西瓜に献身
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暦を一枚めくれば盆を迎える夜、小さな催しとして皆で花火をすることになった。すこし早めの夕餉は広場で肉を焼きながら始まった。明日は全体休養日ということもあって皆のびのびと過ごしている。ぬるいけれど乾いた風が頬を撫でて、炭からのぼる熱気をすこしだけ冷ます。国広は当然のように菫の横で肉奉行をはじめた。どんどんと積み上がってゆく肉に菫が満腹を宣言してからは、自らの分を黙々と焼いては喰らい、相変わらず口いっぱいに肉を詰めてもむもむ咀嚼していた。もちろん、米と野菜も順当に減っている。
暗さが増した頃、ささやかな打上花火が上がった。わっと歓声が沸いて、夜空の大輪が美しく散る。ひときわ鮮やかなものが高く咲いたあと、手持ちの花火をたくさん抱えた山伏や祢々切丸たちが出てきて各々好きなように楽しんでくれと伝えた。わらわらと集まる中から国広が数種類適当に見繕って持ってきたので、ろうそくを立てて皆と火をつけて遊んだ。
最後に、と残しておいた線香花火はふたりで広場の端のほうへ寄って競うことにした。拝借したライターは使い切りのもので、菫が上手く押せないでいると国広はすっとそれを受け取ってすぐに火を点す。二本分をまとめてかざすとじじじ、と音が鳴り先端にまあるく蕾が咲いた。一本ずつ持って、並んで眺める。薄暗い夜に柔らかくともる花はいくらだって見ていたいと思う。
「綺麗だな」
「うん、本当に」
ぱちぱち弾ける松葉がだんだんと萎れて、火の玉だけが煌々と光り続けていた。落とさないよう慎重に、息を詰めて見守る。
「湯浴みを終えたら部屋に行く」
ふと横から飛んだ声にぴくり、僅かに指を動かしてしまったのがいけなかったのか、ぶら下がっていたそれは呆気なく落ちていった。
「……はい」
程なくして国広の持っていたものも火が消える。菫を動揺させた本刃は俺の勝ちだなと静かに告げ、後片付けをしに輪の中へ戻っていく。わざとらしいタイミングに文句を言う気も起きなかった。
男所帯の本丸に女用の風呂などは存在しない。叔父の私室に備えつけられたシャワー室を借り、さっさと湯浴みを済ませた。なんとなく、いつもより少しだけ、ほんの気持ち程度、丁寧に髪の毛を乾かす。保湿のためにべたべたのまま眠る顔も、今日は控えめにしておいた。
部屋へ戻ると布団を敷く位置を昨日までより左へずらし、寝転がって本を開く。菫はふだん、歴史書だとか、近頃は叔父に借りた本丸の記録なんかを読んでいるのだが、毎年今夜だけはかならず大好きなその本を読むことにしている。さつまいもとりんごが大好物だった、亜麻色のふわふわした毛の彼女を思い浮かべながら。毎日ずっと一緒にいるのに、学舎から帰る度にその小さな体いっぱいで喜びを示してくれた。菫が十を迎えた時まで、それは変わらなかった。彼女は最後まで菫の良き友人であり続けたし、今でもきっとそうだ。翌年の夏はうまく意識を手放せずにひとりの部屋と暗闇が恐ろしくなって、どうしようもなくなって国広を探しに行ったのを覚えている。
一行ずつなぞりながらそれを読んでいると障子が開いて、そのまま右側に布団が敷かれた。首だけ動かしてそちらを向くと、相変わらず寝衣に着替えても眠りにつくぎりぎりまで襤褸を纏っている。国広は枕元の行灯を点し、部屋の照明を消した。もそもそ襤褸を脱ぎ、畳んでわきに置いて横になる。晒された金の髪は相変わらず絹のように輝いて橙の灯りを受けていた。ひとの身支度ってなんとなく見ちゃうけど、寝支度も同じだとぼんやり思った。いそいそ本を閉じて仰向けに寝直す。ゆるく気をつけをしているようにぴたりと眠るのが、菫のお気に入りなのだ。
「明日早いのか」
「うん、朝ごはん食べたあと叔父さんのとこ行って、そのあとすぐのつもり」
「分かった」
「べつに一人でも、いいけど」
可愛くない声が出た。菫だけ気にして、国広は気にしないような、可愛くない声。
「送る。四日後には戻るんだろう」
「一応そのつもり」
「迎えに行くから、主に連絡しておけよ」
まただ、と菫は思う。気の抜けた声が返った。あまり間をとらないうちに別の話題を振ってみて、隣から聞こえる声はいつも通りのものだ。
眠気がやってくるまで、ぽつりぽつり言葉を交わしながら横になっていた。同じ部屋、少しだけ隙間の空いた布団、やわらかな灯りの中で過ごすその時間に、だんだんと心がほどけていってまぶたが下がる。
やがて菫からすこやかな寝息が聞こえると、国広はゆっくりとした動作で灯りを消した。壁に背を向けて転がり、夜目のきくその瞳で少女をみつめる。しじらの肌掛けは規則正しく上下してそのからだに寄り添っていた。のぞく眉間にしわは寄っていない。もう手を繋いでやらなくとも、背中に振動を送ってやらなくとも、同じ布団でなくとも、穏やかに眠れるのだと改めて確認して、しずかに息を吐いた。ぼうっと眺めていると菫が身じろいで、国広の方へ寝返りをうった。すこしだけ幼く映るその寝顔は成長しても面影を残したまま変わらずにいる。うすく開かれたあわい唇にふと目が止まって、息を呑みかけた国広はもう一度きわめてしずかに息を吐いて、仰向けに寝直した。
無心で天井の木目を眺めていたら、空が青くなり始めたのにも気が付かなかった。もうさっさと起き上がって道場にでも行きたいような気分だったが、隣ですやすやと眠っている菫のために、無理やり目を閉じて時間が過ぎるのを待った。目が覚めて隣に国広が居ないと拗ねるのだ。四日も本丸を離れるこの時にそれだけは避けねばならない。一度目だって宗三と歌仙が間に入ってくれなければ大変だったのに、二度目は考えたくもない。
国広があの時の絶望を思い出しているうち、太陽は東の空でその存在を主張する時刻になった。遠くで朝餉の当番たちが厨に向かっているのが聞こえる。今日が休養日でよかった、と思いながらおひめさまが起きるのを待つ。
じっと呼吸だけを繰り返していると、隣で大きく布摺れの音がして菫の目が覚めたのが分かった。夏の暴力的なまでに明るい太陽の光を受けた部屋にふわあと間抜けなあくびを響かせて起き上がると、右手を国広のすぐ隣について、その顔を眺めている。
「……くにひろ」
寝起きの声で舌足らずに呼びかけられて、どう反応するか考える間もなく左手が頬にのびる。掌をぺたり押し当てられて、親指が頬骨を優しく撫でた。ついに観念してぱちりと目を開けることにする。
「おきた」
ふにゃり笑いかけられる。つとめて平常心で朝の挨拶を交わすと、もう一刻も早く部屋を出たいような気持ちになった。布団を片付けてくるからまた後で、と声をかけて役に立たなかった綿の塊をおざなりに畳み、白い布を纏う。優雅に伸びをしていた菫がくい、と布の端を掴んだ。
「朝ごはん、隣あけといて」
「……ああ、分かった」
そそくさと自室に戻ると兄弟が二振りとも居た。思わず襖を閉じかけて、阻止される。さわやかに口角を上げた兄弟に挟まれたまま国広はひとまず押入に布団をしまい込む。諦めて二振りの顔を交互に見て、姿勢よく正座をした。山伏と堀川もつられて正座で向かいあう。
「兄弟、日課の朝修行は」
「今日ばかりは朝餉の後だ」
いつものようにカッカッカと笑っている。
「兄弟は、和泉守の支度は」
「やだなぁ、それくらい兼さんもできるよ」
いつも自分がやらねばとばかりに世話を焼いているのに。求められている話の内容は聞かれずとも分かる。国広はしばらく逡巡したのち、膝に添えた拳を握り直す。
「…………なにも無い」
「何も?」
「なかったの?」
仕方なく告げたそれを繰り返され、思わず布を目深に被り直した。無いものは無いのだ。そもそも、菫がきちんと眠れるように向かっているだけなのだから。
「……っもういいだろう、顔を洗ってくる」
「待て兄弟、拙僧らも行こう」
「そうだね兄弟、朝餉の卵焼きはあげるよ」
すくと立ち上がって言うと、同じく立ち上がった山伏と堀川が国広の両の肩に手を置いて返す。二振りは顔を見合わせて、兄弟のためだと頷いた。だから、朝餉と聞いて片眉を動かした国広が見えていなかったのだ。
「朝餉は、あいつと食べるから……いい」
もう一度布を目深に被り直して、国広は告げる。山伏と堀川は一瞬目を丸くして、そのあとにっこりと笑った。