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短編集



私は椅子に座りながら大きく体を伸ばした。
最近は座って作業をすることが多かったから、こう体を動かすと気持ちが良いのよね。
今ここにエリックがいれば、何時ものように眉間にシワを寄せながらあーだこーだ言いそうだけど、彼はまだ来ていない。
なかなか座ることの出来ない、この曰く付きのボックス席の椅子に、私は更に深く座り込んだ。
柔らかい背もたれに沈みながら、睡魔が襲ってくるのを必死に堪える。
今日もここで彼と待ち合わせをしているのだ。
でも、今日はいつもと同じではない特別な日。
友人のクリスティーヌとメグの協力を得て、私はエリックの為にプレゼントを用意したわけ。
ほ、本当はそんなつもりは無かったんだけど...オペラ座はイベントムードだし、彼に日頃の感謝の気持ちを込めてということで。

「...受け取ってくれるかな」

手に持った小さなチェックの箱を見つめる。
メグに「なんか縁起悪ーい」と反対された黒いリボンは私が選んだ。
エリックは、やっぱり黒よね。
何者にも負けない、黒。
夜空を覆う、漆黒の黒。だから星が輝ける。
私は嫌いじゃない。


「1時、か…」

エリックはあまり遅刻することは無いんだけど、今日は遅い。
私は手にした懐中時計の蓋を閉じたり開いたりして時間を潰すことしかできなかった。
だって、楽譜を読もうとしても暗すぎて見えないんだもん。
こんな夜中に舞台の照明を付けるわけにはいかないし、誰かに蝋燭の火を見られても困る。

でも、癖で蓋をいじってるものだから、段々ゆるくなってきちゃってるのよね…そんな高価な物じゃないけど、長く使いたいじゃない?
だから、時計で遊ぶことは止めて、私は曲を奏でることにした。
もちろん、頭の中でだけど。



目を閉じながら、今上演中のオペラの一曲を奏でている時だった。
何時もなら物音もたてずに現れるエリックが、どこか焦ったように隠し扉を激しく開けながら現れたのだ。
さらに、人に見つかることを警戒している筈の彼が、珍しく灯りを手にしている。

「ちょっとエリック!灯りは駄目だってっ───」

物音や灯りにも驚いた。
だけど、椅子から立ち上がり振り返った私が一番驚いたのは、目の前に立つ彼の姿だった。

「エ、エリック…?」

私よりも背が高く、いつも不機嫌そうな顔で見下ろしてくる彼はそこにはいず、代わりにいたのは私よりも背の低い金髪の少年だった。
少年は右手で顔半分を隠し、露になっている左半分の表情は怒っているのか悲しんでいるのか、それとも困っているのか──複雑なものだった。
私は戸惑いながらも頭の先から爪先まで少年の姿を観察する。
きちんと整えれば綺麗になるであろうボサボサの髪は右側だけ不自然に抜け落ちていた。
もとからなのか、それとも故意的なのか。それはわからない。

体格に合わないブカブカのシャツとズボンを無理矢理ベルトで固定し、長い袖と裾は行動に不自由が生じない長さに捲られていた。
他に手段は無かったのかと思ってしまう程、変な格好だ。



「エリック、よね...?」

別にそんなことを聞く必要は無かったんだけど、やっぱり聞かずにはいられなかった。私には彼がエリックだってことはわかっていたのよ、本当に。
だって、こんな真夜中にボックス席にやってくるのは彼ぐらいしかいないだろうし、何よりも蝋燭の炎に反射した彼の美しい瞳を間違ったりはしない。

「...##NAME1##。非常に困っている」

外見に似合わず落ち着いた話し方。
バリトンだった声色はテノール───いや、アルトに近いものに変わってしまっていた。
姿が子供になってしまっているのだから、当たり前なのだけど...でも何故?

「な、何か言ったらどうなんだっ...」

実際、いつも見下ろされていたから見上げられるのには少し慣れないなーなんて考えていた私。

「わ、笑いたければ笑えば良いっ!」

「笑わないわよ、ちょっと面白いなって考えていただけ」

少し前屈みになって、エリックの視線と同じ高さに低くなってみる。

「お、面白いことでも何でもないっ!私は困っているんだ!!こんな姿になって...いったい何が起こったのかっ」

「まぁ、落ち着いて。そんな怒ったって何も解決しな───」

「これが、落ち着いていられるか!他人事だと思ってそんなことが言っていられるのだっ!!」

眉間にシワを寄せて、これでもかと言わんばかりに私を睨み付けるエリック。
いつもなら、それだけでも人一人殺せるのではないかと思ってしまうその行動は、今日はそんなに威力はなかった。
でも、中身は今まで通りの彼なのかと何故か少し安心した。少しがっかりもしていたことは秘密だけど。




徹夜続きで、夕方までならと思いベッドに倒れ込んで数時間。
目覚めると、こんな姿になっていた。

絶望的だった。
弱かった頃の、あの逃げることしか出来なかった頃の自分に戻ってしまったのかと。
何度も、何度も何度も嫌いな鏡に向かい合った。
だがその度に、これは現実なのだと思い知らされる。

神の悪戯か!?
今までの、私がしてきた事への神が与えた罰か!?
馬鹿馬鹿しい!!
勝手に子どもの姿に戻すのならば、この顔も今までとは違うものに変えてくれれば良かったのだっ!
それなら、この姿を受け入れることなど容易だったはずだ!
いや!!神などいるはずがない!





これからどうする?
ジリーに助けを求めるか?
冗談じゃない、こんな間抜けな姿など見せれるはずがないではないか。
では##NAME1##は?
いや駄目だ!
彼女にだってこんな姿は見せられない。

こんな...情けない姿。



くしゃくしゃと髪を掻き回した。
形の合わなくなった鬘と仮面は今はない。
何故だか、ただそれらが無いだけなのに非常に心が落ち着かない。
まるで、ジプシー達に見世物にされていた時のように、まわりの世界が恐ろしい!!
いや、落ち着くんだ。
ここには私しかいない。他には誰もいない。
落ち着け、落ち着け。

暖炉の近くのソファに、大して何もしていないのに石のように重たくなった体を預けた。
深いため息が自然と漏れる。
いつもと変わらないのに、ここから見える景色が全く違う。
不意に、近くの時計が目に入って私は飛び上がった。
##NAME1##との待ち合わせの時間が過ぎている!!
急いで仕度をしようと自室へ向かう途中、私は我に返った。
あぁ、私は何をしているのだ。
こんな姿では彼女になんて会えないではないか。
だが、私の日課として定着しつつある##NAME1##との時間。
失いたくは無い。
こういうときに限って、彼女の顔が見たくなる。
彼女の声を聞きたくなる。

また、くしゃくしゃと髪を掻き回した。
ここにいても何も変わらない。
もしかしたら自然に戻ることがあるかもしれないが、期待も出来ない。
ましてや、##NAME1##との約束を破るのは気が引ける。
きっと彼女は、何時間も待ち続けるだろう───そんな思いはさせたくない。

ブカブカなシャツとズボンを歩きやすい長さに調節し、ベルトをきつく絞めた。
普段なら地下通路を通るとき明かりなど必要無いのだが、今は目に見える世界が大きく違う。
歩き慣れているからといって油断は出来ない。
私は仕方無く、蝋燭で足元を照らしながら進むことを決めた。

##NAME1##が待っているであろう、5番ボックス席を目指して。

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「ほんと、不思議ねー」

改めてエリックを見回す。
14,15歳くらいだろうか。本当に子供だ。

「そ、そんなにジロジロ見られては...困る」

少し頬を赤くしながらそう言うエリック。
口調は大人だが、姿だけ見ればなんだか可愛いと思ってしまう。
そんなこと言ったら本気で怒られそうなので、秘密だ。

「だって、あなたの子供の頃って貴重じゃない?忘れないように見ておこうかと思って。で、原因は?」

「わからん」

「そんなはずないじゃない。何か理由があるはずよ」

「お前は私の話を聞いていたのか?寝て起きたらこうなっていた、それだけだ」


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