恋の病に薬なし!
あなたのお名前は?
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
.
火傷しますよ ー feat. アズール ー
✱
自分の呼吸の音が体のすみずみにまで響くような、澄んだ空間。さえずる鳥の声、風にそよぐ植物園の木々の音が遠のいていく。
─────“好きな人がいるんでしょ?”
はっと息をのむ。ぐるりとあたりを見回しても、誰もいない。
─────“その人の名を告げて飲み干すの。そして彼の前で愛を告げた時───……”
二人は永遠に結ばれる。
「……っ!!あなたは誰!!どこにいるの!?」
フフフ、アハハ、と無邪気なこどもたちの笑い声がどこか頭上の彼方から聞こえる気がする。
この学園に来て数多の摩訶不思議と出会ってきたけれど、こんなにもタチの悪い恋愛占いは初めてだった。
「フゥ……フゥ……」
瓶を掴む手が震えている。
このままでは、このままでは好きな人とずっと変わらない関係のままなのは分かりきっている。私にはそんな勇気もなければ身分もない。双子の餌にされるのはまっぴらな上、本人だってきっと、私のことを都合のいいカモとしか思ってない。
表面上の優しさを信じるなと、態度で示してきたのはあの人だ。
「……アズール・アーシェングロット……先輩」
ゆらり光る瓶の中を見つめ、一気に飲み干そうと口をつけたその瞬間だった。
パリンッ!!!
真横から鋭い風の刃が飛んできて、私の持つ瓶にクリーンヒットする。一瞬何が何だか分からなくて、粉々になって床に散らばる瓶の破片と液体を見つめた。
「名無しさん!何やってるんですかあなた!!」
「……え……」
ずんずんとこちらに歩いてやってくるアズール先輩は、髪も乱れていて珍しく焦っていた様子だった。
気づけば小鳥のさえずりも、木々のそよぎもいつも通りで、植物園には他の生徒が何人も出入りするのが見える。
「アズール先輩、そんなに慌ててどうしたんですか……?」
「どうしたんですか、じゃないですよ。まさか何も口にしてませんよね?僕のこの指、何本に見えます?お名前は言えますか?」
「え、えと、三本……で、名前は名無しって言います。ここに来てからの記憶が曖昧なんですけど、何も飲んではないはず……?」
はああと大きくため息をつかれ、私の足元に跪く。零れた液体をじっと見つめたかと思えば、「これは珊瑚の海に古くから伝わる“人魚の秘薬”と呼ばれるもので、大商人でも生涯で一度出会えるか否かのとても希少な薬です」と瓶の欠片を回収し始めた。
「人魚の秘薬……」
「一歩間違えれば非常に危険な薬だ。ただ希少な上珊瑚の海に棲む妖精にしか作れないため、地上にはまだ流通していないはずですが」
アズール先輩にだけ拾わせるのは何だか気まずくて、自分も拾おうとしゃがむと「あなたは触らないで!」とまた声を張られてしまった。
「人間のあなたが触ると火傷しますよ。皮膚に触れて大丈夫なのは人魚である僕やジェイド、フロイドだけです」
「え……普通逆なんじゃ?海は冷たいから、魚は人間の体温で火傷しちゃうって」
「火傷と言っても火傷と似た症状が出るという話です。人間の皮膚で触れると深海の水圧で閉じ込めてある魔法が滲んで皮膚を焼いてしまう」
欠片を拾い終わったアズール先輩は、しゃがんだまま落ち込む私を見下ろして「今後はそこら辺にある薬を無闇に飲まないようにしてくださいよ」と念を押して植物園を出ていった。
「……だって」
たとえ願掛けでも、信じたかったんだもん。
口を尖らせ立ち上がり、不思議な声のした植物園を後にした。
再び事件が起きたのは、それから三日後のことだった。
学校終わりのモストロラウンジは大盛況で、バイトで入っている私すらありがたい存在になっていた。
「名無しさん、今日一度も休憩に行ってないでしょう?こちらはもう少しすれば客足も落ち着きますから、今のうちにどうぞ」
「ジェイド先輩……!ありがとうございます、お言葉に甘えて夜ご飯食べてきますね」
ちら、とアズール先輩の姿を一目見る。多分市場調査中だ。抜けると一声かけようか迷ったけれど、忙しそうだしとやめておいた。
財布を取りに戻ってやり切った気持ちでラウンジを出る。片手間に食べられるものがいいかなと財布を覗いた時、また頭の中で「ねえ、ねえ」と声が響いてきた。
「っ!」
咄嗟に耳を塞ぐけれど、全く効果はなくて。
あの時と同じ声だったから、慌ててモストロラウンジに戻ろうとしても、足が竦んで動かなかった。
(なんで……!?)
“なんで?なんで飲まなかったの?名無しが欲しいって言ったから持ってきてあげたのに、叶えてあげたのに!”
“なんで?足りなかった?もっと欲しい?5本?10本?それとも100本?”
「いや……!やめて!薬なんていらない!」
ゴロゴロゴロと階段を何かが転がり落ちてくる音に振り向けば、大量の“人魚の秘薬”が瓶に入って私の方へ転がり落ちてきていた。
「ひっ……」
ぞわりと人智を超えた恐怖に身震いして逃げるように走り出す。
誰か助けて、と祈るように人の影を探すのに、どこにも誰もいない。まるであの時のように、同じに見えて全く別世界に閉じ込められてしまったかのようだった。
“そうやってまた繰り返すんだあ〜”
“名無しのば〜か。誰にも愛されなくてかわいそう”
「うるさいな!余計なお世話よ!だいたい薬持って来いなんて頼んでないでしょ!?早くどっか行って!!」
ぐっと足に力が入って、踵を返す。
そうして襲いかかるような瓶を、両手にかき集め始めた。
“やっと飲む気になった?”
「違う!アズール先輩に持って帰るの!これ珍しい薬なんでしょ!?ちゃんとしたところと取引したら相当な金額になるはず……!!」
“またきた、あいつ。名無しとの時間を邪魔するあいつ、きらい!”
子供の拗ねたような声と同時に、重力が戻ったように体が重くなって、そのまま床に倒れ込む。
ちょうどラウンジから出てきた生徒が「うわっ!えっ!?」と倒れ込む私を見て後ずさる。腕いっぱいに抱えた瓶を抱きしめていたら、背後から聞きなれた声が降ってきた。
「……本っ当に、懲りないやつだ……」
「!?アズール先輩!いやっ、えっと、これはっ」
「入口に座り込まれると集客に悪影響です。怪我はありませんか?」
お話なら中でじっくり聞きますので、と何だか疲れた様子のアズール先輩の後に続いて、VIPルームへと通された。
さっきの低い声といい、怒ってるよなあと肩を落とす。でもきっとこの薬をあげれば機嫌も直してくれるはずだ。アズール先輩がこんな上手い話に乗らないわけがない。私は自信満々だった。
「名無しさんはこの間の錬金術の時間、妖精がねだった材料をあげたらしいですね」
いつまでも抱えてないで置きなさい、取って食ったりしませんから、と言われて、固まっていた腕を解いて薬をガチャガチャとソファに置いていく。
「妖精に材料を……あー、確かにありました。お茶会にどうしても必要なものだからって、焦ってたみたいなので、ちゃんと言えて偉いなって思いながら渡した記憶が……」
「思いながら渡さないでください。学費で買ったものですよ」
「う……。そ、それで今回の件と何か関係あるんですか?」
「その時の妖精に気に入られたんでしょうね。妖精にも様々な種族がいますが、中でも名無しさんに取り入った妖精はかなり上位の種族でした。珊瑚の海の妖精は、盛大なお茶会を開くために食材を吟味しにこの時期だけ地上に上がってくるんです」
アズール先輩は、どこが端か分からないほど大きな学校の図書館で引っ張り出してきたのか、古い資料の束やら本やら、スマホも駆使してあの不思議のからくりを話してくれた。
「……とまあしつこい妖精ですが、僕があなたの傍から離れない限りはちょっかいもかけてこないでしょうね。どちらにせよお茶会が開かれるまでには、奴は海に帰らないといけないでしょうから」
妖精の声が消える直前に聞いた、“あいつきらい”の言葉。その直後に現れたアズール先輩。
二度も遮られれば、そりゃあ嫌いにもなるかもしれない。
でも、他にもたくさん人はいたはずなのに、どうして他の誰も気づいてくれなかったんだろうか。
そして、どうして ──────
「……アズール先輩は、どうして私に気づいてくれたんですか?」
「……は?」
「だって、他に誰も助けてくれなかったんです。ていうか、魔法にかけられてたからか、辺り見回しても誰もいなかったし、助けも呼べなかったから……」
「この話は終わりです。翌月のシフト表もこの後連絡するので確認しておいてくださいね、それでは」
「いやいやいやちょっと!待ってくださいよ!?」
流れるような身のこなしですたすたとVIPルームの出入口へと歩いていってしまうアズール先輩にしがみついて引き留める。ゴロンと何本かの秘薬が床に落ちた音が響いた。
「なっ、何なんですかもう!僕は忙しいんですよ!あなたに構ってる暇など……」
「どうしてか聞くくらいすぐに終わるでしょー!」
「待っ……引っ張るな、スーツが伸びる!!」
騒いでいるところにノックもせず入ってきたフロイド先輩が、不機嫌全開の声で私とアズール先輩にばったり鉢会った。
「小エビちゃ〜ん、何してんの?もう休憩終わりだよねぇ……って、どういう状況?」
「「フロイド(先輩)!ちょうどいいところに!!」」
「あ?」と首を傾げるフロイド先輩に駆け寄り、神社でお参りするようにパン!と両手を重ね合わせた。
「フロイド先輩の言うこと、何でも一つ聞きますから!今アズール先輩とお話する時間をくださいっ!!」
「なっ……フロイド!聞く必要はない!……ていうかあなたも給料差し引きますよ!?」
「何それ面白そ〜、いーよぉ。じゃあアズール、終わったら呼んでね〜」
「終わった!!もう終わってるんだ僕の中では!!」
アズール先輩の叫びも虚しく、裏切りのフロイド先輩に見送られ絶望の表情を見せる。
なんとなく今回のフロイド先輩の聞き分けの良さには、“面白そう”と思った要因がアズール先輩にもあるからじゃないかと勘づいた。
それが何かは、当然私には分からないのだけれど。
扉の向こうからかすかに聞こえてくる、宴会みたいに盛り上がるラウンジの声。
八方塞がりでもまだ言う気にならない様子に、何をそんなに言いたくないんだろうと心底不思議だった。
「……どうしても、本当に言いたくないことなんですか?アズール先輩を傷つけてしまうことですか?」
むっとした表情で睨まれるのは意外と珍しくて。ソファに座り直して、額に手を当てる。
「ハァ……いいでしょう、考えてみれば隠そうとするほど怪しまれるものだ。一度目も二度目も、僕は通りすがりではなく“あなたを探す”ことが目的だったから見つけられただけです」
「そう、だったんですか……ちなみに、どういった用事で?」
「一度目はあなたが植物園に立ち入る様子が変だったから後をつけたんです。二度目は同じことが起こると予測していたので、あなたが休憩のためラウンジから離れたことをジェイドから聞いて追いかけました」
そこまでして、私のこと気にかけてくれてたんだ。震える手を抑えて、「本当にありがとうございました」と深々頭を下げた。
「それであの、これ……アズール先輩が上手く売れば儲かるかなと思って……」
もう一度“人魚の秘薬”を抱えてアズール先輩に渡そうとすれば、ぎょっとして「はぁ!?いりませんよそんなもの!!」と即刻却下された。
あまりにも衝撃で呆けた顔をする私。
「えっ、でも希少な薬だってアズール先輩が……」
「希少は希少でも、危険な薬だって言ったでしょう。……この薬は飲んだ本人を泡にするものなんですよ」
「えっ!?!?」
人魚の秘薬。泡。自分の頭の中で一気に何かが繋がって、でもそれは、ツイステッドワンダーランドの世界じゃなくて元の世界と繋がった感覚だった。
「まさか……アンデルセンの人魚姫……?」
「はい?」
「私の元いた世界に、失恋した人魚姫が泡になるという童話があったんです」
偶然にしても出来すぎている。
どこまでがファンタジーで、どこからが現実なのか、地に足がつかないと不安だ。
「……そんな恐ろしい薬だったんですね、これ」
「妖精には人間にいたずらするのが好きな種族もたくさんいます。人魚でも、船を転覆させては船乗りを海に引きずり込んで楽しむ連中もいるくらいですから」
「いたずらの範疇を超えてるじゃないですか……だって、アズール先輩がいなかったら私……今頃死んでたんですよね?」
「あなたの愛する相手が、あなたの告白にイエスと言えば助かったでしょうけど」
ごほん、と照れ隠しのように咳払いをする姿は、さながらただのお坊ちゃまな男子高校生で。
「……え」
「……何ですかその目は」
「アズール先輩……正直、どこまで知ってます?」
「ここから先は有料ですよ」
「……私ってアズール先輩と契約できない分、全部金で搾り取られてますよね……」
何気なく放った言葉に、ぴく、とアズール先輩が敏感に反応した。言い方にトゲがあったかもと反省して「いやまあ仕方ないことだとは思いますけど」と自分でフォローを入れる。
「……本当ですよ」
「ん?」
「魔法が全てのこの世界で、魔法で縛れない相手がいるというのはあなたの思う以上にずっと厄介です」
「あはっ、はあ、それは……どうも……?」
「なので、薬で縛れるものならと一瞬躊躇して一度目は邪魔に入るのが遅れました」
もういいでしょう?と立ち上がって、今度こそVIPルームを一人で出ていってしまう。
今まで、他人を一人でVIPルームに残したことなんてなかったあのアズール先輩が。耳を真っ赤にして。
遅れて脳が理解して、ぼっと火がついたように私の頬も熱を持つ。
「えっ……ええぇええ〜〜〜〜っ!?!?」
後日、どう見ても労働基準法に違反しているシフト表が送られてきて、か細い悲鳴を上げる私だった。
.
火傷しますよ ー feat. アズール ー
✱
自分の呼吸の音が体のすみずみにまで響くような、澄んだ空間。さえずる鳥の声、風にそよぐ植物園の木々の音が遠のいていく。
─────“好きな人がいるんでしょ?”
はっと息をのむ。ぐるりとあたりを見回しても、誰もいない。
─────“その人の名を告げて飲み干すの。そして彼の前で愛を告げた時───……”
二人は永遠に結ばれる。
「……っ!!あなたは誰!!どこにいるの!?」
フフフ、アハハ、と無邪気なこどもたちの笑い声がどこか頭上の彼方から聞こえる気がする。
この学園に来て数多の摩訶不思議と出会ってきたけれど、こんなにもタチの悪い恋愛占いは初めてだった。
「フゥ……フゥ……」
瓶を掴む手が震えている。
このままでは、このままでは好きな人とずっと変わらない関係のままなのは分かりきっている。私にはそんな勇気もなければ身分もない。双子の餌にされるのはまっぴらな上、本人だってきっと、私のことを都合のいいカモとしか思ってない。
表面上の優しさを信じるなと、態度で示してきたのはあの人だ。
「……アズール・アーシェングロット……先輩」
ゆらり光る瓶の中を見つめ、一気に飲み干そうと口をつけたその瞬間だった。
パリンッ!!!
真横から鋭い風の刃が飛んできて、私の持つ瓶にクリーンヒットする。一瞬何が何だか分からなくて、粉々になって床に散らばる瓶の破片と液体を見つめた。
「名無しさん!何やってるんですかあなた!!」
「……え……」
ずんずんとこちらに歩いてやってくるアズール先輩は、髪も乱れていて珍しく焦っていた様子だった。
気づけば小鳥のさえずりも、木々のそよぎもいつも通りで、植物園には他の生徒が何人も出入りするのが見える。
「アズール先輩、そんなに慌ててどうしたんですか……?」
「どうしたんですか、じゃないですよ。まさか何も口にしてませんよね?僕のこの指、何本に見えます?お名前は言えますか?」
「え、えと、三本……で、名前は名無しって言います。ここに来てからの記憶が曖昧なんですけど、何も飲んではないはず……?」
はああと大きくため息をつかれ、私の足元に跪く。零れた液体をじっと見つめたかと思えば、「これは珊瑚の海に古くから伝わる“人魚の秘薬”と呼ばれるもので、大商人でも生涯で一度出会えるか否かのとても希少な薬です」と瓶の欠片を回収し始めた。
「人魚の秘薬……」
「一歩間違えれば非常に危険な薬だ。ただ希少な上珊瑚の海に棲む妖精にしか作れないため、地上にはまだ流通していないはずですが」
アズール先輩にだけ拾わせるのは何だか気まずくて、自分も拾おうとしゃがむと「あなたは触らないで!」とまた声を張られてしまった。
「人間のあなたが触ると火傷しますよ。皮膚に触れて大丈夫なのは人魚である僕やジェイド、フロイドだけです」
「え……普通逆なんじゃ?海は冷たいから、魚は人間の体温で火傷しちゃうって」
「火傷と言っても火傷と似た症状が出るという話です。人間の皮膚で触れると深海の水圧で閉じ込めてある魔法が滲んで皮膚を焼いてしまう」
欠片を拾い終わったアズール先輩は、しゃがんだまま落ち込む私を見下ろして「今後はそこら辺にある薬を無闇に飲まないようにしてくださいよ」と念を押して植物園を出ていった。
「……だって」
たとえ願掛けでも、信じたかったんだもん。
口を尖らせ立ち上がり、不思議な声のした植物園を後にした。
再び事件が起きたのは、それから三日後のことだった。
学校終わりのモストロラウンジは大盛況で、バイトで入っている私すらありがたい存在になっていた。
「名無しさん、今日一度も休憩に行ってないでしょう?こちらはもう少しすれば客足も落ち着きますから、今のうちにどうぞ」
「ジェイド先輩……!ありがとうございます、お言葉に甘えて夜ご飯食べてきますね」
ちら、とアズール先輩の姿を一目見る。多分市場調査中だ。抜けると一声かけようか迷ったけれど、忙しそうだしとやめておいた。
財布を取りに戻ってやり切った気持ちでラウンジを出る。片手間に食べられるものがいいかなと財布を覗いた時、また頭の中で「ねえ、ねえ」と声が響いてきた。
「っ!」
咄嗟に耳を塞ぐけれど、全く効果はなくて。
あの時と同じ声だったから、慌ててモストロラウンジに戻ろうとしても、足が竦んで動かなかった。
(なんで……!?)
“なんで?なんで飲まなかったの?名無しが欲しいって言ったから持ってきてあげたのに、叶えてあげたのに!”
“なんで?足りなかった?もっと欲しい?5本?10本?それとも100本?”
「いや……!やめて!薬なんていらない!」
ゴロゴロゴロと階段を何かが転がり落ちてくる音に振り向けば、大量の“人魚の秘薬”が瓶に入って私の方へ転がり落ちてきていた。
「ひっ……」
ぞわりと人智を超えた恐怖に身震いして逃げるように走り出す。
誰か助けて、と祈るように人の影を探すのに、どこにも誰もいない。まるであの時のように、同じに見えて全く別世界に閉じ込められてしまったかのようだった。
“そうやってまた繰り返すんだあ〜”
“名無しのば〜か。誰にも愛されなくてかわいそう”
「うるさいな!余計なお世話よ!だいたい薬持って来いなんて頼んでないでしょ!?早くどっか行って!!」
ぐっと足に力が入って、踵を返す。
そうして襲いかかるような瓶を、両手にかき集め始めた。
“やっと飲む気になった?”
「違う!アズール先輩に持って帰るの!これ珍しい薬なんでしょ!?ちゃんとしたところと取引したら相当な金額になるはず……!!」
“またきた、あいつ。名無しとの時間を邪魔するあいつ、きらい!”
子供の拗ねたような声と同時に、重力が戻ったように体が重くなって、そのまま床に倒れ込む。
ちょうどラウンジから出てきた生徒が「うわっ!えっ!?」と倒れ込む私を見て後ずさる。腕いっぱいに抱えた瓶を抱きしめていたら、背後から聞きなれた声が降ってきた。
「……本っ当に、懲りないやつだ……」
「!?アズール先輩!いやっ、えっと、これはっ」
「入口に座り込まれると集客に悪影響です。怪我はありませんか?」
お話なら中でじっくり聞きますので、と何だか疲れた様子のアズール先輩の後に続いて、VIPルームへと通された。
さっきの低い声といい、怒ってるよなあと肩を落とす。でもきっとこの薬をあげれば機嫌も直してくれるはずだ。アズール先輩がこんな上手い話に乗らないわけがない。私は自信満々だった。
「名無しさんはこの間の錬金術の時間、妖精がねだった材料をあげたらしいですね」
いつまでも抱えてないで置きなさい、取って食ったりしませんから、と言われて、固まっていた腕を解いて薬をガチャガチャとソファに置いていく。
「妖精に材料を……あー、確かにありました。お茶会にどうしても必要なものだからって、焦ってたみたいなので、ちゃんと言えて偉いなって思いながら渡した記憶が……」
「思いながら渡さないでください。学費で買ったものですよ」
「う……。そ、それで今回の件と何か関係あるんですか?」
「その時の妖精に気に入られたんでしょうね。妖精にも様々な種族がいますが、中でも名無しさんに取り入った妖精はかなり上位の種族でした。珊瑚の海の妖精は、盛大なお茶会を開くために食材を吟味しにこの時期だけ地上に上がってくるんです」
アズール先輩は、どこが端か分からないほど大きな学校の図書館で引っ張り出してきたのか、古い資料の束やら本やら、スマホも駆使してあの不思議のからくりを話してくれた。
「……とまあしつこい妖精ですが、僕があなたの傍から離れない限りはちょっかいもかけてこないでしょうね。どちらにせよお茶会が開かれるまでには、奴は海に帰らないといけないでしょうから」
妖精の声が消える直前に聞いた、“あいつきらい”の言葉。その直後に現れたアズール先輩。
二度も遮られれば、そりゃあ嫌いにもなるかもしれない。
でも、他にもたくさん人はいたはずなのに、どうして他の誰も気づいてくれなかったんだろうか。
そして、どうして ──────
「……アズール先輩は、どうして私に気づいてくれたんですか?」
「……は?」
「だって、他に誰も助けてくれなかったんです。ていうか、魔法にかけられてたからか、辺り見回しても誰もいなかったし、助けも呼べなかったから……」
「この話は終わりです。翌月のシフト表もこの後連絡するので確認しておいてくださいね、それでは」
「いやいやいやちょっと!待ってくださいよ!?」
流れるような身のこなしですたすたとVIPルームの出入口へと歩いていってしまうアズール先輩にしがみついて引き留める。ゴロンと何本かの秘薬が床に落ちた音が響いた。
「なっ、何なんですかもう!僕は忙しいんですよ!あなたに構ってる暇など……」
「どうしてか聞くくらいすぐに終わるでしょー!」
「待っ……引っ張るな、スーツが伸びる!!」
騒いでいるところにノックもせず入ってきたフロイド先輩が、不機嫌全開の声で私とアズール先輩にばったり鉢会った。
「小エビちゃ〜ん、何してんの?もう休憩終わりだよねぇ……って、どういう状況?」
「「フロイド(先輩)!ちょうどいいところに!!」」
「あ?」と首を傾げるフロイド先輩に駆け寄り、神社でお参りするようにパン!と両手を重ね合わせた。
「フロイド先輩の言うこと、何でも一つ聞きますから!今アズール先輩とお話する時間をくださいっ!!」
「なっ……フロイド!聞く必要はない!……ていうかあなたも給料差し引きますよ!?」
「何それ面白そ〜、いーよぉ。じゃあアズール、終わったら呼んでね〜」
「終わった!!もう終わってるんだ僕の中では!!」
アズール先輩の叫びも虚しく、裏切りのフロイド先輩に見送られ絶望の表情を見せる。
なんとなく今回のフロイド先輩の聞き分けの良さには、“面白そう”と思った要因がアズール先輩にもあるからじゃないかと勘づいた。
それが何かは、当然私には分からないのだけれど。
扉の向こうからかすかに聞こえてくる、宴会みたいに盛り上がるラウンジの声。
八方塞がりでもまだ言う気にならない様子に、何をそんなに言いたくないんだろうと心底不思議だった。
「……どうしても、本当に言いたくないことなんですか?アズール先輩を傷つけてしまうことですか?」
むっとした表情で睨まれるのは意外と珍しくて。ソファに座り直して、額に手を当てる。
「ハァ……いいでしょう、考えてみれば隠そうとするほど怪しまれるものだ。一度目も二度目も、僕は通りすがりではなく“あなたを探す”ことが目的だったから見つけられただけです」
「そう、だったんですか……ちなみに、どういった用事で?」
「一度目はあなたが植物園に立ち入る様子が変だったから後をつけたんです。二度目は同じことが起こると予測していたので、あなたが休憩のためラウンジから離れたことをジェイドから聞いて追いかけました」
そこまでして、私のこと気にかけてくれてたんだ。震える手を抑えて、「本当にありがとうございました」と深々頭を下げた。
「それであの、これ……アズール先輩が上手く売れば儲かるかなと思って……」
もう一度“人魚の秘薬”を抱えてアズール先輩に渡そうとすれば、ぎょっとして「はぁ!?いりませんよそんなもの!!」と即刻却下された。
あまりにも衝撃で呆けた顔をする私。
「えっ、でも希少な薬だってアズール先輩が……」
「希少は希少でも、危険な薬だって言ったでしょう。……この薬は飲んだ本人を泡にするものなんですよ」
「えっ!?!?」
人魚の秘薬。泡。自分の頭の中で一気に何かが繋がって、でもそれは、ツイステッドワンダーランドの世界じゃなくて元の世界と繋がった感覚だった。
「まさか……アンデルセンの人魚姫……?」
「はい?」
「私の元いた世界に、失恋した人魚姫が泡になるという童話があったんです」
偶然にしても出来すぎている。
どこまでがファンタジーで、どこからが現実なのか、地に足がつかないと不安だ。
「……そんな恐ろしい薬だったんですね、これ」
「妖精には人間にいたずらするのが好きな種族もたくさんいます。人魚でも、船を転覆させては船乗りを海に引きずり込んで楽しむ連中もいるくらいですから」
「いたずらの範疇を超えてるじゃないですか……だって、アズール先輩がいなかったら私……今頃死んでたんですよね?」
「あなたの愛する相手が、あなたの告白にイエスと言えば助かったでしょうけど」
ごほん、と照れ隠しのように咳払いをする姿は、さながらただのお坊ちゃまな男子高校生で。
「……え」
「……何ですかその目は」
「アズール先輩……正直、どこまで知ってます?」
「ここから先は有料ですよ」
「……私ってアズール先輩と契約できない分、全部金で搾り取られてますよね……」
何気なく放った言葉に、ぴく、とアズール先輩が敏感に反応した。言い方にトゲがあったかもと反省して「いやまあ仕方ないことだとは思いますけど」と自分でフォローを入れる。
「……本当ですよ」
「ん?」
「魔法が全てのこの世界で、魔法で縛れない相手がいるというのはあなたの思う以上にずっと厄介です」
「あはっ、はあ、それは……どうも……?」
「なので、薬で縛れるものならと一瞬躊躇して一度目は邪魔に入るのが遅れました」
もういいでしょう?と立ち上がって、今度こそVIPルームを一人で出ていってしまう。
今まで、他人を一人でVIPルームに残したことなんてなかったあのアズール先輩が。耳を真っ赤にして。
遅れて脳が理解して、ぼっと火がついたように私の頬も熱を持つ。
「えっ……ええぇええ〜〜〜〜っ!?!?」
後日、どう見ても労働基準法に違反しているシフト表が送られてきて、か細い悲鳴を上げる私だった。
.