確か給湯室の棚だった。それらしき箱を取りだして、これで合っているのだろうかと眺める。未開封だけど棚の中に紛らわしいものは無かったからきっとこれだ。お気に入りのカップを出して湯を注ぐ。普段は飛ばしてしまうけれど今日はきちんと蓋を使った。一口飲むとフルーティーな香りとハーブ特有の味わいが広がる。
　彼からだと思い込めば、より美味しく感じられた。
　急激に下がった気温のせいでここ数日寝つきが悪くなった。隈が目立たないのが幸いだったけれど。仕事はいつも通りにこなしたが、執務室で一人になる休憩中がどうにも眠い。夜になると眠れないのに。うつらうつら船を漕ぎながらもなんとか耐えていたつもりだった。かた、と音がして顔を上げれば机上に報告書が一枚。今日の部隊長は鶴丸だった。眠っているところを見られたかもしれない。恥ずかしさでため息がこぼれそうになった。不備がないか確認しようとして裏側に貼られた付箋に気が付く。
『給湯室の棚にハーブティーがあるから夜眠る前に飲むと良い』
　右上がりの癖がある字は彼のものだった。気を使われた、と思うのよりも嬉しさが勝つ。単純なのだ。彼に関することならば特に。早速と今夜の楽しみにして早めに仕事を再開した。
「おや、貰ったのか」
　一人で楽しんでいたはずなのに、いつの間にか鶯丸が居る。もう少しくらい気配を出しておいて欲しい。
「飲みます？　ハーブですよ」
　どこの本丸でもそうなのだろうが、この本丸の鶯丸も例に漏れず無類の茶好きだ。給湯室の番長と言っても差し支えないと思う。外つ国の茶も好むのだろうかと勧めれば訝しげなまなざしを向けられた。何故。
「苦手でしたか」
「いや、そうだな……今日は遠慮しておく」
　薄く笑んだ鶯丸は「蹴られるのはごめんだからな」と言い置いて去っていってしまった。あの鶯丸に勧められた茶を飲まないことが有り得るとは。不思議なこともあるものだなと思ってふと振り返れば使用済の茶器が流しに放置されていた。出来ればご自身で片付けてください。まぁ、今日は機嫌が良いから構わないけど。

「お前、きみ宛てだと言っていないのか。俺の分も注ごうかと聞いてきたが」
　縁側で夜空を眺めるその男に呆れを隠さず声をかけた。冷えるだろうに、そこを動こうとしない。執務室の窓が覗くからなんだというのだ。
「飲んだのか」
「興味はあったが……あれを渡すだけに何日もかけていた姿が思い浮かんで断ったさ」
　よく眠れるような茶はないかと聞いてきたのは先月だった。教えた翌日には手に入れていたと思う。それから一週間経っても渡した気配がないので訊ねると、下手くそな誤魔化しをされる。先日近侍を拝命した際も俺と同じ緑茶ばかり飲んでいた。給湯室の棚に置いてあるのを見て渡したのかと思えば一向に減る気配がない。今日やっと給湯室で主を見かけたが一緒に飲むかと問われた。〝お裾分け〟ではなく、ただのついでという調子で。
「………………手渡す気だった……本当だ……」
　いくら待つとはいえ、贈り物ひとつ出来なくなるとは。平素の強引さは完全に消し去ったようだ。たった一度拒否されたくらいで。煽ってみても乗ってこないあたり、相当だ。
　我慢なんかせずに手に入れてしまえば良い。ちびちびと茶を飲む女の姿を思い浮かべ、ひとつ息を吐いた。


○


　前の大将の懐は優しかった。あたたかくて、落ち着く。大好きでお気に入り。居なくなったってずっと覚えてる。
　新しい大将の懐にも入ってみたかった。でも、なかなか入れなかった。前の大将にも懐入れてってお願いして断られるってことはあったけど、そういうのじゃなくて。そもそもお願いも出来なかった。控えめとか刀が苦手って感じじゃない。多分、なんとなくだけどすごく優しいんだろうなって思ってた。
　就任一周年と大将の誕生日は近くて、皆で盛大にお祝いしようって話になった。加州さんと鶴丸さんは近侍だからかよく話すみたいで、お酒は強くなさそうだとか肉より魚が好きらしいだとか色々教えてくれた。計画は順調で、当日もすごく驚いてくれた。乾杯の音頭はもう出来上がってた次郎さんがとって、それ見て大将は笑ってて。「飲んでみな！」って渡されたお酒を一息で飲んでた。大丈夫かな、と思ってたら案の定すぐに潰れてた。皆で見守ってたから緊張させちゃったかなとか、意外とお茶目な人なのかも、とも思った。
　いつからか鶴丸さんが大将をよく連れ出してくれるようになった。話してみたかったけどうまい機会はなかなかやって来なくって。大将は鶴丸さんの方ばっか見てたから、俺も仲良くなりたいなーって思ってた。
　でも、ある日演習に付いてきてくれた。今までも何回か同行してたらしいけど、そこに鶴丸さんが居ないのははじめてだった。いつもよりたくさん話せて俺はちょっとだけ気分が良かった。頑張って誉を取ったから懐に入っていいか聞いてみた。ちょっと迷ってたけどいいよって言ってくれて、すごくすごく嬉しかった。念願の懐はやっぱりあたたかくて、すぐお気に入りになった。
　襲撃に合って大将は怖かったはずなのに、俺らも本丸のことも守ってくれた。目が覚めてすぐ俺たちの心配してくれたらしい。手入れが終わってすぐ大将の所に行った。また懐に入れてもらおうと思ったら鶴丸さんにやんわり阻止された。
　その日から大将はよく話してくれるようになった。近侍もやらせてくれた。懐にもたくさん入れてくれた。鶴丸さんは遠くから見てるだけで、あんまり何も言わなかった。嘘。たまに「きみはいつも主のところにいるな」なんて言ってきた。そんなことないもんね。
　鶴丸さんが近侍の番になった後、また近侍は固定に戻るって説明があって。やっぱりそこに収まるのは鶴丸さんだった。俺もまたやりたいなって言いに行ったら、今度は堂々と邪魔された。大将の懐、お気に入りなのに！


○


　前の主は別に〝ちゃんと〟しているわけではなかった。「締め切りには間に合わせるから」で仕事放置して遊んでたし、急に野球対決させられたこともある。けれど、ここぞという時を間違えたことはなかった。
　たまには現世帰って何日か休んだらって送り出した日。一日くらいは満喫してくるかな、やっぱり夜には帰ってきちゃうかもなんて思ってた。けど結局帰ってきたのは四日目の夕方。休みなんかどうでもいいって言ってたのにすごい楽しんできてるじゃんって笑って。
　帰ってからの主はずーっと何か悩んでるみたいで心配してた。どうしたのって聞いちゃったらいけない気がした。でも、それでも力になりたかった。「プロポーズされちゃった」って笑ってて、すぐにわかった。本当にその人のこと好きなんだなって。俺は「応援する」って言えた。
　それから主はすごい早さで準備を整えていった。辞め方とか、後任とか、辞めたあとのことも。俺は少し、ほんのちょっとだけ後悔した。ひとりきりで現世なんか行かせるんじゃなかったって。もう会えなくなるくらいなら引き止めればよかったって。でも主が婚約者と会って欲しいって言うから。会っちゃった。会って、お似合いだね、素敵だねって言った。そしたらすっごい照れてた。見たことないくらい可愛い顔だった。
　新しい主が来て主は〝前の主〟になった。引き継ぎのために一ヶ月は残るって言って、その間に仕事ぜーんぶ教えて新しい主は全部吸収してて。お別れ会は済ませてたけど、本当に居なくなるんだなって実感した。
　前の主が本丸を出てく日。「清光が一番お兄さんだから、みんなのことよろしくね。あの子は私と違って溜め込んじゃうだろうから、よく見てやって。お願いします」俺は泣かなかった。主は泣いてた。
　鶴丸が気にかけてたのは知ってる。どこか線を引きたがる主を連れ回して、気付いたら仲良くなってた。懐くというか、時々少しだけ鬱陶しげだった。主は根から気立ての良い子だと思ってたからちょっと驚いたのは認める。
　正直、俺はそういう強引なやり方は分からない。主が望んでるならいくらでもやるだろうけど。俺は主のことならなんでも応援したいし、支えたいから。
　特によく執務室に来るようになったな、と思ったあたりからはまあなんとなく察して席外した。落ち着いた頃主から聞き出しちゃおって思って。
　今思うと襲撃の少し前から主は変化してた。進んで他愛もない話をしてくれるようになった。「今度一緒に買い物に行きませんか」なんて初めて言われたから、嬉しくて覚えてる。鶴丸のおかげかななんて思ってたけど。近侍制度が変わった時はそっちに転んだか、が率直な感想だった。
　そのうち戻ると思ってたけど、鶴丸は動かなかった。「順番なら嫌でも回ってくるだろうさ」とか言って。もどかしい。でも、主が望んでないことなら応援できない。そういう気持ちのまま過ごしてたから、鶴丸の番になった時はちょっと胸がざわざわした。
　けど、心配なんか本当に無駄だったみたい。
　執務室の横で隠れて見守ってるつもりが、蔵へ行ったきりふたりとも全然戻ってこなかった。姫鶴は「今度鶴丸くんには美味いもん買ってもらおっか」って言ってる。全力で乗った。