西瓜に献身
設定
この章についてお話の都合上夢主が審神者ではありません。
お好きな名前を入れていただけますが、本名ではなくハンドルネーム等の仮名ですと矛盾なく読めるかと思います。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
支度を終えた菫が国広を探しに行くと、ちょうど堀川による着替えが終わったところだった。夏らしい爽やかな開襟シャツに、色味を拾ったキャップ。ごくシンプルでいて、のぞくシルバーの小物ときっちりとした丈感が素材の良さを際立てている。髪の毛もキャップに合うように手を加えられていて、いつもと印象が違って見えた。
「兄弟の服、どうかな? もし気に入らなかったら別のもあるよ」
「へ……うん、かっこいいよ。さすが堀川くん」
服の感想を求められるとは思わず、取り繕って返すと堀川は満足気にほほ笑んだ。敢えて言わせるところが堀川らしいと思う。
「よかったね、兄弟!」
じゃあ兼さんの所に行かなきゃだから!と元気に宣言して、堀川は去っていった。一瞬、ふたりの間に沈黙が流れる。普段と違う装いというだけで、どことなくいい香りすら漂っているような気がしてきた。
「……もう出られるのか」
「うん、準備万端だよ」
「ならもう行くぞ」
必需品だけを詰めた鞄を持ち、本丸を出る。途中すれ違った刀たちに手を振れば、気をつけて行ってらっしゃいと声をかけられた。へにゃりと笑い返しても、ゲートをくぐってしまえばすぐそこはもう現世になっている。
繋がったのは菫の家から一番近く人気の少ない神社で、いつもこの場所から本丸へ出入りしていた。一番近いと言っても実際は徒歩で三十分の距離があるため、それを理由に国広の送迎がつくのだ。
現世はまとわりつくような酷暑で、本丸の涼しさに慣れきった菫は耐えきれずに折りたたみの日傘を取り出した。木陰になっている今でこの暑さなのに、直射日光のことを考えると恐ろしい。日焼け防止というよりは、少しでも暑さから逃れるために手に入れたばかりだった。
「暑いから国広も入って」
「……近づいたら余計に暑くないか」
そういえば国広はこういう奴だったと思い出して、菫は一瞬言葉を失った。確かに折りたたみの日傘は小さいのだが、もういい。
「じゃあ行こっか」
すたすたと先に歩いていく菫を、慌てて国広が追いかける。神社を出ていつもは右に曲がる道を菫が左へ行こうとするので、また国広は慌てた。
「おい、家は右だろう」
「六月に新しいジェラート屋さんが出来たの。せっかくだから行きたい」
「……分かった」
ほとんど会話もせず歩いて、辿り着いたそこはちょうど開店したばかりのようだった。柔らかく落ち着いた色味の店内に入ると涼しさが身を包む。先客は三組で、これならばゆっくりと味を選べそうだ。ショーケースに並ぶジェラートはどれも美しくて心が踊る。
「ね、どれにする?」
「…………チョコか……ブルーベリーだな」
「苺あるよ?」
国広はたいてい、苺味のものを真っ先に選ぶのだが見えていなかったらしく、菫が教えてやるとちいさく唸って悩み始めた。二種類ずつ頼もうかと提案すると、子犬のような顔で見つめてくるのでつい頬がゆるむ。結局国広は苺とブルーベリー、菫がチョコとピスタチオを注文した。イートインスペースで早速食べてみると、滑らかで濃厚な味が口いっぱいに広がる。思い出したように国広へジェラートを向けてやると、チョコを掬ってうまい、とこぼしていた。
「ピスタチオも食べない?」
「ぴすたちお」
「豆、かな。ナッツ」
国広は恐る恐る掬って口へ運び、ぱっと顔を輝かせている。お気に召したようで何よりだ。
「こっちもうまいぞ」
差し出されたものをひとつずつ掬って食べ、その美味しさに感動する。菫の注文したピスタチオとチョコはどちらも濃厚で豊かな香りが鼻をぬけていくが、国広の方はブルーベリーにヨーグルトの風味が混じっており、苺もまろやかな甘さを感じた。本丸へ戻る時もまた寄ってみようかと考えながらゆっくり味わっていると、だんだんと客足が増えてきた。ちらと顔を見合せていそいそ店を出る。
「おいしかったぁ」
「そうだな」
外は先程より暑く感じた。日傘をさして進もうとすると、国広が急に距離を詰めてくる。目を丸くして身体をぎゅっと固めたところで、
「俺が持つ」
手が触れた。ぴしり音が鳴った気がする。
大人しく傘を手渡して並んだ。他の味も美味そうだったなとこぼして、国広が次を提案する。またふたりの小さな約束が増えた。
交差点に差し掛かって信号が変わるのを待っているとふわ、と風に乗って爽やかな香りが鼻をくすぐった。どこか甘くて、軽やかな、そんな香り。
「国広、なんか、香水とか付けてる?」
「兄弟がな……苦手だったか」
「ううん、良い匂いだなって思ってた」
朝から感じていた香りの正体は国広だったのか、と合点し隣を見上げる。ぱちり目が合って、その近さに思わず呼吸を忘れた。あおとみどりのどちらにも光る瞳が改めて美しく見えて、つるりなめらかな肌に見惚れる。たった数瞬、だのに時が止まったかのように感じてしまった。
折り良く信号が青に変わり、ぎこちなく足を動かす。菫の家が見えてきた頃にやっと、普段の調子を取り戻した。
「送ってくれてありがとね」
「戻る時、きちんと連絡しておけよ」
はぁいと間延びした返事をして、家に辿り着いた。ちょっと待っててね、と国広に日傘を持たせて中に入る。誰も居ない今を通り抜けて冷蔵庫を開き、よく冷えた水を取りだした。そのまま戻ろうとしたがちょうど油性ペンが目に付いて、ラベルにちいさく落書きをする。ぱたぱた戻って水を手渡すと、国広が気づいた様子はなかった。気をつけてねと送り出し、小さくなる背を見送る。イタズラが成功したような、たのしい気持ちだった。
退屈な盆が過ぎて、菫は本丸に戻った。毎週火曜と金曜の審神者講習のために家で過ごせばいいと母は言ったが、できるだけ長い時間を本丸で過ごした。叔父はそれを許してくれたし、執務室への出入りも許可してくれた。
皆とはいつも通り、たくさん遊んだ。 平野と厚とは裏の山でクワガタを探した。小豆と謙信とはすいーつを作った。村正と桑名と野菜の収穫もしたし、現世に行きたがった南海を連れて肥前と出かけたりもした。
どの瞬間も、国広が隣にいた。
そうして過ごすのが当たり前だった。小さい頃からずっと、それは変わらなかった。
「あーあ、学校嫌だなぁ」
「いつからそんな不真面目になったんだか」
「ずっと真面目ちゃんだけど」
水羊羹をつつきながら口を曲げる。西瓜は一昨日食べきってしまった。本丸の暑さはうすくやわらいで、花は相変わらず美しく咲いている。早く涼しくなって欲しい、と呟いてみても現世の暑さは変わってくれないのだ。
「今年はまた来れるのか?」
「多分年明けてから。できれば泊まりたいけど、それも一泊かな」
重たい雪は雪合戦の時に痛いから、さらさらの柔らかく舞う雪が積もるようになっている。かまくらには向かないけれど、雪だるまはつくれる。
「菫」
滅多に名前なんか呼ばないくせに、と思った。近頃は蝉の声が聞こえなくなって、すごく静かだ。
「明日もアイス食べるか」
まじめな顔でそう言うものだから、ふと笑いがこぼれた。行くたびに違う味を二種類、ふたりともそうだからほとんど食べたと思う。
秋になったらまた新しい味が出ると言っていたけど、それはいつ頃なのか聞くのを忘れてしまった。多分明日も、聞くのを忘れてしまうだろう。
「また日傘持ってくれるなら」
この本丸で過ごす、最後の夏が終わった。