*佐野万次郎*
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「あなた、こんなところで何をしているの」
私と彼は、土砂降りの雨の中で出会った。
傘もささずに土手に座り込んでいた彼に、私は傘をさす。
「いーよ。今更傘なんて意味ねーし」
「ダメよ。風邪をひくわ」
私は彼の腕を掴み、半ば強引に立たせる。
「何すんだよ」
「私の家、近いから。いらっしゃい」
***
彼を家に招き入れ、すぐに彼に服を脱ぐよう言った。すると彼は案外素直に服を脱いだ。
晒された上半身は、小柄な彼からは想像できないほど逞しかった。
「お風呂沸かすから、それまで少し待っていて頂戴」
私は彼の脱いだ服を預かり、脱衣所へと向かう。そして洗濯機に服を入れる。
「あ」
私は思い出したように、リビングへと戻る。
「下も脱いで頂戴」
「はぁ!?」
流石に下まで脱ぐのは嫌なようで、彼は頑なに拒否した。だけど私も引けない。このまま彼が風邪をひいてしまうのは、何故か嫌だった。
「風邪をひかれたら困るのよ」
「いや、おねーさんには関係ねーだろ」
「それは、そうだけれど……」
私が困ったように口ごもると、彼は「わかったよ」と言って、下を脱いで服を渡してきた。
私はなるべく彼の姿を見ないように、そそくさと脱衣所に戻る。
そしてリビングに胡坐をかいて座っている彼にバスタオルを渡し、少し間を空けて隣に座る。
「……おねーさん、なんで着物なの」
「え?」
「祭りでもないのに着物着てるの、珍しいから」
確かに、珍しいのかもしれない。
でも私からしたら、彼の服装も珍しかった。
彼の金色の髪から、雫が滴る。なぜ拭かないのだろうか。
私は仕方なく、バスタオルで彼の髪を拭き始める。
「ちょ、おい、余計なことすんなって!」
「余計なことならもう今更でしょう。ちゃんと拭かなきゃダメよ」
彼の髪はふわふわとしていて、まるで猫のようだった。
そうしているうちに、お風呂が沸いた音がする。
私は彼に脱衣所へ行くよう促すと、彼は大人しくそれに従った。
雨の音だけが響く。
なぜ、私は彼を連れてきてしまったのだろう。
雨に濡れた背中があまりにも寂しそうで、放っておいたら消えていってしまいそうで、気が付いたら声をかけていた。
きっとこれを綺麗な言葉で言うならば、運命というのだろう。
でもこれは、とてもそんな綺麗な言葉ではない。
彼の年齢くらい、見ればすぐにわかる。まだきっと中学生くらいだろう。
私は私のエゴで、彼を連れてきてしまったのだ。
ガチャリ、と脱衣所の扉が開く音がする。そしてそこから、「着替えねーんだけど」と聞こえてきた。
私はしまった、と思い、すぐに着替えになりそうなものを探す。
幸い、少し小さいサイズの長襦袢があった。
「ごめんなさい、これしかなくて……」
「これ、どーやって着ンの?」
またもや私はしまった、と思う。普通長襦袢なんて着ないものだ。
「と、とりあえず着付けるから……後ろを向いていてくれる?」
「ん、わかった」
私はゆっくりと彼に長襦袢を着せる。
彼の肌は男の人とは思えないほど綺麗だった。
***
彼が来てから二時間ほど経ったが、雨は弱まることを知らず、むしろどんどん激しくなっていた。
時間ももう大分遅い。
「おねーさん、俺、帰るよ」
「だめよ、危ないわ」
「だいじょーぶ」
「服はどうするのよ」
長襦袢を脱ごうとしたところで、彼の動きが止まる。
どうやら服のことを忘れていたらしい。
「どーしよ」
困ったように笑う彼に、私は思わず笑ってしまう。
「あなた、なんだか猫みたいね」
「それって褒めてンの?」
「どうかしら」
そう言って私が手招きすると、不思議そうな顔をしながら彼は近付いてくる。
その姿を見て、私は彼を愛おしいと思った。
私の近くまで来た彼を、私は優しく抱き締める。
「おねーさん?」
「ごめんなさい、こんなこと……。だめな大人ね、私」
抱き締める腕を緩めると、今度は彼が力強く抱き締めてきた。
「だめな大人なんかじゃねーよ。俺、おねーさんのことよく知らねえけど、いい人だよ」
ああ、これでは、どちらが大人なのかわからない。
服が乾いてしまえば、雨が止んでしまえば、きっと彼とはもう会えない。
だけど、それを嫌だとは言えない。だってそれは禁忌だから。
だけど、それでも、今夜だけは。
「雨、止みそうにないわね」
「うん」
「今日は泊まっていきなさい」
「……うん」
私は彼を寝室へ連れていく。そしてリビングへ戻ろうとしたとき、彼に呼び止められた。
「一緒に寝ねぇの」
突拍子もないことを言う彼に、私は一瞬固まったあと、ふふっ、と小さく笑う。
「あと十年もしたら一緒に寝てあげる」
おやすみ、と言って私は寝室の扉を閉める。
そしてその場に座り込み、赤くなった自分の顔を覆いながら、何を言っているんだ、と一人で悶々としていた。
***
翌朝。
彼は「ありがと」とだけ書かれた置手紙を残し、私の部屋から消えていた。
もう二度と会うことはないのだろう。
あの一夜はきっと私の気の迷いが招いた、よからぬ夢だと思うことにした。
着物に着替え、仕事場へと向かう。
昨日の雨が嘘のように、今日は晴天だった。
「おねーさん」
聞き覚えのある声が、後ろから聞こえる。
私は振り返ると、そこには昨日拾った猫――彼の姿があった。
「なん、で」
「ちゃんとお礼言えてなかったからさ」
ありがとう。
そう、彼は満面の笑みで言った。
まるで猫のよう