ファミリーコンプレックス
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今年の春から社会人になる妹は、私と違って可愛い。美人でもある。
二重の目はパッチリしていて、まつげも凄く長くて、眉も描いたみたいで。
顔だけじゃなくて、足も長くて私より背が高い。
母は、妹の容姿をしょっちゅう褒めた。
私にも「かわいい」とよく言ってくれるけれど、それは親であるが故であって、世間的に見て可愛いと言いたいわけじゃないことを私は知っている。
だからといって、それが理由で妹を邪険に扱うことはない。むしろ自分も常々自分の妹は可愛いと思うし、最大限可愛いと口に出し、可愛がっているつもりだ。勉強で分からないところがあれば喜んで教えるし、困っていたらどんな些細なことでも全力で助けるつもりでいる。
それでも、妹は私に冷たい。
妹はよく母に懐いているが、同じような態度を私にとることはない。母が妹に、「こんなに可愛がってくれてるじゃない」と私の紹介をするのだけれど、そのたび妹は「だから?」と興味が無さそうに流すだけ。
そんな妹と、大喧嘩をした。
簡潔に言えば、悪いのは私でも妹でもなく、コロナだった。
そう思いたいけれど、本当は私の性格が災いしたのかもしれないとも薄々感じている。
2020年春。
新型コロナウィルスの感染拡大で在宅勤務が増えて、私と妹は同じ空間にいる時間が増えた。私は会社の人と連携をとるため、しょっちゅう会議や電話でコミュニケーションをとっていたため、テレビはずっと消していた。
妹は私と同じ家の一階のリビングで、時折ゴミ回収業者の車のBGMや、車やバイクが家の前を通る外の音だけで生活していた。
テレビをつけるのは、お昼休みの間だけ。
妹は猫のような人で、特に日常に変化がなくともその時その時で気分がいい時と悪い時とさまざまだったため、彼女の気分がいい時は食事中の話も盛り上がった。
そんな状態が半年以上続いた。
妹は次第に二階で作業することが増えていった。家の中にいながら、顔を合わせるのはほぼ食事の時だけ。
ただ、ある日、私の在宅勤務中に妹がふと一階のリビングに降りてきてテレビをつけた。
何か怖そうな雰囲気のドラマで、私は怖いのがめっぽう苦手なので「ヘッドフォンして観てくれない」と声をかけた。
妹は「なんで?」と尋ねてきた。
今思えば、この時私が「怖そうだから」と素直に答えていれば、まだ間にあったかもしれない。けれど私は家族の観るテレビの八割以上が怖く感じられ、しょっちゅう「また怖いやつ観てる」と言っては「あんた、何でも怖いね」と返されていたため、この時は言いたくなかったのだ。
なんで、に対して私が「何でも」と短く答えると、妹はため息をついてテレビを消し、外に出かける準備を始めた。
妹がご飯を作る日だったから、近くのスーパーにその買い物に行くのだと思った。
妹はいつも外に出る時は「○○しに行くね」とか「外に出てくる」とか言ってでていくのに、それがなかった。
家に私がいるのに、自分で鍵も閉めて行った。
妹はそれから、買い物なら40分ほどで帰ってくるはずが、二時間たっても帰ってこなかった。
LINEも送ったのに、既読すらつかない。
電話も当然出ない。
手にじわりと汗が滲む。
警察に連絡するべきだろうか?
仕事もそっちのけで携帯を握りしめていたら、仕事終わりでまだ外にいる母から連絡があった。
「今一緒にいるから、大丈夫」
全身から力が抜けた。時間が経って冷静になれば、ふつふつと怒りが湧いてきた。
黙って家を出て、連絡もよこさず、一言伝えるというそんな簡単なことがなぜ出来ないのか。心配すると思わないのか?
二人が家に帰ってきた時、私は妹に連絡くらいしてよと伝えた。せめてそれくらいは言わなきゃ気がすまなかったし、心配で寿命が縮む思いをしたのだから、「ごめん」の一言でもあればいいと思っていた。
ところが、母は「ずっと家で、静かにしてなきゃいけなくてストレス溜まったんだよ。しょうがない」と妹を庇い、妹に至っては悪気は一切無いようだった。それどころか、私に対して「ごめん」じゃなく、ただ「うるさいな」と返しただけだった。
そこから先はもう大乱闘だ。「一人暮らしすれば」とか「社会人ならコミュニケーションとるのは最低限」とか言った気がする。
そもそも、ストレスが溜まるような環境なら言ってくれたらいいのだ。私に出来ることならどうとでもする。仕事の環境なんて自分で勝手に整えるし、他人に配慮されるところじゃない。
とにかく、言ってくれなきゃ分からない。家族だからって言わなきゃ伝わると思ってたら大間違いだ。それを勝手に黙っててストレスためて心配かけるって、本当に意味がわからない。
母も母だ。なぜ連絡しなかった妹を庇うんだろう?
ずっと腑に落ちなかった。言い合いをすることは結構あるけど、あんなに大声を出して喧嘩したのは、それこそ何年ぶりかの話だった。
関係がぎくしゃくしたまま、それから数日後の深夜4時頃。
私は腹の激痛で目が覚め一階に水を取りに降りた。生理前の痛みだ。今回は特別酷く、しばらくすると歩けないほどになった。
フローリングの床に倒れ込み、想像を絶する痛みに体を丸める。脳内を「生死の境を彷徨う」という単語が駆け巡る。痛すぎて声すら出せず、もう10分はその状態でいただろうか。
やがて、体全部を使って、何とか「助けて」とか細い声を絞り出した。
こんな深夜だし二階で全員寝ているのだから、もちろん届くはずもなし。けれど叫ばずにはいられなかった。
3度目くらいのSOSの声が一番大きかったような気がする。直後、二階から荒々しく階段を駆け下りる大きな音が聞こえてきた。
最初に降りてきたのは妹だった。つい数秒前まで寝ていたとは思えないきびきびとした動きで私の手に固定された水を引き剥がし、硬い床にクッションを敷き、「何があったの?」「大丈夫、すぐ痛くなくなるからね」とずっと声を掛け続けてくれた。
直後に妹の出した大きな音に気がついた母が降りてきて、妹が二度寝した父を起こしに行き、救急車を呼ぶまでになった。
結局大事には至らなかったものの、診察が終わって病院から帰る頃には、外はすっかり明るくなっていた。
妹は相変わらず素っ気ない態度だったが、診察の結果を母から詳しく聞いていたし、しばらくは黙って私の分の家事もしてくれていた。
妹は猫のような人。
気まぐれで、多分特に理由もなく機嫌が悪い時もある。理不尽な態度に腹が立つ時もある。そういった態度の数々を「性格」の言葉一つで片付けるには、あまりにも便利な免罪符じゃないかと思う。
けれどもやっぱり、妹は私の自慢なのだ。
そこは絶対に、一生変わることはない。
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二重の目はパッチリしていて、まつげも凄く長くて、眉も描いたみたいで。
顔だけじゃなくて、足も長くて私より背が高い。
母は、妹の容姿をしょっちゅう褒めた。
私にも「かわいい」とよく言ってくれるけれど、それは親であるが故であって、世間的に見て可愛いと言いたいわけじゃないことを私は知っている。
だからといって、それが理由で妹を邪険に扱うことはない。むしろ自分も常々自分の妹は可愛いと思うし、最大限可愛いと口に出し、可愛がっているつもりだ。勉強で分からないところがあれば喜んで教えるし、困っていたらどんな些細なことでも全力で助けるつもりでいる。
それでも、妹は私に冷たい。
妹はよく母に懐いているが、同じような態度を私にとることはない。母が妹に、「こんなに可愛がってくれてるじゃない」と私の紹介をするのだけれど、そのたび妹は「だから?」と興味が無さそうに流すだけ。
そんな妹と、大喧嘩をした。
簡潔に言えば、悪いのは私でも妹でもなく、コロナだった。
そう思いたいけれど、本当は私の性格が災いしたのかもしれないとも薄々感じている。
2020年春。
新型コロナウィルスの感染拡大で在宅勤務が増えて、私と妹は同じ空間にいる時間が増えた。私は会社の人と連携をとるため、しょっちゅう会議や電話でコミュニケーションをとっていたため、テレビはずっと消していた。
妹は私と同じ家の一階のリビングで、時折ゴミ回収業者の車のBGMや、車やバイクが家の前を通る外の音だけで生活していた。
テレビをつけるのは、お昼休みの間だけ。
妹は猫のような人で、特に日常に変化がなくともその時その時で気分がいい時と悪い時とさまざまだったため、彼女の気分がいい時は食事中の話も盛り上がった。
そんな状態が半年以上続いた。
妹は次第に二階で作業することが増えていった。家の中にいながら、顔を合わせるのはほぼ食事の時だけ。
ただ、ある日、私の在宅勤務中に妹がふと一階のリビングに降りてきてテレビをつけた。
何か怖そうな雰囲気のドラマで、私は怖いのがめっぽう苦手なので「ヘッドフォンして観てくれない」と声をかけた。
妹は「なんで?」と尋ねてきた。
今思えば、この時私が「怖そうだから」と素直に答えていれば、まだ間にあったかもしれない。けれど私は家族の観るテレビの八割以上が怖く感じられ、しょっちゅう「また怖いやつ観てる」と言っては「あんた、何でも怖いね」と返されていたため、この時は言いたくなかったのだ。
なんで、に対して私が「何でも」と短く答えると、妹はため息をついてテレビを消し、外に出かける準備を始めた。
妹がご飯を作る日だったから、近くのスーパーにその買い物に行くのだと思った。
妹はいつも外に出る時は「○○しに行くね」とか「外に出てくる」とか言ってでていくのに、それがなかった。
家に私がいるのに、自分で鍵も閉めて行った。
妹はそれから、買い物なら40分ほどで帰ってくるはずが、二時間たっても帰ってこなかった。
LINEも送ったのに、既読すらつかない。
電話も当然出ない。
手にじわりと汗が滲む。
警察に連絡するべきだろうか?
仕事もそっちのけで携帯を握りしめていたら、仕事終わりでまだ外にいる母から連絡があった。
「今一緒にいるから、大丈夫」
全身から力が抜けた。時間が経って冷静になれば、ふつふつと怒りが湧いてきた。
黙って家を出て、連絡もよこさず、一言伝えるというそんな簡単なことがなぜ出来ないのか。心配すると思わないのか?
二人が家に帰ってきた時、私は妹に連絡くらいしてよと伝えた。せめてそれくらいは言わなきゃ気がすまなかったし、心配で寿命が縮む思いをしたのだから、「ごめん」の一言でもあればいいと思っていた。
ところが、母は「ずっと家で、静かにしてなきゃいけなくてストレス溜まったんだよ。しょうがない」と妹を庇い、妹に至っては悪気は一切無いようだった。それどころか、私に対して「ごめん」じゃなく、ただ「うるさいな」と返しただけだった。
そこから先はもう大乱闘だ。「一人暮らしすれば」とか「社会人ならコミュニケーションとるのは最低限」とか言った気がする。
そもそも、ストレスが溜まるような環境なら言ってくれたらいいのだ。私に出来ることならどうとでもする。仕事の環境なんて自分で勝手に整えるし、他人に配慮されるところじゃない。
とにかく、言ってくれなきゃ分からない。家族だからって言わなきゃ伝わると思ってたら大間違いだ。それを勝手に黙っててストレスためて心配かけるって、本当に意味がわからない。
母も母だ。なぜ連絡しなかった妹を庇うんだろう?
ずっと腑に落ちなかった。言い合いをすることは結構あるけど、あんなに大声を出して喧嘩したのは、それこそ何年ぶりかの話だった。
関係がぎくしゃくしたまま、それから数日後の深夜4時頃。
私は腹の激痛で目が覚め一階に水を取りに降りた。生理前の痛みだ。今回は特別酷く、しばらくすると歩けないほどになった。
フローリングの床に倒れ込み、想像を絶する痛みに体を丸める。脳内を「生死の境を彷徨う」という単語が駆け巡る。痛すぎて声すら出せず、もう10分はその状態でいただろうか。
やがて、体全部を使って、何とか「助けて」とか細い声を絞り出した。
こんな深夜だし二階で全員寝ているのだから、もちろん届くはずもなし。けれど叫ばずにはいられなかった。
3度目くらいのSOSの声が一番大きかったような気がする。直後、二階から荒々しく階段を駆け下りる大きな音が聞こえてきた。
最初に降りてきたのは妹だった。つい数秒前まで寝ていたとは思えないきびきびとした動きで私の手に固定された水を引き剥がし、硬い床にクッションを敷き、「何があったの?」「大丈夫、すぐ痛くなくなるからね」とずっと声を掛け続けてくれた。
直後に妹の出した大きな音に気がついた母が降りてきて、妹が二度寝した父を起こしに行き、救急車を呼ぶまでになった。
結局大事には至らなかったものの、診察が終わって病院から帰る頃には、外はすっかり明るくなっていた。
妹は相変わらず素っ気ない態度だったが、診察の結果を母から詳しく聞いていたし、しばらくは黙って私の分の家事もしてくれていた。
妹は猫のような人。
気まぐれで、多分特に理由もなく機嫌が悪い時もある。理不尽な態度に腹が立つ時もある。そういった態度の数々を「性格」の言葉一つで片付けるには、あまりにも便利な免罪符じゃないかと思う。
けれどもやっぱり、妹は私の自慢なのだ。
そこは絶対に、一生変わることはない。
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