西瓜に献身
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この章についてお話の都合上夢主が審神者ではありません。
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差し込む朝日がやけに眩しくて、ここが現世でないことを思い出す。のそり起き上がると、時計はまだ余裕のある数字を示していた。昨晩は、酒呑みたちが完全にできあがった頃、お前はもう寝なさいと部屋へ返されてしまった。定かではないが、今朝の広間は惨事になっているかもしれない。いま行けば面倒が待ち受けているだろうなともう一度横になるか考えて、やめておいた。いくら朝方といえど、今から布団を被って寝直すには夏の匂いが強くて眠れなさそうだ。どうせ二度寝もできぬほどしっかり目が覚めてしまったのなら、厨の手伝いでもするかとのんびり身体をほぐす。ベッドのようにスプリングの効かない布団は何度寝てもすこしだけ慣れない。身支度を整えて障子を開くと、向こう側で朝日に照らされた花が鮮やかに咲いていた。
少しだけ、とそばの突っ掛けを履いて近づく。紅紫色の花弁は大きく手を伸ばして開き、甘く香っている。しゃがみこんでしげしげ眺めていると砂を踏みしめる音が近づいてきた。振り返るとふわり揺れる桔梗色。
「おや、今日は早いね。おはよう」
「おはよう歌仙」
水をやりにきたらしい初期刀は、菫の横にしゃがんでようく花を観察し、香りを確かめると、きみがやるかい?と如雨露を手渡した。重たい水をたっぷり撒きながら問いかけてみる。
「これって朝顔? じゃないよね、なんて花?」
「ああ、これは……衝羽根朝顔といってね。普通の朝顔は一度しか咲かないんだが、こっちは年中ずっと綺麗な花を見せてくれるんだ」
「へぇ〜……聞いた事、あるような」
曖昧に返したことを歌仙は意にも介さず、色の違うものを時々植え替えているんだと呟く。
「きみが小さい頃はいくつか朝顔も植えていたけれど、覚えているかい」
「うん、多分。覚えてる。庭にあるのは朝顔って印象が強くて……けどよく見たら違うなって思って」
菫がそう言うと歌仙は柔らかく笑って、これはきみのために植えたんだよと続けた。曰く、幼き頃の菫がすぐにしぼむ花を悲しんでしまうので、形が似ていてより長く楽しめるものを、と今のものを植えたらしい。
「……全然覚えてない」
「ははっ、いいんだ。僕らが勝手にやったことだからね。けれど今のきみなら、朝顔の儚い風流さも分かってくれるかな」
「それは、もう、もちろんです」
本丸でも家でも甘やかされて育った菫に、明け方の数時間しか顔を出さない朝顔の奥ゆかしさは理解出来なかった。多少なりとも教養を身につけた今の年齢になってやっと、すんなりと受け入れられる。
「それなら良かったさ。今日はこのあと何かするのかな?」
「ううん、早く目が覚めたからなにか手伝いでもしようかと思って」
「頼もしいねえ。では先に広間の片付けでもしようか。寝こけている奴が居たら叩き起してやらなくてはね」
柔らかな笑顔でそんなことを言うものだから、やはり初期刀は頼もしいのだと菫は思う。水やりを終えると、如雨露を戻して来るから先に行ってておくれ、と歌仙は正面玄関の方へ回って行った。菫はもう一度花を眺めてから突っ掛けを元の場所へ戻して、広間に向かう。
中を覗くと想定していたよりは片付いた空間に、転がって眠っているものが数振り。
「あぁ……嬢ちゃん、早いんだな……」
ちょうど目が覚めたのか、大般若がしぱしぱ目をほそめながらこちらを見やる。菫はそばへ近づいていって、もう少しで歌仙が来るから顔を洗いに出た方が良いですよと伝えた。返事は待たず、他の刀も揺すり起こしてやる。世話焼きの堀川が途中で諦めたのであろう和泉守だけは、少し強めに揺さぶった。寝ぼけたまま手首をがしりと掴まれた痛みではたいてしまったが、二代目に見つかるよりは幾分マシだろう。初期刀というのはどこでもそうなのだろうが、その名を出すと大抵の刀が大人しく従ってくれる。皆が広間を出ていったところで、机の上を片していると歌仙がやってきた。
「おや、今日はお行儀よく部屋へ戻っていたのかな?」
「そうみたい。もう少し片付けてくれたら満点」
「きみにお願いされたら皆張り切るだろうね」
「はは、そうだといいけど」
あとは朝餉に来たものが適当にやるだろうという具合までふたりで進めて、歌仙と朝餉当番の手伝いをした。握り飯を用意しながら、自分の本丸を持ってもこうして皆で食事の支度をしたいなと頬が緩む。そのまま当番たちと食事をとり、片付けまで終わらせて、この後は何をしようかとひとつ伸びをする。
ぺたぺた歩いてまわっていると、国広に呼び止められた。片手には弁当を抱えている。昨日言っていた遠征だろう。
「もう出るの?」
「ああ。八つ時には戻る」
「わかった。気をつけてね」
「……行ってくる」
それだけ交わして、国広は毛利と共に遠征へ向かった。玄関まで見送ったあと、さて部屋にでも戻ろうかと振り返るとそこには宗三が立っている。
「主が呼んでますよ」
何を言われるやら、薄桃の後ろをついておそるおそる執務室に顔を出してみると普段通りの穏やかな顔が迎えた。安堵が顔に出ていたのか宗三が少し笑う。ぎぎぎと首を動かして見上げると、宗三は急に表情を収めて事もなさげに近侍用の席に腰を下ろす。そのまま仕事を始めるので、なんだか取り残されたような気持ちになった。
「菫、こっちへおいで」
一連をにこにこ見守っていた叔父にすすめられて、その横に座る。執務室の中ではこれまで一度だって許されなかったその位置に縮こまっていると、すぐに出陣先とその部隊編成を記した端末が渡されて首を傾げた。
「実際に出陣させるから、よく見ていてくれ」
目の前に大きく表示されているモニタには、記されたものと同じ戦場に同じ編成の刀が居る。その中には獅子王も居た。偵察をしている最中らしく、まだ交戦している様子はない。表情まで鮮明に読み取れるわけではないが、纏う雰囲気は昨日一緒にゲームをしていた時のものとも、今朝味噌汁を啜っていた時のものとも全く違っていた。
不意に愛染が斬り込み、隊員が続く。大きく、鮮やかで、それでいて無駄のない動き。身体も刀も自由自在に操って敵は一瞬のうちに塵となった。叔父はそのまま進軍の許可を出して、部隊はまた敵を斬り捨ててゆく。菫はというと、息を呑んで見守ることしかできない。ただただ、モニタに映るその光景が彼らの日常であり役目なのだと、きちんと理解する。かすり傷すら付かずに本陣を突破したあとに、そこが比較的最近ひらかれた地だと気が付いた。
「今日は菫が見てるからって皆張り切ってるね」
「ええ、全く……普段からこのくらい余裕を持ってくれたらもっと手入れの数も減るでしょうに」
笑い合う宗三と叔父の姿に恐怖こそ感じなかったが、菫はびりびりと湧くような憧憬を抱いた。幼い時分から己を本丸へ自由に出入りさせるだけの力を持ったその人に。己がこれから飛び込む世界の中心へ程近い場所に位置するこの本丸に。いつか、きっと自分も。そう思うには十分なほどに素晴らしい戦いぶりだった。
「そろそろ帰還だ、出迎えてやってくれないかな。きっと胸を躍らせて待ってるだろうから」
「うん! あ、戻ってきてもいい?」
手合わせの稽古なら何度も見ていた。けれど、はじめて間近で見たそれをもう一度見たかった。
「もちろん。一期と報告書を作ってもらうのもいいかもしれないね」
「任せて!」
菫は弾むような声で返し、審神者と近侍が微笑む。
飛び出した先、転送門は既に開きかかっていた。慌てて駆け寄って、おかえりなさいと声をかける。つい数十分前まで鋭い目つきをして任務にあたっていた彼らは、普段通りの優しい顔で出迎えを喜んでくれた。岩融には幼子にするように抱き上げられて、あわあわ降ろしてもらうと今度は前田に心配される。豊前が軽口を叩きながらくしゃりと頭を撫でてきて、皆が笑う。菫の年齢には些か不相応にも思えるそんな振る舞いが、中学の頃にはどうにも恥ずかしく思えて素直に喜べなかった。
学舎に通いはじめる前から知られているのだし、九十九を過ごした彼らにとって菫なぞ今だって赤子同然で当たり前なのに。来年からは嫌でも立派な大人としての振る舞いを求められ、気軽にここで過ごす時間が取れなくなると思えば、今は最大限甘えてしまいたい。そう思うほど、ここで過ごす時間が特別だった。
隊長の一期と連れ立って執務室へ戻り、その日はずっと、許されるまま入り浸っていた。途中、国広が遠征から戻ってきて休憩をとった以外は、叔父の仕事を間近で見守っていた。