誰そ、彼
あれはもう、四年も前のことになる。
とても、よく覚えている。十三歳のとき。春のことだ。
冬に身を潜めてしまった草花たちが芽吹きはじめ、日差しにも柔らかな暖かさが感じられていた。桜はまだ、五分も咲いていなかったと思う。
「湛増」
速玉大社に参りに行った帰り。親父が向かいの方から歩いてきて、オレの名を呼んだ。雰囲気からして、ここへ参りに来た訳ではなく、オレに用があってわざわざ出向いてきたようだった。
どうせ家に帰れば会えるのに、わざわざここへ来ている。それに、声が沈んでいる。
……何かあったのだろうか。
「なに?」
「今、入ってきた情報なんだがな」
親父は一拍置いて、
「敦盛がな、亡くなったそうだ」
え?
「病を患ったそうでな……」
嘘だろ、死んだ? あいつが?
まずは、信じられなかった。質の悪い冗談ではないのかと。
でも、暗い親父の表情が、ぽんと頭に乗る親父の手のひらが、いやでも真実だってことを物語っていた。
「…………」
オレはその日は、泣かなかった。正直言って、実感が湧かなかったのだ。
敦盛にはもう、久しく会っていなかった。四年前、熊野から京へと引っ越したため、年に何回程度しか会えなくなっていたのだ。
だからこれまでと同じように、またその季節になれば帰ってくるような―――そんな気が、どこかでしてしまっていた。
それからしばらくは、何事もなかったように過ごしていた。
「友が死んだ」という情報は自分の中にもちろん存在はしていたが、それは本当に、単なる「情報」でしかなかったように思う。
しかし、いつもあいつが帰ってくる時期になると、それはとても強い「事実」として存在感を露にし始めた。
海を見ても、草花を見ても、共に過ごした時間を思い出す。
そして段々と、実感するのだ。
もう、いないんだって。
青空の砂浜に一人座って、海を眺めていた。太陽の光を反射して、きらきらと水面が光っている。
あたりを軽く見回す。誰もいない。夏であれば子供達で賑わうが、今はまだ、波の音だけが響いている。
ざあ。
浜に寄せる波が、砂を濡らしては還っていく。
何回も、何回も。
海を見つめて、思い出していた。
去年は敦盛とあの辺りを泳いだ。泳ぎ疲れると足のつくところまでまで戻って…どれだけ息を止めていられるか、競ったっけ。
オレが勝つと、あいつは悔しそうにもう一回やろうと言う。何回やってもオレが勝つから、あいつはついに拗ねて、別のことをしようって言い出したりして。
もし、今あいつとそれで競ったら。
もう、水面から顔を上げて肩で息をすることは、ないのだろう。
もう一回やろうと、勝てっこないのに言い出すことももちろんない。それどころか、会うこと自体、叶わぬ存在になったのだなあ……
「もう、いないんだ……」
そのとき、あいつが死んだと聞いてから、オレは初めて泣いた。
ぶわ、と涙が溢れてきて、手の甲で拭っても拭っても、止まらなくなった。泣き止みたいのに、次から次へと思い出が蘇ってきてしまって、だめだった。
また会おうと手を振って別れたあのとき。
嘘つきやがって。会えないじゃないか。もう、会えないじゃないか―――。
*****
それから、当たり前だけど、あいつに会うことはなかった。
四年経って、おとなになって……時が経つにつれ、あいつのことが過去になりつつあった。
なのに、なんで?
源平の戦。三草山で譲と望美が平家の公達を拾ってきたと聞いたときは、まさかと思った。
なんだか胸騒ぎがして様子を見に行ってみると。
なんと、そこにはあの特徴的な紫色の髪で、オレのよく知ってるよりも少しだけ大人びた顔の公達が、傷だらけで寝てるじゃん。
もう、笑ったよ。
へなへなと膝から崩れ落ちてさ。
しかも見ると、ちゃんと上下してんだよ、胸が。
いくら頭の回転には自信があるって言ったって、さすがに無理だ。理解が、できなかった。
死んだんじゃなかったのか?
なんでここにいるんだ?
これって本当に敦盛だよな?
それとも、あの時の訃報は、敦盛のものじゃなかったとか?
いや、そんな馬鹿なことは……。
色んな疑問が泡のように浮かんできて、頭の中はぐちゃぐちゃ。
そんで、あいつが目覚めてからも、何一つ聞けやしないんだ。
なんだか、途方もなく嫌な予感がして。今だって、昔みたいに話すけど、あの時浮かんだ疑問の何一つ、解決されてない。
でも、昔からあいつを知る友として、同じ八葉としての仲間として―――ちゃんと知りたいって、ずっと、思ってた。
だからオレは覚悟を決めたんだ。
「敦盛」
「……ヒノエか」
「あのさあ。ちょっと、聞きたいんだけど」
声をかけると、敦盛は静かに振り返った。
どきどきと、心臓が早鐘を打つ。す、と息を吸い込み、震える唇を何とか動かした。
「お前は一体―――何者なんだ?」
とても、よく覚えている。十三歳のとき。春のことだ。
冬に身を潜めてしまった草花たちが芽吹きはじめ、日差しにも柔らかな暖かさが感じられていた。桜はまだ、五分も咲いていなかったと思う。
「湛増」
速玉大社に参りに行った帰り。親父が向かいの方から歩いてきて、オレの名を呼んだ。雰囲気からして、ここへ参りに来た訳ではなく、オレに用があってわざわざ出向いてきたようだった。
どうせ家に帰れば会えるのに、わざわざここへ来ている。それに、声が沈んでいる。
……何かあったのだろうか。
「なに?」
「今、入ってきた情報なんだがな」
親父は一拍置いて、
「敦盛がな、亡くなったそうだ」
え?
「病を患ったそうでな……」
嘘だろ、死んだ? あいつが?
まずは、信じられなかった。質の悪い冗談ではないのかと。
でも、暗い親父の表情が、ぽんと頭に乗る親父の手のひらが、いやでも真実だってことを物語っていた。
「…………」
オレはその日は、泣かなかった。正直言って、実感が湧かなかったのだ。
敦盛にはもう、久しく会っていなかった。四年前、熊野から京へと引っ越したため、年に何回程度しか会えなくなっていたのだ。
だからこれまでと同じように、またその季節になれば帰ってくるような―――そんな気が、どこかでしてしまっていた。
それからしばらくは、何事もなかったように過ごしていた。
「友が死んだ」という情報は自分の中にもちろん存在はしていたが、それは本当に、単なる「情報」でしかなかったように思う。
しかし、いつもあいつが帰ってくる時期になると、それはとても強い「事実」として存在感を露にし始めた。
海を見ても、草花を見ても、共に過ごした時間を思い出す。
そして段々と、実感するのだ。
もう、いないんだって。
青空の砂浜に一人座って、海を眺めていた。太陽の光を反射して、きらきらと水面が光っている。
あたりを軽く見回す。誰もいない。夏であれば子供達で賑わうが、今はまだ、波の音だけが響いている。
ざあ。
浜に寄せる波が、砂を濡らしては還っていく。
何回も、何回も。
海を見つめて、思い出していた。
去年は敦盛とあの辺りを泳いだ。泳ぎ疲れると足のつくところまでまで戻って…どれだけ息を止めていられるか、競ったっけ。
オレが勝つと、あいつは悔しそうにもう一回やろうと言う。何回やってもオレが勝つから、あいつはついに拗ねて、別のことをしようって言い出したりして。
もし、今あいつとそれで競ったら。
もう、水面から顔を上げて肩で息をすることは、ないのだろう。
もう一回やろうと、勝てっこないのに言い出すことももちろんない。それどころか、会うこと自体、叶わぬ存在になったのだなあ……
「もう、いないんだ……」
そのとき、あいつが死んだと聞いてから、オレは初めて泣いた。
ぶわ、と涙が溢れてきて、手の甲で拭っても拭っても、止まらなくなった。泣き止みたいのに、次から次へと思い出が蘇ってきてしまって、だめだった。
また会おうと手を振って別れたあのとき。
嘘つきやがって。会えないじゃないか。もう、会えないじゃないか―――。
*****
それから、当たり前だけど、あいつに会うことはなかった。
四年経って、おとなになって……時が経つにつれ、あいつのことが過去になりつつあった。
なのに、なんで?
源平の戦。三草山で譲と望美が平家の公達を拾ってきたと聞いたときは、まさかと思った。
なんだか胸騒ぎがして様子を見に行ってみると。
なんと、そこにはあの特徴的な紫色の髪で、オレのよく知ってるよりも少しだけ大人びた顔の公達が、傷だらけで寝てるじゃん。
もう、笑ったよ。
へなへなと膝から崩れ落ちてさ。
しかも見ると、ちゃんと上下してんだよ、胸が。
いくら頭の回転には自信があるって言ったって、さすがに無理だ。理解が、できなかった。
死んだんじゃなかったのか?
なんでここにいるんだ?
これって本当に敦盛だよな?
それとも、あの時の訃報は、敦盛のものじゃなかったとか?
いや、そんな馬鹿なことは……。
色んな疑問が泡のように浮かんできて、頭の中はぐちゃぐちゃ。
そんで、あいつが目覚めてからも、何一つ聞けやしないんだ。
なんだか、途方もなく嫌な予感がして。今だって、昔みたいに話すけど、あの時浮かんだ疑問の何一つ、解決されてない。
でも、昔からあいつを知る友として、同じ八葉としての仲間として―――ちゃんと知りたいって、ずっと、思ってた。
だからオレは覚悟を決めたんだ。
「敦盛」
「……ヒノエか」
「あのさあ。ちょっと、聞きたいんだけど」
声をかけると、敦盛は静かに振り返った。
どきどきと、心臓が早鐘を打つ。す、と息を吸い込み、震える唇を何とか動かした。
「お前は一体―――何者なんだ?」
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