「どうしてボクを近侍にしてくれないの？」
　本丸内のとある廊下で後家兼光は審神者たる主に迫っていた。それも長船派特有の距離の近さで。
「当番じゃないからだね」
「新刃は近侍を拝命する決まりがあるって聞いたよ」
「後家くんはもう新刃ではないかな……」
　迎えてからそれなりの期間が経っているし、特も付いている。一刃前の刀剣男士である証拠だ。
「ボク、一度も近侍になった事がないんだけど」
　そこ気にしてたんだ、と審神者は思った。


　年末の連隊戦はとにかく多忙だ。年の移り変わりに合わせて何かと準備をせねばならない時期にやってくる。催物特有の熱気はどうにか乗り切れど事務作業はひたすら手を動かすしかない。大晦日と元日は意地のみで休暇を取り、酒を飲み、新年を祝い、そこから松の内が明けるまでまたひたすら手を動かさねばならなかった。
　通常は顕現後すぐ近侍を任命して人の身と業務に慣れてもらうのだが、何せ後家兼光が顕現したのは十二月も三十日の大晦日直前。上杉に長船にゆかりある彼は激務から解放された刀たちに盛大なお祝いを受け、元日明けから練度の高い縁刀に囲まれ蝶よ花よとすくすく育っていった。
　そうして気がつけば季節は巡り、特の付いた近侍未経験刀が生まれている。
「主、ボクのこと忘れてた？　悲しいな」
「……忘れてないよ」
　正直なところ睦月は記憶の飛んでいた部分もあるが、本当に忘れていたわけではない。ただ気が付けば後家の次の新刃、火車切がやって来ていたのだ。後家を顕現してからひと月。その頃には忙しさも一段落付いている。火車切を近侍に任命し、兄刀や上杉の刀とのんびり育成をした。もちろんその際は後家も共に居る。そこで審神者は思い出したのだ。
　──後家くんを近侍にするの忘れてたな。
　この時に任命しなかった理由は大したものではない。今更だとか、内番の方が楽しそうだとか、そもそも近侍の仕事は面倒だからとか、そういう程度のものである。幸いこの本丸には多くの刀が顕現しており、中には近侍を熱望するものも複数居た。
「新刃に近侍をお願いするのは本丸に慣れてもらうためで、後家くんはもう慣れてるから。良いかなって」
「良くない」
　後家はうるうると目を潤ませて拗ねてみせる。しかしこの刀剣男士、打刀の中で五指に入るのではないかというほど背が高くガタイも良い。並の男が真似をすると逆効果になるそれも彼ならば可愛らしく映ってしまう。後家の溢れんばかりの魅力に気圧されそうになりながらも、審神者は主として振舞った。
「……今月の近侍はもう決まってるから、来月かな」
　もう恒例となってしまったらしい近侍争奪戦の勝利を手に執務室の常駐が長谷部へと変わったのはつい数日前のことだ。後家も一応参加してみたものの、まだまだ先輩には到底及ばず結果は振るわなかった。
「今すぐがいいな」
「長谷部が良いって言ったらね」
　請うたところであの刀が応と言わないことは分かりきっている。すぐに近侍を任せてもらえるとまでは思っていなかったが、ひと月も待たされるとは。代わりにこれくらいは許してもらおうと審神者の目を見つめる。
「……じゃあ代わりに今日の夕餉はボクと一緒に食べてくれるよね？」
「あとで呼びに来てくれるなら」
「しょーち。絶対だからね」
　これでやっと主とまともに話せる。意気揚々去っていった後家はその日の夕餉時、意気消沈することになる。

　執務室へ審神者を呼びに行くと「いま長谷部と大事な話してるから待っててね。あんまり遅かったら先行ってて」とぴしゃり障子を閉められたのだ。仕方なくすぐ横の縁側へ腰かけて待つ。今日の献立は鰯の梅煮、いんげんの胡麻和えと玉子焼き、玉ねぎとじゃがいもの味噌汁に糠漬けと筍ご飯。ちらり覗いた厨は美味しそうな香りが漂っていた。
「お腹すいたな」
　普段夕餉の刻となれば上杉の刀たちと食堂一番乗りを争うようにしていた後家にとってこの待ち時間は予想外だった。思い返してみれば主は皆が食べ終わる頃にやってくることが多かったかもしれない。
　くるくると鳴る腹の虫を宥めながらぼんやりと庭を眺める。真冬、主に呼ばれた頃この本丸は一面雪に包まれていた。米沢の上杉も冬はとても雪深く、あの頃を懐かしく思った。都の美術館に収蔵されてからはなかなか雪を見ることが叶わずにいたから、正月は皆と雪遊びを楽しんだ。
　本丸の案内をしてもらった際「雪って邪魔だよね」と言いながら、冬に雪が無いのは落ち着かないのだと教えてくれた彼女とずっと、もっと話してみたいと思っていたのだ。畑当番、手合せ、出陣、遠征そのどれでも全く話せないわけでなかったがそれだけでは足りなかった。
　強くなれば近侍になれるだろうと出陣に精を出していた最近、ふと『新刃は近侍になる決まりがある』と耳に挟んだ。そういえば最近顕現した刀は皆、補佐は付けども一定の期間近侍になっているらしかった。姫鶴に確認するとその通りで、「おやつは美味かったけど仕事は面倒っち〜よ。日光くんが補佐の時は……」などと聞いたのが昨日。
　近侍が変わったばかりの今では望みが薄いと分かっていても、今日審神者の姿を見た時つい迫ってしまったのだ。そして約束を取り付けた。
　だんだん暗む空を見つめていると、執務室の方からひとり分の気配。
「ここに居たのか」
「あれ？終わったの」
「俺はな。主はまだかかるぞ」
「ふぅん」
　近侍の長谷部が出てきたなら、もう執務室には審神者一人のはず。「主の邪魔はするなよ」と背に届く声は有難く耳に入れて、審神者の元へ向かう。
「あーるじ」
「ごめん、もう少しかかる」
　障子を開いて呼びかけると審神者はまだ机に向かっていた。室外から「そろそろ切り上げよう」だの「ご飯なくなっちゃうよ」だの「今日は筍ご飯だから」だのと誘ってみても返ってくるのは生返事ばかり。痺れを切らして近くへ寄ってみても彼女は手を止めないしこちらを向かない。適当に腰を下ろし諦めて終わるのを待つ。筍ご飯のおかわりもついでに諦める。
「後家くん」
　あまりに手持ち無沙汰で畳の目を数えようかという時、やっとこさ彼女が手を止めた。呼ばれた名にぱっとその瞳を見つめる。
「なぁに？」
「私が許可する前に入室しないでね」
「……え」
「決まりなの。約束していたのに遅くなってしまってごめんなさい。そろそろ行こうか」
　途端、夕餉に興味が無くなった。あれだけ待った後の第一声が注意で、楽しみにしていたのは自分だけだった。近侍も隊長も未経験で、気心知れた刀に囲まれて過ごす自分にそれは身についていない。
「…………もういい」
「ん？」
「いいよ、どうせ近侍になれないし」
「……それはごめんなさい」
「決まりだから？」
「私が決めたわけじゃないけど、まぁそういうことになってるね」
「……」
「ご飯食べに行こ？　ね？」
「もうちょっとボクの相手してよ」
　今してるけどなあ、と審神者は思ったが口に出すのはやめた。仕事を終わらせた途端本格的に腹が減ってきてしまったのだ。どう答えようか考えていると、無言を否定だと受け取った後家が口を開く。
「じゃあここに持って来てもらってご飯食べようよ。主ならできるでしょ」
「そんなの急にお願いできないよ。時間も遅いんだし」
「……じゃあ食べないでここに居る」
　拗ねて膝を抱える後家に、今にも声を上げそうな審神者の腹の虫。
「ね、お腹鳴りそうだから早く行こ」
「いいよ」
「やだよ」
「なしてさ」
「恥ずかしいから」
「気にしないよ」
「私が気にするの。もう、置いてくよ？」
「行くの？」
「お腹すいたから」
「……せっかくふたりきりになれたのに」
　ぽつり飛び出た言葉は審神者の耳にも届いた。初めてまともにふたりで会話するのがこんな応酬だとは思いもしなかったのはどちらとも同じである。
「じゃあご飯食べたあとみんな集めて花札でもしよう」
　ね？　そうしよう、と覗き込む審神者の顔に大した焦りも動揺も伺えない。長船派であることを念頭に置いて過ごしているわけではないにしろ、己ばかりが調子を狂わせていては面白くないと後家は思った。
「キミとボクのふたりきりならいいよ」
　腕をとり、今度は計算でないそのままの顔で審神者を見つめる。手袋越しにはじめて触れるそれは白く華奢だった。そのまま人差し指ですいと肌をなぞってやれば、いくら数多の刀に好意を向けられ慣れた審神者でも少しくらい狼狽えるだろう。ぴくり僅かな反応を見せた彼女に、今度はどう迫ってやろうと考えるのは何のためか。
「わかった。今からふたりでご飯を食べて、その後に花札もするし、近いうちに近侍もお願いする。いい？」
「ん、しょーち。行こうか」
　勝ち取った勝利を手に食堂へ歩く。ちらり覗いた耳が薄く色づいているのを見て、後家はまたお腹が空くのだった。