力無きもの
ヒノエが厨へ行っている間、敦盛は思う。
この傷のことについて。ヒノエが心配する必要は、本当の本当にないのにな、と。
自分が勝手にやっているだけだ。それを他人からどうこう思われようとは、微塵も思っていない。怪我してるんだ、大丈夫? ああ大丈夫だ、あっそう、で、もう十二分。それなのにヒノエは、口にはあまり出さないがかなり気にしている様子。
まあ確かに、自分が逆の立場だったら気にするけれど。でも、敦盛はヒノエと違って怨霊だ。痛みの感覚も薄ければ、痕は残れど傷もすぐに癒えてしまう。出血多量で死ぬということもない。だから別に、いいのにな……
考えていると、幾らもしないうちに足音が聞こえてきた。濡れた布を携えて、ヒノエが厨から戻ってきたのだ。
「お待たせ」
「ありがとう」
ヒノエが、布を早速敦盛の太腿へ当てる。ひやりと冷たいのが、気持ちいいなと思った。
敦盛の痛みの感覚が薄いことを知っていながら、傷口を拭いていくヒノエの手つきは厭になるほど優しい。ヒノエの目線と同じに、綺麗になっていく自分の太腿を見つめながら、
「ヒノエ、あの」
「なに?」
「別に、そのように丁寧にやってくれる必要はない」
と言えば、
「んー……まあ、そうかも知んないけど」
そう答えたきり、あーとかうーんとか、ヒノエが次の言葉を言い淀んでしまった。何なんだと促せば、饒舌な彼には珍しく、かなり言いにくそうに、
「オレは、お前のことが好きだからさ」
「は、はあ」
「やっぱ、好きなやつのことは丁寧に扱いたくなるじゃん。痛みを感じなかろうが、死人であろうが……さ」
「……そういうものか」
「そーそ。ていうわけで、お前が望んでいなくても、オレはお前を大事にしたいわけ。自分ではなんにもできないって分かってるのに、あわよくばお前の悩みとか聞いて、慰めたりしたいわけ」
ヒノエの手は、もう傷を拭き終わって包帯を巻き始めている。巻く強さは、きついかどうかなど聞いてこないのにちょうどいい感じ。
「オレ、基本自分のことは好きなんだけどさ。そういうこと考えてるときは、おいおいって思うよ。オレが慰めたところでどうにもならない、良くて気休め。自分勝手でさぁ本当」
「……、」
「やんなるね」
暗い声でそう言ったのと、包帯が巻き終わったのと。ほぼ、同時であった。これで終わり、と言った声が、先ほどと打って変わって妙に明るくて、敦盛は割と、苦しいなと思った。
「……あの、」
「ん?」
「そのように、自分を無力だと思わないで欲しい」
「……。悪いね、気遣わせて」
「いや、そういうことではなくて。確かに君が自分で言う通り、私の問題を根本から解決することは、君にはできないのは事実だ」
「……」
「だが、この忌々しい問題を解決できなくとも……私は、君がいてくれることでかなり救われている。それもまた、事実だ」
「……本当?」
「……たぶん」
「たぶんかよ」
「いやしかし、きっと……そうなのだと思う。君が、私を思いやってくれているのは本当によく分かる。それで、私に心を砕かなくともいいのにと思っているのに、時々、ありがたくて涙さえ出そうになる……」
自分の存在には、欠陥しかないことは重々分かっている。それなのに、自身ですらもどうでもいいと思っているこんな自分を、なぜだかヒノエはいとしいいとしいと言って大事にするのだ。
ーーー正気じゃない。
悪趣味、物好き。というかそもそも、女好きのくせに、こともあろうに男の怨霊に靡くとは一体どういうことなのか。
そんなことを、彼と接しているときも接していないときも考えているけれど。
彼の「好きだよ」に「私も」と自然に返せないくせに、先ほどまでしていたようなことも拒む気は全く起きず。むしろ恐らく、もうやめようと言われたら残念に思うだろう。
腕へ抱かれたときの、名を呼ばれるときの、あの気分の良さ。あれがなくなるとなったらーーー嫌だ。
「……ふふ」
ヒノエが、短く笑った。
「え……何かおかしなことを言っただろうか」
「いいや。あんまりにも嬉しくって、つい……ね」
後、ヒノエが「手出して、左手」と言うので出してやると、その手を取って指を絡めてきた。と思ったら、今日何度目か抱き締めてきて、
「今日は朝まで一緒にいたい」
「……不自然に思われないだろうか。朝、君のいる部屋から私が出てくるのを誰かが見たら」
「別にたまには構わないだろ。オレ達が旧知の仲でトモダチだってのは皆知ってる。仲良いんだから、夜中に駄弁っててそのまま二人共寝落ちってことも、時々はあるよ」
「まあ、そうか……」
「ん。だからさ、今日はこのままもっかい、一緒に寝ようよ」
嫌ならいいけど、と言ってくるものだから、嫌ではないと答える他ない。嬉しいな、とまたひとつ呟いて、ヒノエが身体を離す。寝転ぶ間際、ふっとヒノエが息を吹き掛けると、ゆらゆらと部屋を照らしていた灯火が消えた。
畳の上へ、ヒノエが移る。敦盛も、その隣へ移る。先ほどまで一緒に被っていた衾をまた一緒に被って、寝転んだ。
「お休み」
と言いながら、握られた手を、
「お休み」
と答えながら、握り返す。
目を閉じて考えるのは、ああ、なんだかやっぱりこういうのもいいかも知れないと。隣に彼がいるというだけで、色々なつらいものが紛れる感覚がする。
ーーーたぶん、などではないな。
君がいることで、私はかなり救われているというあの話。たぶんじゃなくて、やっぱり絶対だ。
朝になったら伝えなくては。そうしたらまた、嬉しいと言ってくれるだろうか。抱き締めてくれたりも、するんだろうか。
恐らく、してくれるだろう。だって趣味とか好みとか、一晩で変わるわけはない。だからほんの少しくらいは、期待したい。悪趣味で物好きな彼が、欠陥品を愛でてくれること。
この傷のことについて。ヒノエが心配する必要は、本当の本当にないのにな、と。
自分が勝手にやっているだけだ。それを他人からどうこう思われようとは、微塵も思っていない。怪我してるんだ、大丈夫? ああ大丈夫だ、あっそう、で、もう十二分。それなのにヒノエは、口にはあまり出さないがかなり気にしている様子。
まあ確かに、自分が逆の立場だったら気にするけれど。でも、敦盛はヒノエと違って怨霊だ。痛みの感覚も薄ければ、痕は残れど傷もすぐに癒えてしまう。出血多量で死ぬということもない。だから別に、いいのにな……
考えていると、幾らもしないうちに足音が聞こえてきた。濡れた布を携えて、ヒノエが厨から戻ってきたのだ。
「お待たせ」
「ありがとう」
ヒノエが、布を早速敦盛の太腿へ当てる。ひやりと冷たいのが、気持ちいいなと思った。
敦盛の痛みの感覚が薄いことを知っていながら、傷口を拭いていくヒノエの手つきは厭になるほど優しい。ヒノエの目線と同じに、綺麗になっていく自分の太腿を見つめながら、
「ヒノエ、あの」
「なに?」
「別に、そのように丁寧にやってくれる必要はない」
と言えば、
「んー……まあ、そうかも知んないけど」
そう答えたきり、あーとかうーんとか、ヒノエが次の言葉を言い淀んでしまった。何なんだと促せば、饒舌な彼には珍しく、かなり言いにくそうに、
「オレは、お前のことが好きだからさ」
「は、はあ」
「やっぱ、好きなやつのことは丁寧に扱いたくなるじゃん。痛みを感じなかろうが、死人であろうが……さ」
「……そういうものか」
「そーそ。ていうわけで、お前が望んでいなくても、オレはお前を大事にしたいわけ。自分ではなんにもできないって分かってるのに、あわよくばお前の悩みとか聞いて、慰めたりしたいわけ」
ヒノエの手は、もう傷を拭き終わって包帯を巻き始めている。巻く強さは、きついかどうかなど聞いてこないのにちょうどいい感じ。
「オレ、基本自分のことは好きなんだけどさ。そういうこと考えてるときは、おいおいって思うよ。オレが慰めたところでどうにもならない、良くて気休め。自分勝手でさぁ本当」
「……、」
「やんなるね」
暗い声でそう言ったのと、包帯が巻き終わったのと。ほぼ、同時であった。これで終わり、と言った声が、先ほどと打って変わって妙に明るくて、敦盛は割と、苦しいなと思った。
「……あの、」
「ん?」
「そのように、自分を無力だと思わないで欲しい」
「……。悪いね、気遣わせて」
「いや、そういうことではなくて。確かに君が自分で言う通り、私の問題を根本から解決することは、君にはできないのは事実だ」
「……」
「だが、この忌々しい問題を解決できなくとも……私は、君がいてくれることでかなり救われている。それもまた、事実だ」
「……本当?」
「……たぶん」
「たぶんかよ」
「いやしかし、きっと……そうなのだと思う。君が、私を思いやってくれているのは本当によく分かる。それで、私に心を砕かなくともいいのにと思っているのに、時々、ありがたくて涙さえ出そうになる……」
自分の存在には、欠陥しかないことは重々分かっている。それなのに、自身ですらもどうでもいいと思っているこんな自分を、なぜだかヒノエはいとしいいとしいと言って大事にするのだ。
ーーー正気じゃない。
悪趣味、物好き。というかそもそも、女好きのくせに、こともあろうに男の怨霊に靡くとは一体どういうことなのか。
そんなことを、彼と接しているときも接していないときも考えているけれど。
彼の「好きだよ」に「私も」と自然に返せないくせに、先ほどまでしていたようなことも拒む気は全く起きず。むしろ恐らく、もうやめようと言われたら残念に思うだろう。
腕へ抱かれたときの、名を呼ばれるときの、あの気分の良さ。あれがなくなるとなったらーーー嫌だ。
「……ふふ」
ヒノエが、短く笑った。
「え……何かおかしなことを言っただろうか」
「いいや。あんまりにも嬉しくって、つい……ね」
後、ヒノエが「手出して、左手」と言うので出してやると、その手を取って指を絡めてきた。と思ったら、今日何度目か抱き締めてきて、
「今日は朝まで一緒にいたい」
「……不自然に思われないだろうか。朝、君のいる部屋から私が出てくるのを誰かが見たら」
「別にたまには構わないだろ。オレ達が旧知の仲でトモダチだってのは皆知ってる。仲良いんだから、夜中に駄弁っててそのまま二人共寝落ちってことも、時々はあるよ」
「まあ、そうか……」
「ん。だからさ、今日はこのままもっかい、一緒に寝ようよ」
嫌ならいいけど、と言ってくるものだから、嫌ではないと答える他ない。嬉しいな、とまたひとつ呟いて、ヒノエが身体を離す。寝転ぶ間際、ふっとヒノエが息を吹き掛けると、ゆらゆらと部屋を照らしていた灯火が消えた。
畳の上へ、ヒノエが移る。敦盛も、その隣へ移る。先ほどまで一緒に被っていた衾をまた一緒に被って、寝転んだ。
「お休み」
と言いながら、握られた手を、
「お休み」
と答えながら、握り返す。
目を閉じて考えるのは、ああ、なんだかやっぱりこういうのもいいかも知れないと。隣に彼がいるというだけで、色々なつらいものが紛れる感覚がする。
ーーーたぶん、などではないな。
君がいることで、私はかなり救われているというあの話。たぶんじゃなくて、やっぱり絶対だ。
朝になったら伝えなくては。そうしたらまた、嬉しいと言ってくれるだろうか。抱き締めてくれたりも、するんだろうか。
恐らく、してくれるだろう。だって趣味とか好みとか、一晩で変わるわけはない。だからほんの少しくらいは、期待したい。悪趣味で物好きな彼が、欠陥品を愛でてくれること。
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