君といられる喜びを。─短編集─
あなたのお名前は?
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語学留学といえば、易しい国はカナダやオーストラリア。夢とロマンを追っかける人はアメリカ。真摯で丁寧な英語を学びたいならイギリス。
研究職の友達は先日、報告会でパリに赴いたという話があった。
そんな中、私はそのどれでもないイタリアで……何故か迷子になっていた。
「当然ながらイタリア語、読めぬ……というかご親切に英語も書いてくれてるが読めぬ」
何も私は留学やら研究報告会やらご立派な理由で異国に来ているわけでは無い。ただの海外旅行だ。それも特に何のスケジュールも組んでない、「ぶらり旅」。小さい頃から世界一世界遺産が多いイタリアには興味があって何度も調べていたので、もはや世界遺産の位置で自分の現在地を把握していたが……そんな古典的な方法では限界がある。
だが異国の地で「迷ってます」オーラを出せば一巻の終わりだ。これはドイツに語学留学に行った子の体験談だが、「いつの間にかリュックを裂かれていた。多分金銭目的。アジア人は金持ってるし狙われやすいから、鞄は前側にした方がいいんだよ」的な話を聞いた。
イタリア語も英語も喋れないのに、ガイドもなしで一人で来るのはやっぱり間違いだったかな、と大きな鞄をお腹に抱え、長いため息をついた時。
街の喧騒に混じって、「おはよう」が入ったイタリア語を話している声が聞こえた。
一瞬願望ゆえの幻聴かと思ったけれど、他にも「さよなら」とか「ありがとう」とか、確かに私の一番知っている母国語で間違いなかった。
声のする方に早足で向かうと、アジア人特有の肌色に小さめの身長、子供っぽい姿で歩く男性一名を発見。神様、慈悲を下さりありがとうございます……!とサン・ピエトロ大聖堂の方面に向かってお辞儀すらした。
「あ、あの!日本の方ですか?」
会話の途中横から失礼すると、目当ての男性と筋肉質の若いイタリア人がぎょっとして足を止める。しかしすぐ体勢を持ち直すと、男性は爽やかに笑った。
「そーです!」
「よ、良かった……!あの、私旅行に来てるんですが、駅の方向が分からなくなって……」
「なるほど。ちょっと待ってくださいね」
はきはきと受け答えする感じのいい青年は、何やら一緒にいた現地の人と会話を交わすと、その人が納得したように深く相槌をうつ。やがてこちらに向かってニコニコと手を振りながら反対方向へと歩いていったので、私もぺこりとお辞儀をした。
「すみません、せっかく楽しそうにお話してらしたのに……」
「気にしないでください。どこの駅ですか?」
「あっ、はい!えっと、ここで……」
「あっはっは!随分遠いすね!バス乗った方がいいかも」
バス停まで送りますよ、と青年は軽やかな足取りで先を行く。見失わないよう私も慌てて追いかけた。
「ここに住まわれてるんですか?」
「ハイ。つってもそんな長い間居るつもりは無いんすけど。俺、もっと色んなとこいって色んなことやりたいんで」
「へぇえ……カッコイイです!私も来年の春から社会人なんで、一人旅で宛もなく知らない土地を踏みしめるって経験、今のうちにやっておきたいなと思って!結局迷ってますけど……はは……」
あなたがいてくれて命拾いしました、ありがとうございますと改まってお礼を言う。
「来春から社会人ってことは、俺の一個下っすね」
「先輩……!」
「はっは!懐かしいなー、俺バレー部だったんすけど、初めて後輩にそうやって呼ばれた時は超絶嬉しかったっす」
「ほえ〜〜!バレー部!スパイクとかサーブとかばしばし打ってたんですか!?」
鞄を片手で抱えてびゅんびゅん腕を振ってみるが、青年は「いや、俺はリベロっていう守備専門のポジションだったんす」と切り返した。
「守備……!私サッカーの試合とか観てて思うんですけど、こう、自分のゴールにキーパーがいるってすっっごい心強いじゃないですか!守備だけど、その人がいるからこそ全力で攻めに行けるっていうか!いいなぁ〜かっこいいなぁ〜」
「っでしょお!!?」
「うわわびっくりした」
「分かってんじゃないですか!かっこいいんすよ!だからぜってーリベロがやりたいし、リベロで全国いけたこと、誇りに思ってます」
「ええーーっ全国行ったんですか!?かっこいいだけでなくお強い!!さてはモテモテでしたね!?」
「いや!!全くと言っていいほどモテなかったっす!!!」
最初控えめだったボリュームがだんだん大きくなって。気がつけば、さっき会ったばかりの人と大口を開けて笑いながら、この街の誰よりも楽しそうに歩いていた。
一人でいる時は必死すぎて上を向けなかったけど、やっぱりイタリアの街、道路に目を瞑れば建物はとても綺麗だ。この人に会えなけば、こんな当たり前のことにすら気づかなかった。だからこそ、「今」来てよかったと思える。
もっと、もっと色んなものを見て、聞いて、経験したい。新しい出会いがあった先で、忘れたくない思い出を増やしたい。
「あのっ、お名前聞いてもいいですか!?」
どうしてか、立ち止まっちゃう私。
多分、バス停までの距離を縮めたくなかった一心で。
「西谷夕です。西に、谷に、夕焼けの夕。名前は?」
「え?」
「せっかくなんで、教えてください」
「あ、はい……!名無し名無しといいます」
スマホのメモ機能に名前を打っていく。後で日記に記すための漢字三文字。きっと何年もかけて、この文字の羅列を懐かしく思うようになるんだろう。
「帰国いつすか?」
「三日後です!お隣のフランスの美術館にも行こうと思ってるので、イタリアにいるのは明日までですけど」
「じゃ、俺案内しますよ!」
再び西谷さんが立ち止まったそこは、私があれほど探して行きたがっていたバス停の前だった。そんなことよりも何よりも、言われた言葉に目を見張る。
「あ、え……いいんですか?お忙しいんじゃ……」
「男たるもの、今しかない!って時を逃す気はサラサラないんで!」
カメラのシャッターが切られる瞬間みたいに、彼はぐっと親指を突き出して笑う。どこからか風が吹いてきて、私の頬を撫でた。
いいな、と思う人との出会いは、いつも私からの一方通行だった。連絡先交換したいな、また会いたいな、と思っていたけど相手からそんな言葉一言もかからなくて、あー思ってたの私だけか、残念って。
ずっとそうやって、せっかくのチャンスを掴み損ねてきた。一人旅がしてみたいなんて言い訳、そんな後悔の積み重ね、成れの果てだ。
「……じゃあ、ぜひ!お願いします!!」
だから今度こそ、向こうから手を差し伸べてくれる今こそ掴みたい。チャンスの前髪を!
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研究職の友達は先日、報告会でパリに赴いたという話があった。
そんな中、私はそのどれでもないイタリアで……何故か迷子になっていた。
「当然ながらイタリア語、読めぬ……というかご親切に英語も書いてくれてるが読めぬ」
何も私は留学やら研究報告会やらご立派な理由で異国に来ているわけでは無い。ただの海外旅行だ。それも特に何のスケジュールも組んでない、「ぶらり旅」。小さい頃から世界一世界遺産が多いイタリアには興味があって何度も調べていたので、もはや世界遺産の位置で自分の現在地を把握していたが……そんな古典的な方法では限界がある。
だが異国の地で「迷ってます」オーラを出せば一巻の終わりだ。これはドイツに語学留学に行った子の体験談だが、「いつの間にかリュックを裂かれていた。多分金銭目的。アジア人は金持ってるし狙われやすいから、鞄は前側にした方がいいんだよ」的な話を聞いた。
イタリア語も英語も喋れないのに、ガイドもなしで一人で来るのはやっぱり間違いだったかな、と大きな鞄をお腹に抱え、長いため息をついた時。
街の喧騒に混じって、「おはよう」が入ったイタリア語を話している声が聞こえた。
一瞬願望ゆえの幻聴かと思ったけれど、他にも「さよなら」とか「ありがとう」とか、確かに私の一番知っている母国語で間違いなかった。
声のする方に早足で向かうと、アジア人特有の肌色に小さめの身長、子供っぽい姿で歩く男性一名を発見。神様、慈悲を下さりありがとうございます……!とサン・ピエトロ大聖堂の方面に向かってお辞儀すらした。
「あ、あの!日本の方ですか?」
会話の途中横から失礼すると、目当ての男性と筋肉質の若いイタリア人がぎょっとして足を止める。しかしすぐ体勢を持ち直すと、男性は爽やかに笑った。
「そーです!」
「よ、良かった……!あの、私旅行に来てるんですが、駅の方向が分からなくなって……」
「なるほど。ちょっと待ってくださいね」
はきはきと受け答えする感じのいい青年は、何やら一緒にいた現地の人と会話を交わすと、その人が納得したように深く相槌をうつ。やがてこちらに向かってニコニコと手を振りながら反対方向へと歩いていったので、私もぺこりとお辞儀をした。
「すみません、せっかく楽しそうにお話してらしたのに……」
「気にしないでください。どこの駅ですか?」
「あっ、はい!えっと、ここで……」
「あっはっは!随分遠いすね!バス乗った方がいいかも」
バス停まで送りますよ、と青年は軽やかな足取りで先を行く。見失わないよう私も慌てて追いかけた。
「ここに住まわれてるんですか?」
「ハイ。つってもそんな長い間居るつもりは無いんすけど。俺、もっと色んなとこいって色んなことやりたいんで」
「へぇえ……カッコイイです!私も来年の春から社会人なんで、一人旅で宛もなく知らない土地を踏みしめるって経験、今のうちにやっておきたいなと思って!結局迷ってますけど……はは……」
あなたがいてくれて命拾いしました、ありがとうございますと改まってお礼を言う。
「来春から社会人ってことは、俺の一個下っすね」
「先輩……!」
「はっは!懐かしいなー、俺バレー部だったんすけど、初めて後輩にそうやって呼ばれた時は超絶嬉しかったっす」
「ほえ〜〜!バレー部!スパイクとかサーブとかばしばし打ってたんですか!?」
鞄を片手で抱えてびゅんびゅん腕を振ってみるが、青年は「いや、俺はリベロっていう守備専門のポジションだったんす」と切り返した。
「守備……!私サッカーの試合とか観てて思うんですけど、こう、自分のゴールにキーパーがいるってすっっごい心強いじゃないですか!守備だけど、その人がいるからこそ全力で攻めに行けるっていうか!いいなぁ〜かっこいいなぁ〜」
「っでしょお!!?」
「うわわびっくりした」
「分かってんじゃないですか!かっこいいんすよ!だからぜってーリベロがやりたいし、リベロで全国いけたこと、誇りに思ってます」
「ええーーっ全国行ったんですか!?かっこいいだけでなくお強い!!さてはモテモテでしたね!?」
「いや!!全くと言っていいほどモテなかったっす!!!」
最初控えめだったボリュームがだんだん大きくなって。気がつけば、さっき会ったばかりの人と大口を開けて笑いながら、この街の誰よりも楽しそうに歩いていた。
一人でいる時は必死すぎて上を向けなかったけど、やっぱりイタリアの街、道路に目を瞑れば建物はとても綺麗だ。この人に会えなけば、こんな当たり前のことにすら気づかなかった。だからこそ、「今」来てよかったと思える。
もっと、もっと色んなものを見て、聞いて、経験したい。新しい出会いがあった先で、忘れたくない思い出を増やしたい。
「あのっ、お名前聞いてもいいですか!?」
どうしてか、立ち止まっちゃう私。
多分、バス停までの距離を縮めたくなかった一心で。
「西谷夕です。西に、谷に、夕焼けの夕。名前は?」
「え?」
「せっかくなんで、教えてください」
「あ、はい……!名無し名無しといいます」
スマホのメモ機能に名前を打っていく。後で日記に記すための漢字三文字。きっと何年もかけて、この文字の羅列を懐かしく思うようになるんだろう。
「帰国いつすか?」
「三日後です!お隣のフランスの美術館にも行こうと思ってるので、イタリアにいるのは明日までですけど」
「じゃ、俺案内しますよ!」
再び西谷さんが立ち止まったそこは、私があれほど探して行きたがっていたバス停の前だった。そんなことよりも何よりも、言われた言葉に目を見張る。
「あ、え……いいんですか?お忙しいんじゃ……」
「男たるもの、今しかない!って時を逃す気はサラサラないんで!」
カメラのシャッターが切られる瞬間みたいに、彼はぐっと親指を突き出して笑う。どこからか風が吹いてきて、私の頬を撫でた。
いいな、と思う人との出会いは、いつも私からの一方通行だった。連絡先交換したいな、また会いたいな、と思っていたけど相手からそんな言葉一言もかからなくて、あー思ってたの私だけか、残念って。
ずっとそうやって、せっかくのチャンスを掴み損ねてきた。一人旅がしてみたいなんて言い訳、そんな後悔の積み重ね、成れの果てだ。
「……じゃあ、ぜひ!お願いします!!」
だから今度こそ、向こうから手を差し伸べてくれる今こそ掴みたい。チャンスの前髪を!
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