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このまま消えてしまえたら

崖の下を眺めている。

深い、谷。
暗く、まるで地獄にでも繋がっているような、谷底。

地獄ね。
と、景時は内心で呟く。

オレにはお似合いの場所かも知れない。
だって、これまで何人も何人もずるいやり方で人を手にかけて来たんだもの。

あーあ。
もう、やりたくないなぁ。
やりたくないのに、なぁ。

その手に握るは、鎌倉の令状。
源氏の大将、源九郎義経を、暗殺せよーーー。

どうしようね。
どうしたら、やらずに済むんだろうね。

ふと足元を見れば、暗い闇が広がっている。

あと一歩。

あと一歩踏み出せば、九郎をーーー大切な仲間を、手にかけずに済む。
それどころか、もう誰も殺さなくても良くなるのだ。

………素敵、だなぁ。

「……」

半歩、前へ歩み出た。あと半歩を、どこかに残る「駄目だ」が止める。

オレ、戦奉行だし。
こんなオレを慕ってくれる部下だって、たくさんいるじゃない。
それにほら、八葉なんだよ。
望美ちゃんを守らなくちゃ。

ーーー望美ちゃん。
オレがいなくなったら、泣くだろうなぁ。あくまで、「オレという人間」がいなくなったこと、じゃなくて、「大切な仲間」がいなくなったことに対してだけど。
あ、でもさ、八葉って欠けてても大丈夫なんだっけ。
将臣くんがいなくてもやっていけているもんね。
戦奉行だって、代わりがいないわけじゃないだろうしね。

あれ? じゃあ、オレ、別にいいか……?

踏み出そう。そう、思った。
……の、だが。

「景時?」

後ろから自分の名を呼ぶ声が、それを許さなかった。
反射的に、振り返る。そこにいたのは、弁慶だった。

「もうすぐ出発なので、君を呼びに来たんですが」
「ああ、そうなんだ~。ありがとね」
「…………」

難しい顔をしてこちらを見つめる弁慶の視線に、気がつかない振りをして、景時は皆のいる方へ歩き出した。
弁慶とすれ違った途端、景時、と、もう一度呼ばれる自分の名。

「……何を、しようとしていたんですか?」

まさか、飛び降りようなどとは思っていないでしょうね。

「何って、別になーんにも。ただ、谷が深いなって眺めてただけ」

君には関係ないよ。放っておいてよ。

「……そうですか」

言葉の裏に隠された、本当の「ことば」。
分かっている。
弁慶も、景時も。
聞こえない振り。分からない振り。

弁慶が背中に投げる苦々しい視線など、景時は、「知らない」。
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