泡沫トワイライト
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へらへらと締まりのない顔をした沢田をどことなく眺める。
午後からずっとその調子なので、気になった獄寺はつい聞いてしまった。
「十代目、何か嬉しいことでもあったんスか」
「えっ!?あー、っと、そんなことない、よ?」
そうは言っても、その声はご機嫌そうに弾んでいるので何もないと誤魔化すのには無理がある。
はて、と獄寺は考えるが、思い当たる節があった。
最近、沢田の笑みの先には一人の少女が居た。きっと楓香と何かあったんだろう、と勘付く。
その彼女は体調不良で早退したので、放課後一人残り体育館裏の雑草を刈り取ろうとしたが、草一つも生えておらずアスファルトがくっきりと顔を出していた。
山本が楓香を見付けたのは体育館裏だと言っていたので、彼女が雑草を全て抜いたのだろう。
「アイツ根性あるッスね。見直しました」
俺も負けてらんねェ、と獄寺はメラメラと闘志を燃やす。
「ほどほどにね…」
筋肉痛が酷いと愚痴を零していた楓香を思い出し、沢田は乾いた笑みを浮かべる。
昼休みという短時間で体育館裏にあった全ての草を抜くのは可能なのだろうか。ふと、そんな疑問が頭に残った。
家に帰宅した沢田は普段のルーティンで手洗いうがいを済ませると、騒がしいランボとイーピンの喧嘩の仲裁に入り、ランキング星と交信しているフゥ太によって無重力に巻き込まれ全身を壁に強打し、ビアンキの味見という名の毒味から死ぬ気で逃げ果せ、ようやく自室に足を踏み入れる。
が、部屋に入った瞬間、強烈な飛び蹴りが顔面に直撃する。
「へぶっ」
「待ちくたびれたぞツナ、何ちんたら油売ってやがる」
「い、いきなり何するんだよリボーン!」
膨れ上がった頬を手で押さえ、バイオレンスな教師を非難する。痛みから沢田の目にちろりと涙が滲んだ。
「まぁ、お前が浮かれる気持ちは重々理解出来るぞ。なんたって、楓香との恋が成就したんだからな」
「な、なんで、そのことを!?まっ、ま、まさか全部見て…!?」
「フッ……幸せの味は格別だったか?」
「イヤーーーーッ!?」
ヒリヒリする痛みも忘れ、恥ずかしさのあまり思いきり両頬を手で押さえた。沢田の口がタコのように尖る。
意中の相手と気持ちが通じ合えた今一番楽しい時期に、横槍を入れるのはリボーンとて避けたかったが、それでも二人の未来を思ってのことである。
その小さな黒スーツの懐から数枚の紙を取り出した。
「例の指輪の進捗状況について、話がある」
すると、沢田の顔付きが真剣な表情へと改まる。
指輪を強奪した組織の名は、テボリハファミリー。
その規模は小さいが、この世にあまり出回らない一点物を中心に強奪し、運営している闇競売場に出品するとその落札された大金で荒稼ぎしている。
中には違法性のあるものも商品として売りに出され、人身売買も行っているようだ。
「つい先日、指輪がその闇競売場に出品されたらしい」
「じゃあもう他の誰かの手に…?」
否、とリボーンは首を横に振る。
「突如、現れた乱入者によってテボリハファミリーは壊滅した。指輪は行方不明のままだ」
指輪の手掛かりが掴めたと思えば、また一から振り出しに戻ってしまった。
がっくりと肩を落とした沢田を一瞥し、リボーンはソフト帽のツバを下げる。
「ただ気になる点が二つある。その乱入者は、六道骸だと報告が上がっていてな」
「なっ、骸が!?」
思いもよらぬ人物の名が出てきて、沢田はリボーンを凝視した。
骸とは何やかんや因縁があったが、それでも危機が迫った時には力を貸してくれる仲間だと信じている。
高校には通わず、気に入らないマフィアを殲滅しては世界を股にかけているとクロームから聞いていたが、本当にそんなことをしているとは。
「そして、その場に一人の少女も居たらしい」
「少女…って、クロームのことじゃないの?」
「黒髪のアジア人っていうことまでは判明しているが、足取りは掴めてねぇ」
その言葉に、一つの直感が脳内に過ぎった。
「指輪が出品されたのは、楓香がお前に助けを求めた日と同じ日だ。これはただの偶然か?」
あの日、楓香は何かに怯えて沢田に縋った。その姿が忘れられなかった。
か細い声が、涙に濡れた目が、震えた身体が、今にも消えてしまいそうで。
あぁ、失いたくない、とその時やっと自分の気持ちを自覚した。
そんな彼女が自分の名を呼んだから、掴んだその手をもう二度と離してなるものかと、この子は命にかえても守るんだと、そう誓ったのだ。
「今夜、楓香ちゃんと通話するから」
早く彼女の声が聞きたかった。
あの日、何があったのか分かれば、この感じている妙な胸騒ぎも払拭出来るだろう。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、楓香の意識はゆっくりと浮上した。
割れんばかりの頭痛は止んで、身体が軽く感じられる。
瞼を瞬かせれば、霞んでいた視界が明瞭となった。
「おや、お目覚めですか」
枕にしては硬く、そして温度を感じる不思議な感触にもぞもぞと頭を動かすと、
「こら、じっとしてなさい」
少しくすぐったそうな声が真上から降ってきて、心臓が跳ねた。
「……っ!?」
怖気が立つ程に美しい瞳が楓香を見下ろしている。
その人物はあの日突然現れた謎の男、六道骸だった。
「そのままで」
ぺち、と額を叩かれ、そこでようやく自分が膝枕をされていることに気付く。
視線を投げかけて訴えるも、ただ無言で笑みが返ってくるので、仕方なく浮かせた頭を元に戻した。
どうして、というその一言すら、喉奥が麻痺したかのように凍り付いて出てこない。
「君は危うく命を落とすところでした。指輪を嵌めずにその力を行使するのは止めた方が良い」
いつの間にか指にきらりと光るものを見て目を瞠った。
死に損ないの為にわざわざ指輪を持って来てあげた、と六道は得意気に胸を反らす。
どうして家の住所が分かったのか、どうやって部屋に入ったのか、そんな疑問を丸々飲み込んで楓香は小さくお礼を言った。
「君の様子を見る限り、消失の力は身体にかなりの負荷がかかる。指輪はそれを補う為の役割として生み出された、と僕は推察します」
思い返してみれば、確かに競売場で力を使った時は体調に変化は感じられなかった。今の自分なら何でも出来ると、無敵の気分になっていた。
「現に、指輪を嵌めてから君は息を吹き返し、意識を取り戻した」
「…ほ、本当に死にかけてたんだ」
死というものに直面するのは初めてだった。恐る恐る胸に手を当てる。一定のリズムで動く心臓が少し速めに刻んでいた。
「ほら、そう緊張せず。何かお食べなさい」
チョコレートを唇に付けられ、そのまま口を開けると放り込まれる。唇に軽く指が当たり、面映ゆさを消すように無心で咀嚼した。
「もし僕が毒を盛っていたら、君は今頃空の上ですよ」
「…ゴホッ」
とんでもないことを言ってのけるので反射的に噎せた楓香に、その双眸が愉し気に眇めらる。
「警戒心は持つに越したことはない。とは言え、僕を信頼に足る人物だと判断したなら、それは嬉しいですね」
口の中が甘さで満たされていくと、またお菓子が差し出された。当然、首を振って断る。
「どうやら、そこまでの信頼は得られていないようだ」
椅子の肘掛けに片手をついて見下ろすその右目は、虹彩に当たる部分が真紅に染まっており、瞳孔に当たる部分が“六”と刻まれている。人間が持ち得る瞳ではない。
「僕のことが気になりますか」
「…そうですね。特に貴方の目的とか」
「骸と呼んで下さい。僕も楓香と呼びます」
「…六道さんと呼びます」
「これは手厳しい」
大人びた雰囲気から年上の可能性が高いが、どちらにせよ立場は圧倒的に相手が高いことは容易に想像がつく。
落ち着いていて飄々とした男だ。楓香は今まで会ったことがないタイプの相手に、若干の苦手意識を持った。
「ふむ、まずは親睦を深める為にお茶会へご招待しましょう」
彼は目を閉じ、指でリズムを取るように椅子の肘をトントンと叩く。
すると、一瞬で世界が変わった。
華やかさを競うかのように色とりどりの花が咲き乱れ、湖にはボートが浮かび、歪曲したアーチ橋がかかっている。
青く澄んだ大空の下、風が静かに吹き抜けた。緑深き庭園の中心に白のテーブルが置かれ、並べられた椅子に二人は腰をかけていた。
その美しさは絵画のように時の止まった世界を彩っている。
「クフフフ…そんなに目を丸くさせていると、ぽろりと零れ落ちてしまいそうだ」
器用に喉で笑う六道だが、馬鹿にされていると思われそうな笑い方なのに、よく似合っているからか嫌味は全く感じない。
「此処は僕が作り上げた仮初の世界です。お気に召しましたか」
「…す、すごい。不思議の国に来たみたい」
何が可笑しいのか、また彼は愉し気に笑った。
不意にハンカチの存在を思い出し、楓香は頭を下げる。
「…あ、あのごめんなさい。貸してくださったハンカチ、無くしてしまって」
「おやおや、律儀な子だ。気にしなくて良いですよ。あのハンカチも幻で作られたものですから」
(……すごい、便利な力)
楓香に負けず劣らず使い勝手の良い能力である。
ティーカップに指を絡め、優雅に紅茶を飲んでいる六道から視線を逸らさずに楓香は口を開いた。
「貴方は一体何者なんですか」
「ただのしがない幻術使いです」
風に揺れる青藍の髪が頬にかかり、長い指が払う。その仕草の一つ一つが様になっており、絵になっていた。
あの日見た恐ろしい大蛇や藍炎は幻だったのか。ゲームでプレイしたVRのような紛い物なんかじゃなく、確かに存在していた。本物のようだった。
あそこまで巧妙に作られた幻術を容易く披露出来るくらいなのだから、かなりの傑人だろう。
「…そんな幻術使いさんが私に何のご用ですか」
六道はひたと楓香を見据えた。とはいえ、視線には厳しいものは一切なく、愉しそうなそれであった。
「その能力を活かした仕事をしてみませんか」
「…し、しごと?」
素っ頓狂な声を上げる楓香に、また指をトンと叩く。
今度は華々とした絵画から、忘れ去られた過去の遺物へと世界が一転した。
古びた赤いカーテンが微かに揺れ、壊れた窓から冷たい風が吹き込んでくる。
「たった今、幻覚を解きました。此処はかつて黒曜センターという複合娯楽施設でした。今では僕の根城の一つとなっています」
壁には無数のひび割れが走り、壁紙が剥がれ落ちていた。
大きな天窓から降り注ぐ月明かりが、六道と楓香だけを照らしている。
(黒曜って並盛の隣町だっけ…)
意外と身近に居たことに楓香は驚く。世間は狭いと言うけれどここまで狭いなんて。謎の男と黒曜に繋がりがあるなんて誰が想像出来ただろう。
「見ての通り、建物の劣化が進んでおりまして。ほら、鉄骨がむき出しになっているでしょう。嵐が来たら吹き飛んでしまいそうだ」
長年人の手入れがされていない建物には埃が溜まり、虫がわく。六道が室内でも靴を履いている理由がそれだ。
「そこで思いつきました。DIYをしよう、と」
「DIY」
六道の口から出て来たその言葉があまりにも似合わなくて、楓香はオウム返しをしてしまった。
「これはこれで趣があって良いのですが、流石に埃まみれの部屋で衣食住をするのには抵抗があります」
「……人が生活するにはちょっと厳しいかもですね」
「えぇ、そう思うでしょう。ただ、リフォームするには課題が山積みでして。大量の廃材やゴミの処分、瓦礫などの撤去作業、害虫駆除など…到底、素人では手に負えません」
ふう、と溜め息を吐いて眉間を揉む六道はどこか芝居くさい。
「ぎ、業者を呼ぶしかないですね」
「それでは莫大なお金と時間がかかってしまう。そこで、僕は君に目を付けました。その消失の力を使ってリフォームを手伝ってくれませんか」
六道の掴みどころのない表情に、懇願の色が混ざる。
「勿論、報酬はたんまりと用意しましょう」
いつもなら、お金に貧欲な楓香はその言葉にすんなりと頷いてみせるが、今回は相手が相手なだけに慎重になる。
何か裏があるんじゃないか、とそのオッドアイを見詰めた。
「さぁ、僕と契約しませんか」
ゆっくりと楓香に向かって手が差し出される。
真っ直ぐな眼差しに射抜かれ、ぴくりと肩が僅かに動いた。
「化け物と呼ばれようが関係ない、君は君です。その力は誰かを救える。僕には佐倉楓香、君が必要だ」
そのたった一言は、楓香が心の何処かで切望していたものだった。
誰かに認められたかった。こんな異能を持つ自分を受け入れて欲しかった。此処に居て良いと、必要なのだと。
「………はい」
暫く視線を彷徨わせていたが、やがて意を決して手を取った。
すると、くいっと引っ張られて、六道の腕の中に飛び込んでしまう。
「僕に身を委ねて」
その言葉と共に美しい旋律が流れ始めた。
唖然として言葉が出て来ない楓香の腰に手が添えられる。
「なっ、ろ、六道さん!」
「僕とワルツを踊りましょう」
目を細めて唇の端に笑みを浮かべ、楓香の手を自分の口元に引き寄せ、手の甲に口付けを落とした。
六道から距離を取ろうとするが、有無を言わさず身体を引き寄せられ、ピタリと密着する。
今までダンスの経験がない素人の楓香はデタラメなステップを踏むが、六道のリードにより何とか躓かずに踊れている。
「君の手は熱いですね。火傷してしまいそうだ」
「…じ、じゃあ離してください」
「このまま溶け合うのも、また一興」
片手を繋がれ、背中を支える手の感触が生々しい。妙に意識してしまい気恥ずしくなる。
「おや、もっと熱くなりました」
「じ、実況しなくて結構です!」
「君は揶揄い甲斐がありますね」
悪びれもなく笑われ、楓香は赤くなった顔で睨み付けるが、反して六道は悠然とした笑みを浮かべるのみだった。
音楽が一層盛大に盛り上がると六道は楓香の腰を両手で掴み、ターンをしながら彼女の身体を持ち上げる。
驚いた楓香は情けない声を漏らし、地に足を付けた。
ふわふわと宙に浮いた蝋燭の灯火が温かく二人を包み込んだ。
まるで演劇の一幕のような演出に見蕩れていると、両手を引っ張り上げられ、楓香の爪先は宙に浮いてしまう。
「は、はなして」
暴れる楓香の耳元に口を寄せ、「余所見は許しません」と囁かれる。
そっと顎に添えられた指先に、くいっと上向かせられて、
「僕を見なさい」
低く掠れた声が、楓香の耳の奥を優しく撫でた。
人形のように端正な顔が目と鼻の先にあった。お互いの呼吸が感じられる距離に、息を呑む。
その宝石の瞳から視線を逸らすことが出来ない。楓香の頬を包み、親指が唇をひと撫でした。
「いい子だ」
刹那、時が止まったかのような空間に―――ドンッという大きな衝撃音が響き渡った。
楓香の意識は微睡から目が覚めたように現実へ引き戻される。
「骸ッ!」
突然、声が飛んできた背後を振り返ると、険しい目付きをした沢田が駆け込んで来た。
場の空気を震わせる怒声を、六道は真っ直ぐに受け止めて「久しぶりですね、沢田綱吉」と軽く挨拶をする。
(どうして綱吉君が此処に?…って、六道さんと知り合いなの!?)
困惑のせいでまともに働きそうにない頭を楓香は必死に動かし、この状況を理解しようと試みた。
しかし、瞬きをした瞬間にはもう沢田に抱き寄せられていた。ふわりと蜂蜜の髪が頬に当たる。
「クフフフ…君がそんな表情をするとは。実に良い気分だ」
「楓香ちゃんをどうする気だ」
呆然としたまま、沢田を仰ぎ見た。
緊張感が漂う空気と、いつもとは違うその強ばった表情が印象的だった。
「何を警戒しているのか知りませんが、僕はただ彼女に草抜きの手伝いを依頼しただけですよ」
「…く、草抜き!?」
目を見開いた沢田が、楓香へと懐疑的な視線を向ける。
その奥で、ぱちりと意味深に片目を閉じた六道が視界に入り、思わず楓香は頷いた。
「彼女が草抜きのエキスパートだと噂を聞きましてね」
「楓香ちゃん、それは本当?」
「う、うん」
「……骸に何かされた?怪我はない?」
「何もされてないよ、大丈夫」
「…そっか」
その表情は複雑で、楓香の心配をしている言葉を綴っているのに、顔はそれに納得していないようだ。というか、少し怒っているようにも見える。
帰ろう、と沢田に催促されて強引に腕を引かれながら、楓香は慌てて六道に頭を下げた。
「いずれ、また」
その言葉に後ろへ顔を向けた沢田は、仄暗い執着が見え隠れする六道の視線から楓香を庇う。
ずっと感じていた妙な胸騒ぎに不安を駆られた沢田は、黒曜ヘルシーランドへ向かった。まさかと思ったが、六道の腕の中に居る楓香を見て頭が真っ白になり、また何も出来なかった自分が許せなくて無意識に足取りが早くなる。
楓香はずんずんと前を歩く彼の手を、くいと引っ張った。
立ち止まった背中が静かに振り返る。少し距離を置いて、二人の目がぶつかり合った。
楓香の手に光る指輪に気付き、沢田は眉を寄せる。
「あの日、楓香ちゃんの身に何があったのか教えて欲しいんだ」
「…それは、」
もし、拒絶されたら?
頭の中で浮かんだ言葉に、開こうとした口が重くなる。声に出すと、沢田を失いそうで怖かった。
本当は全部話してしまいたかった。それでも、この関係が終わるかも知れない恐怖で足が竦む。彼にだけは嫌われたくないのだ。
「……俺に言いたくないかな」
咎めるような、責めるような視線を向けていた沢田は、今は眉尻を下げ途方に暮れた表情を浮かべていた。
ちくりと罪悪感が胸を刺す。
そして、気付く。
(私、心の何処かで綱吉君のこと信じてないんだ)
愛する人すら信じられず、自分で自分を憐れみ孤独を悲しんで一体何がしたいのか。
自己嫌悪に苛まれて、顔を俯かせた。うじうじした自分に向けられる真っ直ぐな視線を受け止められる自信がない。
「…私、綱吉君に嫌われたくなくて…ごめん」
今は話せないことを遠回しに伝えると、沢田が楓香に歩み寄った。
きっと呆れたよね、と沢田の返事を聞きたくなくて自分の耳を塞ぐ。だが、手に温かいものが重なって、ゆっくりと耳から外された。
「分かった。待つよ。楓香ちゃんが俺を信じてくれるまで―――待ってるから」
力の抜けた、間抜けな顔をしていると沢田に優しく抱き締められる。
「ごめん、…ごめんね、綱吉君」
「謝らないで。それに、楓香ちゃんの気持ちが良く分かるんだ。……俺も君に言ってない秘密があって…だから、楓香ちゃんが俺を信じて話してくれる日が来たら、その時は俺も言うよ」
「…ありがとう」
「うん」
その温もりにしがみつけば、同じように背中に回った手に力が込められる。
あぁ、このまま一つになって離れられなくなったらいいのに、と楓香は願った。
午後からずっとその調子なので、気になった獄寺はつい聞いてしまった。
「十代目、何か嬉しいことでもあったんスか」
「えっ!?あー、っと、そんなことない、よ?」
そうは言っても、その声はご機嫌そうに弾んでいるので何もないと誤魔化すのには無理がある。
はて、と獄寺は考えるが、思い当たる節があった。
最近、沢田の笑みの先には一人の少女が居た。きっと楓香と何かあったんだろう、と勘付く。
その彼女は体調不良で早退したので、放課後一人残り体育館裏の雑草を刈り取ろうとしたが、草一つも生えておらずアスファルトがくっきりと顔を出していた。
山本が楓香を見付けたのは体育館裏だと言っていたので、彼女が雑草を全て抜いたのだろう。
「アイツ根性あるッスね。見直しました」
俺も負けてらんねェ、と獄寺はメラメラと闘志を燃やす。
「ほどほどにね…」
筋肉痛が酷いと愚痴を零していた楓香を思い出し、沢田は乾いた笑みを浮かべる。
昼休みという短時間で体育館裏にあった全ての草を抜くのは可能なのだろうか。ふと、そんな疑問が頭に残った。
家に帰宅した沢田は普段のルーティンで手洗いうがいを済ませると、騒がしいランボとイーピンの喧嘩の仲裁に入り、ランキング星と交信しているフゥ太によって無重力に巻き込まれ全身を壁に強打し、ビアンキの味見という名の毒味から死ぬ気で逃げ果せ、ようやく自室に足を踏み入れる。
が、部屋に入った瞬間、強烈な飛び蹴りが顔面に直撃する。
「へぶっ」
「待ちくたびれたぞツナ、何ちんたら油売ってやがる」
「い、いきなり何するんだよリボーン!」
膨れ上がった頬を手で押さえ、バイオレンスな教師を非難する。痛みから沢田の目にちろりと涙が滲んだ。
「まぁ、お前が浮かれる気持ちは重々理解出来るぞ。なんたって、楓香との恋が成就したんだからな」
「な、なんで、そのことを!?まっ、ま、まさか全部見て…!?」
「フッ……幸せの味は格別だったか?」
「イヤーーーーッ!?」
ヒリヒリする痛みも忘れ、恥ずかしさのあまり思いきり両頬を手で押さえた。沢田の口がタコのように尖る。
意中の相手と気持ちが通じ合えた今一番楽しい時期に、横槍を入れるのはリボーンとて避けたかったが、それでも二人の未来を思ってのことである。
その小さな黒スーツの懐から数枚の紙を取り出した。
「例の指輪の進捗状況について、話がある」
すると、沢田の顔付きが真剣な表情へと改まる。
指輪を強奪した組織の名は、テボリハファミリー。
その規模は小さいが、この世にあまり出回らない一点物を中心に強奪し、運営している闇競売場に出品するとその落札された大金で荒稼ぎしている。
中には違法性のあるものも商品として売りに出され、人身売買も行っているようだ。
「つい先日、指輪がその闇競売場に出品されたらしい」
「じゃあもう他の誰かの手に…?」
否、とリボーンは首を横に振る。
「突如、現れた乱入者によってテボリハファミリーは壊滅した。指輪は行方不明のままだ」
指輪の手掛かりが掴めたと思えば、また一から振り出しに戻ってしまった。
がっくりと肩を落とした沢田を一瞥し、リボーンはソフト帽のツバを下げる。
「ただ気になる点が二つある。その乱入者は、六道骸だと報告が上がっていてな」
「なっ、骸が!?」
思いもよらぬ人物の名が出てきて、沢田はリボーンを凝視した。
骸とは何やかんや因縁があったが、それでも危機が迫った時には力を貸してくれる仲間だと信じている。
高校には通わず、気に入らないマフィアを殲滅しては世界を股にかけているとクロームから聞いていたが、本当にそんなことをしているとは。
「そして、その場に一人の少女も居たらしい」
「少女…って、クロームのことじゃないの?」
「黒髪のアジア人っていうことまでは判明しているが、足取りは掴めてねぇ」
その言葉に、一つの直感が脳内に過ぎった。
「指輪が出品されたのは、楓香がお前に助けを求めた日と同じ日だ。これはただの偶然か?」
あの日、楓香は何かに怯えて沢田に縋った。その姿が忘れられなかった。
か細い声が、涙に濡れた目が、震えた身体が、今にも消えてしまいそうで。
あぁ、失いたくない、とその時やっと自分の気持ちを自覚した。
そんな彼女が自分の名を呼んだから、掴んだその手をもう二度と離してなるものかと、この子は命にかえても守るんだと、そう誓ったのだ。
「今夜、楓香ちゃんと通話するから」
早く彼女の声が聞きたかった。
あの日、何があったのか分かれば、この感じている妙な胸騒ぎも払拭出来るだろう。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、楓香の意識はゆっくりと浮上した。
割れんばかりの頭痛は止んで、身体が軽く感じられる。
瞼を瞬かせれば、霞んでいた視界が明瞭となった。
「おや、お目覚めですか」
枕にしては硬く、そして温度を感じる不思議な感触にもぞもぞと頭を動かすと、
「こら、じっとしてなさい」
少しくすぐったそうな声が真上から降ってきて、心臓が跳ねた。
「……っ!?」
怖気が立つ程に美しい瞳が楓香を見下ろしている。
その人物はあの日突然現れた謎の男、六道骸だった。
「そのままで」
ぺち、と額を叩かれ、そこでようやく自分が膝枕をされていることに気付く。
視線を投げかけて訴えるも、ただ無言で笑みが返ってくるので、仕方なく浮かせた頭を元に戻した。
どうして、というその一言すら、喉奥が麻痺したかのように凍り付いて出てこない。
「君は危うく命を落とすところでした。指輪を嵌めずにその力を行使するのは止めた方が良い」
いつの間にか指にきらりと光るものを見て目を瞠った。
死に損ないの為にわざわざ指輪を持って来てあげた、と六道は得意気に胸を反らす。
どうして家の住所が分かったのか、どうやって部屋に入ったのか、そんな疑問を丸々飲み込んで楓香は小さくお礼を言った。
「君の様子を見る限り、消失の力は身体にかなりの負荷がかかる。指輪はそれを補う為の役割として生み出された、と僕は推察します」
思い返してみれば、確かに競売場で力を使った時は体調に変化は感じられなかった。今の自分なら何でも出来ると、無敵の気分になっていた。
「現に、指輪を嵌めてから君は息を吹き返し、意識を取り戻した」
「…ほ、本当に死にかけてたんだ」
死というものに直面するのは初めてだった。恐る恐る胸に手を当てる。一定のリズムで動く心臓が少し速めに刻んでいた。
「ほら、そう緊張せず。何かお食べなさい」
チョコレートを唇に付けられ、そのまま口を開けると放り込まれる。唇に軽く指が当たり、面映ゆさを消すように無心で咀嚼した。
「もし僕が毒を盛っていたら、君は今頃空の上ですよ」
「…ゴホッ」
とんでもないことを言ってのけるので反射的に噎せた楓香に、その双眸が愉し気に眇めらる。
「警戒心は持つに越したことはない。とは言え、僕を信頼に足る人物だと判断したなら、それは嬉しいですね」
口の中が甘さで満たされていくと、またお菓子が差し出された。当然、首を振って断る。
「どうやら、そこまでの信頼は得られていないようだ」
椅子の肘掛けに片手をついて見下ろすその右目は、虹彩に当たる部分が真紅に染まっており、瞳孔に当たる部分が“六”と刻まれている。人間が持ち得る瞳ではない。
「僕のことが気になりますか」
「…そうですね。特に貴方の目的とか」
「骸と呼んで下さい。僕も楓香と呼びます」
「…六道さんと呼びます」
「これは手厳しい」
大人びた雰囲気から年上の可能性が高いが、どちらにせよ立場は圧倒的に相手が高いことは容易に想像がつく。
落ち着いていて飄々とした男だ。楓香は今まで会ったことがないタイプの相手に、若干の苦手意識を持った。
「ふむ、まずは親睦を深める為にお茶会へご招待しましょう」
彼は目を閉じ、指でリズムを取るように椅子の肘をトントンと叩く。
すると、一瞬で世界が変わった。
華やかさを競うかのように色とりどりの花が咲き乱れ、湖にはボートが浮かび、歪曲したアーチ橋がかかっている。
青く澄んだ大空の下、風が静かに吹き抜けた。緑深き庭園の中心に白のテーブルが置かれ、並べられた椅子に二人は腰をかけていた。
その美しさは絵画のように時の止まった世界を彩っている。
「クフフフ…そんなに目を丸くさせていると、ぽろりと零れ落ちてしまいそうだ」
器用に喉で笑う六道だが、馬鹿にされていると思われそうな笑い方なのに、よく似合っているからか嫌味は全く感じない。
「此処は僕が作り上げた仮初の世界です。お気に召しましたか」
「…す、すごい。不思議の国に来たみたい」
何が可笑しいのか、また彼は愉し気に笑った。
不意にハンカチの存在を思い出し、楓香は頭を下げる。
「…あ、あのごめんなさい。貸してくださったハンカチ、無くしてしまって」
「おやおや、律儀な子だ。気にしなくて良いですよ。あのハンカチも幻で作られたものですから」
(……すごい、便利な力)
楓香に負けず劣らず使い勝手の良い能力である。
ティーカップに指を絡め、優雅に紅茶を飲んでいる六道から視線を逸らさずに楓香は口を開いた。
「貴方は一体何者なんですか」
「ただのしがない幻術使いです」
風に揺れる青藍の髪が頬にかかり、長い指が払う。その仕草の一つ一つが様になっており、絵になっていた。
あの日見た恐ろしい大蛇や藍炎は幻だったのか。ゲームでプレイしたVRのような紛い物なんかじゃなく、確かに存在していた。本物のようだった。
あそこまで巧妙に作られた幻術を容易く披露出来るくらいなのだから、かなりの傑人だろう。
「…そんな幻術使いさんが私に何のご用ですか」
六道はひたと楓香を見据えた。とはいえ、視線には厳しいものは一切なく、愉しそうなそれであった。
「その能力を活かした仕事をしてみませんか」
「…し、しごと?」
素っ頓狂な声を上げる楓香に、また指をトンと叩く。
今度は華々とした絵画から、忘れ去られた過去の遺物へと世界が一転した。
古びた赤いカーテンが微かに揺れ、壊れた窓から冷たい風が吹き込んでくる。
「たった今、幻覚を解きました。此処はかつて黒曜センターという複合娯楽施設でした。今では僕の根城の一つとなっています」
壁には無数のひび割れが走り、壁紙が剥がれ落ちていた。
大きな天窓から降り注ぐ月明かりが、六道と楓香だけを照らしている。
(黒曜って並盛の隣町だっけ…)
意外と身近に居たことに楓香は驚く。世間は狭いと言うけれどここまで狭いなんて。謎の男と黒曜に繋がりがあるなんて誰が想像出来ただろう。
「見ての通り、建物の劣化が進んでおりまして。ほら、鉄骨がむき出しになっているでしょう。嵐が来たら吹き飛んでしまいそうだ」
長年人の手入れがされていない建物には埃が溜まり、虫がわく。六道が室内でも靴を履いている理由がそれだ。
「そこで思いつきました。DIYをしよう、と」
「DIY」
六道の口から出て来たその言葉があまりにも似合わなくて、楓香はオウム返しをしてしまった。
「これはこれで趣があって良いのですが、流石に埃まみれの部屋で衣食住をするのには抵抗があります」
「……人が生活するにはちょっと厳しいかもですね」
「えぇ、そう思うでしょう。ただ、リフォームするには課題が山積みでして。大量の廃材やゴミの処分、瓦礫などの撤去作業、害虫駆除など…到底、素人では手に負えません」
ふう、と溜め息を吐いて眉間を揉む六道はどこか芝居くさい。
「ぎ、業者を呼ぶしかないですね」
「それでは莫大なお金と時間がかかってしまう。そこで、僕は君に目を付けました。その消失の力を使ってリフォームを手伝ってくれませんか」
六道の掴みどころのない表情に、懇願の色が混ざる。
「勿論、報酬はたんまりと用意しましょう」
いつもなら、お金に貧欲な楓香はその言葉にすんなりと頷いてみせるが、今回は相手が相手なだけに慎重になる。
何か裏があるんじゃないか、とそのオッドアイを見詰めた。
「さぁ、僕と契約しませんか」
ゆっくりと楓香に向かって手が差し出される。
真っ直ぐな眼差しに射抜かれ、ぴくりと肩が僅かに動いた。
「化け物と呼ばれようが関係ない、君は君です。その力は誰かを救える。僕には佐倉楓香、君が必要だ」
そのたった一言は、楓香が心の何処かで切望していたものだった。
誰かに認められたかった。こんな異能を持つ自分を受け入れて欲しかった。此処に居て良いと、必要なのだと。
「………はい」
暫く視線を彷徨わせていたが、やがて意を決して手を取った。
すると、くいっと引っ張られて、六道の腕の中に飛び込んでしまう。
「僕に身を委ねて」
その言葉と共に美しい旋律が流れ始めた。
唖然として言葉が出て来ない楓香の腰に手が添えられる。
「なっ、ろ、六道さん!」
「僕とワルツを踊りましょう」
目を細めて唇の端に笑みを浮かべ、楓香の手を自分の口元に引き寄せ、手の甲に口付けを落とした。
六道から距離を取ろうとするが、有無を言わさず身体を引き寄せられ、ピタリと密着する。
今までダンスの経験がない素人の楓香はデタラメなステップを踏むが、六道のリードにより何とか躓かずに踊れている。
「君の手は熱いですね。火傷してしまいそうだ」
「…じ、じゃあ離してください」
「このまま溶け合うのも、また一興」
片手を繋がれ、背中を支える手の感触が生々しい。妙に意識してしまい気恥ずしくなる。
「おや、もっと熱くなりました」
「じ、実況しなくて結構です!」
「君は揶揄い甲斐がありますね」
悪びれもなく笑われ、楓香は赤くなった顔で睨み付けるが、反して六道は悠然とした笑みを浮かべるのみだった。
音楽が一層盛大に盛り上がると六道は楓香の腰を両手で掴み、ターンをしながら彼女の身体を持ち上げる。
驚いた楓香は情けない声を漏らし、地に足を付けた。
ふわふわと宙に浮いた蝋燭の灯火が温かく二人を包み込んだ。
まるで演劇の一幕のような演出に見蕩れていると、両手を引っ張り上げられ、楓香の爪先は宙に浮いてしまう。
「は、はなして」
暴れる楓香の耳元に口を寄せ、「余所見は許しません」と囁かれる。
そっと顎に添えられた指先に、くいっと上向かせられて、
「僕を見なさい」
低く掠れた声が、楓香の耳の奥を優しく撫でた。
人形のように端正な顔が目と鼻の先にあった。お互いの呼吸が感じられる距離に、息を呑む。
その宝石の瞳から視線を逸らすことが出来ない。楓香の頬を包み、親指が唇をひと撫でした。
「いい子だ」
刹那、時が止まったかのような空間に―――ドンッという大きな衝撃音が響き渡った。
楓香の意識は微睡から目が覚めたように現実へ引き戻される。
「骸ッ!」
突然、声が飛んできた背後を振り返ると、険しい目付きをした沢田が駆け込んで来た。
場の空気を震わせる怒声を、六道は真っ直ぐに受け止めて「久しぶりですね、沢田綱吉」と軽く挨拶をする。
(どうして綱吉君が此処に?…って、六道さんと知り合いなの!?)
困惑のせいでまともに働きそうにない頭を楓香は必死に動かし、この状況を理解しようと試みた。
しかし、瞬きをした瞬間にはもう沢田に抱き寄せられていた。ふわりと蜂蜜の髪が頬に当たる。
「クフフフ…君がそんな表情をするとは。実に良い気分だ」
「楓香ちゃんをどうする気だ」
呆然としたまま、沢田を仰ぎ見た。
緊張感が漂う空気と、いつもとは違うその強ばった表情が印象的だった。
「何を警戒しているのか知りませんが、僕はただ彼女に草抜きの手伝いを依頼しただけですよ」
「…く、草抜き!?」
目を見開いた沢田が、楓香へと懐疑的な視線を向ける。
その奥で、ぱちりと意味深に片目を閉じた六道が視界に入り、思わず楓香は頷いた。
「彼女が草抜きのエキスパートだと噂を聞きましてね」
「楓香ちゃん、それは本当?」
「う、うん」
「……骸に何かされた?怪我はない?」
「何もされてないよ、大丈夫」
「…そっか」
その表情は複雑で、楓香の心配をしている言葉を綴っているのに、顔はそれに納得していないようだ。というか、少し怒っているようにも見える。
帰ろう、と沢田に催促されて強引に腕を引かれながら、楓香は慌てて六道に頭を下げた。
「いずれ、また」
その言葉に後ろへ顔を向けた沢田は、仄暗い執着が見え隠れする六道の視線から楓香を庇う。
ずっと感じていた妙な胸騒ぎに不安を駆られた沢田は、黒曜ヘルシーランドへ向かった。まさかと思ったが、六道の腕の中に居る楓香を見て頭が真っ白になり、また何も出来なかった自分が許せなくて無意識に足取りが早くなる。
楓香はずんずんと前を歩く彼の手を、くいと引っ張った。
立ち止まった背中が静かに振り返る。少し距離を置いて、二人の目がぶつかり合った。
楓香の手に光る指輪に気付き、沢田は眉を寄せる。
「あの日、楓香ちゃんの身に何があったのか教えて欲しいんだ」
「…それは、」
もし、拒絶されたら?
頭の中で浮かんだ言葉に、開こうとした口が重くなる。声に出すと、沢田を失いそうで怖かった。
本当は全部話してしまいたかった。それでも、この関係が終わるかも知れない恐怖で足が竦む。彼にだけは嫌われたくないのだ。
「……俺に言いたくないかな」
咎めるような、責めるような視線を向けていた沢田は、今は眉尻を下げ途方に暮れた表情を浮かべていた。
ちくりと罪悪感が胸を刺す。
そして、気付く。
(私、心の何処かで綱吉君のこと信じてないんだ)
愛する人すら信じられず、自分で自分を憐れみ孤独を悲しんで一体何がしたいのか。
自己嫌悪に苛まれて、顔を俯かせた。うじうじした自分に向けられる真っ直ぐな視線を受け止められる自信がない。
「…私、綱吉君に嫌われたくなくて…ごめん」
今は話せないことを遠回しに伝えると、沢田が楓香に歩み寄った。
きっと呆れたよね、と沢田の返事を聞きたくなくて自分の耳を塞ぐ。だが、手に温かいものが重なって、ゆっくりと耳から外された。
「分かった。待つよ。楓香ちゃんが俺を信じてくれるまで―――待ってるから」
力の抜けた、間抜けな顔をしていると沢田に優しく抱き締められる。
「ごめん、…ごめんね、綱吉君」
「謝らないで。それに、楓香ちゃんの気持ちが良く分かるんだ。……俺も君に言ってない秘密があって…だから、楓香ちゃんが俺を信じて話してくれる日が来たら、その時は俺も言うよ」
「…ありがとう」
「うん」
その温もりにしがみつけば、同じように背中に回った手に力が込められる。
あぁ、このまま一つになって離れられなくなったらいいのに、と楓香は願った。