*三途春千夜*
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まだ初冬だというのに、夜の東京は真冬のような寒さだった。
ビルの屋上のフェンスに手をかけ眼下の街を見る。煌びやかな街並みに、少しだけ眩暈がした。
「何やってんだ」
背後から声をかけられる。その声の主は見なくてもわかった。
恋人の三途春千夜だ。
「夜景」
私は振り返ることなく、自分が見ていたものを伝える。
すると春千夜は私の腰に腕を回し、肩に顎を乗せる。
「ンなもん見て何が楽しいんだよ」
「別に楽しくない」
「じゃあなんでこんなとこにいんだテメェ。部屋にいろっつったよなァ?」
苛立った声で春千夜は言うと、私の腰に回していた腕を解く。そしてすぐに私の腕を掴み、強引に引っ張った。
私はそれに逆らうことなく、春千夜についていった。
エレベーターを降り、静かな廊下を進む。
その廊下の端にある部屋へ春千夜は私を放り込んだ。
ここが私の部屋、いや、私の世界だ。
「ったく、ここから出んなって何回言ったらわかんだ、あ?」
「どうしても、外の空気が吸いたくて」
「テメェはここに居りゃいいんだよ。ここ以外知る必要ねーの」
確かに、ここには生活に必要なものは全て揃っている。けれど嗜好品や娯楽などといったものは一切無かった。
「名前、これやるよ」
「何これ、ラムネ……?」
唐突に手渡されたのは、ピンク色のラムネだった。どう見ても怪しい色だが、小瓶の中身は確かにラムネの形をしたものが入っている。
私はおもむろに小瓶の蓋を開け、ラムネを一粒取り出す。
「食べてみ」
そう促され、私はラムネを一粒口に入れる。甘酸っぱい、ベリー味だ。
口の中でラムネを溶かしていると、春千夜が笑顔で私の頭を撫でる。
「春千夜?」
「ほんっと、騙されやすいよなァ、お前」
「どう、いう」
ラムネが溶けきったあと、私の頭はだんだんとふわふわしてきた。
やられた。これは薬だったのか。
が、時すでに遅し。薬はどんどん私の身体に回っていく。
「なんで……っ」
「こうでもしねぇとまたフラフラどっか行くかもしんねぇだろ?」
そんなことない、と言おうとしたが、うまく言葉が出てこない。
薬が回ってへたり込みそうになる私を、春千夜は優しく抱きとめる。
私はだんだんと多幸感に包まれ、気付けば縋るように春千夜の背に腕を回していた。彼の腕の中は、何故か安心する。
ふわふわとした意識の中、私はぼんやりと昔を思い出す。
私には彼氏がいた。春千夜ではない、違う誰か。
ある日突然その彼氏と連絡が取れなくなり、私は心配になって彼の友人や親御さんに連絡をしたら、どうやら海外出張へ行くことになった、と言われた。
もちろん私は彼からそんな話は聞いていない。だけど、私には言いにくい何かがあったのかもしれない、と納得していた。
そんなある日、春千夜が突然私の家に訪ねてきた。
当然私は春千夜のことなんて知らないし、春千夜も私の家など知らないはずだ。
最初は何かの営業の人かと思ったが、こんな派手な恰好の人が営業なわけがない、と思い、すぐに扉を閉めようとした。
しかし、閉めようとした扉は無理やりこじ開けられ、春千夜は簡単に私の家へと入ってきた。
叫びそうになる私の口を塞ぎ、「しっしっしー」と口に人差し指を当てながら言う。
「騒ぐな騒ぐな。せっかくお迎えにきてやったんだからよォ」
そこから先の記憶は曖昧だ。
気付いたらこのマンションの一室に連れてこられ、気付いたら春千夜と恋人同士になっていた。
私は何度もこの部屋から逃げ出そうとしたが、毎回すぐに春千夜に見つかっては薬を飲まされて、色々なことがわからなくなっていっていた。
「オイ、起きろ」
春千夜の声で目が覚める。どうやらいつの間にか眠っていたようだ。先ほどまで春千夜の腕の中にいたような気がするが、今はなぜかベッドの上にいる。
「夢を、見たの」
「なんの」
「春千夜と出会ったときの」
私は天井を見つめながら、春千夜に話しかける。
「ねえ、春千夜なら知ってるでしょ」
「あ?」
「私の彼氏、どこに行ったの」
瞬間、春千夜の手が私の首にかけられ、力が入る。私は抵抗せずにそれを受け入れる。
「テメェの男は俺だろうが」
怒気のこもった声。私は何も言わない。当たり前だ。首を絞められているのだから。
「昔の男だァ?あんな奴、今頃海の底にいるんじゃねぇの?」
やはりそうか。
薄々感付いてはいた。きっと彼は海外出張などではなく、春千夜に殺されてしまっていたのだろうと。
「は、る……っ」
「!!」
私が絞り出すように声を出すと、春千夜の手が首から解かれた。
そして勢いよく抱きしめられる。
「もう前の男なんてどうでもいいじゃねぇか」
私は深く息を吸いながら、弱々しく春千夜の背に腕を回す。
ああ、やっぱり、この人の腕の中は安心する。
この気持ちが薬のものだとしても、構わない。どんなに過去を思い出したところで、もう戻ることはできないのだから。
それに、きっとこの人には私がいないとダメなんだろう、と思う。だったら私はこの人に寄り添っていたい。
私が、私じゃなくなってしまっても。
***
初春の東京の夜は、まだ少し肌寒かった。
フェンス越しに見る街は相変わらず煌びやかで、やはり眩暈がする。
「まだここに居んのか」
隣で私の肩を抱く春千夜が問いかける。
「もう、いい」
そう言って、私と春千夜は屋上を後にした。
”外の世界”に憧れていた私は、もう、いない。
私には春千夜が居ればいいのだから。
春千夜には私が居ればいいのだから。
このマンションにあるあの部屋。それが私の世界。
籠の鳥