ふと目が覚めると、真っ白な空間で横になっていた。簡易的な病室のようなものだろうか。ベッドの寝心地はそこそこだ。
「おはようございます。審神者さま」
「おはよう、ございます……」
　傍の椅子から声を掛けてきたのは、政府所属らしい管狐だ。首に立派な輪をかけている。
「体調は」
「へいきです」
「記憶はありますか」
　最後の記憶。それは酷い有り様だった。ぼろぼろの刀たちが私になにか話しかけているような。それでもはっきりとは思い出せない。
「演習場で、襲撃を……あの、刀たちは？　無事ですか」
「記憶に問題はないようですね。この度は大変申し訳ありませんでした。状況と今後の対応については後ほど詳しくお伝えしますが、ひとまず審神者さまと審神者さまの本丸、第一部隊の刀剣男士は無事です。これから前任者との面談をして頂き、その後診察があります。なにか質問はありますか？」
　前任者との面談、診察、今は何時とか、どうして私たちが、とか沢山聞きたいことはあるけれど。
「彼らは今どこへ」
「演習場に居た六振りは現在はこちらで手入れを行い、眠っていただいています。本丸の皆さまはそのまま待機を」
　会えないかと訊いてみて「先に審神者さまの体を治していただくことが優先です」と跳ね除けられる。せめて一目だけでもと食い下がる前に、しっぽをぴんと立てた管の狐は去っていった。政府所属の個体は皆あのくらい淡々としているのだろうか。それにしても、体がやけに軽い。この世から色を奪ったのではないかと思うほど真っ白な部屋の中で、私は未だ頭がはっきりしないままだった。



　前任者との邂逅の後に長い長い身体検査を受け、もう一晩眠っていてくださいと指示された。帰城したいと申し出てはみたものの、刀たちの手入れがまだ終わっていないと言われれば撤回するしかない。出された食事は栄養とカロリーの詰まったバー、薄味で野菜が少しだけ浮かぶスープだけだった。建物内にはほとんど窓がないからどのくらいの時間なのか分かりづらかったけれど、横になるとすんなり眠れた。睡眠も体力も満ち足りた身体が久しぶりで、今走ったら自己新記録がとれるのではないだろうかと真面目に考えてしまった。
　あの後、演習場での襲撃は計画的なものだと思われる、と説明を受けた。第一部隊と審神者を攻撃している間、手薄になったところを狙うのだと。就任して間もない本丸は標的になりやすいとも。時間遡行軍側にどうしてそんな情報が漏れているのかは教えてくれなかったけれど。
　誤算だったのは、きっと私が本丸の結界を常日頃からかなり強固にしていたことだろう。私のようなひよっこが大規模な本丸を引き継ぐことに、なんの不安もなかったわけじゃない。先輩の指名を受けて養成所を出ると決めた時、講師には万が一を想定するように言われた。もちろん、先輩本人からも念を押された。その結果霊力を消費しすぎて倒れ、彼女を呼び寄せる羽目になったわけだが。
　久しぶりに会った彼女は、やはり美しく華のある人だった。きっと急に呼び出されて後輩の不始末を丸投げされただろうに、親身になってくれた良い人、だ。非なんか見当たらない。それに、彼だって。
　だからこれは、さっさと消化するべきなのだ。
　不毛な思考をぐるぐると持て余していると、軽いノック音のあとに「主」と呼ぶ声がした。手入れが終わった刀たちが会いに来てくれたのだろうか。
「どうぞ」
　からりと開いた扉の先、そこには白に身を包む男がいた。部屋の白さと相まってなんだかぼやけて見える。
「あの子は帰ったんだな」
「鶴丸」
「薄情な子だ、一目でも久しぶりに会う気もない」
　彼女が来ていたことは言うまでもなく気がついたらしい。どうせ言伝もないだろう、と空を見て彼はこちらに視線を寄越した。
「肝が冷えたぜ」
　ふ、と息を吐く彼は満足に眠れていないのか、目の下に薄らと隈をこさえている。刀剣男士にも隈ができるのだなと呑気に思った。
「すみませんでした」
「きみは……まぁ、そうだな。構わんが……」
　素直に謝罪を述べてもなんだか不服らしい。起こったことは仕方ないと思うし、実際そう言われたけど、彼女なら真っ先に気が付くだろうか。ああ、こんなことを考えたって無駄なのに。
「今後は気をつけます」
　ぺこり頭を下げてもう一度謝ると、鶴丸はそばの椅子に腰を下ろした。まともな身支度をしていないからあまり近くで見ないで欲しい。
「もう平気か」
「……はい、おかげさまで」
「結界に霊力を使いすぎて倒れたんだってな」
　心臓が嫌な音を立てた。できる限り精一杯の平静を装って「聞いたんですね」と返す。
「ああ。こんのすけを問い詰めたさ。普段から体調が優れない様子だったとも。きみが疲れやすいのは体力がないからじゃあなく、普段から霊力をギリギリまで使っていたせいだな？　気が付かなかったぜ、全くだ」
　余計なことを話さないように釘を指しておくんだった、と今更気がついた。こんのすけが鶴丸のこの迫力の前で本当に知らん振りを貫き通せるかは別としても。
「……もう気安く話しかけたりはしないのか？」
「必要ですか」
　結果本丸に被害が及ばなかったとはいえ、私のせいで彼らを危険に晒したのだ。遡行軍を目の前に使い物にならなくなった将を守らせて戦力を削らせた。その後で、〝恋仲ごっこ〟だなんてとても続けられない。
「必要だと言われたら戻すのか」
　試されているような気分だった。静かに引き結ばれた口からは何も読み取れない。少し迷って、「きっともう、皆とは普通に話せます」と返した。
「だから鶴丸さんが私を気遣う必要はないですよ」
　蜂蜜の瞳がじっとこちらを見ている。ぴりぴりと刺さるその鋭さに怯んで逸らしてしまわないよう、内心は必死だった。
　長いような一瞬のような、ともかくはっきりとした間をもって彼はただ一言、気付いてたのか、と呟いた。
「馴染めるように……うまくやれるように、かもしれんな。短期間で何度も主が変わるというのも、俺たちにとっては身近な話だったが。言葉を交わすというのはなかなか厄介だ」
「厄介、ですか」
「離れがたくなる」
　そう言った鶴丸の顔が、なんだか、置いていかれた迷子の幼子のようで。私はそれ以上を何も聞けなかった。
　折良く手入れの終わったらしい信濃たちがやって来て、私たちはそのまま本丸へ戻れることになった。部隊の皆にはもう気後れすることもなく話すことが出来た。鶴丸に宣言した後だったから、半ばむきになっていたのもあるとは思う。
　けれど、多分、一番大きな要因は先輩に会ったことだ。彼女の口ぶりは全て過去形で、そこに余計な感情は含まれていなかった。たったそれだけ。実際に目にして、全て独り相撲だったと腹に落ちた。心を砕くべきは私だったのだ。そうすれば、鶴丸が私に〝恋仲ごっこ〟なんて持ちかけてくることもなかった。
　もしくは、別の理由があるとするなら。
　薄らと考えていた。鶴丸は前任者のことが好きだったのだろうか。もし、もしも彼女を送り出して、その後に気がついたとして。もう会えない人を思っているのはどれほど。会えなくなった理由が結婚だとしたら尚更だ。
　彼女は戻らないし、私は鶴丸にそれを聞けない。聞いてしまったらきっと耐えられない。そう思い至ってからの私は、彼を目の前にしていてもそればかり考えてしまっていた。

「あるじ～」
　不意に呼びかけられて顔を上げる。
「……すみません、気が付かなくて」
「ん。身体はもうへーきなんだっけ？」
　姫鶴がわざわざ執務室に来るのは珍しい。後で会いに行かなければと思っていたところだった。
「病室でたくさん眠ってきましたから」
「ふぅん……」
「結局、迷惑をかけてしまいましたね。無駄のつもりだったんですが」
　自虐を滲ませて伝えると「別に迷惑とかかけられたことないから」どっかり目の前に腰を下ろした。
「けれど、姫鶴さんには」
「つーかさ、その姫鶴さんってのやめない？　かあいくないし」
「……呼び名って可愛さで決めるものでしたっけ」
「ごことけんけん。かあいいっしょ」
　上杉の子の話をする時、姫鶴は少し顔が柔らかくなる気がする。大体いつも一緒にいるあたり相当気に入っているのだと思う。まだ顕現は確認されていないけれど、ごっちんとやらもかなり仲が良さそうだ。
「もっと気ぃ抜いていいよ。俺主の刀（・・・）だし」
「姫鶴は本当に良い刀、ですね」
「まぁね」
「けど……もうちゃんとみんな、私の刀ですよ」
　まっすぐに目を見て「だからありがとう」と付け足すと姫鶴は表情を変えずに頷き、懐から出したまんじゅうを置いて去っていった。生地にはうこぎが練り込まれている。八つ時には美味しいお茶を入れなければ、と口許がゆるんだ。