恋の病に薬なし!
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絶対に逃がさねえぞ ─ feat. レオナ ー
✱
嵐のように過ぎ去っていった日々だった。
思い返せば静かな時間なんてなくて、夢の中にすら騒ぎにやってくる同学年の友だち。
あと一時間もせずに、私はみんなに黙って元の世界に帰る。
ずっと探し続けていた方法が見つかって、いざ本当に帰れるとなると複雑な気持ちになった。素直に喜んで鏡に飛び込めない自分が嫌で、何度もベッドの上で寝返りをうった。
「……色んなことがあったね、グリム」
お腹を出し、いびきをかいて大の字で眠るグリムに布団を掛ける。
あなたが無事で、また一緒に学園生活を送れて嬉しかった。
見返りも求めず何度でも助けに来てくれたエースやデュース。
目を瞑ると笑顔で手を振ってくる様が浮かんできて、ひとりでに涙がこぼれ落ちた。
そっと布団から這い出て、荷物を纏めて自室の扉を開ける。閉めるのが惜しくて部屋を見渡せば、ここに来た当初より随分綺麗になったこの空間に、たしかに自分はいたんだと感じられた。
「今までありがとう。……元気でね」
冷たい水の中を歩いているように、足取りが重い。
このまま本当に、誰にも何も伝えずいなくなってしまっていいのか?
己に問いかける疑問はどんどん心の中で膨らんでいき、ついに足を止めてしまった。
「………最後に、寝顔だけでも……」
なんて言いつつ、何枚にも渡って書き綴った手紙を鞄から取り出す。
結局最後まで、私は彼の傍にいることに負い目を感じ続けていた。身分の差を推し量るような周りの視線に辟易し、寮に帰ってはため息をつく日々だった。
一緒に過ごしていても物の価値観が全然違うし、私が好きなことでも彼は面倒臭がるし、私はそんなに寝てばっかりじゃつまんないし。
けれどやっぱり、一緒にいたら不思議と安心出来た。
ちゃんとしなきゃって思わなくていいし、私がお昼寝してたらいつの間にか隣で一緒に日向ぼっこしてるような人だった。
私が好きなことを一緒にやる時は面倒くさそうにするけど、「嫌だ」とか「無駄だ」なんて言ったことはただの一度もなかった。
そんなことを考えていたから、足は自然とサバナクロー寮へと向かう。
砂漠の夜は冷える。オンボロ寮の次に長く過ごした場所だから分かる。
寮長の部屋の電気は消えていた。
とっくに就寝中だろう。何せ、今は夜中の二時半。睡眠を邪魔されない貴重な時間に、彼が寝ないわけが無い。
お邪魔します。
心の中でお辞儀をして、貰った合鍵で寮長の部屋の扉を開ける。
この鍵を使う、最初で最後の機会だった。
寝顔を見て、挨拶したら、合鍵は手紙と一緒にこの部屋に置いていく。
あいにく窓側を向いて寝ているから、回り込まないと顔がよく見えない。自分もベッドにゆっくり腰掛けて、顔を覗き込んだ。
「う、ぅわっ」
大きな翡翠色の瞳とバチッと視線がかち合い、ホラー映画並みに肩を揺らして飛び退く。
「こんな時間に何の用だ。夜這いか?」
「レオナさん!起きてたんですか!?」
「お前が部屋の近くに来た時点で、音で目覚めたんだよ」
ふあぁ、と大きな欠伸を一つして、肘で頭を支えてこちらを見やった。
「で?何だその大荷物は」
「あっ……」
本当に分からなくて聞いてくる時と、分かってて問い詰める時のレオナさんの声は全然違う。一緒にいるようになって気づいた。
今のこれは、完全に後者だ。
「わ、私……元の世界に帰れることになったんです。だ、だから……最後に挨拶を……」
「そうかよ。ずっと帰りたがってたわりには浮かねえ顔だな」
「……レオナさんも、このこと聞いても動じないんですね」
「こっちに来れたんだから帰る方法も普通はあるもんだ。見つかったのが今だったってだけで驚くことでもねえだろ」
声色だっていつもと変わらない。私が一方的に寂しがっていただけだと思うと、今までの時間の答え合わせをされたようで、一気に虚しくなってしまった。
「そう……ですよね。……じゃあ……私行きますね」
「ああ」
本当に、こんなにあっさりなんだ。
半ば放心状態でベッドから立ち上がる。
引き留められさえしない。
私の存在って何だったんですか、なんて質問が一生もののトラウマに変わりそうでとても聞けない。
引き留めないことが優しさだとして、その優しさが私には毒だ。
「……おい、一つ聞かせろ」
「……え〜、いやです。未練になったら嫌なので、ささっと出ます!じゃ……」
「向こうの世界じゃ、お前のことが大事なやつがたくさんいて、自由に生きられるんだよな?」
唇を噛んだ痛みで涙が出てきそうだった。
「……なんでそんなこと、今更聞くんですか……?」
「どう見ても帰れるのが嬉しいって面じゃねえからだろうが」
「そりゃ……帰れるのは嬉しいですよ。でもこっちにだって、大事な人がたくさんいるんです。決断しなきゃいけない辛さだってあるんですよ……!」
「それでも帰る道選んだんだろ?」
「レオナさんがさっき引き留めてくれてたら、ちょっとは違ったかもしれませんね」
でも、もう過去だ。最後に面倒くさい女だと思われたくない。
「さよなら、レオナさん。あなたと会えて嬉しかった。……大好きです」
表情筋の使い方が分からなくなったけど、多分笑えてたと思う。
こつこつとローファーを鳴らして魔法の鏡がある部屋へと向かう。
着いてそうそう、待ち構えていた学園長が「名無しさん!んもうっ遅いですよお!」と腰に手を当ててプンプン怒っていた。
「すみません。レオナさんとお話してたら遅くなっちゃいました」
「……ちゃんとお別れは言えましたか?」
「どうでしょう。私が一方的に言ってた気もします」
そうですか、と頷いたきり、準備も始めず顎に手を当てて考える素振りを見せる学園長。
「……これは口止めされていたことですので、言おうかどうか迷いましたが」
「えー!ここまで来て何か秘密が!?」
テレフォンショッピングのような陽気なノリは空元気の象徴だ。
「実は、キングスカラーさんが……もしあなたが万が一元の世界に帰りたがらなかった時、自分に知らせて欲しいと言いに来たことがあったんです」
「……え」
「私は自分で言えばいいのではと提案しましたが、あなたの足枷になってはいけないと思っていたのでしょう。彼は自分の家柄のことで、あなたに自ずと並大抵ではない苦労が約束されてしまうことを懸念していました。……これは上層部の噂程度ですが、キングスカラーさんはあなたといるようになってから放置していた全ての縁談を断っているという話もありました」
「……そ、そんな話一言も……」
「ええ、聞いていないでしょうね。けれどあなたがいなくなったあとのキングスカラーさんの荒れっぷりを想像するだけで悪寒が……あっ!もちろん、心配でという意味でですよ!私、優しいので!!」
孤独でいる時、帰る道が今見つかったらどれだけ楽だろうと辛い時期もあった。
彼といる時、帰る道が永遠に見つからなければ、誰のせいにもせずに、ずっと一緒にいられるのにと願った時期もあった。
どっちが正解かなんて私にも分からない。けれど想いは流動的で、だからこそ“今”、後悔しない道を選ばなければと思った。
「貴重な闇の鏡をお借りして、ここまで準備してくださった学園長に失礼を承知の上でお願いがあります」
「ええ、いいでしょう。今のあなたのお願いなら」
「お願いします。ナイトレイブンカレッジの生徒として、これからも籍を置かせていただけないでしょうか」
荷物を脇に置いて、90度より深く頭を下げる。
闇の鏡に誓って、この身勝手を貫くと決めた。
「何を水臭いことを。生徒の成長を卒業まで見守るのが、教師の務めですから」
学園長の声色に微笑みが滲んでいるのを感じ、晴れやかな気持ちでゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとうございます!」
「いやはやよかった!!あなたの一件でキングスカラー家から当校への巨額の投資が打ち切られるとなるとどうなることかと……」
「えっ?」
「とにかく、そうと決まれば早く寮に戻って就寝ですよ。学生はこんな遅い時間まで起きててはいけませんからね!」
後処理は私がしておきますから、とどこか浮き足立った学園長の声。私も夜中とは思えない明るく元気な返事で、部屋を後にした。
「はぁっ……はぁっ……」
「ふな〜〜っ!!子分!!勝手にどっか行くんじゃねえんだゾ〜〜〜!!!」
「わっ、グリム!?」
オンボロ寮へと荷物を抱えて走っている間、メインストリートあたりで周囲への迷惑も考えず泣き叫ぶグリムが私に突進してきた。
そのまま抱き上げてあやすようによしよしと背中を撫でる。今までグリムに一言も言わず夜中に抜け出したことなんてなかったから、目覚めた時隣にいなくて不安になったんだろう。とはいえ、一つ疑問が浮かんだ。
「グリムがこんな夜中に起きるなんて珍しいじゃん」
「だってぇ!!急にレオナのやつが部屋まで来てお前のベッドで寝やがるから!オレ様、あいつがドアを蹴破る音で飛び起きて!子分はどこだって言ったら、元の世界に帰ったとか言いやがるからぁあ!!」
わんわんとギャン泣きするグリムを抱えて、再び帰路を歩き出す。
ホントに帰るんじゃねぇのか、帰らないよ、嘘ついてねぇか、ついてないよ、と押し問答を繰り返し、ついにオンボロ寮が目の前に。
「レオナのやつ……一発蹴り入れなきゃ気が済まないんだゾ」
「でも、レオナさんがいなかったら、私ホントに帰ってたよ」
「へ……?」
おっかなびっくりなグリムを下に降ろしてにっこりとほほ笑みかける。外れかかった扉を押して、荷物を玄関に引き入れた。
息を止めても忍び足の音も聞こえていると分かっているから、ずんずん自分の部屋へと進んで勢いよくドアを開ける。それと同時に目が合ったのは、もしかすると私たちが出会って初めてだったかもしれない。
「お前……」
「こんな時間に夜這いですか?」
「……帰ったんじゃねぇのか?」
「レオナさんの意見も聞いてからにしようかなと思って」
私の笑顔を深読みする神妙な面持ちのレオナさんがおかしくて、つい笑みが深くなる。
「私はどうするか決まってます。誰が何と言おうが揺るぎません。……ただ、ちゃんとレオナさんの気持ちを聞いておきたいんです」
「ハッ、んなこと言いに来る暇あったらとっとと行け。他の奴らに見つかりゃ余計帰りづらくなるぜ?」
「いいですよ見つかっても。決意は変わらないので」
「……ハァ」
がし、とくせ毛を掻いてため息をついた。
「あんまおちょくんのも大概にしろよ。いいから早く行け。…………頼むから」
彼の弱々しい声に、喉と胸の奥がきゅうと狭まって苦しい。苦しいはずなのに、甘いドキドキが止まらない。
「レオナさん、私……」
「おいっレオナ!名無しが元の世界に帰るなんかウソっぱちじゃねえか!!オレ様をからかいやがって、許さねえんだゾ〜!!」
私の足の間をすりぬけていったグリムが、今度はレオナに向かって憤怒の叫びをあげる。
「ちょ、ちょっとグリム!先に言わないでよ!!私まだ言ってなかったのに……!」
「は?おい、どういうことか説明しろ」
レオナさんに首根っこを掴まれ暴れるグリム。今の聞き方は、「本当に分かっていない時」だ。
「レオナさん。私、まだ帰るつもりはないです」
「理由を聞いてんだ。ついさっきまで帰る気満々だっただろうが。クロウリーに何か言われたんじゃねぇだろうな」
「心当たりがあるんですか?」
「ああ、大いにな。帰りたくねえって駄々こねる時は、俺が代わりにぶち込んでやるから言えって言っといた」
「………代わりにどこに……?」
「お前のいた世界に決まってんだろ」
「ええっ!?そうだったんですか!?学園長から聞いた話と真逆……!!」
「チッ、やっぱ喋ってんじゃねえかクロウリーの野郎」
「あっ……学園長、すみません……」
ということは、私やっぱりレオナさんからそこまで残って欲しいって思われてないってこと!?と混乱しだしたところで、レオナさんは堪えきれなくなったようにくくく……と笑いだした。
「こんな世界でお前を野放しにしたら、すぐにそこら辺の奴らに食われちまいそうだな」
「まだまだ私も修行が足りませんね。魔法が使えなくても堂々としていられるように、やれることは全部やってみないと」
「そんなことはいいからはーなーせーッ!!」
やっとの思いでレオナさんから開放されたグリムが、騒ぎ疲れたのか秒で熟睡タイムに突入する。さっきの今で、またそのお腹に布団をかけることになるとは思いもしなかった。
「……それで……明日以降も私はツイステッドワンダーランドの住人なので、安心してご自分の部屋に帰っていただいて大丈夫ですよ」
「断る。いちいち戻んのも面倒くせぇ、お前が床で寝ろよ」
「……拗ねてます?」
ぴょこっ、とライオンの小さな耳が動く。
レオナさんの弱気な声を聞いた直後だった私は油断しまくり、気が大きくなっていた。大胆にもレオナさんの視界のど真ん中で背中を向けてベッドに座り、まとめていた荷物を解き始めていた。
「俺はお前の気の迷いを正してやるほど親切じゃねえぞ」
「気の迷いで後悔するようなら、王子様であるレオナさんに告白なんかしてませんよ」
私、運はいい方なんです、とドヤ顔で振り返ってみると、思っていた100倍は柔らかに笑うレオナさんの姿があって、思わず驚いてすぐそっぽを向いてしまった。
けれど直後にぐりぐりと頭突きのように背中に頭を押し付けてこられて、一気に緊張がほどける。
「な……あはは!なんですか?子供みたい……」
一人だけ笑ってる私の首元に、やさしく立てられる鋭利な牙。これだけは何度されても慣れなくて、高ぶる心臓を抑えながら慌ててグリムの瞼が開いていないか確認した。
「あのっ、毎回思うんですけど何なんですかそれっ……?」
「あ?……マーキングだ」
間があったのには別の意図が隠れている気がして気になるが、それ以上に甘噛みする時のレオナさんは色気が割り増しになる方が気になる。
そうしているうちに腕を掴まれ布団の中に引きずり込まれ、私はすっぽりとレオナさんの顎の下に収まった。
「……なァ」
「はい?」
「後からやっぱり帰りたいとか言い出しても、絶対に逃がさねえぞ。……それでもいいんだな」
「あなたとなら、喜んで」
流れに身を任せるまま、その日私たちは初めてキスを交わした。
後日。
サバナクロー寮の人たちが私を遠巻きに見ていたのは、決して“釣り合わない”だとか考えていたわけではなく、レオナさんのマーキングが濃すぎて引かれていただけだということを知った。
寮生いわく、私に近寄ればレオナさんがどう出るか分からなかったので距離をとるしかなかったそうだ。
サバナクロー寮生は普段は余計なことばっかり言って肝心なところを言わない、と怒るところだったが、他でもない寮長のやることに口を挟めるはずはなく、私は溜まり溜まったもやもやのぶつけ所をすっかり見失ってしまったのだった。
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絶対に逃がさねえぞ ─ feat. レオナ ー
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嵐のように過ぎ去っていった日々だった。
思い返せば静かな時間なんてなくて、夢の中にすら騒ぎにやってくる同学年の友だち。
あと一時間もせずに、私はみんなに黙って元の世界に帰る。
ずっと探し続けていた方法が見つかって、いざ本当に帰れるとなると複雑な気持ちになった。素直に喜んで鏡に飛び込めない自分が嫌で、何度もベッドの上で寝返りをうった。
「……色んなことがあったね、グリム」
お腹を出し、いびきをかいて大の字で眠るグリムに布団を掛ける。
あなたが無事で、また一緒に学園生活を送れて嬉しかった。
見返りも求めず何度でも助けに来てくれたエースやデュース。
目を瞑ると笑顔で手を振ってくる様が浮かんできて、ひとりでに涙がこぼれ落ちた。
そっと布団から這い出て、荷物を纏めて自室の扉を開ける。閉めるのが惜しくて部屋を見渡せば、ここに来た当初より随分綺麗になったこの空間に、たしかに自分はいたんだと感じられた。
「今までありがとう。……元気でね」
冷たい水の中を歩いているように、足取りが重い。
このまま本当に、誰にも何も伝えずいなくなってしまっていいのか?
己に問いかける疑問はどんどん心の中で膨らんでいき、ついに足を止めてしまった。
「………最後に、寝顔だけでも……」
なんて言いつつ、何枚にも渡って書き綴った手紙を鞄から取り出す。
結局最後まで、私は彼の傍にいることに負い目を感じ続けていた。身分の差を推し量るような周りの視線に辟易し、寮に帰ってはため息をつく日々だった。
一緒に過ごしていても物の価値観が全然違うし、私が好きなことでも彼は面倒臭がるし、私はそんなに寝てばっかりじゃつまんないし。
けれどやっぱり、一緒にいたら不思議と安心出来た。
ちゃんとしなきゃって思わなくていいし、私がお昼寝してたらいつの間にか隣で一緒に日向ぼっこしてるような人だった。
私が好きなことを一緒にやる時は面倒くさそうにするけど、「嫌だ」とか「無駄だ」なんて言ったことはただの一度もなかった。
そんなことを考えていたから、足は自然とサバナクロー寮へと向かう。
砂漠の夜は冷える。オンボロ寮の次に長く過ごした場所だから分かる。
寮長の部屋の電気は消えていた。
とっくに就寝中だろう。何せ、今は夜中の二時半。睡眠を邪魔されない貴重な時間に、彼が寝ないわけが無い。
お邪魔します。
心の中でお辞儀をして、貰った合鍵で寮長の部屋の扉を開ける。
この鍵を使う、最初で最後の機会だった。
寝顔を見て、挨拶したら、合鍵は手紙と一緒にこの部屋に置いていく。
あいにく窓側を向いて寝ているから、回り込まないと顔がよく見えない。自分もベッドにゆっくり腰掛けて、顔を覗き込んだ。
「う、ぅわっ」
大きな翡翠色の瞳とバチッと視線がかち合い、ホラー映画並みに肩を揺らして飛び退く。
「こんな時間に何の用だ。夜這いか?」
「レオナさん!起きてたんですか!?」
「お前が部屋の近くに来た時点で、音で目覚めたんだよ」
ふあぁ、と大きな欠伸を一つして、肘で頭を支えてこちらを見やった。
「で?何だその大荷物は」
「あっ……」
本当に分からなくて聞いてくる時と、分かってて問い詰める時のレオナさんの声は全然違う。一緒にいるようになって気づいた。
今のこれは、完全に後者だ。
「わ、私……元の世界に帰れることになったんです。だ、だから……最後に挨拶を……」
「そうかよ。ずっと帰りたがってたわりには浮かねえ顔だな」
「……レオナさんも、このこと聞いても動じないんですね」
「こっちに来れたんだから帰る方法も普通はあるもんだ。見つかったのが今だったってだけで驚くことでもねえだろ」
声色だっていつもと変わらない。私が一方的に寂しがっていただけだと思うと、今までの時間の答え合わせをされたようで、一気に虚しくなってしまった。
「そう……ですよね。……じゃあ……私行きますね」
「ああ」
本当に、こんなにあっさりなんだ。
半ば放心状態でベッドから立ち上がる。
引き留められさえしない。
私の存在って何だったんですか、なんて質問が一生もののトラウマに変わりそうでとても聞けない。
引き留めないことが優しさだとして、その優しさが私には毒だ。
「……おい、一つ聞かせろ」
「……え〜、いやです。未練になったら嫌なので、ささっと出ます!じゃ……」
「向こうの世界じゃ、お前のことが大事なやつがたくさんいて、自由に生きられるんだよな?」
唇を噛んだ痛みで涙が出てきそうだった。
「……なんでそんなこと、今更聞くんですか……?」
「どう見ても帰れるのが嬉しいって面じゃねえからだろうが」
「そりゃ……帰れるのは嬉しいですよ。でもこっちにだって、大事な人がたくさんいるんです。決断しなきゃいけない辛さだってあるんですよ……!」
「それでも帰る道選んだんだろ?」
「レオナさんがさっき引き留めてくれてたら、ちょっとは違ったかもしれませんね」
でも、もう過去だ。最後に面倒くさい女だと思われたくない。
「さよなら、レオナさん。あなたと会えて嬉しかった。……大好きです」
表情筋の使い方が分からなくなったけど、多分笑えてたと思う。
こつこつとローファーを鳴らして魔法の鏡がある部屋へと向かう。
着いてそうそう、待ち構えていた学園長が「名無しさん!んもうっ遅いですよお!」と腰に手を当ててプンプン怒っていた。
「すみません。レオナさんとお話してたら遅くなっちゃいました」
「……ちゃんとお別れは言えましたか?」
「どうでしょう。私が一方的に言ってた気もします」
そうですか、と頷いたきり、準備も始めず顎に手を当てて考える素振りを見せる学園長。
「……これは口止めされていたことですので、言おうかどうか迷いましたが」
「えー!ここまで来て何か秘密が!?」
テレフォンショッピングのような陽気なノリは空元気の象徴だ。
「実は、キングスカラーさんが……もしあなたが万が一元の世界に帰りたがらなかった時、自分に知らせて欲しいと言いに来たことがあったんです」
「……え」
「私は自分で言えばいいのではと提案しましたが、あなたの足枷になってはいけないと思っていたのでしょう。彼は自分の家柄のことで、あなたに自ずと並大抵ではない苦労が約束されてしまうことを懸念していました。……これは上層部の噂程度ですが、キングスカラーさんはあなたといるようになってから放置していた全ての縁談を断っているという話もありました」
「……そ、そんな話一言も……」
「ええ、聞いていないでしょうね。けれどあなたがいなくなったあとのキングスカラーさんの荒れっぷりを想像するだけで悪寒が……あっ!もちろん、心配でという意味でですよ!私、優しいので!!」
孤独でいる時、帰る道が今見つかったらどれだけ楽だろうと辛い時期もあった。
彼といる時、帰る道が永遠に見つからなければ、誰のせいにもせずに、ずっと一緒にいられるのにと願った時期もあった。
どっちが正解かなんて私にも分からない。けれど想いは流動的で、だからこそ“今”、後悔しない道を選ばなければと思った。
「貴重な闇の鏡をお借りして、ここまで準備してくださった学園長に失礼を承知の上でお願いがあります」
「ええ、いいでしょう。今のあなたのお願いなら」
「お願いします。ナイトレイブンカレッジの生徒として、これからも籍を置かせていただけないでしょうか」
荷物を脇に置いて、90度より深く頭を下げる。
闇の鏡に誓って、この身勝手を貫くと決めた。
「何を水臭いことを。生徒の成長を卒業まで見守るのが、教師の務めですから」
学園長の声色に微笑みが滲んでいるのを感じ、晴れやかな気持ちでゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとうございます!」
「いやはやよかった!!あなたの一件でキングスカラー家から当校への巨額の投資が打ち切られるとなるとどうなることかと……」
「えっ?」
「とにかく、そうと決まれば早く寮に戻って就寝ですよ。学生はこんな遅い時間まで起きててはいけませんからね!」
後処理は私がしておきますから、とどこか浮き足立った学園長の声。私も夜中とは思えない明るく元気な返事で、部屋を後にした。
「はぁっ……はぁっ……」
「ふな〜〜っ!!子分!!勝手にどっか行くんじゃねえんだゾ〜〜〜!!!」
「わっ、グリム!?」
オンボロ寮へと荷物を抱えて走っている間、メインストリートあたりで周囲への迷惑も考えず泣き叫ぶグリムが私に突進してきた。
そのまま抱き上げてあやすようによしよしと背中を撫でる。今までグリムに一言も言わず夜中に抜け出したことなんてなかったから、目覚めた時隣にいなくて不安になったんだろう。とはいえ、一つ疑問が浮かんだ。
「グリムがこんな夜中に起きるなんて珍しいじゃん」
「だってぇ!!急にレオナのやつが部屋まで来てお前のベッドで寝やがるから!オレ様、あいつがドアを蹴破る音で飛び起きて!子分はどこだって言ったら、元の世界に帰ったとか言いやがるからぁあ!!」
わんわんとギャン泣きするグリムを抱えて、再び帰路を歩き出す。
ホントに帰るんじゃねぇのか、帰らないよ、嘘ついてねぇか、ついてないよ、と押し問答を繰り返し、ついにオンボロ寮が目の前に。
「レオナのやつ……一発蹴り入れなきゃ気が済まないんだゾ」
「でも、レオナさんがいなかったら、私ホントに帰ってたよ」
「へ……?」
おっかなびっくりなグリムを下に降ろしてにっこりとほほ笑みかける。外れかかった扉を押して、荷物を玄関に引き入れた。
息を止めても忍び足の音も聞こえていると分かっているから、ずんずん自分の部屋へと進んで勢いよくドアを開ける。それと同時に目が合ったのは、もしかすると私たちが出会って初めてだったかもしれない。
「お前……」
「こんな時間に夜這いですか?」
「……帰ったんじゃねぇのか?」
「レオナさんの意見も聞いてからにしようかなと思って」
私の笑顔を深読みする神妙な面持ちのレオナさんがおかしくて、つい笑みが深くなる。
「私はどうするか決まってます。誰が何と言おうが揺るぎません。……ただ、ちゃんとレオナさんの気持ちを聞いておきたいんです」
「ハッ、んなこと言いに来る暇あったらとっとと行け。他の奴らに見つかりゃ余計帰りづらくなるぜ?」
「いいですよ見つかっても。決意は変わらないので」
「……ハァ」
がし、とくせ毛を掻いてため息をついた。
「あんまおちょくんのも大概にしろよ。いいから早く行け。…………頼むから」
彼の弱々しい声に、喉と胸の奥がきゅうと狭まって苦しい。苦しいはずなのに、甘いドキドキが止まらない。
「レオナさん、私……」
「おいっレオナ!名無しが元の世界に帰るなんかウソっぱちじゃねえか!!オレ様をからかいやがって、許さねえんだゾ〜!!」
私の足の間をすりぬけていったグリムが、今度はレオナに向かって憤怒の叫びをあげる。
「ちょ、ちょっとグリム!先に言わないでよ!!私まだ言ってなかったのに……!」
「は?おい、どういうことか説明しろ」
レオナさんに首根っこを掴まれ暴れるグリム。今の聞き方は、「本当に分かっていない時」だ。
「レオナさん。私、まだ帰るつもりはないです」
「理由を聞いてんだ。ついさっきまで帰る気満々だっただろうが。クロウリーに何か言われたんじゃねぇだろうな」
「心当たりがあるんですか?」
「ああ、大いにな。帰りたくねえって駄々こねる時は、俺が代わりにぶち込んでやるから言えって言っといた」
「………代わりにどこに……?」
「お前のいた世界に決まってんだろ」
「ええっ!?そうだったんですか!?学園長から聞いた話と真逆……!!」
「チッ、やっぱ喋ってんじゃねえかクロウリーの野郎」
「あっ……学園長、すみません……」
ということは、私やっぱりレオナさんからそこまで残って欲しいって思われてないってこと!?と混乱しだしたところで、レオナさんは堪えきれなくなったようにくくく……と笑いだした。
「こんな世界でお前を野放しにしたら、すぐにそこら辺の奴らに食われちまいそうだな」
「まだまだ私も修行が足りませんね。魔法が使えなくても堂々としていられるように、やれることは全部やってみないと」
「そんなことはいいからはーなーせーッ!!」
やっとの思いでレオナさんから開放されたグリムが、騒ぎ疲れたのか秒で熟睡タイムに突入する。さっきの今で、またそのお腹に布団をかけることになるとは思いもしなかった。
「……それで……明日以降も私はツイステッドワンダーランドの住人なので、安心してご自分の部屋に帰っていただいて大丈夫ですよ」
「断る。いちいち戻んのも面倒くせぇ、お前が床で寝ろよ」
「……拗ねてます?」
ぴょこっ、とライオンの小さな耳が動く。
レオナさんの弱気な声を聞いた直後だった私は油断しまくり、気が大きくなっていた。大胆にもレオナさんの視界のど真ん中で背中を向けてベッドに座り、まとめていた荷物を解き始めていた。
「俺はお前の気の迷いを正してやるほど親切じゃねえぞ」
「気の迷いで後悔するようなら、王子様であるレオナさんに告白なんかしてませんよ」
私、運はいい方なんです、とドヤ顔で振り返ってみると、思っていた100倍は柔らかに笑うレオナさんの姿があって、思わず驚いてすぐそっぽを向いてしまった。
けれど直後にぐりぐりと頭突きのように背中に頭を押し付けてこられて、一気に緊張がほどける。
「な……あはは!なんですか?子供みたい……」
一人だけ笑ってる私の首元に、やさしく立てられる鋭利な牙。これだけは何度されても慣れなくて、高ぶる心臓を抑えながら慌ててグリムの瞼が開いていないか確認した。
「あのっ、毎回思うんですけど何なんですかそれっ……?」
「あ?……マーキングだ」
間があったのには別の意図が隠れている気がして気になるが、それ以上に甘噛みする時のレオナさんは色気が割り増しになる方が気になる。
そうしているうちに腕を掴まれ布団の中に引きずり込まれ、私はすっぽりとレオナさんの顎の下に収まった。
「……なァ」
「はい?」
「後からやっぱり帰りたいとか言い出しても、絶対に逃がさねえぞ。……それでもいいんだな」
「あなたとなら、喜んで」
流れに身を任せるまま、その日私たちは初めてキスを交わした。
後日。
サバナクロー寮の人たちが私を遠巻きに見ていたのは、決して“釣り合わない”だとか考えていたわけではなく、レオナさんのマーキングが濃すぎて引かれていただけだということを知った。
寮生いわく、私に近寄ればレオナさんがどう出るか分からなかったので距離をとるしかなかったそうだ。
サバナクロー寮生は普段は余計なことばっかり言って肝心なところを言わない、と怒るところだったが、他でもない寮長のやることに口を挟めるはずはなく、私は溜まり溜まったもやもやのぶつけ所をすっかり見失ってしまったのだった。
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