君といられる喜びを。─短編集─
あなたのお名前は?
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ダンッ!!と耳を劈くような騒音の後、カタカタ…とテーブルの上にのっていたグラスが小刻みに揺れる音がして、やがてゆっくり萎んでいく。
婦人科の受診を検討した方がいいのは何年も前から分かっている。しかし一度でも性行為の経験があると内診は避けられないところが多く、もっと早く行っておけば良かったと後悔せずにはいられない。
座っているソファを何度も蹴ってかろうじて意識を保っていたけど、もっと冷たい場所はないかと床に体をずり落とした。
握っているスマホすら今の体には熱い。画面をつけたら、20:15と表示された。一抹の期待を抱いて確認したLINEの通知も音沙汰無しだ。既読すらついてない。
「……バカーー!!!アホーー!!!ああああ!!!」
痛い〜、痛い〜と呻きながら何か気を紛らわせるものがないかと部屋を漁るが、当然あの若利と同棲している家だ、余計なものなどない。
今月はいつもより特別痛いので判断能力が鈍ったか、自室へ行こうとして間違えて若利の部屋へと入ってしまった。
「………血ついたら面倒くさい……けどもう別にいいや」
ファンに貰ったらしいプーさんのぬいぐるみを抱えて、ばふっとひっろいふかふかのベッドに寝転がると、柔軟剤の香りがふわりと私を包んだ。
この香りは、同棲するという話になった時にどんな家具を持ち込んでも文句の一つも言わない若利に不安になった私が、「はいこれ買い物リスト!メーカーは好きなの買ってきていいから」と一人で買い物に行かせた時に若利が買ってきた柔軟剤と同じ種類のものだ。
案の定全然段取りが分かっていないからかめちゃくちゃ帰ってくるの遅かったけど、「これは去年売上一位だったらしい」とか「名無しは柑橘類の香りが好きだから」とか逐一説明しながら袋から出してくれたのが今でも印象に残っている。でかい図体して本当に可愛らしいと私は思う。
『お疲れ様!今日の晩ご飯はハヤシライス(カレーの絵文字)
たっくさんあるからいっぱい食べてね!!待ってるぞ〜(バンザイの絵文字)』
二時間前に送った自分のLINEをぼーっと見返しているうちに、今なら眠れるような気がしてそのまま意識を手放した。
耳がかすかな物音を拾い、うっすら目を開ける。起き上がったらすぐトイレだ……と念じながら体を起こすと、扉が向こうの部屋の電気で明るく縁どられていた。
(!若利帰ってきたのかな)
スマホの眩しい画面で時間を確認すると、23:47。三時間半も寝ていたようだ。LINEの通知も来てる。
『今終わった。』
『いつもありがとう。買うものがあれば買って帰る。』
その後、三十分ほど前に追加された最後のメッセージは、
『部屋借りる。』
だった。
(なるほど……帰ってきてるけど私の部屋にいて、リビングの電気はつけっぱなしってわけか)
腰を折り曲げトイレに直行したら痛みも随分楽になっていることに気づく。まだ全然収まったわけじゃないけど、人間としての最低限の生命活動は出来そうだ。
自分の部屋より先にキッチンにあるハヤシライスを覗きに行くと、気持ち二日分のつもりでつくった鍋の八割くらいごっそりと無くなっていて、堪えきれなかった笑い声が漏れ出る。
良かった。たくさん食べてるってことは、それだけ元気な証だ。帰ってくるのが遅くてなかなか顔が見られない時とかは、若利が好きなものをつくって残った量で彼の元気のバロメーターをチェックするのが私のやり方だ。
そーっと自分の部屋の扉を開けて顔だけ出すと、自分の腕を枕にして私のベッドに寝転がる見慣れた背中があった。
「若利……?」
「………」
規則正しく動く肩を見て「寝てる……?」と聞くが、寝言ですら返ってくる気配がなかった。
(……別に、隣に寝に来てくれて良かったのに)
一人の方が良いのか、起こすかも、って気を遣ってくれたのかもしれないにしても少し寂しい。こういうところは第一印象に違わず硬派なんだな……。
と思ったけど、だとしたらなんでリビングのソファじゃなく私のベッドで寝るのかもちょっと謎だ。
布団の上に乗っかって寝てるのも、朝まで寝るつもりは無いのかなと思ったが案外ズボラなところがあるし、真相は闇の中……。
同棲なんて一生手探りだ。
おやすみ、と小声で残し、若利の部屋に戻った。
(………さすがに三時間半も寝たあとだと眠れん!!)
こっちは布団も被ってアラームもかけて万全に寝る準備したのに意識が飛ぶ気配がない。うとうとした時もあったがうたた寝のような感じだ。ぼーっとしていたらカーテンの向こうが明るくなってきたのだから驚きもする。
「よし、今ちょっと元気だし早めに弁当作り始めちゃお」
よくテレビとかでやってる、「スポーツ選手の妻は夫の健康管理で大変!」みたいな特集。私がよくあれを意識してキッチンに立つ理由は、そうしないと「若利の好物はこれとあれと……」の地獄の寄せ鍋になってしまうからだ。
「さてと、材料材りょ……ん?」
冷蔵庫のチルドからお肉を取り出していると、昨日はなかったプリンとヨーグルトが一つずつちょこんと居座っていた。
試合で疲れてただろうに、昨日帰りに買ってきてくれたみたいだ。と同時に、(なぜ体調不良がバレている……昨日なったばっかなのに……)とまた疑問が増えた。
いつもの朝の情報番組もまだ始まってすらいないので、しんとした空間の中時々あくびをしながらシンクに洗い物を積み上げていく。
大きな二段のお弁当箱の中身がだいぶ埋まってきたところで、私の部屋の扉が開く音とゴン!!と派手に何かぶつかる音もセットでした。
「……おはよう」
「おはよ!……どっかぶつけた?大丈夫?」
「扉の開く向きが反対なことを忘れていた」
「!ああ〜……私の部屋だもんね、ごめんね昨日占領しちゃって」
寝癖でちょっとぼさっとしてる髪が可愛らしい。でもいつも堂々としてるからキマッているのであって、見た目に左右されないからそんなに違和感もない。
「それより体調はどうだ」
「まだ本調子じゃないけど、薬飲んでるし大丈夫!ありがと。私が体調悪いのよく分かったね」
「……?体調が悪い時はいつも夕飯の報告がある」
「え……?ウソ……無意識だった……お見それしました」
先に朝ごはん食べる?と聞いたら、「走りに行ってくる」と予想通りの返事が返ってきて、一日ぶりの自分の部屋を往復して家を出ていった。
(あぁ〜〜、やっぱいいなぁ若利と暮らすの!!)
リビングで一人ニマニマしながら菜箸を動かす。口数は少ないけれど必要な意思疎通はきちんと出来るし、思っていた10倍は気遣いしてくれるし、特筆すべきはこの安定感!
傍から見れば少女漫画みたいなドキドキ、刺激とは無縁なように見えても、私は割といっぱいいっぱいだったりする。だからこれくらいが、私の心の平穏にはちょうどいい。
弁当を冷ます傍らで朝ごはんをつくり、洗い物をしていたら玄関の扉が開く音が聞こえた。
いつもならそのままシャワーに直行するところを、若利は真っ直ぐ私の所まで歩いてくる。
「汗かいたね!洗面所にタオル出してるよ」
「ああ」
「……あの、どうかした?」
じーーっと私を見下ろすばかりで何か言いたそうだったので、水をとめてタオルをもふもふと触る。
「昨日、名無しの部屋で寝たが」
「うん?」
「全部右側にあって、思った以上に苦労した」
「ああ……そのこと?大丈夫だよ、心配しなくてももう若利の部屋勝手に占領したりしないから」
「いや、そういうことではない。その……使いづらくないのか。風呂とか、トイレ、玄関、リビング、全部俺は使いやすいが、名無しは大変だろう」
演技なしでこんなに何度も瞬きをしたのは人生で初めてに違いない。そんなの家を建てる時に決めたものなのに。
そう、右利きの私が何も考えず自然に使える部屋は、この家では自室ただ一つ。
でも、それでよかった。それが心地好い。
「ぷっ……あはは!そんなの今更だよ!私普通に生活してるでしょ?」
「当たり前に感じて今まで何とも思わなかった」
水を貰えなかった花のようにしょんぼりするものだから、「えー!?」と思いながら慌てて背中をとんとん叩く。ほんとでかい図体して可愛いんだから。
「あなたがバレー以外のことで立ち止まらなくてもいいように私がここにいるの。そんなことで悩んでないで、試合の時みたいにドーンと構えててよね!」
ほら、シャワー浴びて朝ごはん食べる!と背中を叩いて再び洗い物を始めた途端、ズキッと油断していた腹に鋭い衝撃が走った。
「い"っ………」
「大丈夫か」
丸まって身動きがとれなくなった私の代わりに、若利が私から食器とスポンジを引き剥がしてタオルで手を拭いてくれる。かと思えばいとも簡単に姫抱きで体を持ち上げられ、別の意味で頭の中が真っ白になった。
ぎゅっと体に回る若利の腕に力が込められるたびに、私の心も鷲掴みにされてる気分だ。
ダメだ、めちゃくちゃ痛いのに嬉しい。
私の部屋に入ろうとしたのを首を振って止め、「若利のベッドがいい」とわがままを言う。
「……気持ちは分かる」
「?」
「大切な人の部屋は不思議とよく眠れるからな」
わずかながら目を細め、愛しいものを見る柔らかい表情で笑いかけられた私は、幸せホルモンがドバドバ出ているのを身体中で感じながら意識を手放した。
次に目を覚ました時、部屋のモノの位置が全部右利き用に整理し直されていて。
随分楽になったのでそろそろとリビングに行くと、ちょっとだけ癖があるけど達筆な字で書き置きがしてあった。
『掃除と洗濯と洗い物は帰ってから俺がする
他は思いつかなかったのでまた教えてくれ』
「……ほんとに何もかも……」
私、まだ若いとはいえ色々悔いの残る人生歩んできたかもしれないけど。唯一若利と過ごす時間だけは、絶対に間違ってないって断言できるよ。
だって、幸せだもん。書き置きを大切に自室の収納棚に仕舞うと、がぜん家事へのやる気が湧いてきたので「帰ってくるまでにぜーんぶ終わらせよ!」とニシシと笑って腕まくりをした。
「若利、お部屋ありがとね!すっごい使いやすかったよ〜」
「名無し」
「ん?」
「寝室は共用にしよう。部屋より名無し自身がいた方が眠れる気がする」
「うん……うん?」
・
婦人科の受診を検討した方がいいのは何年も前から分かっている。しかし一度でも性行為の経験があると内診は避けられないところが多く、もっと早く行っておけば良かったと後悔せずにはいられない。
座っているソファを何度も蹴ってかろうじて意識を保っていたけど、もっと冷たい場所はないかと床に体をずり落とした。
握っているスマホすら今の体には熱い。画面をつけたら、20:15と表示された。一抹の期待を抱いて確認したLINEの通知も音沙汰無しだ。既読すらついてない。
「……バカーー!!!アホーー!!!ああああ!!!」
痛い〜、痛い〜と呻きながら何か気を紛らわせるものがないかと部屋を漁るが、当然あの若利と同棲している家だ、余計なものなどない。
今月はいつもより特別痛いので判断能力が鈍ったか、自室へ行こうとして間違えて若利の部屋へと入ってしまった。
「………血ついたら面倒くさい……けどもう別にいいや」
ファンに貰ったらしいプーさんのぬいぐるみを抱えて、ばふっとひっろいふかふかのベッドに寝転がると、柔軟剤の香りがふわりと私を包んだ。
この香りは、同棲するという話になった時にどんな家具を持ち込んでも文句の一つも言わない若利に不安になった私が、「はいこれ買い物リスト!メーカーは好きなの買ってきていいから」と一人で買い物に行かせた時に若利が買ってきた柔軟剤と同じ種類のものだ。
案の定全然段取りが分かっていないからかめちゃくちゃ帰ってくるの遅かったけど、「これは去年売上一位だったらしい」とか「名無しは柑橘類の香りが好きだから」とか逐一説明しながら袋から出してくれたのが今でも印象に残っている。でかい図体して本当に可愛らしいと私は思う。
『お疲れ様!今日の晩ご飯はハヤシライス(カレーの絵文字)
たっくさんあるからいっぱい食べてね!!待ってるぞ〜(バンザイの絵文字)』
二時間前に送った自分のLINEをぼーっと見返しているうちに、今なら眠れるような気がしてそのまま意識を手放した。
耳がかすかな物音を拾い、うっすら目を開ける。起き上がったらすぐトイレだ……と念じながら体を起こすと、扉が向こうの部屋の電気で明るく縁どられていた。
(!若利帰ってきたのかな)
スマホの眩しい画面で時間を確認すると、23:47。三時間半も寝ていたようだ。LINEの通知も来てる。
『今終わった。』
『いつもありがとう。買うものがあれば買って帰る。』
その後、三十分ほど前に追加された最後のメッセージは、
『部屋借りる。』
だった。
(なるほど……帰ってきてるけど私の部屋にいて、リビングの電気はつけっぱなしってわけか)
腰を折り曲げトイレに直行したら痛みも随分楽になっていることに気づく。まだ全然収まったわけじゃないけど、人間としての最低限の生命活動は出来そうだ。
自分の部屋より先にキッチンにあるハヤシライスを覗きに行くと、気持ち二日分のつもりでつくった鍋の八割くらいごっそりと無くなっていて、堪えきれなかった笑い声が漏れ出る。
良かった。たくさん食べてるってことは、それだけ元気な証だ。帰ってくるのが遅くてなかなか顔が見られない時とかは、若利が好きなものをつくって残った量で彼の元気のバロメーターをチェックするのが私のやり方だ。
そーっと自分の部屋の扉を開けて顔だけ出すと、自分の腕を枕にして私のベッドに寝転がる見慣れた背中があった。
「若利……?」
「………」
規則正しく動く肩を見て「寝てる……?」と聞くが、寝言ですら返ってくる気配がなかった。
(……別に、隣に寝に来てくれて良かったのに)
一人の方が良いのか、起こすかも、って気を遣ってくれたのかもしれないにしても少し寂しい。こういうところは第一印象に違わず硬派なんだな……。
と思ったけど、だとしたらなんでリビングのソファじゃなく私のベッドで寝るのかもちょっと謎だ。
布団の上に乗っかって寝てるのも、朝まで寝るつもりは無いのかなと思ったが案外ズボラなところがあるし、真相は闇の中……。
同棲なんて一生手探りだ。
おやすみ、と小声で残し、若利の部屋に戻った。
(………さすがに三時間半も寝たあとだと眠れん!!)
こっちは布団も被ってアラームもかけて万全に寝る準備したのに意識が飛ぶ気配がない。うとうとした時もあったがうたた寝のような感じだ。ぼーっとしていたらカーテンの向こうが明るくなってきたのだから驚きもする。
「よし、今ちょっと元気だし早めに弁当作り始めちゃお」
よくテレビとかでやってる、「スポーツ選手の妻は夫の健康管理で大変!」みたいな特集。私がよくあれを意識してキッチンに立つ理由は、そうしないと「若利の好物はこれとあれと……」の地獄の寄せ鍋になってしまうからだ。
「さてと、材料材りょ……ん?」
冷蔵庫のチルドからお肉を取り出していると、昨日はなかったプリンとヨーグルトが一つずつちょこんと居座っていた。
試合で疲れてただろうに、昨日帰りに買ってきてくれたみたいだ。と同時に、(なぜ体調不良がバレている……昨日なったばっかなのに……)とまた疑問が増えた。
いつもの朝の情報番組もまだ始まってすらいないので、しんとした空間の中時々あくびをしながらシンクに洗い物を積み上げていく。
大きな二段のお弁当箱の中身がだいぶ埋まってきたところで、私の部屋の扉が開く音とゴン!!と派手に何かぶつかる音もセットでした。
「……おはよう」
「おはよ!……どっかぶつけた?大丈夫?」
「扉の開く向きが反対なことを忘れていた」
「!ああ〜……私の部屋だもんね、ごめんね昨日占領しちゃって」
寝癖でちょっとぼさっとしてる髪が可愛らしい。でもいつも堂々としてるからキマッているのであって、見た目に左右されないからそんなに違和感もない。
「それより体調はどうだ」
「まだ本調子じゃないけど、薬飲んでるし大丈夫!ありがと。私が体調悪いのよく分かったね」
「……?体調が悪い時はいつも夕飯の報告がある」
「え……?ウソ……無意識だった……お見それしました」
先に朝ごはん食べる?と聞いたら、「走りに行ってくる」と予想通りの返事が返ってきて、一日ぶりの自分の部屋を往復して家を出ていった。
(あぁ〜〜、やっぱいいなぁ若利と暮らすの!!)
リビングで一人ニマニマしながら菜箸を動かす。口数は少ないけれど必要な意思疎通はきちんと出来るし、思っていた10倍は気遣いしてくれるし、特筆すべきはこの安定感!
傍から見れば少女漫画みたいなドキドキ、刺激とは無縁なように見えても、私は割といっぱいいっぱいだったりする。だからこれくらいが、私の心の平穏にはちょうどいい。
弁当を冷ます傍らで朝ごはんをつくり、洗い物をしていたら玄関の扉が開く音が聞こえた。
いつもならそのままシャワーに直行するところを、若利は真っ直ぐ私の所まで歩いてくる。
「汗かいたね!洗面所にタオル出してるよ」
「ああ」
「……あの、どうかした?」
じーーっと私を見下ろすばかりで何か言いたそうだったので、水をとめてタオルをもふもふと触る。
「昨日、名無しの部屋で寝たが」
「うん?」
「全部右側にあって、思った以上に苦労した」
「ああ……そのこと?大丈夫だよ、心配しなくてももう若利の部屋勝手に占領したりしないから」
「いや、そういうことではない。その……使いづらくないのか。風呂とか、トイレ、玄関、リビング、全部俺は使いやすいが、名無しは大変だろう」
演技なしでこんなに何度も瞬きをしたのは人生で初めてに違いない。そんなの家を建てる時に決めたものなのに。
そう、右利きの私が何も考えず自然に使える部屋は、この家では自室ただ一つ。
でも、それでよかった。それが心地好い。
「ぷっ……あはは!そんなの今更だよ!私普通に生活してるでしょ?」
「当たり前に感じて今まで何とも思わなかった」
水を貰えなかった花のようにしょんぼりするものだから、「えー!?」と思いながら慌てて背中をとんとん叩く。ほんとでかい図体して可愛いんだから。
「あなたがバレー以外のことで立ち止まらなくてもいいように私がここにいるの。そんなことで悩んでないで、試合の時みたいにドーンと構えててよね!」
ほら、シャワー浴びて朝ごはん食べる!と背中を叩いて再び洗い物を始めた途端、ズキッと油断していた腹に鋭い衝撃が走った。
「い"っ………」
「大丈夫か」
丸まって身動きがとれなくなった私の代わりに、若利が私から食器とスポンジを引き剥がしてタオルで手を拭いてくれる。かと思えばいとも簡単に姫抱きで体を持ち上げられ、別の意味で頭の中が真っ白になった。
ぎゅっと体に回る若利の腕に力が込められるたびに、私の心も鷲掴みにされてる気分だ。
ダメだ、めちゃくちゃ痛いのに嬉しい。
私の部屋に入ろうとしたのを首を振って止め、「若利のベッドがいい」とわがままを言う。
「……気持ちは分かる」
「?」
「大切な人の部屋は不思議とよく眠れるからな」
わずかながら目を細め、愛しいものを見る柔らかい表情で笑いかけられた私は、幸せホルモンがドバドバ出ているのを身体中で感じながら意識を手放した。
次に目を覚ました時、部屋のモノの位置が全部右利き用に整理し直されていて。
随分楽になったのでそろそろとリビングに行くと、ちょっとだけ癖があるけど達筆な字で書き置きがしてあった。
『掃除と洗濯と洗い物は帰ってから俺がする
他は思いつかなかったのでまた教えてくれ』
「……ほんとに何もかも……」
私、まだ若いとはいえ色々悔いの残る人生歩んできたかもしれないけど。唯一若利と過ごす時間だけは、絶対に間違ってないって断言できるよ。
だって、幸せだもん。書き置きを大切に自室の収納棚に仕舞うと、がぜん家事へのやる気が湧いてきたので「帰ってくるまでにぜーんぶ終わらせよ!」とニシシと笑って腕まくりをした。
「若利、お部屋ありがとね!すっごい使いやすかったよ〜」
「名無し」
「ん?」
「寝室は共用にしよう。部屋より名無し自身がいた方が眠れる気がする」
「うん……うん?」
・