その日の朝は珍しく目覚めが悪くて、頭がぼんやりと重たかった。すぐに気がついた鶴丸には休んでもいいと言われたけど、気分転換に外へ出たくて他本丸との演習に着いていくことにした。
　編成は御手杵と祢々切丸、信濃と後藤に鳴狐と青江を入れた。演習場にいる間のことは鶴丸とあと一振り、姫鶴に頼んだ。姫鶴は私がこの本丸に来てからはじめて自分の力だけで起こした刀で、特に結び付きが強かったから。
「よろしくお願いしますね、姫鶴さん」
「ん。こっちは見とくしゆっくりしてきな」
「……念を押しているだけ、ですから」
　姫鶴には波長を合わせやすい、という説明が一番しっくりくる。ほとんどの審神者が始まりの一振に感じるような、無二の気持ちとでも言うのだろうか。情とか思い込みも含まれていると思う。共鳴しあっているとまではいかないにしても、漠然と、馴染みやすいように感じた。
　誰に言うつもりもなく誰にも言わないと決めていることだけれど、私は姫鶴に対して勝手に、妙なほどの信頼を置いているのだ。
　そういう刀が姫鶴で良かった、と思うのも勝手だろうか。例えば姫鶴と同派の日光一文字だったなら、私は今よりきっと神経質に過ごしていたかもしれない。彼は私の不安事を敏感に感じ取り、何かと世話を焼いてくれただろう。姫鶴より前に顕現した村雲江なら、彼の腹痛を悪化させないためにまた気を配っていたかもしれない。姫鶴は適度に放っておいてくれて、適度に面倒を見てくれる。私にとってはそのどれもが有難かった。
「主～そろそろ出るぞ～」
　のんびりした声で御手杵に呼ばれて、慌ただしく後を追った。

　演習場は本丸転送門から直接会場へ繋がっている。ドーム型のそこは野球でも出来そうなほど広く大きい。こちら側で相手を選ぶこともなく、編成した部隊の練度を自動で識別して実力が拮抗するように組み分けられている。北口から入ってベンチ付近で待機していると、向こう側から別本丸の男士がやってきた。白山、日向、静形、太郎太刀、大倶利伽羅と……鶴丸国永だった。相手も審神者同伴だったようで、少し遅れて鶴丸国永にせっつかれるように入ってきた。編成と場所や時間、天候の確認も済ませて対戦は始まり、滞りなく終了した。
　僅差で勝利を収めた彼らを労いつつ、このままもう一戦続けることにする。傍のパネルに入力するとすぐに新たな部隊が見つかり、待機を指示された。
「大将、俺頑張ったから懐入ってもいい？」
「おい信濃。大将困らせんなって」
　いつもなら苦笑いで済ませてしまうかもしれないそれに、今日は手を広げる。
「いえ、どうぞ。次のお相手が来るまでですよ」
「やった！　後藤もおいでよ」
　抱きつくように収まった信濃が後藤を手招いて、彼は恥ずかしそうに別にそういうつもりじゃ、と頬をかいた。
「ッフフ、仲良しだねぇ」青江の言葉に皆が微笑む。
「大将、嫌なら遠慮せず言っていいからな」
「ありがとう。けど、後藤くんならいつでも歓迎ですよ」
「え！　俺は？」
「もちろん、信濃くんも」
　無邪気に喜ぶ顔に癒される。こんな風に喜んで貰えるのなら、気楽に受け止めたらよかったのかもしれない。
　ふと対戦相手の方を見やると、あの審神者と鶴丸国永が並んで演習場を出ていくところだった。つい眺めてしまうのは、そのふたりの雰囲気が随分と親密に見えたからだろうか。私には関係の無いことだけれど。
　近侍は部隊に編成されずとも演習場に伴できる。今日連れて来なかったことに大きな理由は無い。畑番が刀手を必要としていたとか、小烏丸が茶の相手を探していたとか。本当に、なんでもないしなんてことはない。
「なー、対戦相手まだか？」
「いつもならすぐに来るんだけどねぇ」
　御手杵が待ち飽きたとばかりに伸びをする。組み分けはすぐに見つかったから、すぐに相手が来るはずなのに。
　何か不備があったんでしょうか、言い終わる前にぞわり鳥肌が立って、皆が身構えるのが見えた。ドォォ、と鈍い音が響く。びりびりと地面が揺れる。
「遡行軍だ……！」
　演習場の天井が破られ、黒く、大きく、禍々しい空気を纏った者たちがすぐそこに降りてきていた。モニタ越しでしか見た事のない敵に足が竦む。全身から汗が吹き出た。後藤は既に駆け出している。
「主。焦るな、我らが必ず守る」
　祢々切丸ががっしりとした手で肩を叩き、敵の元へ向かった。青江も御手杵も鳴狐も、もう後藤に加勢している。私だけ、私だけだ。
「大丈夫。俺たちがいるからね、大将」
　喉になにか張り付いたように上手く声が出せない。頭が働かなくて起こしたい行動の何にも引っかからない。しなければいけない事がきっと無数にあるのに、頭に靄がかかったようだった。
「大将こっち」腕を引かれ、壁際の小さな死角に潜り込んだ。気配を消せるような結界は張れるかと聞かれ、震える手で霊符を取り出す。念だけで上手く扱える術は持たないから、端を口に含んで息を吐いた。信濃と自分を覆うだけの膜を思い浮かべる。優しく手を握ってくれる信濃のおかげでどうにか張り切れた。
　キンと刃の交わる音が聞こえる。土を蹴る音。敵を誘う声。咆哮。先まで柔和な笑みを浮かべていた彼らが、いま正に、怨念と共に練り上げられた殺気と戦っている。現れるはずのない、と思っていたのは自分だけだったらしい。
「大将、たいしょう。俺が気をつけてるから。大将は見なくてもいいよ」
　見なくてもいい、というのは、私はこの場で何も為す術がなく、何も出来ないということで。はっと思い出したのは本丸の皆のことだった。こちらに何かが起こったのなら、向こうにも何か。霊力を、送らなくては。私に、出来ること。霊力を、彼らは、彼は、無事、か、────────