泡沫トワイライト
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空はもうすぐ梅雨が訪れる事を知らせるような黒い雲で隠されており、青の景色は全く見えないでいた。
その暗く重苦しい雰囲気に包まれた光景は人を朝から憂鬱な気持ちにさせるだろう。
食欲がなかった楓香はトボトボと歩き、近くのコンビニで結衣と合流し登校する。
口元に手をやり、目を伏せた。
「奴は黒でした」
沢田の武勇伝の真偽を一つずつ確認した結果、全て実際に起こったことだった。最初は渋っていたが、しつこく問いただすと白状した。別れ際に見た沢田は魂が抜けた抜け殻となっていた。
「凡人を凝縮した青年だと思っていたのに」
「その本性は覇道を極めたクセ強の裸族だったっていうオチね」
人は見かけによらない。とは言ったものの、人は九割外見で判断するのが典型的である。
「何故脱ぐ?パンイチになったら無敵になれる系の人なの?」
「いや私に聞かれても」
鼻息荒く詰め寄る楓香の顔を鷲掴むと、もちもちと頬の感触を堪能してから結衣は手を離した。
いつもなら他愛もない話に花を咲かせていたが、楓香のテンションは右下がりになるばかりであった。
「山本君曰くマフィアごっこしてるんだって」
「マフィアごっこ」
目が点になった楓香は、そのままオウム返しの要領で呟く。
「ボスが沢田、右腕が獄寺君で肩甲骨が山本君、ペットのアホ牛、独眼竜のパンク女子、極限botの熱男、それからボスの先生をしている赤ん坊、あとは並盛強火担の過激派番長だっけな」
「何その個性の衝突事故」
ますます沢田のことが分からなくなった。くらりと目眩がして、楓香は頭を押さえた。沢田はやることなすこと理解の範疇を超えていて───もうお手上げだ。
SHRが始まる前に軽く予習をしていると、登校してきた沢田が腫れものを触るように挨拶をした。
「お、おはよう佐倉さん」
「オハヨウゴザイマス」
「またカタコトに戻ってるー!?しかも距離遠くなってない!?」
「キノセイ、デス」
「一歩進んで確実に五歩下がったよね!」
「ハハッ。カモネ」
「そこは否定してー!?」
訴えかける目をピシャリと下敷きで遮断し、教科書の頁を捲った。完全に勉強モードに入った楓香は一切話しかけるなと威圧している。諦めた沢田は静かに肩を落とした。
楓香は自分のことをお人好しな性格だと思ったことはない。状況によっては親切にしてあげるが、基本的には全人類皆他人の精神をモットーとしている。
しかし、今日は違う。指で数える程にお節介を焼いていた。
隣の席になってからというものの、ダメツナと呼ばれるだけはあると実感することが多いのだ。
(ドジっ子ヒロインか!)
息を吐くように凡ミスやうっかりをやらかす。そして楓香はそのフォローに回っていた。
小テストが開始されてから消しゴムが無いことに気付いた沢田に消しゴムを貸す。
うつらうつらと夢見の舟を漕ぐ沢田に激辛ミントガムを差し入れした。
教科書をクレヨンで落書きされて使えないので机をくっつけて見せてあげた。後に聞いた話では、家で預かっている子供の悪戯らしい。
(駄目だコイツ、私が何とかしないと)
困り眉でへらっと笑う沢田は産まれたての仔犬そのものだった。こんなにも庇護欲を掻き立てられるなんて。
危険人物と分かっていても放って置けなかった。せめて隣の席の間だけは、と自分に言い聞かせるのだった。
「あっ」
机の上に出しっぱなしにしていたノートの紙の縁で、沢田が指を切ってしまった。たちまち指先に赤い筋が浮かんで、血が滲む。
切れた指を口に運ぼうとするので、楓香は慌てて沢田の腕を捕まえた。
「ティッシュあるから、それで傷口拭いて」
「えっ、これくらい平気だよ」
「いいから言うこと聞く」
「は、はいッ」
有無を言わさない微笑みを向けると、おずおずとティッシュを受け取った。
切り傷が、陶器に入った赤いひびのようだ。
「はい、絆創膏貼ってあげる」
「…お願いします」
差し出された人差し指をティッシュで止血してから絆創膏を巻く。
幸いにも切り傷にしては出血は酷くなかったので直ぐに治るだろう。これで大丈夫、と指から手を離した。
「佐倉さん、あの…ありがとう」
「どういたしまして」
「本当にありがとう。佐倉さん、優しいよね」
「そんなことないよ。当然のことをしたまで」
「…そうかな。でも、佐倉さんは優しいよ」
温かくて、真っ直ぐな瞳が射抜く。
「俺のこと怖がってたのに、こうして助けてくれるし。佐倉さんが居なかったら今日の天気みたいな気分で一日過ごすことになってたよ。へへっ、佐倉さんのおかげで快晴だ」
窓から覗く曇天の空が世界を暗くしている。曇りガラスだった筈の楓香の視界には、澄んだ青空が広がっていた。
「隣の席が佐倉さんで本当に良かった」
昨日の仕返しだとばかりに、おどけた沢田がチロと舌を出す。
こみ上げてくる感情の正体が分からない。楓香は瞬き一つ出来なくなって、ただただ目の前の橙を眩しく思った。
並盛高校には食堂や給食はなく、生徒が自前で用意する仕組みになっていた。結衣の隣に座った楓香は魚肉ソーセージを齧る。これで三本目である。
「この前まではミートボールしか入ってない弁当ばかり食べてたけど…今度はソレか」
楓香は食の趣向が著しく偏る。先々週はきゅうりの浅づけだった。栄養をバランス良く摂って欲しい結衣は、だし巻き卵とミニトマトを恵んであげた。
「魚にソーうまし」
「ミーボーしか勝たんって言ってたのに」
昼食を食べ終え、楓香は胸ポケットから携帯を取り出し、スケジュールを確認する。
「来月の第一土曜日、休みのシフト希望通ったから試合行けます」
「よっし!これで一緒に山本君の応援出来る!」
七月から高校野球の地方大会が始まる。大型新人と期待されている山本率いる野球部の試合を結衣と観戦する約束をしていたので、無事に休みが取れて一安心した。
「きっとぶちかましてくれるよ、うちの新星は」
「間違いない」
二人は立ち上がり、拳を天井高く突き上げる。
山本を慕っている結衣の目には熱が篭っていた。中学の頃から想い続けている彼女は、今年中に告白してみせると意気込んでいた。
親友には幸せになって欲しいので、良い方向に転がってくれたらと祈っている。
高校生になってから楓香は洋菓子店“ラセーヌ並盛”でバイトをしている。
勉強を疎かにしたくないので、週三勤務だが収入は少しでもある方が良い。
終礼が終わり、帰る支度をしている沢田の名を呼ぶ。
「これ、あげる」
眼前に突き出されたものを見て、沢田は声を上げた。
「あっ、ラセーヌの半額クーポン券じゃん!嬉しいけど貰っていいの?」
こくりと首を縦に振る。途端に沢田の目が嬉々と輝く。
「私、そこで働いてるんだけど笹川さんラセーヌの常連なんだ。誘っちゃいなよ」
「なっ、な、なんで京子ちゃん?」
リトマス試験紙に染み込む水滴のように、じわりと沢田の頬や耳たぶが色付いていく。羞恥心で赤くなったり、青くなったりと忙しない。
「沢田君の意中の人が並盛のマドンナってことくらいクラス全員知ってるよ」
「そ、そうなの!?」
「パンイチで公開告白した癖に何を今更。相手の好きなものを利用して気を引かせるのは、恋愛の基本だって雑誌に載ってたよ。頑張れ沢田君」
受け取ったクーポンをまじまじと見下ろし、ごにょごにょと口を噤む。
その煮え切らない態度に、楓香は片眉を上げた。
「彼女のこと好きなんでしょ。誰かに取られてもいいの?」
楓香の後押しで決心した沢田は、ぎゅっと両目を瞑った。ひと呼吸置き、再び目を開く。
「…がんばり、ます」
沢田から紡がれる言葉は、まだぎこちなくて。あと一歩がなくて。だから楓香は勇気づけるべく、その背中を叩いた。
土曜日の午後三時頃。一番忙しいお昼のラッシュが過ぎ、束の間の休息を取っていると、カランコロンと来店を知らせる鐘の音が鳴った。
店内に踏み入れた客人達を目にした瞬間、貼り付けていた接客用の笑みがバリッと剥がれる。
「…いらっしゃいませ」
言いたいことを全て飲み込み、ゆっくりとお辞儀をして出迎える。
沢田の隣には女の子が立っていた。しかし、楓香が期待していた人物ではない。彼の想い人である笹川京子ではなかったのだ。
「はひ~このモンブラン美味しそう!あ、新作のプリンも素敵です!どれにしようか迷っちゃいますねぇ」
ショーウインドウに陳列されているケーキを眺めている彼女、と来店してから一度も目を合わそうとしない沢田。
楓香の無言の圧力を察しているのだろう。すーっと口から息を吐き、眼前の青年を睨み付ける。
「沢田君、どういうこと?」
「こ、これは…えぇーっと、あの不可抗力でして」
しどろもどろに脈絡のない言葉を並べるので、楓香は肩を竦めた。
「はひっ?ツナさんのお知り合いさんですか?」
二人の会話を聞いていた彼女が目を瞬かせて首を傾げる。
「初めまして、沢田君の隣の席の佐倉楓香です」
「はわわ~ツナさんのお隣さんでしたか!なんて羨ましいっ。緑高一年、三浦ハルです!ハルって呼んでください楓香ちゃんっ」
裏表を感じさせない陽の波動を真正面から受け、楓香は少しよろめく。人見知りが発動しそうになるが、接客モードのスイッチがオンになっているので耐えることが出来た。
「…よ、よろしく、ハルちゃん」
「はいっ」
ポニーテールが似合う、いかにも活発そうな少女だ。
グイグイと距離を詰め、顔を覗き込むぱっちりとした目は無邪気さが感じられる。三浦は愛嬌のある可愛い顔立ちをしていた。
「すごいなぁ、緑高って偏差値高い女子校だよ。ハルちゃんって頭良いんだね」
「それほどでも~!父が大学教授なので、よく勉強を教えてもらってるんです」
えへへっと、三浦は結んだ黒髪を揺らしながら微笑む。
一目見て、純粋培養された純真無垢な女の子ということが分かる。だからこそ気になった。
「沢田君とはどういう関係なの?」
その問いに三浦は「はひっ」と赤らめた頬に手を当てる。
「ツナさんはハルの未来の旦那様です~」
沢田は途端、微妙な表情になった。楓香から放たれる視線が刺々しくなっていく。
「ハルがドジをして危なくなった時、命懸けで助けてもらって…その日からハルはツナさんにフォーリンラブなんですぅ♡」
至福の表情を浮かべた三浦は、クネクネと身体を揺らしながら自分の世界に浸り込んでいた。
「ふーん。沢田君って人畜無害な顔の裏で、やることやってるんだね」
「ご、誤解だーーッ!」
実は昨日の帰宅途中、沢田をストーキングしていた三浦にクーポンの存在がバレてしまい、そのまま勢いに押し切られ今に至るのだが、そんな背景など楓香は知る由もなく。
「ハーレムでも作る気なの?馬鹿みたい」
「違うんだ、佐倉さん!俺の話聞いて!」
楓香が冷たく突き放せば、沢田が必死に弁明をするが逆効果であった。彼に注がれるのは軽蔑と嫌悪の眼差しだ。
「ボスなら愛人の一人や二人、いや、百人居るのは当たり前だぞ」
突然、可愛らしい声が耳に届く。幼い子どものような声音だ。
「ちゃおっス」
いつの間に居たのか、ぴょこんと沢田の肩に飛び乗った幼児が、ボルサリーノのソフト帽をついと持ち上げる。
「ち、…ちゃおっす?」
「俺の名はリボーン。ツナの家庭教師 だぞ」
吸い込まれそうな大きい黒曜石の瞳が、楓香を捕らえる。
「こ、こんにちは…私の名前は、」
「佐倉楓香、地元から遠く離れた並盛高校へ進学して来た人見知りの超特待生。魚にソーにハマってる、目立つことが苦手。最近の悩みは沢田綱吉の二重人格説が本当なのか気になりすぎて寝不足気味なこと」
「わぁ、全部当たってる」
感心してパチパチと拍手をしている楓香に、仰天の声が浴びせられる。
「二重人格説って何ィーーッ!?そんなこと思ってたの!?」
「いや、ダメツナとヤバツナが一つの体を共有してるのかなって」
「してないから!ダメツナは分かるけどヤバツナって何!ダメよりヤバいの方がなんか嫌なんだけど!あとリボーンッ何でお前が此処に居るんだよ!」
「だって俺もケーキ食べたいんだもん。買って買って~」
(ボスの先生をしている赤ん坊…!)
結衣が言っていたことを思い出す。半信半疑だったが、実在しているようだ。この子供がその本人ということに驚きを隠せない。
「あっ、リボーンちゃんこんにちは!」
「ちゃお。昨日ぶりだなハル」
目の前で繰り広げられる会話に入れず、楓香は間抜けな顔をしながら眺めていたが、またあの黒曜石が向けられる。
「よくツナの面倒を見てくれてるようだな。礼を言うぞ」
「は、はぁ…」
「これからもその調子でよろしく頼む」
クルッと巻いたもみあげは、帽子の上に居座っているカメレオンの尻尾のようだ。この世界で黒スーツが似合う幼子は、きっと彼だけだろう。
「あまりにもコイツがへなちょこすぎて病みそうになったら俺に言え。ねっちょり鍛え直してやる」
「ねっちょりは嫌だーーッ!」
(…本当にこの子が沢田君の教師なんだ)
愛らしいタレ眉なのに何故か貫禄がある。幼児特有のプニッとした小さな身体からは想像出来ない、俊敏な動作と高い言語能力は違和感だらけで、その存在そのものがちぐはぐに映った。
俗に言うギフテッドチャイルド、神童なのかも知れない。そう勝手に納得していると、三浦がスマホの画面を見せてくる。
そこに映っている待ち受けは半目な沢田の写真であった。
(…謎のチョイスすぎる。ハルちゃんのツボが分からない)
「楓香ちゃん、差し支えなければ連絡先交換しませんか!ツナさんの写真を送って下さったら謝礼しますので!」
「是非宜しくお願いします」
ササッと素早くスマホを取り出し、三浦にREBOの友達申請を送る。その間、僅か数秒のことだった。
迷いなく了承した楓香の目には銭のマークが浮かんでいる。
「おいハル、サラッと盗撮の勧誘すんなよ!佐倉さんまで何で乗り気になってるのーー!?」
「人間はお金の前では無力なんだ」
「そんなドヤ顔で言うことじゃないから!」
“ツナさんウォッチングの会”というグループに招待され、参加すると三浦から親指を立てたウサギのスタンプが送られてきた。
大学教授の娘というお金の匂いしかしない彼女と思わぬ形で縁が出来た、と静かにほくそ笑む。
リボーンはそんな楓香を見て「面白ぇヤツだな」と口角を上げた。
悩みに悩んでハルが選んだのは、大好物のモンブランと季節限定の白桃レアチーズケーキだった。沢田は家族と居候達のケーキ、リボーンから脅迫めいたオネダリをされてコーヒームースを購入した。
(確か沢田君って三人家族だよね。たくさんケーキ買ってるけど居候どんだけ居るんだ…)
半額の割引がされるとはいえ、それでも学生からすると結構な金額である。すっかり軽くなった財布を名残惜しく見ていた沢田の目は、じわりと涙腺が緩んでいた。
不憫に思った楓香は、彼が退店する前にこっそりとクーポンを渡す。
「今度こそ上手くやりなよ」
「あ、ありがとう佐倉さんッ。俺、頑張るから!」
萎びたツンツン頭がひょこっと立ち上がる。気合を入れた沢田に「ふぁいてぃん」とエールを送った。
しかし、日を跨がずに二度目の来店をした沢田は見知らぬ女子を連れて来た。デジャブを覚えつつ、楓香は会釈する。
「いらっしゃいませ、モテツナ様」
「ごめんなさいいいッ!!」
沢田は開口一番に謝罪をすると、目にも見えない速さで土下座をした。
「謝らなくて良いんですよ。モテツナ様の将来の夢はハーレム小説の主人公でしょう。これから嫁を何人引っ掛けるのか楽しみです」
汚いゴミを見る目付きで沢田を睨む。言い訳は聞きたくない。楓香は鼻息を荒くさせた。
「せっかくのご好意を裏切ってしまって本当にごめんなさい!これには海よりも深い事情がありまして、」
事情だぁ~?と、眉を吊り上げた楓香は両手を組んだ。
「それはマリアナ海溝よりも深い事情なの?」
壊れたくるみ割り人形になった沢田はありったけの力で頷く。説明を促すと、それまで蚊帳の外だった少女が沢田の前へ躍り出た。
「……私のせい、ボスは悪くない」
眼帯をした少女は両手を広げ、膝をついた沢田を庇う。
「骸様にチョコレートケーキを買ってあげたい、けど、お金が足りなくて…それを偶然会ったボスに相談したら…クーポンをくれたの」
少女の口から気になる単語が出てきて、一瞬思考が持っていかれそうになるも、切実な目が楓香を貫く。
「だからボスは悪くない、悪いのは私」
そう言い切る姿は、まるで断罪を待つ聖女だ。此方が悪役になった気分になり、楓香は手をあたふたと動かす。
「そっ、そうだったんですね、もう気にしないで下さい。此方こそ何も知らずに非難してごめんなさい。当店のチョコレートケーキは舌の肥えたチョコマニアの方からご好評を頂いております。きっと、そのムクロさんも満足してくれるかと」
その言葉に、ふんわりと頬を緩めた少女は「ありがとう」と口にした。
(やっぱり、うん、絶対そう!この子が独眼竜パンク女子だ)
守ってあげたくなる哀愁漂う雰囲気とは正反対のロックテイストな眼帯を身に付け、青みがかった紫の髪と瞳は実にパンクだ。沢田をボスと呼んだことで確信する。
「…ボスの友達?」
「沢田君の隣の席の佐倉楓香です」
「私、クローム髑髏…」
「ず、随分ギラギラしたネームですね」
「そこは深く突っ込まないであげて」
保護者になった気持ちで二人のことを見守っていた沢田が、すかさず間に入る。
「…楓香ちゃん、また来るね。ボスありがとう」
お会計を済まし、ホールケーキが入った箱を大切に抱えた少女は、沢田と楓香にぺこりと頭を下げ、お店を後にした。
「…ごめん、佐倉さん」
「もうクーポン無いからね」
「うん。でも、応援してくれる佐倉さんには申し訳ないことをしたけど、ハルやクロームが嬉しそうに笑ってるのを見れたから、渡して良かったよ。本当にありがとう」
自分のことよりも、他人の幸せを願う。これまで彼はそうやって寄り添い、歩んで来たのだろう。
悲しいくらいに、優しい人。
「…なんか分かった気がする」
「うん?」
「沢田君が台風の目になってる理由」
「な、ナニソレ!?」
「沢田君のそういうところ、好きだよ」
それは自分にはないもので。そんな彼だから、皆が惹かれるのだ。
「エッ」
「しゃっくり?」
「ち、違う!」
忍者のように素早く後退りをした沢田は、ドアにぺたりと背をくっつける。
「す、好きって…」
言い辛いのか口をもごつかせる沢田に、彼が言わんとしてることが分かり、楓香ははっきりと答えた。
「人として尊敬してるってこと」
「そっ、そっか、そうだよね、ハハッ」
「ニホンザルのお尻みたいに顔真っ赤だよ」
「その例え、なんか嫌!」
ウッキー!と、猿の幻聴が聞こえた気がした。
その暗く重苦しい雰囲気に包まれた光景は人を朝から憂鬱な気持ちにさせるだろう。
食欲がなかった楓香はトボトボと歩き、近くのコンビニで結衣と合流し登校する。
口元に手をやり、目を伏せた。
「奴は黒でした」
沢田の武勇伝の真偽を一つずつ確認した結果、全て実際に起こったことだった。最初は渋っていたが、しつこく問いただすと白状した。別れ際に見た沢田は魂が抜けた抜け殻となっていた。
「凡人を凝縮した青年だと思っていたのに」
「その本性は覇道を極めたクセ強の裸族だったっていうオチね」
人は見かけによらない。とは言ったものの、人は九割外見で判断するのが典型的である。
「何故脱ぐ?パンイチになったら無敵になれる系の人なの?」
「いや私に聞かれても」
鼻息荒く詰め寄る楓香の顔を鷲掴むと、もちもちと頬の感触を堪能してから結衣は手を離した。
いつもなら他愛もない話に花を咲かせていたが、楓香のテンションは右下がりになるばかりであった。
「山本君曰くマフィアごっこしてるんだって」
「マフィアごっこ」
目が点になった楓香は、そのままオウム返しの要領で呟く。
「ボスが沢田、右腕が獄寺君で肩甲骨が山本君、ペットのアホ牛、独眼竜のパンク女子、極限botの熱男、それからボスの先生をしている赤ん坊、あとは並盛強火担の過激派番長だっけな」
「何その個性の衝突事故」
ますます沢田のことが分からなくなった。くらりと目眩がして、楓香は頭を押さえた。沢田はやることなすこと理解の範疇を超えていて───もうお手上げだ。
SHRが始まる前に軽く予習をしていると、登校してきた沢田が腫れものを触るように挨拶をした。
「お、おはよう佐倉さん」
「オハヨウゴザイマス」
「またカタコトに戻ってるー!?しかも距離遠くなってない!?」
「キノセイ、デス」
「一歩進んで確実に五歩下がったよね!」
「ハハッ。カモネ」
「そこは否定してー!?」
訴えかける目をピシャリと下敷きで遮断し、教科書の頁を捲った。完全に勉強モードに入った楓香は一切話しかけるなと威圧している。諦めた沢田は静かに肩を落とした。
楓香は自分のことをお人好しな性格だと思ったことはない。状況によっては親切にしてあげるが、基本的には全人類皆他人の精神をモットーとしている。
しかし、今日は違う。指で数える程にお節介を焼いていた。
隣の席になってからというものの、ダメツナと呼ばれるだけはあると実感することが多いのだ。
(ドジっ子ヒロインか!)
息を吐くように凡ミスやうっかりをやらかす。そして楓香はそのフォローに回っていた。
小テストが開始されてから消しゴムが無いことに気付いた沢田に消しゴムを貸す。
うつらうつらと夢見の舟を漕ぐ沢田に激辛ミントガムを差し入れした。
教科書をクレヨンで落書きされて使えないので机をくっつけて見せてあげた。後に聞いた話では、家で預かっている子供の悪戯らしい。
(駄目だコイツ、私が何とかしないと)
困り眉でへらっと笑う沢田は産まれたての仔犬そのものだった。こんなにも庇護欲を掻き立てられるなんて。
危険人物と分かっていても放って置けなかった。せめて隣の席の間だけは、と自分に言い聞かせるのだった。
「あっ」
机の上に出しっぱなしにしていたノートの紙の縁で、沢田が指を切ってしまった。たちまち指先に赤い筋が浮かんで、血が滲む。
切れた指を口に運ぼうとするので、楓香は慌てて沢田の腕を捕まえた。
「ティッシュあるから、それで傷口拭いて」
「えっ、これくらい平気だよ」
「いいから言うこと聞く」
「は、はいッ」
有無を言わさない微笑みを向けると、おずおずとティッシュを受け取った。
切り傷が、陶器に入った赤いひびのようだ。
「はい、絆創膏貼ってあげる」
「…お願いします」
差し出された人差し指をティッシュで止血してから絆創膏を巻く。
幸いにも切り傷にしては出血は酷くなかったので直ぐに治るだろう。これで大丈夫、と指から手を離した。
「佐倉さん、あの…ありがとう」
「どういたしまして」
「本当にありがとう。佐倉さん、優しいよね」
「そんなことないよ。当然のことをしたまで」
「…そうかな。でも、佐倉さんは優しいよ」
温かくて、真っ直ぐな瞳が射抜く。
「俺のこと怖がってたのに、こうして助けてくれるし。佐倉さんが居なかったら今日の天気みたいな気分で一日過ごすことになってたよ。へへっ、佐倉さんのおかげで快晴だ」
窓から覗く曇天の空が世界を暗くしている。曇りガラスだった筈の楓香の視界には、澄んだ青空が広がっていた。
「隣の席が佐倉さんで本当に良かった」
昨日の仕返しだとばかりに、おどけた沢田がチロと舌を出す。
こみ上げてくる感情の正体が分からない。楓香は瞬き一つ出来なくなって、ただただ目の前の橙を眩しく思った。
並盛高校には食堂や給食はなく、生徒が自前で用意する仕組みになっていた。結衣の隣に座った楓香は魚肉ソーセージを齧る。これで三本目である。
「この前まではミートボールしか入ってない弁当ばかり食べてたけど…今度はソレか」
楓香は食の趣向が著しく偏る。先々週はきゅうりの浅づけだった。栄養をバランス良く摂って欲しい結衣は、だし巻き卵とミニトマトを恵んであげた。
「魚にソーうまし」
「ミーボーしか勝たんって言ってたのに」
昼食を食べ終え、楓香は胸ポケットから携帯を取り出し、スケジュールを確認する。
「来月の第一土曜日、休みのシフト希望通ったから試合行けます」
「よっし!これで一緒に山本君の応援出来る!」
七月から高校野球の地方大会が始まる。大型新人と期待されている山本率いる野球部の試合を結衣と観戦する約束をしていたので、無事に休みが取れて一安心した。
「きっとぶちかましてくれるよ、うちの新星は」
「間違いない」
二人は立ち上がり、拳を天井高く突き上げる。
山本を慕っている結衣の目には熱が篭っていた。中学の頃から想い続けている彼女は、今年中に告白してみせると意気込んでいた。
親友には幸せになって欲しいので、良い方向に転がってくれたらと祈っている。
高校生になってから楓香は洋菓子店“ラセーヌ並盛”でバイトをしている。
勉強を疎かにしたくないので、週三勤務だが収入は少しでもある方が良い。
終礼が終わり、帰る支度をしている沢田の名を呼ぶ。
「これ、あげる」
眼前に突き出されたものを見て、沢田は声を上げた。
「あっ、ラセーヌの半額クーポン券じゃん!嬉しいけど貰っていいの?」
こくりと首を縦に振る。途端に沢田の目が嬉々と輝く。
「私、そこで働いてるんだけど笹川さんラセーヌの常連なんだ。誘っちゃいなよ」
「なっ、な、なんで京子ちゃん?」
リトマス試験紙に染み込む水滴のように、じわりと沢田の頬や耳たぶが色付いていく。羞恥心で赤くなったり、青くなったりと忙しない。
「沢田君の意中の人が並盛のマドンナってことくらいクラス全員知ってるよ」
「そ、そうなの!?」
「パンイチで公開告白した癖に何を今更。相手の好きなものを利用して気を引かせるのは、恋愛の基本だって雑誌に載ってたよ。頑張れ沢田君」
受け取ったクーポンをまじまじと見下ろし、ごにょごにょと口を噤む。
その煮え切らない態度に、楓香は片眉を上げた。
「彼女のこと好きなんでしょ。誰かに取られてもいいの?」
楓香の後押しで決心した沢田は、ぎゅっと両目を瞑った。ひと呼吸置き、再び目を開く。
「…がんばり、ます」
沢田から紡がれる言葉は、まだぎこちなくて。あと一歩がなくて。だから楓香は勇気づけるべく、その背中を叩いた。
土曜日の午後三時頃。一番忙しいお昼のラッシュが過ぎ、束の間の休息を取っていると、カランコロンと来店を知らせる鐘の音が鳴った。
店内に踏み入れた客人達を目にした瞬間、貼り付けていた接客用の笑みがバリッと剥がれる。
「…いらっしゃいませ」
言いたいことを全て飲み込み、ゆっくりとお辞儀をして出迎える。
沢田の隣には女の子が立っていた。しかし、楓香が期待していた人物ではない。彼の想い人である笹川京子ではなかったのだ。
「はひ~このモンブラン美味しそう!あ、新作のプリンも素敵です!どれにしようか迷っちゃいますねぇ」
ショーウインドウに陳列されているケーキを眺めている彼女、と来店してから一度も目を合わそうとしない沢田。
楓香の無言の圧力を察しているのだろう。すーっと口から息を吐き、眼前の青年を睨み付ける。
「沢田君、どういうこと?」
「こ、これは…えぇーっと、あの不可抗力でして」
しどろもどろに脈絡のない言葉を並べるので、楓香は肩を竦めた。
「はひっ?ツナさんのお知り合いさんですか?」
二人の会話を聞いていた彼女が目を瞬かせて首を傾げる。
「初めまして、沢田君の隣の席の佐倉楓香です」
「はわわ~ツナさんのお隣さんでしたか!なんて羨ましいっ。緑高一年、三浦ハルです!ハルって呼んでください楓香ちゃんっ」
裏表を感じさせない陽の波動を真正面から受け、楓香は少しよろめく。人見知りが発動しそうになるが、接客モードのスイッチがオンになっているので耐えることが出来た。
「…よ、よろしく、ハルちゃん」
「はいっ」
ポニーテールが似合う、いかにも活発そうな少女だ。
グイグイと距離を詰め、顔を覗き込むぱっちりとした目は無邪気さが感じられる。三浦は愛嬌のある可愛い顔立ちをしていた。
「すごいなぁ、緑高って偏差値高い女子校だよ。ハルちゃんって頭良いんだね」
「それほどでも~!父が大学教授なので、よく勉強を教えてもらってるんです」
えへへっと、三浦は結んだ黒髪を揺らしながら微笑む。
一目見て、純粋培養された純真無垢な女の子ということが分かる。だからこそ気になった。
「沢田君とはどういう関係なの?」
その問いに三浦は「はひっ」と赤らめた頬に手を当てる。
「ツナさんはハルの未来の旦那様です~」
沢田は途端、微妙な表情になった。楓香から放たれる視線が刺々しくなっていく。
「ハルがドジをして危なくなった時、命懸けで助けてもらって…その日からハルはツナさんにフォーリンラブなんですぅ♡」
至福の表情を浮かべた三浦は、クネクネと身体を揺らしながら自分の世界に浸り込んでいた。
「ふーん。沢田君って人畜無害な顔の裏で、やることやってるんだね」
「ご、誤解だーーッ!」
実は昨日の帰宅途中、沢田をストーキングしていた三浦にクーポンの存在がバレてしまい、そのまま勢いに押し切られ今に至るのだが、そんな背景など楓香は知る由もなく。
「ハーレムでも作る気なの?馬鹿みたい」
「違うんだ、佐倉さん!俺の話聞いて!」
楓香が冷たく突き放せば、沢田が必死に弁明をするが逆効果であった。彼に注がれるのは軽蔑と嫌悪の眼差しだ。
「ボスなら愛人の一人や二人、いや、百人居るのは当たり前だぞ」
突然、可愛らしい声が耳に届く。幼い子どものような声音だ。
「ちゃおっス」
いつの間に居たのか、ぴょこんと沢田の肩に飛び乗った幼児が、ボルサリーノのソフト帽をついと持ち上げる。
「ち、…ちゃおっす?」
「俺の名はリボーン。ツナの
吸い込まれそうな大きい黒曜石の瞳が、楓香を捕らえる。
「こ、こんにちは…私の名前は、」
「佐倉楓香、地元から遠く離れた並盛高校へ進学して来た人見知りの超特待生。魚にソーにハマってる、目立つことが苦手。最近の悩みは沢田綱吉の二重人格説が本当なのか気になりすぎて寝不足気味なこと」
「わぁ、全部当たってる」
感心してパチパチと拍手をしている楓香に、仰天の声が浴びせられる。
「二重人格説って何ィーーッ!?そんなこと思ってたの!?」
「いや、ダメツナとヤバツナが一つの体を共有してるのかなって」
「してないから!ダメツナは分かるけどヤバツナって何!ダメよりヤバいの方がなんか嫌なんだけど!あとリボーンッ何でお前が此処に居るんだよ!」
「だって俺もケーキ食べたいんだもん。買って買って~」
(ボスの先生をしている赤ん坊…!)
結衣が言っていたことを思い出す。半信半疑だったが、実在しているようだ。この子供がその本人ということに驚きを隠せない。
「あっ、リボーンちゃんこんにちは!」
「ちゃお。昨日ぶりだなハル」
目の前で繰り広げられる会話に入れず、楓香は間抜けな顔をしながら眺めていたが、またあの黒曜石が向けられる。
「よくツナの面倒を見てくれてるようだな。礼を言うぞ」
「は、はぁ…」
「これからもその調子でよろしく頼む」
クルッと巻いたもみあげは、帽子の上に居座っているカメレオンの尻尾のようだ。この世界で黒スーツが似合う幼子は、きっと彼だけだろう。
「あまりにもコイツがへなちょこすぎて病みそうになったら俺に言え。ねっちょり鍛え直してやる」
「ねっちょりは嫌だーーッ!」
(…本当にこの子が沢田君の教師なんだ)
愛らしいタレ眉なのに何故か貫禄がある。幼児特有のプニッとした小さな身体からは想像出来ない、俊敏な動作と高い言語能力は違和感だらけで、その存在そのものがちぐはぐに映った。
俗に言うギフテッドチャイルド、神童なのかも知れない。そう勝手に納得していると、三浦がスマホの画面を見せてくる。
そこに映っている待ち受けは半目な沢田の写真であった。
(…謎のチョイスすぎる。ハルちゃんのツボが分からない)
「楓香ちゃん、差し支えなければ連絡先交換しませんか!ツナさんの写真を送って下さったら謝礼しますので!」
「是非宜しくお願いします」
ササッと素早くスマホを取り出し、三浦にREBOの友達申請を送る。その間、僅か数秒のことだった。
迷いなく了承した楓香の目には銭のマークが浮かんでいる。
「おいハル、サラッと盗撮の勧誘すんなよ!佐倉さんまで何で乗り気になってるのーー!?」
「人間はお金の前では無力なんだ」
「そんなドヤ顔で言うことじゃないから!」
“ツナさんウォッチングの会”というグループに招待され、参加すると三浦から親指を立てたウサギのスタンプが送られてきた。
大学教授の娘というお金の匂いしかしない彼女と思わぬ形で縁が出来た、と静かにほくそ笑む。
リボーンはそんな楓香を見て「面白ぇヤツだな」と口角を上げた。
悩みに悩んでハルが選んだのは、大好物のモンブランと季節限定の白桃レアチーズケーキだった。沢田は家族と居候達のケーキ、リボーンから脅迫めいたオネダリをされてコーヒームースを購入した。
(確か沢田君って三人家族だよね。たくさんケーキ買ってるけど居候どんだけ居るんだ…)
半額の割引がされるとはいえ、それでも学生からすると結構な金額である。すっかり軽くなった財布を名残惜しく見ていた沢田の目は、じわりと涙腺が緩んでいた。
不憫に思った楓香は、彼が退店する前にこっそりとクーポンを渡す。
「今度こそ上手くやりなよ」
「あ、ありがとう佐倉さんッ。俺、頑張るから!」
萎びたツンツン頭がひょこっと立ち上がる。気合を入れた沢田に「ふぁいてぃん」とエールを送った。
しかし、日を跨がずに二度目の来店をした沢田は見知らぬ女子を連れて来た。デジャブを覚えつつ、楓香は会釈する。
「いらっしゃいませ、モテツナ様」
「ごめんなさいいいッ!!」
沢田は開口一番に謝罪をすると、目にも見えない速さで土下座をした。
「謝らなくて良いんですよ。モテツナ様の将来の夢はハーレム小説の主人公でしょう。これから嫁を何人引っ掛けるのか楽しみです」
汚いゴミを見る目付きで沢田を睨む。言い訳は聞きたくない。楓香は鼻息を荒くさせた。
「せっかくのご好意を裏切ってしまって本当にごめんなさい!これには海よりも深い事情がありまして、」
事情だぁ~?と、眉を吊り上げた楓香は両手を組んだ。
「それはマリアナ海溝よりも深い事情なの?」
壊れたくるみ割り人形になった沢田はありったけの力で頷く。説明を促すと、それまで蚊帳の外だった少女が沢田の前へ躍り出た。
「……私のせい、ボスは悪くない」
眼帯をした少女は両手を広げ、膝をついた沢田を庇う。
「骸様にチョコレートケーキを買ってあげたい、けど、お金が足りなくて…それを偶然会ったボスに相談したら…クーポンをくれたの」
少女の口から気になる単語が出てきて、一瞬思考が持っていかれそうになるも、切実な目が楓香を貫く。
「だからボスは悪くない、悪いのは私」
そう言い切る姿は、まるで断罪を待つ聖女だ。此方が悪役になった気分になり、楓香は手をあたふたと動かす。
「そっ、そうだったんですね、もう気にしないで下さい。此方こそ何も知らずに非難してごめんなさい。当店のチョコレートケーキは舌の肥えたチョコマニアの方からご好評を頂いております。きっと、そのムクロさんも満足してくれるかと」
その言葉に、ふんわりと頬を緩めた少女は「ありがとう」と口にした。
(やっぱり、うん、絶対そう!この子が独眼竜パンク女子だ)
守ってあげたくなる哀愁漂う雰囲気とは正反対のロックテイストな眼帯を身に付け、青みがかった紫の髪と瞳は実にパンクだ。沢田をボスと呼んだことで確信する。
「…ボスの友達?」
「沢田君の隣の席の佐倉楓香です」
「私、クローム髑髏…」
「ず、随分ギラギラしたネームですね」
「そこは深く突っ込まないであげて」
保護者になった気持ちで二人のことを見守っていた沢田が、すかさず間に入る。
「…楓香ちゃん、また来るね。ボスありがとう」
お会計を済まし、ホールケーキが入った箱を大切に抱えた少女は、沢田と楓香にぺこりと頭を下げ、お店を後にした。
「…ごめん、佐倉さん」
「もうクーポン無いからね」
「うん。でも、応援してくれる佐倉さんには申し訳ないことをしたけど、ハルやクロームが嬉しそうに笑ってるのを見れたから、渡して良かったよ。本当にありがとう」
自分のことよりも、他人の幸せを願う。これまで彼はそうやって寄り添い、歩んで来たのだろう。
悲しいくらいに、優しい人。
「…なんか分かった気がする」
「うん?」
「沢田君が台風の目になってる理由」
「な、ナニソレ!?」
「沢田君のそういうところ、好きだよ」
それは自分にはないもので。そんな彼だから、皆が惹かれるのだ。
「エッ」
「しゃっくり?」
「ち、違う!」
忍者のように素早く後退りをした沢田は、ドアにぺたりと背をくっつける。
「す、好きって…」
言い辛いのか口をもごつかせる沢田に、彼が言わんとしてることが分かり、楓香ははっきりと答えた。
「人として尊敬してるってこと」
「そっ、そっか、そうだよね、ハハッ」
「ニホンザルのお尻みたいに顔真っ赤だよ」
「その例え、なんか嫌!」
ウッキー!と、猿の幻聴が聞こえた気がした。