西瓜に献身
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この章についてお話の都合上夢主が審神者ではありません。
お好きな名前を入れていただけますが、本名ではなくハンドルネーム等の仮名ですと矛盾なく読めるかと思います。
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振り返らなくたって分かる。
「……どうして」
「何かあったのかな」
「どうして追いかけてくるのが国広じゃないの」
悲痛な叫びにも聞こえないそれは、ただの酷い八つ当たりだった。長義は優しいから引き止めてくれたのに。そんなこと言ったって意味が無いと分かりきっている。
「ここは冷える、部屋に戻ろう」
「いい」
「偽物くんなら来ていないよ」
長義の言葉に首を振り、菫は離れようとする。振り下ろそうとしたり、捻ろうとしたり。きつくは無いのに腕はびくともしない。
「きみは、そうやってあいつに甘え続けるのをやめた方がいい」
全身に冷水を浴びせられたようだった。下手に雪に埋もれるよりもよっぽど効果があったかもしれない。しゅんと力の抜けた菫の手を引き、長義が辿り着いた先は歌仙の部屋だった。初期刀の一人部屋は少し広くて、いつだって美しい季節の花が飾られている。掃除と整理の行き届いたそこは、菫を大人しくさせるには充分だった。
「きみなら許されるだろう、少し待っていてくれるかな」
部屋主が居ないまま押し込めて、長義は歌仙を探しに出る。厨に行けばすぐに見つかった。軽く事情を説明しただけですべて理解したとばかりに菫の元へ向かっていく。初期刀というのはどこもこうなのか、長義にはよく分からない。
菫という人間は、長義がこの本丸に配属されるより前からここに出入りしていた。皆が菫のことをよく知っていたし、己の写しによおく懐いていることもすぐに分かった。まだ幼かった頃の菫と初めて出会った時、多少興味を示されたりもしたがそれも一回きり。しかし、彼女が発したのは「新しくきた刀さん?」「マントの色すごく綺麗だね」「長義くんよろしくね」と、写しとの差を明確にはかるものでは無かったように思う。それが理由という訳では無いが、やはり主の姪という存在も、愛嬌のある童という存在も、十二分に可愛らしかった。
長義なりに写しと彼女のことを見守ってきたのだ。審神者になると聞いてまず、写しがついて行くことになるだろうと思ったくらいには。甘えるなと告げたのは、些か首を突っ込みすぎたかもしれない。長義はため息もつかず、歌仙が戻るまで厨の手伝いに立つことにした。
「……それで、きみは彼に連れてこられたというわけか」
慣れない長時間の正座で足が痺れている。菫は僅かに頷くと、その動きすらも足に伝わるのを感じた。現代人が腰を据えて真面目な話をするとき、正座はよろしくないのだろうなと思った。座布団より椅子、椅子よりソファだ。
「彼がきみに意地の悪いことを言ったのではないとわかっているね?」
また頷く。普通に返事をすればよかった。長義は優しい。菫と会話した中で、国広との確執を持ち出すようなことは一度だってなかった。
「これから山姥切国広に何を言えばいいかもわかるね」
「うん……はい」
「なら、さっさといってくることだ。彼は部屋で待たせているよ。さぁ、行った行った」
ぺしり。膝の辺りを軽く叩かれた。う、と声が出た菫を歌仙が笑う。面白がってもう一度触ろうとするので勘弁してくださいと泣き真似をしてみせた。にこにこ微笑みながらの悪戯は、足の痺れが収まるまで続いた。
送り出されて戻った先、障子は開け放たれたままだ。そろり覗き見るとやはり白い布がこたつに刺さっていた。国広はこちらを見ない。菫はごく自然に国広の横へ戻り、今度は足を崩して座った。
「ごめんね、国広」
はっきりした声に反応はない。飛び出して説教を受けてのこのこ戻ってきて、菫もなかなか恥ずかしいのに。
「審神者になるのはさ、そりゃ……多少は悩んだよ。進路決めるわけだし。けど、それ以外は悩んだことない。ずっと考えてた。国広に居てほしいなって」
小さい頃は漠然と、このまま審神者になるものだと思っていた。職場体験実習のお知らせには載っていなかった。菫は無難に教師を選んで、なんとなく生徒に慕われたような気がして終わった。それからしばらくは、審神者以外の道を探していた。十度目の夏、あの日。国広と一緒なら平気だと、ただぼんやり。長義はそれが分かっていたのだと思った。
国広が菫を見つめている。あおとみどりとが蝋燭の焔のように揺らめく瞳に、見つめられている。
「……悪かった」
ぽつり、溢れ落ちるような音だった。
「ううん。さっき長義から、国広に甘えるなって言われて気付いた。私、国広のことずっとお世話係にするつもりだったなって」
「そんなこと、」
「だから、もう一度考え直す」
国広は菫の腕を強く掴む。その熱はいつも通り。ただ、指先だけがかたかたと震えている。きゅっと結ばれた口が開いて、目蓋がうすく伏せられた。
「……俺は、あんたに選ばれなくちゃ意味が無い」
ほとんど祈りのような、か細い声が届く。尚も指先は震えていた。菫はその手に己のそれを重ねて包み込んだ。長いまつ毛が持ち上がって視線が交わる。あおとみどりが、また、ゆうらり揺れた。
「選ぶよ。国広を選ぶ。だからもう少し待ってて」
国広の震えはおさまっていた。
「……わかった」
ふ、と息を吐く。ずっと待っていた。選ばれるその日を、選ばれるかどうかも分からないまま。菫が審神者を選んだと聞いた時、誰よりも目を輝かせ、誰よりも気が晴れやかになっていたのは国広だった。
国広には今の主と菫しか居ないのに、菫には無数の可能性があった。それを確認する度、胸が締め付けられる。現世の話を聞いて、そこに登場する人がどんな関係値なのかが分からない。家族、友人、先輩、後輩、親戚。もっとたくさんの人が菫の周りには存在している。知らない誰かが菫の笑顔を思い返しているかもしれない。菫もその人を──考えて何度も打ち消した。
選びとって貰える、ただそれだけが国広の全てだ。
「主にはもう言ったのか」
「まだ。国広に話してからのつもりだったし」
「言いに行くぞ」
いそいそと立ち上がった国広を菫が掴まえる。何か忘れていたかと引き寄せられるままに体勢を崩すと、床に寝転がる菫の上に四つ這いで乗り上げる形になった。これは、まずい。逃げようにもがっつりと首を捕らえられている。己の下で微笑むその女に、意識を向けすぎないよう目を逸らす。
「国広」
囁くように呼べば、その瞳が菫を映した。頬が緩むのを感じる。じっと見つめてゆったり目蓋を下ろす。お利口なふりをして待っていると、その熱がだんだんと近づいてきた。布が畳に擦れる音、微かな吐息、期待に染まる胸。やがて、優しく触れた。あまく柔らかな余韻を残して離れていく。そっと目を開くと、国広の顔が色付いていた。頬に手を添えてもう一度をねだる。
「……止まれなくなるからやめてくれ」
しんしんと雪の降り積もる夕暮れ、ふたりの顔は真っ赤に染まって冬に溶けていった。