丸井ブン太

やばい。

 べっ、と気の抜けた音が顔の前で鳴り、ケミカルな緑色が視界から消えた。
 放課後の教室、細く開けた窓から勢い良く風が吹き込み、カーテンが大げさに揺れる。

 テスト一週間前を切った火曜日と木曜日は、勉強会の日。この習慣のせいで、テストを楽しみになってしまった自分がいるなんて、想像も出来なかった。

「ブン太? 手、止まってる」

 難しい化学の問題集の隣、目の前でシャーペンがノート上を踊る。

 日本語のはずなのに、外国語が書いてあるかと錯覚してしまうくらい、俺は理系科目に弱い。国語を教える代わりにと、今日は化学を教わっていた。

「分からないところでもあった?」

 校則にぶつくさ言いながら結んだ、規則通りのポニーテールが揺れる。髪飾りを付けられない分、手の込んだ編み込みが右耳の上を華やかにしていた。こういう細やかなところが、たまらない気分にさせる。

「聞いてる?」

 ガムを噛むのも忘れ、さっきの思考を反芻する。とんでもないことを考えてしまった。分かっているのに、頭から消えない。
 向かい合わせに座り、目の前でシャーペンを握るなめらかな手。ちいさいなぁ、と考えた瞬間、二週間前のあの日がフラッシュバックした。

 ぶんぶんと頭を振って、よこしまな思考を追い払う。よせ、そろそろテストも近い。一日目は確か化学と歴史、今勉強しなければ確実に赤点だ。

 脳裏に焼き付いて離れない、なんて、漫画の中ではよく言うけど。いざ自分の身に起こってみると、その恐ろしさに寒気がする程だ。
 こんな状態で、問題集を見る気になんてなれない。もう、と呟き、勉強に意識を戻す姿にすら、心が沸騰してしまう。

「ちょっとこっち見ろぃ」

 化学式をノートに書く手を見ながら、顎を掴んだ。
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