力無きもの
ーーー敦盛と、そういう仲である。
そういう仲というのは、例えば今日のように二人きりで夜を過ごせるというときになると、閨を共にするような。そんな、仲である。
ゆらゆらと、薄暗い灯火ひとつが照らす部屋。畳の上に、人影がふたつ。ヒノエと、敦盛。
はあ。
唇を離せば、敦盛があつい吐息を漏らした。ごし、と口元を拭うのは、既に乱れきった単の袖である。自分も手の甲で軽く口元を拭うと、しっとり、ヒノエはもう一度彼を抱き締めた。
彼の髪留めは、とうに解いている。頬に当たるさらさらの髪からは、微かに椿油の香りがする。
身体を離して、今度は肌を直接、抱きたいと思った。帯は解いてあるから、脱がそうと思えばすぐに脱がせる。すんなり、敦盛の上半身が露わになった。下半身は、もはや脱げている単が太腿の上へ乗っているばかりである。
これで、敦盛が身につけているのは下着とーーー左手首と両太腿に巻かれた包帯のみになった。
「なあ、」
「うん?」
「取らしてくんない? ここと、ここのも」
さらさらと、彼の左手首のそれを撫でながら言った。
「駄目だ」
敦盛が、やんわりと左手首を撫でるヒノエの手を振りほどく。
「なんで。前は取らしてくれたじゃん」
「だ……だが」
「怖がることないって……、別にこの下見てもお前のこと嫌いになったりしなかっただろ、オレ」
「そういう問題ではない。私が嫌なんだ」
「えー……いけずだね。今度こそ、包帯巻き直すとこまでさせて欲しかったんだけど」
「結構だ。自分でできる」
「そんなこと言わないでさぁ」
言いながら、また敦盛の左手首を取った。そして、ちょっと強引かなと思ったけれど、すかさずその包帯の結び目を解いた。驚いて息を呑んだ敦盛が、今度は勢いよくヒノエの手を振りほどく。包帯は幾重にも巻かれてあるから、まだ肌は全然見えていない。
「や、やめてくれ」
些か鋭い口調で言われたけれど、ヒノエは、やめたくない。ぐっと敦盛の身体を抱き寄せ、解けかけてはいる包帯を取った。はらはらと落ちていく包帯。おい、とヒノエに物申そうとする敦盛の耳元で、おねがい、と囁いてみる。
「本当の本当に嫌なら、無理強いはしないけど。そうじゃないなら、見して。終わったら手当も……させて」
「……、………」
「頼むから。なあ、敦盛」
「……………」
そこまで言えば、敦盛は観念したようである。か細い声で、「分かった」と。
もう、抵抗はしてこない。身体を離し、先程包帯を解いた彼の左手首を手に取った。そこにあるのは、新しかったり古かったりの、切り傷、切り傷、切り傷ーーー
ーーー前より、増えてる。
というかたぶん、この部屋に来る直前に「やってる」。
途端に悲しくなってしまったのを表には決して出さずに、敦盛の太腿の包帯にも手を掛けた。一重、解くと、赤黒い染みが覗いた。また解くと、さらに濃い染み。完全に解いてしまうと、夥しい量の傷痕の中に、やはり真新しい切り傷が……七、八本。
もう片方の太腿の包帯も、解き終わると同じような状態であったので。ヒノエは泣き出してしまいそうになったのを、ぐっと堪えなければならなかった。
敦盛が自分で自分を傷つけていることは、割に前から知っていた。
そう告白されたことがあるわけではない。だが、彼と近くで過ごしていれば嫌でも察してしまう。利き手ではない方の手首に巻かれた長い間取れない包帯、それにこういうことをするようになってからは、太腿にも包帯が巻いてある。どうしたのかと問うても答えてくれず、傷口も見せてはくれず。
そして実はこの間、ついに現場を見てしまったのだからもう確信してしまった。誰も来ないようなところで、誰も来ないような時間に、敦盛が小刀で自分の左手首を。
敦盛はそのとき、何の感情も抱いていないように見えたけれど。ヒノエの方はーーー駄目だった。
目にした瞬間、どうしようもなく哀しくなり、一人になれるところで、泣いた。
自分のあいするひとが、自分で自分を傷つけている。それが、こんなにも哀しいとは。
……でも自分に、何ができるというのだ。
知っている。龍神の神子でもない自分が彼にしてやれることなど、知れているということ。
彼の傷を、知りたい。彼の傷を知って、傷ごとあいしたい。自己満足でしかないだろうか? と問うまでもなく、自己満足である。でも、仕方がないではないか。彼が死人であろうと、心に暗いものを抱えていようと、自分はこんなにも好きなのだ、彼を。
「ふふ、また派手にやったんだね?」
「……君には、関係のないことだ」
「………はは」
言われて、軽口を叩こうと思ったのに、渇いた笑いしか口から出てこなくて、まずいなと思った。ので、それを誤魔化したくて、彼を押し倒して、その唇へ口づけた。
ーーー関係、させてくれよ。つらいって、慰めてくれって、一言でも言ってくれたら。そしたら、いくらでも甘やかしてやれるのに。
そういう仲というのは、例えば今日のように二人きりで夜を過ごせるというときになると、閨を共にするような。そんな、仲である。
ゆらゆらと、薄暗い灯火ひとつが照らす部屋。畳の上に、人影がふたつ。ヒノエと、敦盛。
はあ。
唇を離せば、敦盛があつい吐息を漏らした。ごし、と口元を拭うのは、既に乱れきった単の袖である。自分も手の甲で軽く口元を拭うと、しっとり、ヒノエはもう一度彼を抱き締めた。
彼の髪留めは、とうに解いている。頬に当たるさらさらの髪からは、微かに椿油の香りがする。
身体を離して、今度は肌を直接、抱きたいと思った。帯は解いてあるから、脱がそうと思えばすぐに脱がせる。すんなり、敦盛の上半身が露わになった。下半身は、もはや脱げている単が太腿の上へ乗っているばかりである。
これで、敦盛が身につけているのは下着とーーー左手首と両太腿に巻かれた包帯のみになった。
「なあ、」
「うん?」
「取らしてくんない? ここと、ここのも」
さらさらと、彼の左手首のそれを撫でながら言った。
「駄目だ」
敦盛が、やんわりと左手首を撫でるヒノエの手を振りほどく。
「なんで。前は取らしてくれたじゃん」
「だ……だが」
「怖がることないって……、別にこの下見てもお前のこと嫌いになったりしなかっただろ、オレ」
「そういう問題ではない。私が嫌なんだ」
「えー……いけずだね。今度こそ、包帯巻き直すとこまでさせて欲しかったんだけど」
「結構だ。自分でできる」
「そんなこと言わないでさぁ」
言いながら、また敦盛の左手首を取った。そして、ちょっと強引かなと思ったけれど、すかさずその包帯の結び目を解いた。驚いて息を呑んだ敦盛が、今度は勢いよくヒノエの手を振りほどく。包帯は幾重にも巻かれてあるから、まだ肌は全然見えていない。
「や、やめてくれ」
些か鋭い口調で言われたけれど、ヒノエは、やめたくない。ぐっと敦盛の身体を抱き寄せ、解けかけてはいる包帯を取った。はらはらと落ちていく包帯。おい、とヒノエに物申そうとする敦盛の耳元で、おねがい、と囁いてみる。
「本当の本当に嫌なら、無理強いはしないけど。そうじゃないなら、見して。終わったら手当も……させて」
「……、………」
「頼むから。なあ、敦盛」
「……………」
そこまで言えば、敦盛は観念したようである。か細い声で、「分かった」と。
もう、抵抗はしてこない。身体を離し、先程包帯を解いた彼の左手首を手に取った。そこにあるのは、新しかったり古かったりの、切り傷、切り傷、切り傷ーーー
ーーー前より、増えてる。
というかたぶん、この部屋に来る直前に「やってる」。
途端に悲しくなってしまったのを表には決して出さずに、敦盛の太腿の包帯にも手を掛けた。一重、解くと、赤黒い染みが覗いた。また解くと、さらに濃い染み。完全に解いてしまうと、夥しい量の傷痕の中に、やはり真新しい切り傷が……七、八本。
もう片方の太腿の包帯も、解き終わると同じような状態であったので。ヒノエは泣き出してしまいそうになったのを、ぐっと堪えなければならなかった。
敦盛が自分で自分を傷つけていることは、割に前から知っていた。
そう告白されたことがあるわけではない。だが、彼と近くで過ごしていれば嫌でも察してしまう。利き手ではない方の手首に巻かれた長い間取れない包帯、それにこういうことをするようになってからは、太腿にも包帯が巻いてある。どうしたのかと問うても答えてくれず、傷口も見せてはくれず。
そして実はこの間、ついに現場を見てしまったのだからもう確信してしまった。誰も来ないようなところで、誰も来ないような時間に、敦盛が小刀で自分の左手首を。
敦盛はそのとき、何の感情も抱いていないように見えたけれど。ヒノエの方はーーー駄目だった。
目にした瞬間、どうしようもなく哀しくなり、一人になれるところで、泣いた。
自分のあいするひとが、自分で自分を傷つけている。それが、こんなにも哀しいとは。
……でも自分に、何ができるというのだ。
知っている。龍神の神子でもない自分が彼にしてやれることなど、知れているということ。
彼の傷を、知りたい。彼の傷を知って、傷ごとあいしたい。自己満足でしかないだろうか? と問うまでもなく、自己満足である。でも、仕方がないではないか。彼が死人であろうと、心に暗いものを抱えていようと、自分はこんなにも好きなのだ、彼を。
「ふふ、また派手にやったんだね?」
「……君には、関係のないことだ」
「………はは」
言われて、軽口を叩こうと思ったのに、渇いた笑いしか口から出てこなくて、まずいなと思った。ので、それを誤魔化したくて、彼を押し倒して、その唇へ口づけた。
ーーー関係、させてくれよ。つらいって、慰めてくれって、一言でも言ってくれたら。そしたら、いくらでも甘やかしてやれるのに。
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