったんだ」
(いや勝手に殺すなよ)
この時、いつもならそうツッコミを入れていた。
しかし、肩に置かれた手から、胸が苦しくなる程に沢田の真摯な気持ちが伝わってきて、何も言えなかった。
どういう経緯で彼がそんなことを思ったのか分からない。だが、これだけは言える。
「私、死なないよ。自死なんてする程の度胸ないし」
「………」
「それに、一緒に生きたいと思える友達が出来たんだもの」
力強く答えた楓香の声を聞いて、彼は顔を上げる。
自分の肩に置かれた手をポンポンと叩き、安心させる為に笑顔を浮かべた。
「…約束、してほしいんだ」
「うん」
「生きる、と」
「うん」
お互いの小指を合わせ、子供のように指切りを交わした。
その約束が果たされないことを沢田は超直感で分かってしまう。
それでも彼は知っている。過去は変えられない、でも未来は変えることが出来るのだと。
二人の様子を見ていたリボーンはボルサリーノのソフト帽をクイッと下げた。その伏せられた目は陰で隠されている。
「(…鍵はあの指輪だな。信用出来るツテに頼んで調べてもらうか)」
また忙しくなりそうな予感がして、リボーンはニッと口角を上げた。
少女が居た場所には例の指輪が転がっていた。
「…十年バズーカとやら、ですか」
この摩訶不思議な現象には見覚えがあった。雷の守護者が持っているボヴィーノファミリー秘伝の転送型タイムマシンだ。
ならば被弾して十年後に送られてきた謎の彼女は、指輪と何かしら関連があるに違いない。
男が数年前から追い求めていた、とある真実を少女は握っている気がした。
「君は何者なんでしょうね」
もし、また会えたならば。その時は―――。
彼女の知らぬところで何かが始まろうとしていた。
平凡な日常がゆっくりと歪んでいく。崩壊のカウントダウンはもうそこまで迫っていた。
まだ外は明るくて帰宅部の生徒達をチラホラと見かける。
楓香が向かっている先は沢田の自宅だった。
バーベキューをするので夜ご飯を一緒に食べないか、と沢田の母からお呼ばれされたのだ。きっと三者面談の時のお詫びだろう、家族揃って心優しい人達だなと感心した。
塀に囲まれた赤色の屋根が目印だ。沢田と書かれた表札に、少しドキリとする。約束の時間までに到着出来てホッとしたものの、男子の自宅に上がるのは初めてで緊張した。
居候の子供達の弾んだ声が中庭から飛び交う。沢田とその母親、リボーン以外は全員初対面だ。人見知りの自分が上手く馴染めるか多少の不安を覚えつつ、インターホンを押す。
すぐに玄関のドアが開き、沢田が出迎えてくれた。
「佐倉さんいらっしゃい!もう少ししたら迎えに行こうと思ってたけど、無事に着いたようで良かった」
「スマホのアプリのおかげだよ、今の時代って便利だよね。おじゃまします」
「はい、どうぞ。ちょっと散らかってるけど…」
脱いだ靴を揃えると、沢田に案内されるまま廊下の奥へ進んだ。
キッチンから沢田の母親、奈々が顔を覗かせる。
「あら、いらっしゃい楓香ちゃん」
「おじゃましてます。今日は誘って下さってありがとうございます。こちら良かったら、どうぞ」
紙袋から折箱を取り出して渡すと、奈々が目を輝かせて頬に手を添えた。
「もしかしてラセーヌのプリン!?嬉しい、これ大好きなのよね~。ありがとう、食後にみんなで頂きましょ!」
手土産が好評のようで幸先の良い出だしだ。
余所様の家でご馳走になるのだから、なるべく失礼のないように過ごしたい。
「楓香ちゃんの大好きな桃も用意してあるからね」
「本当ですか、ありがとうございます!嬉しいですっ」
沢田から楓香の好物と苦手な食べ物やアレルギーを事前に聞いた奈々は、最善の注意を払って準備していた。
そんな奈々の気遣いに応えたくて、手伝いを申し出るが客人だからとやんわり断られる。
「もう少しで準備が終わるから、それまでツっ君の部屋で待っててちょうだい」
うふっ、と意味ありげに笑った。
先導する沢田の後ろを歩いて二階へ上がると、TSUNAと書かれたドアプレートが目に入った。
何故だか生唾をごっくんと飲み込んだ楓香は促されて部屋に入る。
六畳ほどの広さの室内は壁際にベッドと勉強机やテレビが配置され、床は青を基調としたシンプルなカーペット、中央に小さな机と座布団が敷かれていた。ウォールシェルフには漫画やゲームのフィギュアが飾られている。
(これが男の子の部屋…!)
感動してぐるりと見渡していると、大きな瞳と視線が合った。
「ちゃおっス、楓香」
特徴的な眉をした子供がハンモックから飛び降りた。
「こんにちは、リボーン君」
ラセーヌ並盛で会った時以来の再会である。相変わらず、何を考えているのか読めない黒曜石が此方を見上げていた。
「ふむ…黒曜石か、いいセンスだ」
「…えっ、私、口に出してた?」
考えていることを喋ってしまったのだと思い、手で口元を隠す。
しかし、沢田は首を横に振った。
「リボーンは読心術が使えるんだ」
「ど、読心術って相手の表情や仕草で心を読むことが出来るっていう技のこと?」
「そうだぞ。今、楓香はこう思った。じゃあ男子の部屋に初めて上がるから死ぬ程緊張してるってこともバレバレってこと!?」
「…わぁぁーー!!後生だから心を読まないで!」
物理的に黙らせるべくリボーンの口を押さえるが、ゴム毬のようにピョンピョンと素早く避けるので体力が底を尽いた楓香は息を切らす。
「……そっか、初めてなんだ」
「ちょっと!何ニヤついてるの沢田君!」
締まりなく笑っている頬を抓る。だがあまり効果はない。
「今、ツナは思った。緊張してる佐倉さんかわ、」
「うわああーー!!リボーン勝手に心読むのやめろよッ!」
一気に沢田の心臓がひやりとする。内心、焦りと羞恥でいっぱいだった。
そんな彼の反応に楓香は一瞬きょとりとした後、思案気な顔をして「…か、川?」と呟いた。
準備が整った奈々に呼ばれ、楓香達はベランダに向かった。
アウトドアテーブルの上にはとうもろこし、カボチャ、なすびなど定番の野菜や紙皿が並べられていた。
沢田はバーベキューコンロに火を付け、下味を付けた肉を焼いていく。
「あ、佐倉さんは縁側で座ってていいからね」
そう言われたが、トングで肉をひっくり返したりと忙しくしているので、見兼ねて手伝おうとするが断られる。
手持ち無沙汰になり、奈々から頂いたオレンジジュースをちびちびと飲むことにした。
乾いた喉が少し潤い、口に残る酸味を感じながら隣を一瞥する。
アイスコーヒーが入ったグラスを口付ける幼子の姿は違和感しかない。
(…でも不思議と様になってるんだよなぁ)
ぷにぷにとした頬はお餅のように膨らんでいて、どう見ても正真正銘の子供だ。
「この間のデートは楽しかったか?」
ゴホッ、と噎せればニタリと意地悪な笑みが返ってきた。
不意打ちを食らった楓香はジュースが器官に入ってしまったせいで酸味の刺激もあり、じわりと涙が滲む。
「何も考えずに素の自分で居られる、そういう存在がアイツには必要だ」
差し出されたティッシュを受け取り、目元を拭う。
「俺はお前だと思っているぞ、楓香」
「…えっと…よく、分からないんだけど」
「ちなみにアイツは両刀使いじゃねーからな」
(そ、そうなの!?)
リボーンはカメレオンのレオンをプロペラに変身させると、頭に取り付けて宙を飛んで行く。
(なにそのタケコプター!?)
あのカメレオンは未確認生物UMAなのだろうか。スマホで検索するが有力な情報は載っていなかった。
またジュースを飲んでいると、下から視線を感じた。まん丸な二つの目が此方を見上げている。
「あーっ!なんか知らない奴、発見!」
ビシッと指を向けてきたのは、牛柄模様の全身タイツを着たモジャモジャ頭の男の子だった。
(…ツノ生えてる…もしかしてこの子、ペットのアホ牛?)
また個性的な子が居るなぁと観察していると、男の子が楓香の周りをマイムマイムのように踊る。
「君は誰だい?僕はランボ♪僕は誰だい?君はランボ♪」
なんてクセの強い自己紹介なんだ。オレンジジュースを置いて、縁側から腰を上げる。ランボの前に身を屈めて目線を合わせた。
「私は楓香っていうの。よろしくね、ランボ君」
「ランボさん優しいから、よろしくしてやってもいいんだもんね!」
えっへんと腰に手を当てて胸を反らす子供が可愛らしくて、くすりと笑ってしまう。 その小さな紅葉の手を取り、握手をした。
すると、タッタッタッと軽い足音がやって来る。
「こんにちは!ツナ兄の友達?」
ヘーゼルナッツの瞳をした少年が首をこてんと傾げ、上目遣いで訊く。
「初めまして、私は佐倉楓香。沢田君の友達だよ」
「ぼくはフゥ太。えへへ、楓香姉って呼んでもいい?」
「モチロン」
「やったぁ、楓香姉♡」
季節外れのマフラーに口元を埋め、少年はぺかーっと破顔する。それを直視してしまった楓香は、脳天まで雷のような電流が突き抜ける。
(この子、あざと男子だ!自分の可愛さを自覚してる!)
只者じゃない少年に慄いていると、彼の後ろに隠れていた子供がゆっくりと前に出た。
「〇△#☆*」
ゆで卵のようにつるんとしたおでこが愛らしい、声からして女の子のようだ。言葉が聞き取れず返事に困っていると、フゥ太が口を開く。
「この子はイーピン、香港出身の恥ずかしがり屋だよ。早口で喋るから、聞き取れない時はぼくが翻訳してあげる」
「そうなんだ。よろしくね、イーピンちゃん」
カンフー服が良く似合っている糸目の少女はペコッと挨拶をすると、すぐにフゥ太の背中に隠れてしまった。
「プププ!やーい恥ずかしん坊!」
下卑た笑いを浮かべるランボはねちっこく弄る。ムッと口を尖らせたイーピンが「ランボ、しね!」と飛び蹴りを食らわしていた。
焼けたお肉の匂いにつられて、天空散歩をしていたリボーンが「腹へったぞ」と帰ってくる。プロペラから通常形態に変身したレオンはソフト帽の定位置に戻った。
「あと一人居候が居るんだが、幻の食材を求め旅に出てて不在だぞ(本当は俺がそう仕向けたんだがな)」
(この家には個性が爆発している人達ばっかりだな…)
言葉を失っていると、「みんなー焼けたわよー」と奈々が声を上げた。
待ってましたとばかりに紙皿を持った子供達が一斉にコンロへと群がる。いつの間にゲットしたのか、リボーンが持つ紙皿にはカルビの山が乗っていた。
「うわっ、すごい量…焼肉好きなんだね」
「ちげーぞ。大人になるとカルビが重くて食べれねーから、ガキのうちに味わっておくだけだぞ」
「もしかしてだけど、黒ずくめの男に毒薬飲まされてないよね?気が付いたら身体が縮んでいたとかないよね?」
「…………フッ」
(なにその意味深な笑顔!?)
子供にしては精神年齢が高すぎるので冗談のつもりで言った筈が、まるで核心を突かれた反応をしたので楓香は目を泳がす。
「ほらお前も食え」
「あっ、ありがとう」
網目の跡が付いたカルビを分けてもらい口に頬張る。炭火で炙ったお肉は最高に美味だった。
焼肉や野菜などたらふく胃袋に詰め込んだ子供達は、ケフッと小さく息を吐く。
ランボの見事に膨らんだお腹をさすってあげていた奈々が眉根を下げた。
「お腹いっぱいなら食後のデザートは食べられないかしら…」
その言葉に息を吹き返したフゥ太達が我先にと奈々へ詰め寄る。
「「デザートは別腹!!」」
切り替わりが早いその態度に、楓香と沢田は顔を見合わせて笑みを零した。
しかし、事件は起きる。
楓香が手土産で持参したプリンが全て忽然と消えていたのだ。楽しみにしていたデザートを横取りした犯人探しが始まったが、すぐに事件は終息に向かう。
―――チャキッ
リボーンが愛銃を向けた先に居たのは、ぽっこりとお腹が膨らんだランボだった。
「おいアホ牛、お前なんでそんなに肥えてんだ?」
表情一つ変えないリボーンだが、そのこめかみにはピキッピキッと血管が浮き出ている。彼の怒りを察した沢田が慌てて庇う。
「食べ過ぎてお腹が膨らむなんて、いつものことだろ」
「何を食べ過ぎたんだ?」
「そ、それは、お肉とかさ」
「そのモジャモジャ頭の中からはみ出ているスプーンは何だ?」
「ぎくっ」
苦い笑みをした奈々が、ランボの頭に埋まっているスプーンをおずおずと引っこ抜く。
それはラセーヌ並盛のロゴが刻まれた特注スプーンで、プリンとセットで配布されているものだった。
「死ね」
―――ズガンッ
放たれた弾丸がランボに迫るが、間一髪のところで沢田がトングで弾道を逸らす。
「や、やめろよリボーン!危ないじゃないか!(母さんや佐倉さんも居るのに!)」
(沢田君すごい、ここでも動体視力トレーニングが役立ってる!)
子供が拳銃を所持していることに一切の疑問を持たず、楓香は沢田の動きに感動を覚える。
「この世で一番恐ろしいモンが何か知ってるか?食べ物の恨みだ」
「オ、オレっちは悪くないもんね!プリンが食べられたがってたんだもんね!」
「黙れ」
相棒を手裏剣に変身させて、犯人に向かって投げ付けた。
「ぐぴゃっ」
トスッとランボの眉間に命中すると、まん丸の目がゆらゆらと潤んで大粒の涙が溢れる。
「い、いだぁあい!いだいよぉ!うわああん!リボーンなんかぶっころしてやるぅ!」
モジャ頭の四次元ポケットから大きなバズーカを勢い良く取り出すが、手を滑らして前方にぶん投げてしまう。
「あ、」
楓香は目の前に迫り来る物体にどうすることも出来ず、頭を両手で守って目を閉じた。
―――ボフンッ
一瞬にして辺り一面をもんもんと煙幕が包み込む。
(いた…くない?)
バズーカに直撃した楓香だったが、痛みや痺れもなく五体満足だった。
ぼんやりと桃色の視界に目を凝らすと、色を着けるように色彩が戻る。
「…ここ、どこ?」
床から天井まである大きな窓から、月明かりが部屋に降り注いでいた。
夜風に乗って、チョコレートの甘い香りが鼻腔に届く。
その洋室は沢田の部屋より何倍もの広さで、床全面には上質な絨毯が張られていた。奥にはガラス張りで木製の本棚とアンティークな色合いのキャビネットが隅に置かれている。
豪壮さの中に風雅な趣きもあり、嫌味は感じさせない。
部屋の真ん中には、机と一人掛けの椅子があった。座っているのは、昏い青藍の長髪を束ねた大人の男だった。
机に置かれている三段タイプのケーキスタンドには、一口サイズのチョコレートやお菓子が並べられていた。
男は長い脚を組み、飲んでいたコーヒーを優雅にソーサーへ戻す。
その整った唇が弧を描いた。
「おやおや」
右目に紅玉、左目に蒼玉を嵌め込んだ美しい瞳が射抜く。
あまりにも綺麗で、思わず見惚れてしまった。しかし、そのオッドアイが怪訝に細められ、楓香は我に返る。
「これはまた随分と、可愛らしい来客ですね」
カツン、とブーツの踵が鳴る。
男は身を屈め、楓香の顔を覗き込んだ。
「僕の[[rb:指輪 > モノ]]を盗むとは、愚かにも程がある」
抑揚のない低音が耳元に囁かれる。
研ぎ澄まされた殺意を浴びて、楓香は小刻みに全身を震わせた。
「今すぐに返しなさい。さもなくば、お望み通り地獄へ送っても良いんですよ」
冷たい指が楓香の首へと伸びてきて、背筋がゾクリと凍える。
「ま、待ってください誤解です!私、何も盗んでません!」
男に生殺与奪を握られ、緊迫した状況に楓香の脈が耳を劈く。
一体自分に何が起こっているのか理解出来なかった。
数分前までは沢田家でバーベキューをしていた筈だった。ランボのバズーカ砲に巻き込まれた瞬間、見知らぬ男の部屋に上がり込み、更には盗人だと誤解され殺されそうになっている。
そんな現状に思考が追い付かなかった。
「君は何者ですか」
「…わ、たしは」
口を開いた途端、視界が揺れるくらいに強烈な爆発音が響いた。
一方、その頃。沢田家は騒然としていた。
「ど、どうしようリボーン!佐倉さんが未来に飛んじゃった!?」
「うるせーぞ落ち着けツナ。それよりも…」
またレオンを変身させ、プロペラを頭に付けたリボーンは上空から辺りを見回す。何かを探しているようだ。
「…ねぇ、なんで十年後の楓香姉、現れないの?」
フゥ太が沢田の袖を弱々しく引っ張る。ランボやイーピンも不安げに様子を伺っていた。
「そ、それは、その…きっと故障してるんだよ。ほら壊れやすいって言ってただろ、なぁランボ」
「…昨日、博士に直してもらったばかり、なんだぞ」
「…#$#””%」
最悪の未来を想像してしまい、一同は顔色を暗くさせて口を閉ざす。奈々は状況をよく分かっておらず目を瞬かせた。
十年バズーカに撃たれた者は五分間だけ十年後の自分と入れ代わるタイムマシンだ。
だが、十年後の楓香は一向に姿を現さない。それが意味すること、つまり彼女は―――。
かちん、と、乾いた音がして何かが転がる。
十年バズーカを食らった楓香は姿を消し、代わりに一つの指輪が落ちて来た。
「なんでこんなところに[[rb:指輪 > リング]]が?」
それを拾い上げると、沢田はまじまじと見詰める。
指輪に嵌め込まれた石は、流れ星を閉じ込めたような不思議な輝きを放っていた。
楓香の捜索を打ち切ったリボーンはレオンを虫眼鏡に変身させて、指輪を観察する。
「どこにも楓香の姿がねーな。その指輪が代わりに未来から飛んで来たってことか」
指輪を手にしてから目を逸らさず、暫く黙り込んでいたツナが唇を震わせた。
「……ど、…して…」
信じたくない。だが、沢田の直感がそう告げる。
十年後の未来に楓香は存在していない。それは病死でも事故死でも他殺でもなくて、
「何か分かったのか、ツナ」
「………佐倉さんは…自ら、」
ドテッ。衝撃で楓香は盛大に尻餅をついた。
痛みを堪えながら目を開ければ、己の身体の隙間から火薬臭い桃煙がもうもうと溢れている。
視界には、見覚えのある人達が突然現れた自分を凝視していた。五分が経ち、時空を超えて現代に戻ってきたのだ。
「もう、一体どうなって…」
「佐倉さんッ!」
血相を変えた沢田が力任せに楓香の肩を掴む。
その痛みに顔を歪ませるが、彼のただならぬ様子に戸惑いながら訊き返した。
「沢田君、どうしたの?」
今にも泣き出しそうな沢田は眉尻を下げ、力なく膝をつき俯く。
「…そんな未来、俺は認めない」
自分の肩に置かれた手が震えているのを見て、数日前に繋いだ骨ばった大きな手と、屈託のない沢田の笑顔を思い出した。
その彼が今、みっともなく楓香に縋り付いている。
「……どうして、命を絶ったんだ」
(いや勝手に殺すなよ)
この時、いつもならそうツッコミを入れていた。
しかし、肩に置かれた手から、胸が苦しくなる程に沢田の真摯な気持ちが伝わってきて、何も言えなかった。
どういう経緯で彼がそんなことを思ったのか分からない。だが、これだけは言える。
「私、死なないよ。自死なんてする程の度胸ないし」
「………」
「それに、一緒に生きたいと思える友達が出来たんだもの」
力強く答えた楓香の声を聞いて、彼は顔を上げる。
自分の肩に置かれた手をポンポンと叩き、安心させる為に笑顔を浮かべた。
「…約束、してほしいんだ」
「うん」
「生きる、と」
「うん」
お互いの小指を合わせ、子供のように指切りを交わした。
その約束が果たされないことを沢田は超直感で分かってしまう。
それでも彼は知っている。過去は変えられない、でも未来は変えることが出来るのだと。
二人の様子を見ていたリボーンはボルサリーノのソフト帽をクイッと下げた。その伏せられた目は陰で隠されている。
「(…鍵はあの指輪だな。信用出来るツテに頼んで調べてもらうか)」
また忙しくなりそうな予感がして、リボーンはニッと口角を上げた。
少女が居た場所には例の指輪が転がっていた。
「…十年バズーカとやら、ですか」
この摩訶不思議な現象には見覚えがあった。雷の守護者が持っているボヴィーノファミリー秘伝の転送型タイムマシンだ。
ならば被弾して十年後に送られてきた謎の彼女は、指輪と何かしら関連があるに違いない。
男が数年前から追い求めていた、とある真実を少女は握っている気がした。
「君は何者なんでしょうね」
もし、また会えたならば。その時は―――。
彼女の知らぬところで何かが始まろうとしていた。
平凡な日常がゆっくりと歪んでいく。崩壊のカウントダウンはもうそこまで迫っていた。