君以外に興味は無い

 
 梅雨の明けぬ湿った空気がじめじめとうっとおしく肌にまとわりつく、とある日の昼下がりのこと。
 転送門が音を立てて開く。出陣部隊の帰還だ。
 何やら騒がしい彼らの声に冷や汗が伝う。今日は、笹貫も出陣していた。そういえば予定よりも少しばかり帰還が早い。皆は、彼は、無事だろうか。
「主!」
 そこには同田貫に肩を支えられて歩く笹貫が居た。
「軽傷二振り!中傷一振り!手入れ部屋空いてるか!」
「空いてる。そのまま入って」
 怪我をした刀たちを見ることは辛くない。私の命で働かせているのだから、それは受け止めなければならないことだ。けれど今の笹貫はどこか痛々しいような、苦しんでいるような雰囲気に包まれて見えて、つい目を背けてしまった。
 軽傷の日向と五月雨には隣で待機してもらうよう言って、中傷の笹貫を優先する。怪我をしていない隊員には労いの言葉を。隊長には報告書の指示を出した。皆が去って手入れ部屋にはふたり。
 素早く始めようとすると「待って」と声がかかった。
「なに?」
「や、先にあの子たち行ってきなよ」
「中傷の方が優先だから」
「急かすねぇ」
「……痛いでしょ?早く手入れさせて」
「札貰えれば、あとはオレがやるからさ。ね?」
 手入れ用にすぐ使える札は常備してある。けれどそれは重傷複数の際手が回らないことを考慮してのもので、基本的には私が自ら手入れ部屋を稼働させていた。そのほうが力の馴染みが良くて回復後も動きやすいと初期刀に伝えられてから、出来る限り手ずから治している。皆もそれを喜んでくれていた。
 修復を拒まれる理由がわからなくて、焦れてしまう。
「いいよ」
「大丈夫だって」
「治したくないの?」
「主に手間かけさす程でもないから」
「そんなことない」
「なんともないからさ」
 訳の分からない押し問答に頭が混乱する。笹貫の様子がおかしいことはわかるのに、何をどうしていいか分からない。彼が受ける気になってくれないと修復は始まらないし、始められない。
「好きだから、私がやりたいの。大事にしたいし、見ていたいの。お願い」
 心配をどうにか伝えようと口に出したそれに彼は驚かなかった。
 静かに横たわったところを同意とみなし、手入れを開始する。霊力を込めて呪を唱えると彼ら刀剣男士の肉体の傷が徐々に癒えて、刀身は手入れ兵たちが世話をしていく。欠けたところを埋めるように、少しずつ修復される肉体を暫し見つめていると、やっと肩に入っていた力が抜けた。
「あれだけ斬られても、こうして一瞬で治ってく。便利な身体だよ、ホント」
 ぽつり呟かれた言葉に込められた意図は、今すぐに飲み込める気がしなかった。
「……日向と五月雨の手入れしてくるね」
 言い残して部屋を出る。すぐに向かうと言ったのに待たせてしまった。ぱたぱたと隣の手入れ部屋へ入ると二振りは出陣先で集めたらしい季語で句を詠んでいる。俳句はよく分からないけど楽しそうで何よりです。すぐに手入れを開始して、終了まで安静にしていてねと伝える。「頭も句会はいかがですか」と誘われたけれど、報告書を片付けてくるからまた今度見学させて、と伝えて執務室へ戻った。

「笹貫さんが槍に刺されたところへ大太刀がやってきて、日向と五月雨さんも斬られたんだ」
 そう報告する今日の部隊長は浦島だった。偵察力の高さとその明るさ気さくさで隊員を見て助けてくれるから、よく指名している。
「槍の対策をもう少し練った方が良さそうだね。刀装は問題なかった?」
「刀装は平気だった。槍対策も大切だとは思うんだけど、う〜ん……」
「どうしたの?」
「……気のせいかもしれないけど、槍から攻撃を受けたあと、笹貫さん、一瞬気を抜いてたっていうか。ぼんやりしてたって感じに見えたんだよね。それで大太刀に気づくのが遅れて……日向と五月雨さんが割って行ったような」
 戦場での隙は一瞬たりとも許されない。攻撃を受けた直後ならば尚のこと。主として見ている限り笹貫という刀は、戦闘中の気迫こそ勇烈であるが常は平静も熟慮も欠かすことはない。そんな彼が油断なんてするだろうか。それ程攻撃を受けた場所が悪かったようにも見えなかった。脇腹が貫かれていただけで急所は避けていたし、肩は借りていたものの自分の足で歩いて帰還している。
「もちろん俺もきちんと確認したわけじゃないし、本人にも聞いてないんだけど……珍しい気がして。ふたりはそこまでは分からなかったって言ってたけど」
「そっか……私の方でも気にかけてみるね。報告ありがとう」
「うん!よろしく!」
 手入れ部屋へ様子を見に戻ると、笹貫は静かに眠っているようだった。声をかけるか少し悩んで、結局何もせずに部屋を去ることにした。

 〇

「笹貫さん、寝たふり?」
「ん? 主にはバレなかったけどな」
 審神者が去った後、浦島は手入れ部屋にやってきた。
「まー、俺偵察得意だから!」
「……隠し事とか、通じなさそうだ」
「おっ? 分かってるねー」
 無邪気な笑顔を浮かべる浦島に誤魔化しもその場しのぎも効かないであろうことは察するまでもない。しかし、べらべらと話したいことでもなかった。笹貫は逡巡した後、正直に話すことを決める。今日の撤退理由に己の油断による怪我が含まれているのは明白だった。
「オレたち刀はさ、いくら怪我をして痛くたって手入れをしてもらえればすぐ治る。折れなければ、何度だって戦える。けど人はそうじゃない。オレたちにとっては軽い怪我でも、人は何十倍もの時間をかけなきゃ治らない。……忘れていたわけじゃないけど、ま、改めて思い出したってとこかな」
 浦島の脳裏に浮かぶのは先日の審神者の包帯姿だ。
「そっか」
「そ。それだけ」
「じゃー今日はそれで納得しとくよ。兄ちゃんたちと約束あるから、俺もう行くね」
 遠くで審神者たちの笑い声が聞こえる。手入れ部屋の中は笹貫ひとりに戻った。
「難儀だねぇ」
 夏の近づく空はまだ青い。もう幾度も三振りで過ごしているというのに、きっと今日もぎこちない空気が流れるのだろうなと思った。兄たちも、彼と主も、理由は違えど。肩に乗った亀吉にそう呟いて、浦島は去っていった。

 隊長の足音が聞こえなくなった頃。笹貫は先の戦闘を思い返していた。こちらの存在を認めると同時、素早く腹を貫かれたあの槍の一撃は己にとって大した驚異でもなかった。かすり傷だと思ったのだ。すぐに治せる。主に治してもらえる。
 ──けれど、主は?
 脇腹を貫かれただけで、簡単に死んでしまうかもしれない。あんな小さな包丁傷ですら何十倍の時間をかけて治すような身体の彼女と、玉鋼である己が共にあることを、誰が望むだろうか。いくら同じ見かけをしていたとて己は物で彼女は人間なのだ。途端ひとの真似事をしてみせていたことが猛烈に恐ろしくなった。
 彼女が怪我をした時、手入れで治らぬその肉体から血が流れるのを見て総身に戦慄が走るのを感じた。ただの心配だと思い込んでいたそれは恐怖で、己と彼女が〝違う〟存在であることをまざまざと感じ、動揺した。力加減を間違えて痣までつけてしまってから、やっと我に返った。
 だからこの時も、大太刀が迫っていることに気が付かなかったのだ。隙を見せた己を庇おうといち早く反応してくれた日向と五月雨にも怪我を負わせた。撤退に文句はなかったが、手入れをしようとする主を拒んでしまった。簡単に治ってゆく身体を見られるのが恥ずかしいと思ったのは初めてのことだった。
「……情けない」
 この部屋を出るにはまだ時間がかかる。横を向いて丸くなると、そのまま意識を手放した。
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