ファミリーコンプレックス
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私の姉は友好関係が広い。こつこつ努力する真面目さがあり、ささいな言い合いをしても、10分も経てば鶏のようにすっかり忘れてしまった物言いをする。よく笑うし、私が何度はねつけてもめげずに近寄ってくる、話しかけてくる。
そんな性格は、喧嘩した時になかなか謝らない私とは相性が良いとも言えた。ただ私が姉という人物を語るにあたっては、ほんの1%にも満たない一面だ。
面の皮が厚い、気が利かない。私に言わせれば、姉はそんな感じ。気が利かないというのは、神経質な私と比べて生きていくのに「気になる」のレベルが全然違うのだと思う。
例えば、家の中でプライベートな空間がなくても気にならないらしい。前の引越しは私がもうすぐ大学にあがろうとしていた時で、その際「子供部屋のしきりが扉1枚で、基本繋がっている」という話を聞いた時は全力で反対した。けれどダメだった。母も「別にいいじゃない」と軽く流した。子供の力じゃどうにもならなかった。姉が味方してくれないことに酷く落ち込んだ記憶がある。
気にならないから、私がずっと我慢していることも「言ってくれれば」の一言で片付けられてしまえるのだ。
2020年春。新型コロナウイルスが流行し、大学に入った頃から楽しみだった四年生の旅行三昧の計画が頓挫した。人生の夏休みと言われる大学四年間、最後の一年。それがまさかこんな不完全燃焼で終わるなんて夢にも思わない。
内定先の人事担当にも、「大学最後の年だし、学生生活を謳歌して」と言われたが、毎日家に篭って一体何をするというのか。ふとした瞬間、悔しさやら悲しみやらで涙が出た。
そのうち、当たり前のように家の一階を占領し、私の行動を制限する姉の存在を疎ましく感じるようになった。自分の遊びより姉の仕事の方が大事だからと何も言わなかったが、テレビを消し、会議の際は息を潜めることがさも当然かのように振る舞われるのは何か「違う」。
ああ、最近よく聞くコロナ離婚ってこういうことか、と妙に納得する。
織姫と彦星だって、たまにしか会えないから長続きするのだ。
ある時、ぷつりと自分の中で張り詰めていた糸が切れる音がした。本当に静かな音で、自覚したのはもっと後だった。
ヘッドフォンをしろと言われたテレビを消す。鞄の中に、晩ご飯の買い物をするには大袈裟な大きい財布と、定期券と、家の鍵、それとスマホにイヤホン。
これで、いざとなったらどこにでも行ける。
スーパーとは反対方向の駅を目指し、向かった先は母が通勤時の乗り換えに使う駅だった。
昔から、糸が切れた時は黙って仕事帰りの母を待ち伏せするのが癖だった。母は連絡もなしに突然私が会いに来る理由を、いつだって急かして聞いてくることはなかった。ただただ「二人で美味しいスイーツが食べられるならそれでいいから」と笑った。
スマホは意識して見ないようにしていた。
きっと私の帰りが遅いのを心配して連絡を寄越しているだろう。でもその時ばかりはどうでもよかった。少しくらい、外に出て自分の好きにしたかった。
家に帰れば姉は「連絡の一つも出来ないのか、警察に連絡しようかと思った」と散々私を責めた。いつもなら、面倒くさいし「心配かけてごめんね」と謝って終わりにしようとしていたかもしれない。けれどそもそも姉のせいで私はこうなっているのだ。謝るべきところじゃないと思い、うるさいなと突っぱねた。
その後、母の仲介のもと話し合いがあったが、最後までお互い腑に落ちないままなあなあで終わっていった。
まだ学生の実家暮らしの私に「一人暮らしをしろ」?そんな金どこにあるっていうの?自分がしてから言えっての。「社会人ならコミュニケーションとるのは最低限」?何、私は上司と喋ってんの?まだ学生だし。ていうか何で自分は出来てると思ってるのかがわからない。
在宅勤務は二階でしろ、ストレスが溜まる、そういうことは言ってくれなきゃ分からないと言われた。
在宅勤務を始めた頃、私が二階でして欲しいと言ったことはすっかり忘れてしまっているようだ。それに、大好きな母も「仕事は一階でした方がいいでしょ」と言っていたから、譲るべきだとも思っていた。そんな些細とも思えない我慢の積み重ねが、いつしか取り返しがつかないほど私を強情にしていったのだ。
数日が経った。
その夜は、やけに現実的な夢を見ていた気がする。今となっては細かい情景は覚えていないけれど、姉が「助けて」と言っていた。
夢が夢じゃないと気がついた時には、体が先に動き出していた。私の寝ているところは梯子付きのベッドだったけれど、寝起きの脳で何を考えたか、梯子を使わずベッドから直接飛び降りた。直線距離だと確かにその方が早いけれど、ちゃんと覚醒している時ですら危ない行為だったのだから、怪我をしなかったのは偶然でしかない。
何より、「早く行かなければならない」という命題に思考が乗っ取られていたのだと思う。
一階に降りてリビングへの扉を開けると、目の前に姉が倒れていた。
こんな時、今までずっと最初に駆けつける母の背中を見ていたのに、いざそれが自分に代わるとどうすればいいのか分からなくて血の気が引いていく。
嫌いなところはたくさんある。
でも苦しんで欲しいわけじゃない。
できるだけ楽な姿勢をさせないといけないと思いつき、クッションを持ってきたり、ペットボトルを手から引き剥がしたり、思いつくことは全部やった。そうこうしているうちに、私が梯子を介さずベッドから降りたせいで生じた爆音に起こされた母が2階から降りてきた。
肝心な時すら頼りにならない父を叩き起こし、後から車で搬送された病院へ向かった。
母から容態を聞いた限り、今回の件で大事には至らなかったらしい。
家に帰るまでの間、姉は口数が少なく、家族が総出で出払ったことに気まずさを感じているようだった。
そういう“気にしないでいいところ”を気にするのが姉の悪い癖だ。
けれど、自分の体なのに思い通りにならないことの方が多い、なんて、体調を崩す機会の多い繊細な私にはよく分かる。
自分のせいじゃないのに、自分のせいで迷惑がかかったというその状況が嫌なのもよく分かる。
だから、本来ならやってもらわなければならない家事も黙ってこなした。私が逆の立場なら「やってくれたらいいのに」と思うから。
倒れている人間が姉でなかったとしても、きっと私は同じ行動をとっただろう。
それは、私の中の人間性が、そうしないと生きられないからに過ぎない。傍から見れば些細なことに難色を示し、ある時は勝手にストレスを溜め、ある時は理不尽に怒っているように見えるかもしれないが、毎度それなりに理由があったりするのだ。
周りがそれに気づかないだけなのに、私のことを「気まぐれ」や「猫のよう」で片付ける。
私の感情の波に理由などないと決めつけている。
だから私にとって「言わなきゃ伝わらない」は、「言っても伝わらない」と同義だ。
そこに、「家族」と「他人」の線引きなんてない。
きっと私が謝らなくても、数日経てば姉はまた以前と同じように私に話しかけてくる。
それくらいがちょうどいい。
私が謝らない理由が性格からだと思われているくらいが、私にとってはちょうどいいのだ。
・
そんな性格は、喧嘩した時になかなか謝らない私とは相性が良いとも言えた。ただ私が姉という人物を語るにあたっては、ほんの1%にも満たない一面だ。
面の皮が厚い、気が利かない。私に言わせれば、姉はそんな感じ。気が利かないというのは、神経質な私と比べて生きていくのに「気になる」のレベルが全然違うのだと思う。
例えば、家の中でプライベートな空間がなくても気にならないらしい。前の引越しは私がもうすぐ大学にあがろうとしていた時で、その際「子供部屋のしきりが扉1枚で、基本繋がっている」という話を聞いた時は全力で反対した。けれどダメだった。母も「別にいいじゃない」と軽く流した。子供の力じゃどうにもならなかった。姉が味方してくれないことに酷く落ち込んだ記憶がある。
気にならないから、私がずっと我慢していることも「言ってくれれば」の一言で片付けられてしまえるのだ。
2020年春。新型コロナウイルスが流行し、大学に入った頃から楽しみだった四年生の旅行三昧の計画が頓挫した。人生の夏休みと言われる大学四年間、最後の一年。それがまさかこんな不完全燃焼で終わるなんて夢にも思わない。
内定先の人事担当にも、「大学最後の年だし、学生生活を謳歌して」と言われたが、毎日家に篭って一体何をするというのか。ふとした瞬間、悔しさやら悲しみやらで涙が出た。
そのうち、当たり前のように家の一階を占領し、私の行動を制限する姉の存在を疎ましく感じるようになった。自分の遊びより姉の仕事の方が大事だからと何も言わなかったが、テレビを消し、会議の際は息を潜めることがさも当然かのように振る舞われるのは何か「違う」。
ああ、最近よく聞くコロナ離婚ってこういうことか、と妙に納得する。
織姫と彦星だって、たまにしか会えないから長続きするのだ。
ある時、ぷつりと自分の中で張り詰めていた糸が切れる音がした。本当に静かな音で、自覚したのはもっと後だった。
ヘッドフォンをしろと言われたテレビを消す。鞄の中に、晩ご飯の買い物をするには大袈裟な大きい財布と、定期券と、家の鍵、それとスマホにイヤホン。
これで、いざとなったらどこにでも行ける。
スーパーとは反対方向の駅を目指し、向かった先は母が通勤時の乗り換えに使う駅だった。
昔から、糸が切れた時は黙って仕事帰りの母を待ち伏せするのが癖だった。母は連絡もなしに突然私が会いに来る理由を、いつだって急かして聞いてくることはなかった。ただただ「二人で美味しいスイーツが食べられるならそれでいいから」と笑った。
スマホは意識して見ないようにしていた。
きっと私の帰りが遅いのを心配して連絡を寄越しているだろう。でもその時ばかりはどうでもよかった。少しくらい、外に出て自分の好きにしたかった。
家に帰れば姉は「連絡の一つも出来ないのか、警察に連絡しようかと思った」と散々私を責めた。いつもなら、面倒くさいし「心配かけてごめんね」と謝って終わりにしようとしていたかもしれない。けれどそもそも姉のせいで私はこうなっているのだ。謝るべきところじゃないと思い、うるさいなと突っぱねた。
その後、母の仲介のもと話し合いがあったが、最後までお互い腑に落ちないままなあなあで終わっていった。
まだ学生の実家暮らしの私に「一人暮らしをしろ」?そんな金どこにあるっていうの?自分がしてから言えっての。「社会人ならコミュニケーションとるのは最低限」?何、私は上司と喋ってんの?まだ学生だし。ていうか何で自分は出来てると思ってるのかがわからない。
在宅勤務は二階でしろ、ストレスが溜まる、そういうことは言ってくれなきゃ分からないと言われた。
在宅勤務を始めた頃、私が二階でして欲しいと言ったことはすっかり忘れてしまっているようだ。それに、大好きな母も「仕事は一階でした方がいいでしょ」と言っていたから、譲るべきだとも思っていた。そんな些細とも思えない我慢の積み重ねが、いつしか取り返しがつかないほど私を強情にしていったのだ。
数日が経った。
その夜は、やけに現実的な夢を見ていた気がする。今となっては細かい情景は覚えていないけれど、姉が「助けて」と言っていた。
夢が夢じゃないと気がついた時には、体が先に動き出していた。私の寝ているところは梯子付きのベッドだったけれど、寝起きの脳で何を考えたか、梯子を使わずベッドから直接飛び降りた。直線距離だと確かにその方が早いけれど、ちゃんと覚醒している時ですら危ない行為だったのだから、怪我をしなかったのは偶然でしかない。
何より、「早く行かなければならない」という命題に思考が乗っ取られていたのだと思う。
一階に降りてリビングへの扉を開けると、目の前に姉が倒れていた。
こんな時、今までずっと最初に駆けつける母の背中を見ていたのに、いざそれが自分に代わるとどうすればいいのか分からなくて血の気が引いていく。
嫌いなところはたくさんある。
でも苦しんで欲しいわけじゃない。
できるだけ楽な姿勢をさせないといけないと思いつき、クッションを持ってきたり、ペットボトルを手から引き剥がしたり、思いつくことは全部やった。そうこうしているうちに、私が梯子を介さずベッドから降りたせいで生じた爆音に起こされた母が2階から降りてきた。
肝心な時すら頼りにならない父を叩き起こし、後から車で搬送された病院へ向かった。
母から容態を聞いた限り、今回の件で大事には至らなかったらしい。
家に帰るまでの間、姉は口数が少なく、家族が総出で出払ったことに気まずさを感じているようだった。
そういう“気にしないでいいところ”を気にするのが姉の悪い癖だ。
けれど、自分の体なのに思い通りにならないことの方が多い、なんて、体調を崩す機会の多い繊細な私にはよく分かる。
自分のせいじゃないのに、自分のせいで迷惑がかかったというその状況が嫌なのもよく分かる。
だから、本来ならやってもらわなければならない家事も黙ってこなした。私が逆の立場なら「やってくれたらいいのに」と思うから。
倒れている人間が姉でなかったとしても、きっと私は同じ行動をとっただろう。
それは、私の中の人間性が、そうしないと生きられないからに過ぎない。傍から見れば些細なことに難色を示し、ある時は勝手にストレスを溜め、ある時は理不尽に怒っているように見えるかもしれないが、毎度それなりに理由があったりするのだ。
周りがそれに気づかないだけなのに、私のことを「気まぐれ」や「猫のよう」で片付ける。
私の感情の波に理由などないと決めつけている。
だから私にとって「言わなきゃ伝わらない」は、「言っても伝わらない」と同義だ。
そこに、「家族」と「他人」の線引きなんてない。
きっと私が謝らなくても、数日経てば姉はまた以前と同じように私に話しかけてくる。
それくらいがちょうどいい。
私が謝らない理由が性格からだと思われているくらいが、私にとってはちょうどいいのだ。
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