*灰谷兄弟*
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この幸せがいつまで続くか、私にはわからない。
月明りが差し込む部屋で、私は隣で背中を向けて眠る彼の刺青をなぞる。
いつか彼は私を置いて、どこかへ行ってしまうだろう。この人はどこにも留まらず、フラフラと次の場所を、次の女を見つける。
ずっと一緒にいたい、なんてのは私だけが思っていることで、彼は私のことは都合のいい女としてしか見ていない。それくらい、馬鹿な私だってわかる。
「ほらね」
仕事から帰ってきた私は、自嘲気味に呟いた。
部屋に彼はいなくて、特服ももちろんない。そして机の上には、「いままでありがとネ」とだけ書かれたメモがあった。
私はそのメモを丸めてゴミ箱へと放り投げ、夕食の支度を始めた。
***
彼と出会ったのは一カ月前くらいだ。
仕事帰りに通る道の路地裏から何か不気味な音が聞こえて、恐る恐る路地裏へ入ると、ひたすら警棒で人の顔を殴り続けている彼がいた。
私は恐怖で一瞬足がすくんだが、このままではいけない、とすぐに彼に向かって走り出した。
「これ以上はダメ!その人死んじゃう!」
警棒を振るう腕にしがみついてそう言うと、彼は「あ?誰だよテメェ」と私を見下した。
近くで見た彼は、とても整った顔立ちをしていた。はじめて男の人を綺麗だと思った。
「…………」
彼はしばらく私の顔を見つめたあと、警棒をしまう。そして先ほどまで散々殴っていた男の腹を蹴って転がした。
「ね、おねーさんち連れてって」
「はい?」
返り血に塗れた彼に手を引かれ、私は路地裏を出る。会って数分しか経ってない男を家に入れるほど私は尻軽ではない。……のだが、そのときの私は何かおかしかったのか、仕方なく彼を家に招いてしまった。
「とりあえず服洗濯しないと……。えーとお風呂も沸かして……」
私があれやこれやとしていると、彼はおもむろに服を脱ぎ始めた。背中に大きな刺青。ああ、やっぱりそっち系かぁ、と私は勝手に納得した。
「ね、名前なんていうの?」
「知ってどうするの」
「別に~?ただ知りたいだけ」
「……名前」
私は彼が脱ぎ捨てた服を持って、脱衣所にある洗濯機へと向かう。
一応先に水である程度落としておくか、と思って洗面器に水を溜めていると、後ろから抱きしめられた。
「ちょっ!?」
「こっちむいて、名前」
甘く耳元で囁かれる。
ずるい。こんな風に言われたら、逆らえない。
私はゆっくりと彼の方へ向き、どちらともなく口付けを交わした。
「じ、十八歳!?」
「そうだよ~」
翌朝、私はシングルベッドの上で衝撃の事実を耳にした。
そう、彼は十八歳だったのだ。
これは犯罪なのでは?いや立派な犯罪だ。
私が頭を抱えていると、彼は私を優しく抱き寄せ「大丈夫だよ」と言った。
その日から彼と私の奇妙な同棲生活が始まった。
彼は一日中家にいることもあれば、夜遅くまで帰ってこないこともあった。
彼の荷物は、あの日路地裏で出会ったときに着ていた黒の特服だけ。それ以外の服は私が調達してきた。
一度一緒に料理をしたことがあったが、それはもう見ていられないくらいひどいものだった為、毎日私が作るようになった。料理だけは得意だったので、あまり苦ではなかった。
一番の苦労は返り血のついた服の洗濯だろうか。
時間の経ってしまった血は水洗いだけではなかなか落ちない。なので、洗剤やら漂白剤やらを駆使してシミ抜きをして、それから洗濯機へと入れる。正直仕事から帰ってきてからこれをやるのはかなり疲れた。
「俺、名前のとこにずっといよっかなぁ」
「んー?なんで?」
狭いシングルベッドの上で彼は私の髪を弄りながら言う。
「だって飯はうまいし、洗濯もしっかりやってくれるし」
セックスも気持ちイイし、と耳元で囁かれる。
最後の言葉だけは余計だ、と思いつつも、私の心は喜びに満ちていた。
そんな生活が半月も経った頃、彼が女物の香水の香りをまとわせて帰ってきた。
そのとき私は悟ったのだ。
いつか彼は私を置いて、どこかへ行ってしまうだろう、と。
彼は根無し草だ。確かなより所がなく、適当に捕まえた女の家に転がりこんで、そしてまた次へと漂っていく。
別に悪いことだなんて思わない。そんなことを思っていたら半月も一緒にいない。でも、できたらずっと一緒にいたかった。
「名前?」
彼に名前を呼ばれて我に返る。そうだ、今は夕食の途中だった。
「な、なに?」
「食欲ねぇの?」
心配そうに私の顔色を伺う彼。
ああ、ずっとこんな時間が続けばいいのに。帰ったら彼がいて、こんな風に彼と食事をして、一緒に眠って。
そんな何気ない日常をこの先も送りたい。
だけどそれは叶わないとわかっている。だから私は、いつくるかわからない別れを覚悟しなくてはいけない。
「ううん、大丈夫。少し仕事のことで考え事してただけ」
私は小さく笑って、夕食に手を付ける。
その日の夕食は、なんだか味気なかった。
***
シングルベッドなのに広く感じるのは彼がいないからだろうか。
彼との生活を思い返しながら、私は一人ベッドに横たわっていた。
結局最後まで名前も連絡先も聞かずに終わってしまった。覚悟はしていたが、本当に唐突にいなくなるとは。
「しれっと帰ってこないかな」
そんなことはあり得ないと思いながらも、そう願ってしまう自分がいた。
彼が私の部屋を出て行ってから二か月経った。私は仕事に追われる日々で、彼のことを思い出すことは日に日に少なくなっていた。あの一か月は一種の夢のようなものだ、と思うようにしたのも影響していたのかもしれない。
仕事を終え、いつも通り帰宅する。いや、いつもと違うところがあった。
部屋の明かりが点いている。
一瞬不審に思ったが、まさかと思い、小走りで自分の部屋へ向かう。鍵は開いていた。
「なんで……」
部屋には、彼がいた。
「色んな女のトコ行ったけど、やっぱり名前んトコが一番だわ。飯はうまいし、洗濯もしっかりやってくれるし」
セックスも気持ちイイし、と、彼はあの頃と変わらない言葉を言う。
私は溢れそうになる涙を拭い「一言余計よ」と、あのとき言わなかった言葉を返した。
「おかえり」
「ん。ただいま、名前」
***
「そういえば、私貴方の名前も連絡先も知らないんだけど」
「あれ?教えなかった?」
「教えてない」
「蘭。灰谷蘭だよ」
よろしくね、と言ってにっこり笑う蘭につられて、私も「こちらこそよろしく」と言って、笑った。
その日の夕食は、いつもより美味しく思えた。
君の在処