西瓜に献身
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この章についてお話の都合上夢主が審神者ではありません。
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今年は長く居られると菫が言ったのは、六度目の夏だった。
「きみもすっかり、あの子の世話が板に付いてきたね」
「……そうか?」
西瓜の種を丁寧に取り除きながら国広が言う。全ての種を外してからやっと食べ始める菫を見て、国広がやっておくようになったのだ。基本的に、特に自身のことについてはものぐさなきらいのある国広が、そうして世話を焼いてやることは歌仙にとって意外でもあった。もっとも、来たばかりの菫が国広から離れなかったおかげもあるのだろうが。翌年もなんとなくそうして、その翌年も繰り返して、年にたった三日やそこらの日数でも染み付いたのだ。
「何にせよ、世話を焼いてやりたいと思える相手が居るのは良い事だ」
歌仙にとって、山姥切も菫も、本丸に居るものは丸ごとそういう対象だった。近侍から外れ、初期刀と厨番長とを兼任している今が落ち着く。いつだったか主にそう伝えた時、それはそれは酷く優しげな顔で微笑まれたのだ。あの時の主もこういう気持ちだったのか、とふと思う。
「……あいつはそういう奴だろう」
お前たちもだろ、と含まれた声色に歌仙は目を丸くした。きみのそれは、僕らと一緒にしてしまっていいものなのかな。言いかけて、咄嗟に口を噤む。
いつか、山姥切自身が答えを出すだろう。
お先に失礼するよ、と声を掛けて歌仙は審神者の元へ向かった。今日は無花果の大福を作ったのだ。西瓜が実は苦手だと言うので、夏の八つ時には色々と工夫を凝らしている。グラスに氷と注いだ緑茶がカラリカラリ鳴った。
執務室を覗くと、モニタを眺めながらぼんやりしている審神者がただ一人居るだけだった。こちらに気づいてすぐ穏やかな顔に戻る。
「今日は何かな」
「無花果さ。白餡と包んで大福にしてみたよ」
「それは楽しみだね」
ひと口食べてから、美味いなと伝えられた。上々の反応に鼻を高くしていると、審神者がまた優しく微笑む。先のことを思い出して、その顔が、なんだか面映ゆく感じられた。隠すように慌てて口を動かす。
「さっき、山姥切が菫の西瓜を準備してやっていてね。彼、最近は種をとってやってから出すんだ」
「はは、そうか。山姥切はあの子に甘いからなあ」
「……それで、世話を焼きたい相手が居るのは良いことだね、と言ったんだが」
そこまで口に出して、やめておけば良かったと思い直した。優しい顔が続きを待っている。
「いや、なに。きみも……その、こういう気持ちだったのかと思っただけさ」
審神者は二度三度ゆっくり瞬きをして、更に頬をゆるめ、うん、と頷いた。
「近侍はほとんど審神者の世話焼きで終わってしまうけど、歌仙は今のように皆のことを見てくれている方が似合うと思ってな。良い采配だろう?」
就任から続けていた近侍を代わったのは、本丸の運営が軌道に乗った頃だった。刀の数も増えてきて、一度交代制にしてみようと告げられた。順繰りに一周したあとに、審神者は宗三を選んだ。
近侍仕事は好きでも嫌いでもなくて、ただ顕現したその日から歌仙のものだった。審神者の隣で事務仕事を手伝って、戦に出て、たまに厨の手伝いをする。ここの本丸は審神者と刀の距離が近いから、近侍を通して何かを伝えるより先に、直接審神者へ報告が行く。初期刀として頼もしいと思われるようになったのは、近侍を辞めてからだったろう。
あの頃の歌仙の雅やかさは薄れてしまったし、初めて会った時の、爽やかで、どこか頼りない笑顔はもう無くなってしまった。
「きみはもう、立派な審神者になったんだねえ」
「いんや? たまには歌仙が近侍をしてくれたら嬉しいなと思っている甘ったれのままさ」
白い歯を見せて笑うので、歌仙もつられた。久しぶりに近侍を拝命してみるのも良いのかもしれない。きっとあの薄桃は「主に振り回されるのは慣れていますから」などと言いながら、兄弟で過ごす時間が増えるのを喜ぶだろう。お小夜になにか差し入れておかねば。
めぼしい菓子を頭の中で選定しつつ、初期刀は審神者と笑い合うのだった。
その夜、菫が国広を呼びに出たのは当然だった。
ひたひた歩く音が近づいてくる。足を運ぶリズムだけで、菫だとすぐに分かった。
「ひろくん、起きてる?」
襖越しに声をかけられる。起きてる、と返すと開けていいかと訊かれたので先に開けてやった。寝着のまま、少しうつむいている。
「ねむれないの」
ぽつり落ちた声はひどく沈んでいた。
「なら、眠れるまで部屋に居てやる」
昼間からいつもと様子が違って見えた。理由は、なんとなく分かっていた。月に照らされた廊下を、ふたりが静かに歩いている。
もそもそ布団に横になるので、国広は一人分空けた足の方へ腰を下ろした。あんまり眠れないようなら温めた牛乳でも飲ませてやれば良いのだろうかなどと思案する。
「ねぇ」
菫がぽふぽふ布団の端を叩く。近寄ってやると、ぐいと袖を引き寄せられた。静かに見つめられた瞳に仕方なく隣へ横になる。こちらを向き、丸くなって擦り寄ってくるのでじっと身体を固めた。指の背が甲をゆったりと撫でる。絡めとってやれば満足したようで、菫はやっと目を閉じた。部屋は暗く静寂に包まれてふたりを覆う。互いの手の熱がやけに鮮明だった。
ほとんどひとりごとのように細々とした声が耳に届く。毎日のように一緒に寝ていたこと。りんごの赤い実が見えただけでくるくる回って笑っていたこと。散歩に行きたがるくせ、帰りはほとんど抱き上げていたこと。昨年、そんな大切な友を失ったこと。
思い浮かんでしまって眠れないのだと、菫は呟いた。
ひとしきり話して疲れたのか、とろんとした声が混じるようになり、やがてすうすう寝息が聞こえた。ちらと横を向くと眉間にしわが寄って目元に雫が溜まっている。自由な手で慎重に拭ってやって、それからそのまるい頭を撫でた。ゆっくり、ゆっくりとそうしているとしわがほどけていく。
喪失感、というのを国広はほとんど味わったことがなかった。好物の唐揚げは少なくとも月に一度食べられるし、暑さも寒さも季節が巡ればやってくる。兄弟も仲間も、主のおかげで皆が元気だ。菫に本当の意味で共感することは出来なかった。ただ、いつか菫が、彼女の友がそうしたように、国広へ喪失感を教えてくれるのかもしれないと思うと、どうにも落ち着かない気持ちになる。たった数十年後のことをもどかしく感じた。
国広はひとつ息を吐いて起き上がる。部屋へ戻ろうと障子に手をかけると、菫が呼び止めた。ごく静かに動いたつもりが起こしてしまったらしい。そばに居て、としなだれかかる姿に、またゆっくりと頭を撫でるのだった。