刀夢


 浅ましいと思う。
 神を相手に、こんなことをしている。こんな、こんなことをさせている。
「君の好きなようにしてやろうね」
 与えられる刺激に嬌声が止まらない。己もただ快楽に抗えぬ生物であることを、否応なしに理解させられる。
「ほら、集中」
 髭切に身体を好き放題に弄られると、何も考えられなくなってしまう。目の前の、好きな男が自分だけを見ている。それだけで満たされていく。

 〇

「さっき、何を考えていたんだい?」
「え?」
「余所事かな?それなら斬ってしまおうか」
 顔はいつも通り余裕たっぷりなのに声色に多少の棘を感じる。器用な刀だ。
「髭切のことだよ」
「ふぅん」
 どうでもいいと一蹴されることが分かりきっているのにわざわざ話す気は無かったのだが、こちらをまっすぐ見据えたままの視線が厳しく刺さる。
誤魔化すと更なる面倒が起きるだろうことも分かりきっているので、正直が吉。
「あなたが私のこと好きなの、改めて考えるとちょっぴり不思議だなって」
「ありゃ、まだ伝わっていなかったかな?今からじっくり教えてあげようか」
「……もう体力残ってないからね」
「残念」
 軽くそう言うと、さっさと寝てしまおうと私ごと毛布を抱えてすぐに眠ってしまった。
 静かに眠る彼の体温に包まれながら、この腕の中で何も考えずに眠っていたいと思う。髭切を好きだと思うし、彼からも好かれている。これ以上のことは無いと、分かっているのに。
 どこか片隅にいる自分が、多数の神を相手に仕事をしておきながら特定のものに入れ込むなんて。批難するのをやめない。
 人間なら、こんなふうに思うことは無かった。

 〇

「あるじ、主。」
「え?」
「明日の編成。遠征部隊はこれで良いんだね?」
「ああ、うん。合ってるよ。大丈夫」
 じゃあ僕は夕餉の支度をしてくるよ、と言って近侍と厨番長をこなす初期刀様は去っていった。
 ここ数日ぼんやりしてしまう事が増えた、と思う。特に気に留めていないのか見守ってくれているのか、近侍の彼はなにも言わない。
 このままではいけないと思いつつ、どう折り合いをつけるべきか分からないままでいる。当人に話したところで。
「どうなるとも思えないしなあ」
「何がだい?」
「わ、え?居たの」
「今日の仕事は終わったって教えてくれたからね」
 お茶を片手に現れた髭切は、出陣帰りのはずだ。このタイミングでわざわざ執務室に来るのはかなり珍しいので、きっと先程去っていった刀の仕業だろう。初期刀様は細やかな気遣いを欠かさない。今度お礼を贈ろうと決めて、熱い茶を啜る。
「僕は明日非番かな?」
「うん。遠征も内番もないよ」
「じゃあ、後で部屋に行くね」
 今日のうちに解決出来るだろうかと思いながら頷いた。

 〇

「僕に何か言うことがあったんじゃない?」
 酒を飲みながらお気に入りの映画を見て、まったりしていた時だった。にっこりと美しく作られた笑みに、観念して正直に話すことにする。

「君は随分と面倒くさいことを考えるんだねえ。うーん、僕は気にしたことがないんだけど……」
 大抵のことはどうでもいいと公言するわりに、きちんと頭の中で言葉を組みたててから話し始めることの多い髭切は、その間少し唇を尖らせる癖がある。
 形の良い唇がきゅっと動くのが可愛らしくてついつい視線が奪われた。
「ああほら。君、今何を考えてたんだい?」
「……?髭切のこと」
「うんうん、今、僕のことを考えていたんだね」
 ふふ、と楽しげに髭切は酒を呷る。
「それが、なにか関係あるの?」
「うん?君はねえ、僕のことを考えている時がいちばん可愛らしいんだ。だから、ずっと僕のことだけを考えていれば良い。面倒なことなんか、気にしなくていい」
 年単位でそばに居て、恋仲になってからの想い出も両手両足では足りぬほどだが初耳だ。
「なにそれ〜……解決になってないよ」
「僕で頭をいっぱいにしていたらいいんじゃない?毎日近侍やってあげようか」
 それだけで頭の中を髭切で埋めてしまえる程、私は初心でもない。もっと凄いこと沢山してるし。彼なりに考えてくれたのは嬉しいが、微妙な顔を隠す気も起きない。
「じゃあもう、僕以外と顔を合わせない生活でもするかい?」
 ぼゎ、と鼓膜の揺れるような心地がした。
「君の世話を全部してあげる。仕事は全部ここで済ませてあとは離れで生活できるだろう?僕がずっとそばに居るから用があれば使えばいいし、他の誰にも会う必要がないよ。弟は押し掛けてくるだろうけど……それも僕が居るから大丈夫」
「……そんなの、」
「できるよ。飽きない」
 常に笑みを携えた普段からは考えられぬほど、真面目な顔がこちらを見つめている。突拍子もない提案だが、珍しくはっきりと言い切るところ、本気なのだろうか。
 底の知れぬ黄金の瞳が恐ろしくて、頭が鈍る。ざわり立つ鳥肌が気持ち悪い。髭切が肴のチータラを二本食べ終わった頃、私が発した言葉は皆に申し訳ないから無理だ、と一言だけだった。

「名案だと思うけどなあ」
 最後の一本を半分に分けて渡してくれる。それをもむもむと食しながら、髭切の近侍としての働きを思い返した。
「この間提出資料を紛失したのはどこの誰?」
「う〜ん?誰かなあ……」
「膝丸が管理しておいてくれなかったらあの後徹夜だったんだからね」
「うんうん、弟には今度おやつをおまけしてやらないとね」
 言いながら、徐に私の手を握る。しなやかで大きな手は確かな熱を持って、万年冷え気味の指先を温めていく。ささくれ一つない形の良い指先、すらり伸びた関節の目立たない指に薄くて硬い手のひら。いつからか世話を欠かさないようになって、爪すら隙がない。
 相変わらず整っているなと思いつつあちこち握ったり摘んだりしていると突然もうひとつの腕が伸びてきて、私の両手は髭切の両の手に包まれた。
「……僕は、いつでも構わないからね」
 言うだけ言って、「今日はもう寝てしまおうか」と布団を敷き始めた。
 髭切がこの部屋へ出入りするようになってから布団はひと周り大きいものに変えた。源氏の重宝を煎餅布団に寝かせる訳にはいかないと選んだため値段はひと周りどころでは済まなかったが、おかげで快適だ。
 灯りを落として並んで横になると当然のように腕の中へ入れられて、慣れた匂いに包まれた。すぐにとろりとした眠気がやってくる。
 前は布団に入ってもなかなか寝付けなかったのに。それでも寝具にこだわりは無いまま、粗末なものを使っていた。ああそういえば、食事も一緒にとることが増えて、携行食で済ませる頻度が減った。それに、ふたりでゆっくり過ごす時間を作るため日中の雑務もてきぱき済ませるようになった。初期刀には、よく話すようになったしよく笑うようになった、と言われた。

 髭切のおかげで変わったことを数えていたら、どうにも愛おしくなってきゅっと抱きつく。緩慢な動作で頭を撫でられるともうたまらなくて、触れたい気持ちを抑えるのがむつかしい。
 夢の世界へ肩まで浸かりかけているのを起こすのは躊躇われたが、胸元へ擦り寄る。額をうりうり押し付けていると流石に目を覚ましたらしく、「どうしたんだい」と眠たげな声が降ってきた。
「……ひげきり」
「うん?」
「好きよ、すき」
「僕もだよ」
 愛を囁かれ頭に唇を落とされて隙間もないくらい抱き寄せられれば、たったそれだけでどうしようもなく満たされる。
 今はただこのまま、この愛に溺れてしまおう。他には何もいらないから。
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