砂の里短編
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とろり、琥珀を煮詰めた様な雫が瓶の底を濡らす。
瞬く間にそれは量を増し、やがて瓶に詰めた瑞々しい黄色の果実をとっぷりと浸した。
満足気に掲げると、窓から入った陽が、とろみのある液体に透けて柔らかく揺れる。
目を細めてから、こぼれないよう、大切に蓋を閉めた。
「よー、邪魔するじゃん」
「あ、カンクロウさん。いらっしゃい」
薬草部の扉をくぐると、湿った空気が顔に触れた。
ここは砂隠れで唯一、年中空気の湿った空間だ。
薬草が枯れないよう、湿度を常に保ってある。
その為、扉は若干錆びかけているが、中の人間は錆びても湿ってもいない。
彼らの活気たるや、逆境にあれど熱気を燃やす、木ノ葉のおかっぱ頭にも劣らぬ勢いだ。
その熱意の甲斐あってか、近頃は育つ薬草の種類も数も大幅に増えてきている。
お陰で、毒を扱う俺の様な人間は足繁くここに通うのだが、最近の俺の目的はもう一つ違う所にもあった。
笑顔で迎えてくれる彼女は足音軽く近寄ると、側の椅子を勧めてくれた。
正直、彼女は特に目立って可愛い部類ではないが、笑うとぱっと周りが明るくなる、そんな娘だ。
以前仕事で行き詰まった時、気分転換に薬品を見に来て、この笑顔に出会った。
以来、俺の訪問理由はゆうに半分、彼女で占められている。
椅子に腰掛ける為に身を屈め、ふと、鼻先に何かが香った。
顔を上げると、彼女の髪の先がふわりと翻った所で、香りの元はそこだと分かる。
何やら取りに棚に向かう彼女と最近の薬の話をしつつ、どこかで嗅いだ覚えのある匂いに、内心首を傾げる。
爽やかな匂いに、甘い匂いが重なっている。
そこらの薬草や消毒薬の匂いでない事は確かだ。
シャンプー等の花の様な香りとも違う。
思い出せないまま彼女を目で追っていると、やがて、彼女はこちらに戻って来た。
その手に持ったカップから、同じ匂いを立ち上らせて。
「そいつは……」
「お口に合うといいんですけど」
はにかんだ顔で渡されたそれを受け取ると、薄く色付いた湯の中に、輪切りの果実が沈んでいた。
「レモンか?」
「あ、おしい。実は柚子なんです」
近所から沢山お裾分けして貰ったので、と、彼女はまた棚に向かう。
そして、中から瓶を取り出して見せた。
「薄く切って、蜂蜜に漬けたんです。生姜と合わせて、飲み物にすると美味しいんですよ!」
甘い匂いは、蜂蜜だったのか。
手の中で少し揺らして、促されるまま、口を付ける。
蜂蜜のコクのある甘さと、爽やかな柚子の酸味が舌に心地良く、飲み下すと、腹が生姜でじわりと温もる。
そして、鼻腔に先程の彼女の髪と同じ匂いが、香った。
見守る彼女に向け、ゆるりと頬を緩めた。
「……美味いじゃん」
「本当ですかっ? 良かったぁ! カンクロウさんが気に入らなかったらどうしようって、心配しながら持って来たから」
「へ、俺に飲ませる為にわざわざ持って来たのかよ?」
瓶を胸に喜ぶ彼女に、思わず胸が弾む。
途端、彼女の頬に朱が差して、視線がぎこちなく横に逸れた。
「や、せっかく作ったし、私1人には多い位だし。カンクロウさんがいらっしゃるとは限らないけど、
もし可能なら、私の好きな物、一緒に楽しめたらいいなって。思いまして……」
きゅ、とそこで引き結ばれた唇が、一度わななく。
するとついに、赤い顔を隠す様に彼女は下を向いてしまった。
「な、何言ってるんですかね、私! やだ恥ずかしい。ええっと、気に入って貰えて、良かったです!」
あ、おかわりもありますから、遠慮なく!
早口にそう言うと、棚の方に向いて、薬品などを慌てて整理し始める。
普段から綺麗な棚を整理しているというよりは、話題が転がっていないかと必死に手探りしている様子だ。
かくいう俺も、嬉しさで天にも昇りそうな締まりのない顔を何とか繕おうと必死なのだが。
「なあ、清香」
「はいっ!」
「その、瓶って、お前ん家にまだあるのか?」
「ええと、蜂蜜漬けですか? はい、まだありますよ」
「じゃあ、今持ってる奴、俺にくれねぇか?」
突然の申し出に、目が丸く見開かれる。
戸惑っている彼女の傍へ、椅子から立って近寄った。
駄目か、と問い掛けると、首がバネ仕掛けの如くぶんぶん横に振られる。
そして、そっと彼女は瓶を俺に差し出した。
「ありがとじゃん」
「や、こんな物で良かったら、どうぞどうぞ」
すっと、ついでの様に彼女の耳元に顔を近づけ、囁く。
「俺も……、お前の好きなコレ、好きじゃん」
「へっ、」
「大事に飲ませてもらうぜ。じゃあな」
耳まで赤くして、呆けた顔でこちらを見る彼女に、軽く手を振り部屋を出た。
扉から歩いて遠く離れていく。
そして暫く来た所で、ぴたりと足を止めた。
壁に身を寄せ、ずる、と少し沈む。
「なに、やってんじゃん、俺……!」
彼女に負けず劣らずの顔色になっている自覚がある。
ぶわ、と広がっていく熱に顔を手で覆うが、収まりはつかない。
顔を寄せた時に香った微かな香り。
今懐の中にある瓶よりも淡く、彼女の匂いと相まって柔らかな香り。
はぁ、と息を吐く。
懐から瓶を取り出して、すん、と嗅いだ。
蜂蜜と柚子の、甘く爽やかな香り。
彼女の髪と同じ香り。
彼女は、俺を思って持って来たと言った。
他の誰でもなく、俺と楽しみたかったと。
俺がこの瓶を欲しがったのは、飲み物をまた飲みたかっただけじゃない。
彼女の気持ちを他の誰にも渡したくない、彼女と同じ香りの物を手元に収めておきたい。
そんな、どこか子供じみた独占欲と支配欲からだ。
我ながら呆れるが、今感じている満足感は何を以てしても否定出来ない。
目の前の瓶を見つめ、彼女の笑顔を思い出す。
だらしなく緩む頬は抑えようがない。
再び大切に懐にしまうと、また歩き出す。
そして、この瓶の礼を口実に食事にでも誘おうかと、頭の中で算段を立て始めた。
酸いや甘いや、酸いは要らぬと蜜に漬ける.