刀夢


 誰にだって得手不得手というものはある。
 体を動かすのは得意だけど勉強は苦手とか、食事は好きだけど料理はイマイチとか。刀剣男士それぞれにも個刃差はあれど、そういったものは存在する。そして当然、私のようなしがない審神者にだって苦手なものはある。当然。
 ただ、その苦手がほんの少し、ちょっぴり、人よりも程度が違うだけで……似たような人は、きっと、多分どこかには居るんじゃないかな。
「泛塵くん……恥ずかしいからそんな目で見ないで」
「……塵芥を溜めるのが趣味なのか」
 いいえ。全く。そんなことはありませんとも。

 〇

 我が本丸の近侍は週交代制の持ち回りで、基本的には皆に近侍を務めてもらうことにしている。先週は日本号で、今週は泛塵くん。朝餉前に部屋へ挨拶をしに来て、夕餉前に職務を終え部屋へ戻る。朝餉前の挨拶は私室へ寄ってくれる刀が多いため、必然的に部屋の様子を覗かれることが多い。私だって年頃の女性として不用意に恥を晒すことはしたくないから、床へ物を置き放しておくことは控えたり、細かいものは引き出しへ詰めたり、なんとなく片付いて見える風を目指して過ごしていた。
 しかし先週の近侍はお酒が大好きな日本号。朝餉前に審神者の私室へ寄るほど寝起きがさっぱりしていない。加えて締切の近い書類が多く、部屋のことまで意識が回らなかった。だからこそ、今しがた朝餉前に挨拶をしに来てくれた泛塵くんが物憂げな顔を更に歪めているのだと思う。
「あはは、私ちょっと掃除が苦手で……」
「…………」
 せめて何か言ってくれないと、心が持たない。
「明日までには片付けるから!ね!汚くてごめんね!」
「……」
 助けて、陸奥守。今すごくあなたの笑顔が恋しい。あなたが笑い飛ばしてくれる全てが凄くありがたい。後で一緒に掃除してもらおうかな……。
「……この塵が片付けよう」
「え、?」
「ひとまず朝餉の刻だ。行くぞ」
 たしかに。今日の朝餉、何だろう。

 厨番特製おいしいおいしい朝餉の後、通常通り出陣、演習、遠征、内番なんかの指示を出して、合間に書類を埋めたり、畑仕事の手伝いをしていた。黙々と近侍の任を果たしてくれる泛塵くん。おかげでとっても円滑に仕事が終わっていく。
「……他にやることは無いな」
「うん、あとはわたし一人でも大丈夫だよ。ありがとう」
「部屋の掃除をしてくる」
 そっかあ、いってらっしゃいと送り出したところではたと気が付いた。部屋って、何処の?
 思い返されるのは朝の一言だが、一応、もしかしたら、そんなことはないかと思いつつも、あとは夕餉までの間に遠征部隊の報告書を確認するだけだし、ついでに溜まっていた洗濯物くらい片付けようかなと私室へ戻ってみると。
「来たのか。今は床の掃除だけしている……踏み場がないと困るからな」
 すごく、見違えるほど綺麗になっていた。
「片付けてくれたの?! ありがとう……」
「……塵やら空の容器は全て捨てた。服はそこに積んである」
「床が広い……すごい……」
 物一つ落ちていない床やきっちりと畳まれた服を見て助かる、ありがとうを繰り返していれば嬉しかったのか、「明日は棚の掃除をしに来る」と返された。
 ただ泛塵くんの中で許容範囲を超えていて、耐えきれないから掃除をしているだけだとしても本当にありがたい。主としての威厳とかは全然どうでも良い。私だったらこんな綺麗に出来ないから。
 明日はちょっと良いお八つを献上しようと考え、もう一度泛塵くんにお礼を言った。

 〇

 それからひと月。すっかり見違えたように整理整頓された私の部屋は、近侍が終わっても定期的に掃除をしに来てくれる泛塵くんのおかげで保たれていた。
「まっはっは! そいで最近泛塵とおんしの仲がええんじゃなぁ」
 ほぅかほぅか、と猪口を傾けるのは陸奥守。私の荒れた部屋を見ても笑い飛ばすだけだったこの彼も整理整頓は得意の分野に入らない。私よりはこまめに片付けをするのだが、やはり似てしまったのだろうか。
「本当に有難い話だよ……」
「主は本当に掃除だけはできんからなぁ。もっと感謝せんと!」
 がっはっはと笑いながら肩をばんばん叩かれた。すごく酔ってらっしゃる。
 月に一度開かれる陸奥守主催の宴会は刀派や元主の縁によらぬ顔ぶれが集まる。酒、食事、交流など各々目当ては異なるがこの雑然とした雰囲気が好きで、必ず参加していた。
 今日は珍しく泛塵くんも参加していて、今は鯰尾と御手杵に絡まれている。横に居た陸奥守にそういえばと問われて、この有様です。掃除、ちょっとくらいならできるけど。きっと。
「何かお礼した方がいいよね」
「そうじゃなぁ……何か贈ってやったり、出かけたりかのぉ?」
「やっぱりそのあたりかぁ」
「主がしてくれるゆうことは大抵嬉しいもんやき」
「え〜……掃除と大千鳥以外なら何が好きなんだろ」
「そりゃあおんしじゃろ! がっはっは!」
 今日の陸奥守は相当愉快らしい。
 これ以上絡まれないようにそろそろお暇しようかな、と思った時。
「主」
「泛塵くん、珍しいね」
「……たまゆらだ」
 鯰尾から逃げてきたらしい泛塵くんが居た。
 ふたり縁側の方で飲み直すことにして、焼酎を拝借する。宴会であまり見掛けないこともあり知らなかったが、かなり呑めるクチらしい。確認して来なかったけれど鯰尾と御手杵、潰されたんだろうか。
「……あなたはいつも陸奥守と飲んでいるのか」
「そうだねぇ、だいたい隣に座るかな」
「そうか」
 このゆったり進む会話の空気にもだいぶん慣れてきた。元は私の部屋なので自分でやるべきだが、掃除を手伝うようになってよく話すようになったから。
「そういえば、何か欲しいものはある? いつも掃除してくれるから、出来るだけ叶えるよ」
「……褒美か」
「物とか、休暇とか……何かある?」
「改めて欲しいもの……」
 くぴり焼酎を呷りながら候補を考えているようだ。酒のせいか、覗く頬は髪色となじんで薄く上気している。改めて見ても、すごく、
「見すぎだ」
「あ、ごめん。つい、綺麗だと思って」
「……褒めても何も出ないが」
 美刃と酒と夜空は、どうしたって魅力的だ。
 その後も静かに悩む泛塵くんとたっぷり星たちを眺め、拝借した酒が尽きた頃。
「今すぐじゃなくても、なにか思いついたら教えてね」
 素直に頷く彼へ笑いかけ、そろそろお開きにしようと広間へ戻った。

 〇

「掃除をしに来た」
「ありがとう」
 相変わらず定期的に部屋を訪れてくれる優しい泛塵くんは、最近少しだけ掃除の頻度が増えた気がする。
 そこまで散らかした覚えはないのだが、掃除好きの彼からするとやはり散らかっているのかもしれない。自分でも少し片付けておこうかな。
「今日の夕餉生姜焼きだって。好き?」
「……それなりだ」
「私は結構好き。歌仙はロースで上品な味だけど、今日は堀川だからきっと小間切れにたまねぎ多めの甘めだよ」
「そんなに違うのか」
「光忠だと生姜たっぷりだし陸奥守は葱使って醤油強めかな」
「よく覚えているんだな」
「料理好きだからかも」
「得意……なのか」
「そこそこね。洗い物が面倒だから頻繁にはしないけど」
「……そうか」
 ふたりで部屋を片付けながら、他愛ない会話を積み重ねていく。穏やかではあるがきちんと反応が返ってくるのが心地良い。ついでに好みを覚えて何か差し入れしようかなと目論んでいるのだが、今のところめぼしいものは見つけられていない。
「今日はここまでにしておく」
「おっけ」
「また来る」
 その代わりでもないが、結構掃除のコツを掴みつつある気がしている。いつまでも片付け担当にしておくのも申し訳ないし、良い機会かもしれない。日々の仕事もこなしつつ部屋の状態を一人でも保てるように、目指してみよう。
「おんし、最近毎日一人で掃除しとるのう」
「わかる? 目覚めたかも」
「ほぉん……」
 夕餉で隣に座ってきた陸奥守に、何故か微妙な反応をされた。もう私は片付けられない側の人間じゃないからね、付け足すと、それでえいなら構わんがなぁと返された。や、なんで?

 〇

「掃除をしに来たが……既に片付いているな」
「えへへ、捗っちゃって」
 泛塵くんのおかげですっかり習慣付いた掃除は、今のところ一人でもきちんと続けられている。習慣は習慣になるまでが大変なのであって、慣れてしまえばなんてことのないものだ。寝る前に物を片付けて起きたらすぐに取り掛かるのがコツだと思う。
 最も、習慣になったのは私室だけで執務室は近侍や見かねた綺麗好きたちが手伝ってくれるのだが、そちらはおいおいということで。
「……塵が掃除する場所がない」
「今までずっと泛塵くんにお願いしてたし申し訳ないと思ってたんだ」
「塵は…………掃除がしたくて来ている」
 表情筋は微かな変化しか見せていないが、この期間で彼の機微を読み取れるようになった私からすると、多分とても動揺している。手近な掃除場が無くなっただけでそこまで困るなんて。そこまで好きだったんだ。そういえば去年の大掃除で隊長やってたっけなぁ。
 本丸内で片付け甲斐のある場所、他にはどこがあっただろうか。執務室は私がやるつもりだし……。
「じゃあ、書庫は? あっちも割と、」
「あなたが居ないと……意味が無い」
「……へ」
 真っ直ぐ瞳を見つめられて告げられたそれは唐突すぎて上手く飲み込めない。私が居ないと、って。それは。つまり?
「前に褒美をくれると言ったな」
「はい」
「……あなたと共に、過ごしていたい。この部屋を片付けるのはこの塵がやるから、今まで通りそばに居て欲しい……そういう権利が欲しい。どうだ」
「そ、れは……たまゆらというやつですか」
「ああ、そうだな。これからも頼む」
 折角覚えた私室の掃除のコツは、もしかするとこれから不要になるかもしれない。
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