西瓜に献身
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この章についてお話の都合上夢主が審神者ではありません。
お好きな名前を入れていただけますが、本名ではなくハンドルネーム等の仮名ですと矛盾なく読めるかと思います。
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扉を開けると冷気が身を包んだ。ボアジャケットに顔を埋めて、さっさと目的地へ向かう。陽の出ている真昼間でも風が冷たくて仕方ない。ポケットの中ではカイロが菫の指先を温め続けている。
ふたつめの通りを右に、直進した先の突き当たり。
「あけおめ〜」
「……おめでとう。寒くないか」
今日の国広はダウンにパーカー、ビーニーとマフラーまで揃えていてもこもこにふくれていた。寒さを心配した堀川に、あれやこれやと冬装備を付け足されているところが容易に浮かぶ。頬が緩むのを感じながら寒い、と返せば空色のマフラーが菫の首に巻かれた。鼻が冷えきっているせいで、冷たく澄んだ空気の香りしか感じ取れない。右のポケットからカイロを取り出して国広の左手に捩じこんだ。
「行こ、身体冷えちゃう」
物言いたげな視線をよこされたが、それは後回しにしてしまう。今日はいつもの神社より更に離れたところへ行くのだ。三が日は過ぎても松の内が明けていない今は、やはりどの神社も人が集まりやすい。こういう時は外れの方にある鳥居を使う。仕組みはまだ分からないが人除けの細工がしてあるらしく、いつ行っても気配すら感じない。それでいて荒れ放題ということもないのだ。
途中休憩を挟みながらなんとかたどり着いて、相変わらずの人気のなさとその景観を再確認する。気付かないうち、吐く息がうっすらと白くなっていた。国広は鳥居の前で札を取り出すと、軽く跳び上がって額束のあたりにそれを貼り付けた。菫たちが通り抜けたあとは勝手に消滅するらしい。便利な時代から来たものだ。
鳥居の中だけ景色が変わるとか、通る際身体に不快な感覚があるとか、そういうことも特にない。耐性の無い者も居るのだろうが、菫にとってはただの扉と同じだった。一歩足を踏み入れて、瞬きの合間にそこは本丸の門の前だ。招かれた者は大層な音もせず簡単に開く。
中は雪化粧が施されており、早速と元気の有り余る刀たちが雪遊びに興じていた。にこやかに手を振っている。
「あけおめー! あとで混ぜて!」
皆、雪の中でも寒さを感じさせないほど軽やかに動き回っている。菫が混ざる時には上手く手加減をしてくれるはずだ。
玄関にあがるとぽんわりした温かさが身を包んで、待ち構えていたらしい則宗と孫六がぽち袋をちらつかせてきた。姿勢を正してから仰々しいまでの挨拶を施すと、満足気に笑う。
「三条やら古備前のとこにもきちんと挨拶してくるんだぞ。お前さんが来るのを今か今かと待ちかまえていたからなあ。僕たちは待てなかったが、うはは!」
「初期刀殿には秘密だぞ」
それだけ言い置いて、愉快なおじいちゃんたちは寒い寒いと部屋に戻っていく。どこから調達してるんだか、これが恒例なのだ。一度歌仙に叱られてから額は常識的な範囲に収まっている。そうでなくても菫には身内が多い。
「今年も相変わらずだね」
「……あんたが早く来ないからだな」
「待ち遠しかった?」
にひ、と笑って聞くと国広は顔色も崩さずにマフラーを剥ぎ取った。晒された首元が少しだけ冷えたような気がする。鮮やかな空色を名残惜しげに見つめて、彼の反応を待つ。
「さっさと挨拶回りしてこい」
荷物は全部運んでおいてくれるらしい。菫は元気な返事をした後に、ボアジャケットと靴を脱ぎ捨ててすたすた三条の部屋に向かった。それから古備前、源氏、一文字、長船、と順に渡っていく。本当にただ新年の挨拶だけをしに行っているのだが、何故か菫の手元には小さな袋が嵩んでゆくのだ。アルバイトも出来ない高校生には良い時間だな、と思う。多少の長話とお腹に溜まる茶菓子はご愛嬌として。
挨拶を終える頃にはすっかり日が傾き始めていた。雪遊びは明日の朝に延期だ。たくさんのぽち袋──絵柄もひとつひとつ違う──とみかんを抱えて部屋に戻ると、こたつで横になる国広が居た。電源を入れたついでにそのまま寛いでいたのだろう。いつもの布姿に変身を解いている。
「食べる?」
ふたつ目の前に置いてやって、隣に滑り込む。冷えた足先にじんわり温かさが染みてきた。国広はむくり起き上がってみかんを剥きはじめる。いくつかの房をまとめて、筋もほとんど取らない。それを口に放り込んでいる間に、ひとつだけ割合丁寧に白い部分を除く。ん、と手渡されて菫はそれを貰った。甘くてみずみずしい。
「主のところにも行ったのか」
「うん、行ってきたよ」
それだけ聞いて、国広は黙々とみかんを剥く。口に放り込んで、その間ひとつ白い部分を除いて。また口に放り込んで、白い部分を除いて。あんまり真面目な顔だから、菫はお腹がいっぱいでみかんはもう良いのだと伝えそびれた。
「国広、あのさ」
この瞳にじっと見つめられるのも慣れたものだ。今は記憶よりもいくらかあおっぽく光っている。改めて不思議な目だ、と思う。同時に、今日はずっとこの瞳に見つめられていた気がした。歩いている時、バスに乗っている時、鳥居を前にした時、本丸に来てからも。聞きたいことがあるのだ。菫が聞かなくてはいけないこと。
「……叔父さんが就任祝いくれるって。好きに選んでいいよって言われたんだけど、何でも。どうしようかなと思っててさ」
身体の中を血が巡っているのがよく分かる。血液がどくどくいいながら血管を通っていって、菫の身体の体温をあげていた。こたつに入れた足が燃えるようにあつい。天板に置いた指先を眺めているうち、中指にちいさなささくれを見つけた。さっきまではたしかに気にならなかったのに。照明のせいだろうか。
「悩んでるのか」
ひっそりとした声だった。低く響るそれが耳に心地よくて、思わず頷く。あ、と思えばつい口からどう思う?とまで飛び出した。
「あんたの祝いなんだから、あんたが決めてしまえばいいだろう」
あおい瞳が冷たく映るのは初めてのことだ。突慳貪なまでの物言いに、ひどく胸の詰まったような気がした。上手く返事も出来ない。耳の近くで未だに血管がどくどく脈を打っている。悩んでなんかない。叔父が話してくれるずっと前から決めていたことだ。言えばいいのに、口が動かせない。
「……それとも、やっぱり審神者は辞めるか?」
一瞬、上手く呑み込めなかった。
「審神者になったら普通には暮らせないし、大変だろうな。制限は多くて休みも少ないし、何をするにも主として責任が求められるし、刀たちは癖も強い。危険と隣り合わせで恋にうつつを抜かす暇もない」
滔々と話す国広に、菫は言葉を失う。
「あんたの好きなようにしたら良い」
怒っているのだ、と思った。静かな憤りを感じる。菫はぐっと拳を握りしめて、ひとつ息を吸った。それはかすかに震えている。構わずに口を開いた。
「私が、そんな半端な覚悟で決めたと思ってるの?」
それだけ言って菫は部屋を飛び出した。とにかく外に出て雪にでも埋まって頭を落ち着かせたかったのだ。障子は開け放したまま、歩く音は大きく響いている。どうしてこんなに廊下が長いのだろう。そんなことを考える余裕だけはあるのがすこしおかしくなった。
「ちょっと、」
腕をとられて立ち止まる。その掌の熱も、指の形も、全部知っていたのに、篭もる力だけが知らないものだった。彼は、菫を引き止める時こんなに優しく掴んだりしない。