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手下夢・短編


深夜。
草木も眠るなんとやら、うつらうつらしていたアップルは 自身のベッドのスプリングが僅かに跳ねた振動で目を覚ました。寝返りを打ってそちらを見ると、視界の端に小さな影が映る。

…また来てくれたのか。
体を起こし、黙って傍に腰掛けて その柔らかい赤髪を撫でてやる。

「どうした?」
「…エイトフットが」
「なんだ、また虐められたのか」
枕をぎゅっと抱きしめて俯くイーナ。眠れない夜、彼女がこうして自分の元へ訪ねて来てくれるのが アップルは何より嬉しかった。
…大半の原因がエイトフットだということが多少、いやかなり気に食わないが。

「いっつも来ちゃって、ごめんね、アップル」
「構わんさ」
「…戻りたくないからここで寝てもいい?」
「!ああ、ゆっくりしていくといい。おいで」
布団の端を持ち上げると、イーナはもそもそと懐に潜り込んできた。小さな体はすっぽりと腕の中に収まってしまう。彼女の髪はいつでもブーゲンビリアの甘い香りがする。

「…髪、解かなくていいのか」
「邪魔だろうなって思って…」
「大丈夫だ。お前の髪 結構好きだからな」
一瞬驚いたようにこちらを見上げてから「お手入れがんばってる甲斐があるな〜」とはにかむ表情が愛おしくて、暗がりなのをいいことにアップルは頬を緩ませる。
彼女の豪奢な髪留めを外してやると 夜に融けそうに柔い赤髪が肩を滑り落ちた。ありがとうと口の形だけでつぶやいて目を閉じるイーナ。
少し経つと寝息が聞こえ始め、ようやくアップルは安堵の息をついた。

彼女のマスター・ゴーテルは元は人間で、たまたま邪悪な力を得て魔女になってしまったヴィランズである。イーナはゴーテルの持ち物───プリンセスを縛り、留めておくための、魔力を込められた櫛だった。
しかしマスターゴーテルとイーナは似ても似つかない。彼女は…強く掴んだり噛み付いたりしたらすぐに壊れてしまいそうな儚い脆さ、危うさを孕んでいるように思う。
ふと喧しい他のウィメンズリクルーター達の姿が思い出され、アップルはこめかみを押さえてその像を掻き消す。
彼女の儚い美しさは、身も心も強い女性に囲まれて過ごしてきたアップルにとって 彼が今まで見たどんな女性よりもずっと魅力的に映っていたのだった。
性格上、思いを伝えようと試みたのも一度や二度ではない。しかしその度に行動を阻むのは他でもないアップルの良心だった。
触れてしまったが最後、お前は彼女を壊してしまうだろう。彼女を壊してはいけない。自分を諭す自分がいつも行く手を遮る。
…まあそれに納得しているからこそ この状況に甘んじているのだが。例のトランプ兵にでも知られたらどうなることか。

不意に彼女が寝言でなにか呟いた。はっとして身を固くする。イーナは僅かに身じろぎすると、一拍おいて再び健やかに寝息を立て始めた。

すぐ側にある小さな唇を指先でそっとなぞる。
想像の幾倍も柔い感触に目を細める。今すぐその唇ごと食むように飲み込んでしまいたい。短い夜の間 腕の中に閉じ込めているだけでは満足できない。このままひと息に夢うつつの彼女を抱いてしまったら、どうなる? どんな表情を見せてくれる? どんな声で自分の名前を呼んでくれるのだろう?

体温のないはずの体が、密着している部分からじわじわと熱くなっていく気がする。

……自分のものにしたい。
たちまち全身に回った即効毒のような欲望を、持ち前の理性で必死に抑えつける。
眠っている彼女に許されうるギリギリの強さで肩を抱いて、小さな額にそっと唇を寄せた。
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