雪中の君
それから景時とは、何やら不思議な間柄になった。
景時が、夜になるとどうにも駄目になるようなので。弁慶の方から、毎日は無理だけれど泊まれる日は様子を見に来てもいいですかと申し出たのであった。それに対して景時は、遠慮の言葉をいくらか言って、しかし弁慶が二、三押すと、呆気なく折れた。彼自身も分かっているのだろう。今の自分には、誰かのちからが必要だということを。
夜に様子を見に来る、というのは、具体的には、景時の寝る少し前に弁慶が部屋を訪ねていって、そのまま景時の部屋で寝るということである。朝目が覚めて、景時が隣で普通に眠っていれば、弁慶はほっと胸を撫で下ろす。そんな日が、二、三日に一度の間隔でしばらく続いているのだった。
遅い時間になり、景時の部屋を訪ねるとき、弁慶はいつも緊張で心臓がどきどきするのを感じる。この間は、銃口を自分の頭へ突きつけていた景時だ。あのとき、彼の部屋の戸を開けるのが少しでも遅かったらと思うと……。
幸い、あそこまで酷かったのはあの日くらいだけれど。訪ねていくと大体、景時は涙を流しながら作業台に着き銃をいじっていた。鎌倉殿の命を果たすために、仕込む術の精度を上げたいのだという。
しかしあまりにも、つらそうだから。そんなに負担になるようなら、鎌倉殿に相談してみてはどうかと言ってみると、実はもう相談の文は鎌倉へ送ってみたのだと。返事待ちだが、恐らく鎌倉殿の意思が変わることはないから、そのときのためにやっておかねばならないからと………。
そういうわけで、弁慶は今、景時の部屋で、景時と畳を並べてーーーというよりくっつけて、もっと言えば一緒に衾を被って、床に就いている。
景時は、近くに人肌があった方が落ち着くらしい。こんな季節でなければ衾は別々に被り手だけでも握っておいてやろうかと思うのだが、いかんせん、今は寒すぎて。衾の外に手を出して寝るのは不可能なので、こんなふうになっているのである。
正直初めは、渋々とまではいかずとも仕方なくであったが、何日かすると慣れるというか、むしろこうする方が温かくて良いかも知れないなどと思えてきた。
灯りも火桶の火も、もう消した。見えるのは、高く昇った月が淡く照らす範囲のみ。今の弁慶からは、景時の横たわる畳と景時の顔までが、何とか見えている。
「……ごめんね、本当に」
掠れた声で、景時が言った。
「君にこんな迷惑掛けることになるなんて」
「気にしないでください。君に死なれる方が、僕は困ってしまいますから」
「源氏のため? ……あ、八葉か」
「ええ。白龍の神子の力を強めるために、八葉は揃っていた方がいい」
……近々源氏を離れるつもりの自分が言っていいことでない自覚はある。でも今は、そういう「てい」でいないといけないので……。
と、後ろめたい気持ちも大きいけれど。何やらそれとは違う、違和感があるというか、引っかかる感じがあるというか。何なんだろうかと、弁慶は密かに目を細めた。
「うん、そうだね」。景時が目を閉じて、口元にほんの薄い笑みを浮かべた。先ほどまで、涙を流していたのに。その表情がとても安らかに見え、弁慶は意外に思ったーーーのと同時に何故か感じる、胸が締めつけられるような感覚。
「なんていうか……助かるよ。はっきりした理由でさ」
「……?」
「大切な仲間だからとか……そういう、気持ち優位って言ったらいいのかな。ふわっとした理由じゃないから」
そう言われて、やはり理由は分からないけれど、弁慶の胸の内はざわついた。気がつくと自分の口は、言葉や声音に気を違うこともなく「僕がこうするのが、君を大切だと思っているからだと駄目なんですか」と声を発していた。すると景時が目を閉じたまま「んー、」とひとつ唸って、
「たぶんね。例の命を実行したら嫌われちゃうしさ」
「鎌倉殿の命というのは、そんな、僕に嫌われるようなことなんですか」
「うん。君に、というよりは、皆にって感じだけど……。でも、初めからそんなに情が生まれてなければ、お互い、傷つくのも最小限で済むでしょ」
「……」
景時の中で、自分はどんなに冷酷な男として映っているのだろう。そんなことを言われると、何というかーーー「寂しい」。
「僕にも、情はありますよ。長い間共に戦っている仲間相手であれば、困っているならなおさら助けたいと思う。君だって、僕や他の皆を大切だと思っているでしょう。それと同じですよ」
「……そっか。そう……だよね」
景時が眠くなってきたのか、元々小声で話していたのが、さらに声が小さくなっていく。
「君が非情なやつみたいな言い方しちゃったね。知ってるはずなのにな……君がとってもやさしい人だって。仲間を守るために、手を尽くしてきた人だって……」
「……」
ーーー何かが、
やはり違う。何かが、違う。
何も、「違う」ところなどないのに。自分は一体、何を違うと感じているのだろうと考え始め……ようとして、
いけない。
と、己の中の何かが止めた。
気づいてはならないと。思考することを、許してくれない。
会話が途切れているうちに、景時の呼吸の音がすうすうと深いものに変わった。寝息である。
時間が経つと、夢見の悪さに起きてしまうこともあるけれど。夢を見始めるまでの間は、彼も様々の苦悩から逃れられるらしい。すやすやと眠る彼の寝顔を見ていると、弁慶の胸にも安心とーーー何やらあたたかい感情が、満ちていく心持ちがする。
「……」
思わず、彼の顔の方へ手が伸びてはっとした。
どうして、手なんか伸ばしたのだろう。
ーーー彼に、触れたかったからではないのか。
どうして、彼に触れようとしたのだろう。
ーーーそれは僕が彼のことを、……、……………。
景時が、夜になるとどうにも駄目になるようなので。弁慶の方から、毎日は無理だけれど泊まれる日は様子を見に来てもいいですかと申し出たのであった。それに対して景時は、遠慮の言葉をいくらか言って、しかし弁慶が二、三押すと、呆気なく折れた。彼自身も分かっているのだろう。今の自分には、誰かのちからが必要だということを。
夜に様子を見に来る、というのは、具体的には、景時の寝る少し前に弁慶が部屋を訪ねていって、そのまま景時の部屋で寝るということである。朝目が覚めて、景時が隣で普通に眠っていれば、弁慶はほっと胸を撫で下ろす。そんな日が、二、三日に一度の間隔でしばらく続いているのだった。
遅い時間になり、景時の部屋を訪ねるとき、弁慶はいつも緊張で心臓がどきどきするのを感じる。この間は、銃口を自分の頭へ突きつけていた景時だ。あのとき、彼の部屋の戸を開けるのが少しでも遅かったらと思うと……。
幸い、あそこまで酷かったのはあの日くらいだけれど。訪ねていくと大体、景時は涙を流しながら作業台に着き銃をいじっていた。鎌倉殿の命を果たすために、仕込む術の精度を上げたいのだという。
しかしあまりにも、つらそうだから。そんなに負担になるようなら、鎌倉殿に相談してみてはどうかと言ってみると、実はもう相談の文は鎌倉へ送ってみたのだと。返事待ちだが、恐らく鎌倉殿の意思が変わることはないから、そのときのためにやっておかねばならないからと………。
そういうわけで、弁慶は今、景時の部屋で、景時と畳を並べてーーーというよりくっつけて、もっと言えば一緒に衾を被って、床に就いている。
景時は、近くに人肌があった方が落ち着くらしい。こんな季節でなければ衾は別々に被り手だけでも握っておいてやろうかと思うのだが、いかんせん、今は寒すぎて。衾の外に手を出して寝るのは不可能なので、こんなふうになっているのである。
正直初めは、渋々とまではいかずとも仕方なくであったが、何日かすると慣れるというか、むしろこうする方が温かくて良いかも知れないなどと思えてきた。
灯りも火桶の火も、もう消した。見えるのは、高く昇った月が淡く照らす範囲のみ。今の弁慶からは、景時の横たわる畳と景時の顔までが、何とか見えている。
「……ごめんね、本当に」
掠れた声で、景時が言った。
「君にこんな迷惑掛けることになるなんて」
「気にしないでください。君に死なれる方が、僕は困ってしまいますから」
「源氏のため? ……あ、八葉か」
「ええ。白龍の神子の力を強めるために、八葉は揃っていた方がいい」
……近々源氏を離れるつもりの自分が言っていいことでない自覚はある。でも今は、そういう「てい」でいないといけないので……。
と、後ろめたい気持ちも大きいけれど。何やらそれとは違う、違和感があるというか、引っかかる感じがあるというか。何なんだろうかと、弁慶は密かに目を細めた。
「うん、そうだね」。景時が目を閉じて、口元にほんの薄い笑みを浮かべた。先ほどまで、涙を流していたのに。その表情がとても安らかに見え、弁慶は意外に思ったーーーのと同時に何故か感じる、胸が締めつけられるような感覚。
「なんていうか……助かるよ。はっきりした理由でさ」
「……?」
「大切な仲間だからとか……そういう、気持ち優位って言ったらいいのかな。ふわっとした理由じゃないから」
そう言われて、やはり理由は分からないけれど、弁慶の胸の内はざわついた。気がつくと自分の口は、言葉や声音に気を違うこともなく「僕がこうするのが、君を大切だと思っているからだと駄目なんですか」と声を発していた。すると景時が目を閉じたまま「んー、」とひとつ唸って、
「たぶんね。例の命を実行したら嫌われちゃうしさ」
「鎌倉殿の命というのは、そんな、僕に嫌われるようなことなんですか」
「うん。君に、というよりは、皆にって感じだけど……。でも、初めからそんなに情が生まれてなければ、お互い、傷つくのも最小限で済むでしょ」
「……」
景時の中で、自分はどんなに冷酷な男として映っているのだろう。そんなことを言われると、何というかーーー「寂しい」。
「僕にも、情はありますよ。長い間共に戦っている仲間相手であれば、困っているならなおさら助けたいと思う。君だって、僕や他の皆を大切だと思っているでしょう。それと同じですよ」
「……そっか。そう……だよね」
景時が眠くなってきたのか、元々小声で話していたのが、さらに声が小さくなっていく。
「君が非情なやつみたいな言い方しちゃったね。知ってるはずなのにな……君がとってもやさしい人だって。仲間を守るために、手を尽くしてきた人だって……」
「……」
ーーー何かが、
やはり違う。何かが、違う。
何も、「違う」ところなどないのに。自分は一体、何を違うと感じているのだろうと考え始め……ようとして、
いけない。
と、己の中の何かが止めた。
気づいてはならないと。思考することを、許してくれない。
会話が途切れているうちに、景時の呼吸の音がすうすうと深いものに変わった。寝息である。
時間が経つと、夢見の悪さに起きてしまうこともあるけれど。夢を見始めるまでの間は、彼も様々の苦悩から逃れられるらしい。すやすやと眠る彼の寝顔を見ていると、弁慶の胸にも安心とーーー何やらあたたかい感情が、満ちていく心持ちがする。
「……」
思わず、彼の顔の方へ手が伸びてはっとした。
どうして、手なんか伸ばしたのだろう。
ーーー彼に、触れたかったからではないのか。
どうして、彼に触れようとしたのだろう。
ーーーそれは僕が彼のことを、……、……………。