今日は遅くなりそうです、とだけ送信したのは間違いだったかもしれない。怖々覗いた通知では『そうか』『僕は寝る』のあとにポンポンを持ったキャラクタースタンプが添えられていた。則宗さんはこういう流行りの可愛らしいもの収集に余念が無い。きっと素なのだろうなと思ってしまうあたり、毒されているだろうか。それより連絡の文面を今更悩んだところで、帰って様子を見るまで先の疑問は解消されないのだ。一刻も早く帰って顔を見せるのが得策だと学んでいる。
　遅くなる日はタクシーを使えと何度か言われていた。それでも電車が動いている時間は電車を使いたい。貧乏性というか、こちらの方が落ち着くのだ。最寄り駅が変わる前はコンビニで肉まんを買うかどうか悩むのが好きだった。
　今は帰宅してからの第一声を考えている。遅くなったことを謝るのは不正解。早く会いたかったなどと甘えてみせるのも多分不正解。互いの家を行き来していた頃なら使えたけれど。明日の休日を有意義に過ごすため、できるだけ穏便に済ませたい。週末の映画番組も終わらぬ今、まさか本当に寝ているなんてことはないだろう。部屋の片付き具合で判断すれば良い。
　駅前のラーメンにもおでんの文字にも釣られないのは、もっと美味しいご飯と共に待っているであろうひとのおかげだ。
「ただいまー」
　何度帰宅しても慣れないだろうと思っていた広い我が家には二週間で慣れた。則宗さんのインテリアセンスのおかげだろうか。真っ先に奥のリビングへと向かい、様子を伺おうとする。
　けれどそこにお目当ての人はいなかった。クッションやらリモコンの位置も整えられている。キッチンも綺麗に片付いていた。あれ、と則宗さんの部屋を覗いてみても居ない。シャワーの音はしないし、出かけているわけでも無さそうだ。それなら、と自室の扉を開ける。思った通りベッドの上で布団が盛り上がっていた。
「則宗さん、ただいま」
　返事がないので顔を覗き込むとすやすや寝ている。本当に寝てしまったんだ、となんだか残念な気持ちになった。あれこれ機嫌を取る方法を考えなくても良くなったというのに。
　仕方がないから先にお風呂に入ってしまおう。今週は少し忙しそうにしていたし、疲れも溜まっていたのかもしれない。そういうことにしておこう、と誰に向けるでもない言い訳を並べた。
　湯船に浸かってゆっくりと体を温める。溜めていたドラマでも見て長湯しようかと思ったけれど、なんとなく気分じゃなくてやめた。代わりにマスコット入りのバスボールを入れる。しゅわしゅわ溶けた中から出てきたのはカゴに入れる前に則宗さんが一番可愛いと言ったものだった。起きたら教えてあげよう、と浴槽の縁に置いて眺める。
　彼が先に寝てしまう時は大抵、則宗さんの部屋のドアが少し開いている。ベッドも半分スペースが空けられているから、そこに潜り込む。今日のように私の部屋で眠っているのはかなり珍しいことだった。
　どうして、とそこまで考えてから急いでお風呂を上がる。少々念入りに髪の毛を乾かして部屋へ戻った。風邪を引きそうだと言われた後が面倒だし、実際に風邪をひいてしまった時が最も面倒だ。
　わざと音を立ててドアを開ける。彼は先程と同じように横を向いて眠ったままだった。意識して作った甘い声色で呼びかけてみてもぴくりとも動かない。絶対に面白がられている。隣へ横になってほんとに寝ちゃったんですか、と拗ねた口ぶりで話しかけるとゆっくり目が開いた。
「随分、遅かったじゃあないか」
「分かりにくいからですよ」
「それはお前さんの勘が悪いんだ」
　私が悪いというか、則宗さんの察しが良すぎるだけだとは言えなかった。のしかかる熱に口を封じられたせいで。
　伺うような可愛らしいリップ音がだんだんと唇を食むようなものに変わっていく。濡れた感触に誘われるまま薄く口を開けば、少しだけ温度の違う舌が差し入れられた。何度も味わったことのあるざらつきで上顎のあたりをくすぐられ、途端に力が抜ける。口内を蹂躙する柔らかさと粘着質な水音が混ざりあって蕩けていった。
　受け止めきれなかった唾液が口端から漏れた頃、引いていく舌を逃してしまわないよう甘く噛んで吸い上げる。そのまま彼の口へ押し入って同じように歯列をなぞるうち、あっという間に絡め取られた。口腔内の攻防もままならないのは私の力量のせいだろうか。則宗さんが主導権を渡す気がないせいだ、きっと。
　添えられた指が耳殼を辿る。淡く触れられるそれも好きだけれど、直接的な刺激は舌先だけで、それがどうにももどかしい。逞しい腕へ添えた指に力が籠った途端、喉の奥で笑うのを感じた。薄く開いた瞼の先、当然のように彼がじと私を捉えている。
「お前さん、飯は」
　じわじわと腰のあたりが重たくなる口付けの後にそれを聞くのか。正直お腹がすいているはずだったから、聞くならあと五分前にしてほしかった。
「食べていいんですか」
「だめという権利は僕にはないからなあ」
　意地悪を言わないでください、と言う前に全て顔に出ていたらしい。ふと薄氷の目が細められた。ひとのベッドを温めておいてこういうことを言う。先に仕掛けたのも、肌が触れ合うのは気持ちが良いって教え込んだのも則宗さんなのに。私ばかり欲しがってるみたいだ。
　ふわふわの金髪をかき分けて形の良い耳に口を寄せる。
「則宗さんが食べてください」