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雪中の君

冷え込む季節となった。
深夜、京の梶原邸。皆が寝静まる中、ひとつだけ、灯火の灯る部屋があった。弁慶が文机に向かい、書物を読んでいるのだ。
黙々と文字に目を走らせていた弁慶だが、ちょっともう限界かと、疲れた目をぎゅっと閉じてから数回瞬きをした。
寒くて寒くて、手がかじかんでいる。近くに火桶を置き、衣を幾重にも着込んだとしても、真冬の深夜の寒さは凌ぎ切れるものではない。

「………」

うん、もう全く集中ができない。
やめだ、やめ。と、すぐそこの畳へ寝に向かおうとして、その前に部屋の戸を薄っすら開ける。本当は開けたくなどないのだが、雪の具合をちらりとでも確認しておきたかった。

す、

木と木の擦れる音を立てて、戸が開いた。瞬間雪崩れ込んでくる冷気に身震いしつつ、外の様子を伺うと。
闇の中が、黒い水玉模様で埋め尽くされているのが辛うじて見える。大粒の雪が、降りしきっているのだ。
こりゃ明日もこの邸にいることになりそうだと思いながら戸を閉めーーーようとして、はたと手が止まる。
自分でも、よく分からないのだが。闇しか見えぬはずの庭に、誰かいると思った。あちらの、松の木の下。何も見えないはずなのに、絶対に誰かがいると。

賊、だろうか。

弁慶は、密かに目を細める。黒い外套を羽織り、戸の側へ置いてある薙刀を手に取ると、なるだけ静かに、ぎりぎり通れるくらい戸を開けた。気配と足音を消しながら、廊下を移動し履き物を履く。一歩外へ踏み出すと、既に二寸ほど積もった雪が、ぐぐ……と音を立てた。ここから先は、より慎重に近づいた方が良さそうだ。

賊かも知れない気配を確認しつつ、雪の中を進む。奴はーーーまだいる。のはいいが、弁慶は色々と腑に落ちない。
奴が賊ならば、何故あそこに留まるのか。自分なら、目的を果たしたら一刻も早く邸を出たいけれど。何かを確認しているのか。……けれど、こんな大雪の中?

ある程度まで、奴に近づいた。闇の中、何となく、奴がこちらに背を向けて立っているのが分かる。奴は恐らく、弁慶が見つけてから一歩も動いていない。余りに不審だが、捕らえてから諸々を聞き出すことにしよう。

「何者!」

ざっと近づき、薙刀で行手を阻む。奴は何も言わない。それどころか、弁慶が現れたことに何の反応も示さない。
あれ、と思った。何やら肩透かしを食らったような心待ちだ。思わず、奴をよく見ると。

「景時!?」

ーーー奴は、紛うことなきこの邸の主、梶原景時であった。

「えっ、ど、どうしてこんなところに」

さすがの弁慶も、狼狽る。薙刀を下ろして声を掛けるも、景時は無反応。これでは埒があかない。もう一度名を呼びかけてもこちらに見向きもしないので、仕方なく、景時の腕を取る。瞬間、冷たいものがーーー雪が手の上へ落ちてきて驚いた。どうやら景時の肩に積もっていた雪らしい。
これだけの雪が肩に積もるということは、それなりに長い時間、外にいたということで。そしてこの様子から考えるに、ずっとここに突っ立っていたということで。

不可解すぎる。

けれど今は、ゆっくり考えている場合ではない。兎にも角にも彼を邸の中へ入れ、身体を温めてやらなければ。
手を引いても動いてくれないので、身体を抱いて引き摺るしかなくなる。こんなことしていいのかなと思わないわけはないが、そうも言っていられない。一応、「失礼します」と声を掛けて、彼を正面から抱いた。完全に冷え切った彼の身体は、氷のように思えた。

何とか部屋の前まで連れてきた。その頃にはもう、弁慶の息は切れ切れである。ただでさえ一日の疲れが押し寄せているというのに、さらに疲れることをした。
へとへとへとになりながら、彼の頭や肩に積もっている雪を落とした。あまり冷たいとは感じなかった。今、暑くてしっとり汗をかいているくらいなので。

景時を部屋へ押し込むと、彼の顔を灯火の灯りがちろちろと照らした。真っ青な頬に紫色の唇。まるで生気のない目。戦で嫌というほど目にした人間の死体が連想されて、弁慶は頭(かぶり)を振った。運良く自分が発見したからいいものの、それがなかったらと思うと。

「……はあ、はあ」

さて、どうしようか。
外よりは暖かい部屋の中へ入れたが、湿った衣を身につけていては身体が温まるはずもない。「衣を替えた方がいいと思うんですけど」と言ってみるが……無反応。だろうなと思っていたので、これまた一応、「脱がしますよ」と言って、今度は返事を待つこともなく彼の腰の帯へ手を掛けた。どうせ脱がすなら美しい女性が良かったなとか、思いながら。
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