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短編集


「ねぇ、私に歌の指導してくれない?」

##NAME1##のそんな突発的な発言に、私は口に含んでいた珈琲を噴き出しそうになった。

「な、何を急に…」

向かいに座る##NAME1##は何事もなかったかのようにカップを口に近づけた。
彼女は珈琲が飲めないのでカップの中身は紅茶だ。

「だって、クリスティーヌにレッスンしてるんでしょ?」

「そうだが…それとこれとは関係ないだろう」

私が真夜中にレッスンをしていることを##NAME1##は前から知っていたが、何故今になってそんなお願いをしてくる?

これは何かありそうだ。
少し探りを入れてみようか。


「何故今になって?まさか調律係からオペラ歌手へと転職を考えているわけではないだろう?」

「え!?何でわかるの!?」

本日二回目の珈琲の噴き出しを耐える。
我ながら良く耐えた。

「お、お前は言っている意味がわかっているのか!?」

何故彼女はこうも私の想像の先を行くのだ。私に緊張感が足りないだけなのか?

「ふふっ、別にそんな慌てなくて良いじゃない」

目の前の##NAME1##は楽しそうに笑っている。
なんとなく腹が立つのは気のせいだろうか。

「まぁ、半分嘘で半分本気でもあるんだけどね」

カップを見つめたままそう呟いた##NAME1##。



「意味がわからん」

エリックはテーブルにカップを置くと、椅子の背もたれに体を預け腕を組んだ。
これは「話を聞いてやる」という、彼なりの合図だと最近気付いたのはまだ彼には秘密。

「…まぁ、あれよ。歌が少しくらいできたって損はないじゃない?」

ちらっと彼の方を見る。だが彼は瞼を閉じ、眉間にシワを寄せ何も言わない。

「あとは、そのぉ…あなたに習ってみたいなーと思いまして」



ゆっくりと瞼を開けると、目の前で申し訳なさそうにこちらを見つめる##NAME1##と目があった。

「やっぱり…無理?」

そう聞いた瞬間、彼の眉間のシワがいっそう深くなった気がした。



「…無理ではない」

「じゃぁ、教えてくれる!?」

急に椅子から身を乗りだし目を輝かせる##NAME1##に圧倒され、私は顔を縦に振ってしまった。

「やった!助かるわぁ!」



いつから私は彼女のペースにのまれるようになってしまったのだろうか。
深い溜め息が口から溢れた。




お願いするんじゃなかった。

こんな筈じゃ無かったのに。

後悔しても、もう遅いのよね。



でも、さすがにもう限界。








「ちょ、ちょっとストップ!!」

大袈裟な仕草でその場に座り込んだ##NAME1##。
私は何事かと和音を弾いていた手を離すと、足元でうずくまる彼女を見下ろした。

「どうした##NAME1##。まだ全部終わっていないではないか?」

頭上から低く響きある声が降ってくる。
見上げると、仮面の下から覗く鋭い眼と眼があってしまった。

「す、少し休憩にしない…?」

私はエリックに向かってワザとらしく微笑むが、彼は鼻で笑って片手に持った楽譜をヒラヒラさせながら口を開く。

「休憩なら少し前にもしたではないか。立て、まだ終わってはいない」

「少し前って1時間前じゃない。それから歌いっぱなしよ…このスパルタっ!」

##NAME1##はそう叫んだ。

「歌を教えて欲しいと言ったのはお前だろう!?それぐらいの覚悟は無いのか?」

冗談ではなかった。
彼女に頼まれたから教えてやっているというのに。


「お前は耳が良い。毎日調律をしているだけのことはある。だがそれだけなんだ!
他の奴等よりも正確な音程で歌えるかもしれないが、そんなことは何の意味も無いのだよっ!」

一度感情が高ぶってしまっては、自分でも鎮めることが出来なくなる。
私の悪いところだと理解はしているのだが、直すことができないのだ。

今の私の姿は##NAME1##の目にはどう映っているのだろうか。
いや、恐ろしいに違いない。
見上げる##NAME1##の目は恐怖に震えていたのだから。

だが、止めることができない。


「いいか!!お前の歌は外側は綺麗に着飾り、見せることのできない内側を隠しているだけなんだっ!」


我に返った時にはもう遅かった。
私を真っ直ぐ見上げる##NAME1##の目からは、涙が溢れていた。


こんなつもりでは無かったのだ。
きちんとしたレッスンをしてやりたかったのだ。

正直、##NAME1##に歌を教えて欲しいと言われた時、嬉しかった。

だから、それに答えたかっただけなのだ。



「##NAME1##…すまない」

どうしたら良いのかわからず、謝罪を述べることしか私には出来なかった。

「…ごめん、何で私泣いてるんだろう。エリックは真剣にやってくれてるのに…なんか私、格好悪いね」

「いや、私がいけないんだ。私はお前を傷つけてしまった…」

##NAME1##の目線と同じになるよう、私はゆっくりとしゃがみこむ。

「やっぱり私は歌う専門には向いてないみたい」

そう言って##NAME1##は微笑んだが、それはおそらく作り笑いだろう。

「##NAME1##…本当にすまない」

「も、もう大丈夫だって!気にしないでよ。そんなに心配されたらなんか気持ち悪いよ…」

##NAME1##は涙を拭き取った手を顔の前で大きく横に振る。

「しかし…何か私に出来ることはないか?」

##NAME1##は気にするなと言うが、私はそれでは納得がいかなかった。
さすがに、レッスンを再開してくれという答えは無いだろうと考えながらも私は聞いた。


エリックのその言葉に、私は少し考えてからこうお願いした。



「私の伴奏で歌って欲しい」

と。


エリックの歌を聞いたことは一度もなかった。
彼の普段の話し声がとても綺麗で美しくて。
そして、時には妖しくて。

聞いてみたいと思っていた。

彼の音楽に支配されたいと思ったこともあった。








##NAME1##の言葉に耳を疑った。
まさか、あんなことを言ってくれるとは思ってもいなかった。


それは彼女の望みでもあるが、私の望みでもあるのだ。

何だろう、この例えようもない胸の高鳴りは。
まるで、耳障りな不協和音が透き通った協和音に変わった時の喜びのようだ。

そう、不協和音は私と##NAME1##で、協和音も私と##NAME1##だ。





「…喜んで。共に奏でよう」

##NAME1##に右手を差し出すと、彼女はゆっくりと自らの手を重ねた。
そしてピアノの前へと案内する。



「ご希望はあるかな?お嬢さん」

「ふふふ…じゃぁ、私が弾けるものでいくわよ?」

私の問いかけに##NAME1##は微笑んで答えた。
その表情は偽りでもなく、本心だと私は思いたい。


「オペラ座の怪人を甘く見ないで貰いたいね」

上手く笑えていたかはわからないが、私も彼女に微笑み返した。





そして室内には、最高の音楽が響き渡った。


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