西瓜に献身
設定
この章についてお話の都合上夢主が審神者ではありません。
お好きな名前を入れていただけますが、本名ではなくハンドルネーム等の仮名ですと矛盾なく読めるかと思います。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
踏みしめる乾いた葉が小気味よい音を立てる。厳しい残暑もとうに過ぎ去り、ブレザーの下にはカーディガンが欠かせなくなった。同年のほとんどが受験の二文字と格闘している中、菫は新人審神者向けの講習に参加する日々が続いていた。土曜日の今日は夕方までがここ最近の主な予定なのだ。
いつもは駅へ向かう道を曲がって、地図の示すとおりに歩いていく。普段通らない場所には知らない生活が存在しているようで胸がはずんだ。建物の影で茶トラが丸くなっている。晩秋の風が吹き抜けて、菫のまつ毛をふるわせた。
通りを一本奥へ進んだところにある喫茶店。渋い雰囲気の漂う店内に、その人は居た。白い髭を生やした店主に会釈をして、叔父の向かい側に腰を下ろす。
「迷わなかったかい?」
「意外とね」
叔父は微笑んで、菫にメニューをすすめた。食欲をそそるナポリタンやチーズトーストの文字列は見なかったふりをして、カフェオレを注文する。
「宗三は? 一緒じゃなかったの?」
「今は不動を連れて買い物をしているよ。いつも付き合わせてしまっているから、珍しく自由時間だ」
「なんか、嬉々として江雪たちにお土産を選んでるのが想像できる」
「不動もはしゃいでいたから、帰りは大荷物かもな」
近侍たちのようすがありありと浮かび、二人で笑い合う。運ばれてきたカフェオレはじんわりと温かくて、冷えた指先にぬくもりを分けてくれた。
最近は、もう既に菜切や千代金丸が丹前を引っ張り出しているとか、ハロウィンは包丁がお菓子を集めすぎて鳴狐のお供に諭されていたとか、そんな話を聞いた。菫の慣れ親しんだ、大好きな本丸の話だ。
「講習の方はどう? 慣れてきたかな」
「筋がいいって褒められてる。手本にしたいって声かけられたりもしたよ、叔父さんのおかげだね」
「いや、菫の……君の実力だよ」
そう呟くと叔父は、居住まいを正して菫を見つめた。つられて背筋が伸びる。
「春になったら就任祝いを贈ろうと思うんだ。何がいいかな、どんなものでも……刀でも。好きなように選んでくれて構わないよ」
「それは、私に」
「もちろん」
頷いてみて、思い浮かぶのは決まっていた。けれど、いまいち実感は湧かない。菫の理想は実現しないものだと思っていた。ぬるくなったカフェオレは口の中に風味だけを残して食道をくだってゆく。
「五歳になった君の霊力を一目見て、この仕事以外ないと思った。そういう風に……思ってしまった。姉さんにも伝えた。けど、迷ってた。菫という名を与えておきながら、君が審神者になると決めるまで迷い続けていた。だから、全部、君の実力だ」
叔父の言葉を、少女はまっすぐに聞いた。
少女には五歳の時から二つの名前があった。ひとつは両親から貰った戸籍上の名前。もうひとつは、本丸でのみ呼ばれる菫という名前。どちらも少女にとって、同じくらい馴染みのある名前だった。
「私、春が楽しみだよ。自分の本丸を持てること、嬉しいと思ってる」
戦いに参加することを躊躇わなかったわけではない。周りが送るような〝普通〟も考えた。考えて、このタイミングで審神者になることを決めた。
叔父のもとで過ごした夏を全て思い出にするような、そんな生活を選ぶことも出来たのだと思う。勧誘は受けても、それは催告にはならない。少なくとも、今の時代は。
「嬉しいって思えるのは、菫だからだし、皆のことを見てきたから。それに……多分、そうじゃなくても選んだよ。おんなじだから」
叔父は表情をゆるめて、ひとつ息を吐いた。
「力が使えるなら、その方がいい。でしょ?」
「……そうだな。うん、その通りだ」
姪と叔父の笑い合う、微笑ましい光景だった。
ふと窓の外を見てみると、既にとっぷり日が暮れている。これから冬至に向けてどんどん夜が長くなるのだ。
家まで送ると言われたが、早く近侍を迎えに行かないと大荷物どころでは済まないだろうと断った。揃ってはしゃぐと際限のない刀たちだ。それに、きっと桔梗色の彼も待っている。
「じゃあ、また年明けに」
「気をつけて」
「うん。叔父さんもね」
冷たい風に背中を押されるように、帰路を急いだ。
「いいかい、叔父さんの家では〝菫〟って名前だからね。皆もそう呼んでくれるからね」
手をつなぎながら、門の手前、長い石階段をひとつひとつ登っていく。周りの木々が風でざわざわ揺れて、青々光をうけていた。
ゆっくりゆっくり登りきって、厳かに開いた門の先。桔梗色の初期刀と、薄桃の近侍が出迎えた。
「はじめまして。きみが〝菫〟ちゃんかい?」
見上げるそのふたりはあまりに美しく映えて、菫はつい口篭る。緊張してるみたいだ、と叔父が言って、皆が微笑んだ。菫は恥ずかしくなって、叔父の大きな手をきゅっと握り直した。たくさんの刀のおにいさんがいるって聞いてたけど、こんなにきれいなひとたちなんて。
さぁどうぞ、通された本丸で、いちばん始めに声をかけてきた刀が、そうだった。
「主、戻ったのか」
「ああ、ちょうどよかった。菫、挨拶して」
「…………こんにちは」
汚れた布を被った怪しい男がやって来て、菫は驚いた。顔を上げて、さらに驚く。
「山姥切国広だ」
静かに名乗ったそのひとの、きれいな髪の毛。布で隠しているのが勿体ないくらい。
「……おにいさん、かみのけ、きらきらだ」
「な、綺麗とか……言うな」
わたわた慌てふためく男はお構いなしに、のぞく金の頭へ菫の興味は一直線だった。あまりにじぃっと見つめているものだから、宗三が問いかける。
「おや、菫ちゃん。このひとのこと気に入ったんですか?」
五歳の少女は照れながら頷く。ちょうどその頃、日曜の朝に見せてもらえるテレビでは金髪のキャラクターが活躍していた。翌々週には金髪への興味も落ち着くのだが、この時の菫にとって金髪というのは最上だったのだ。
「へぇ……なら、このお兄さんに本丸の案内をしてもらいましょうか。じゃあ、僕らは執務室で待っていますから、あとはよろしくお願いしますね。くれぐれも気をつけて」
声を上げたのは国広も叔父も同時だった。ちょっと待て、そんな急に。歌仙は特に何も言わない。それどころか、何やら考えるような素振りをみせた。
「宗三、ほら、菫は叔父さんと回りたいだろうし」
「俺には子供の相手は……」
言い開きをするふたりに歌仙と宗三は目を合わせて、にこりとほほ笑む。菫は先ほどからずっと国広の顔を見つめたままだ。
「主、貴方まだ昨日の分の報告書終わっていませんよね?」
「山姥切、案内は僕がやるつもりだったが……今から夕餉の支度ができるなら、はんばーぐだけではなく唐揚げも付けられるだろうね」
どちらとも、互いのことをよく心得えた提案だった。いつの間にか菫は叔父の手をはなれて、国広の布を掴んでいる。
先に折れたのは叔父の方だった。今ここで仕事を後回しにして万が一終わらなければ、宗三は一切の容赦なく菫との時間を削るだろう。夕餉は隣で食べると決めているのだ。山姥切が案内をしてくれているうちに終わらせると決め込んで、急いで執務室へ向かった。宗三もついて行き、歌仙もさっさと厨へ行ってしまう。
残された国広はおずおずと菫の方を向いた。
「ひろくん、つれてって?」
「……ひろくん」
困惑して呟くと、ぱちり目を丸くした菫は少し考えるような素振りを見せる。それから眉を下げて、
「くにひろくん?」
問い返した。
「ああ……いや、好きな方で……構わない」
「じゃあひろくん! おねがい」
ぱ、と差し出された小さな手を、おそるおそる繋いでみる。ごく幼い力に握り返されて、国広はゆっくりと歩き出した。
最初こそ大人しかったのだが、次々と現れる部屋と様々なひとが面白くなったようで、最後の方は駆け足で進むことになった。本丸を回っている間──いちどだけ博多藤四郎にも目を輝かせた以外──菫は国広にひっついていた。何がそう気に入ったのか、夜も一緒がいいと言ったので、叔父と菫と国広と並んで川の字になって眠った。二日続いて、菫は元気に本丸から帰っていった。
「どうでしたか、幼子のお守りは」
「……短刀の比ではないな」
「当たり前でしょう、あれはたった五年でこちらは九十九ですよ」
そういう問題だろうか。口にするだけの元気は今の国広には無い。
「あの子が居ると主もさっさと仕事を片付けてくれるので楽だったんですがねぇ」
その間に国広は延々と体力を削られていたのだが、今はもうさっさと横になってしまいたかった。主に団子でも貰えば回復するだろうか。
「……俺はひとまず寝る。次はあんたもあいつの世話を手伝ってくれ」
絶え入るような声でそう言うと、すたすた部屋のほうへ戻っていってしまった。
案外、満更でもなさそうでしたけどねぇ。ひとり残された近侍も、まだ仕事が残る執務室へ戻るのだった。もちろん、道中寄り道して兄弟刀に慰めてもらうのを忘れずに。