抒情歌
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はっとして辺りを見回す。
背の高い木々が鬱蒼と茂る森の中。
ぽつんと私は一人で立っていた。
現実で見覚えなんてないのに、確かに見覚えのある景色に、身体がガクガクと震え出した。
逃げないと。
またアレに見つかったら。
早くここから逃げないと。
震える腕を掴み一歩踏み出そうとした時、その声が響いた。
悪意と愉悦に満ちた、周囲の全てを霧で覆うような声。
「よぉ。こんばんはじゃん、清香」
ニタニタと、耳から耳まで裂けそうな口をした大きな猫が笑う。
真っ黒い体に紫の縞を持つ猫は、暗い森の闇からぬうっと溶け出る様に目の前に現れた。
退路など無いと分からせるようにぐるぐると私の周りを回りつつ、ふさふさの尻尾で体や頬を撫でてくる。
「今日も会えて嬉しいぜ。さて、今日はどこまで走れるだろうな?」
いやらしく脚に鼻面を擦り付け、くつくつと喉奥で笑う。
笑っている表情とは裏腹に、黄色い目ばかりがギラギラと光って威圧している。
大きな瞳に見つめられて、ひっと息を飲む。
お願いだからもうやめてほしい、家に帰してほしいと震える声で呟くと、下卑た笑い声が上がった。
「帰してほしいって、アンタは家に居るじゃんよ。ここは夢の中。アンタは家のベッドでいつも通り寝てるだけじゃん」
するりと頭を撫でた尻尾が、頬に下り顎を軽く持ち上げる。
「俺が居られんのも、この夢の中だけ。やめて欲しいってんなら、目を覚ませば良いだけの話だ。ただし……」
目の前の光る目は、意地悪く細まって私に囁いた。
「俺から逃げられたら、な」
そんな事は不可能だと、私はもう知っている。
毎晩毎晩、繰り返しだ。
同じ結末を辿っている。
「無理じゃないの……!」
「俺はアンタと違って現実には存在出来ねぇんだ。夢の中だけなんだから、ちょっとくらい実力差がないと不公平だろ?
それに、簡単にクリア出来るゲームなんてつまんねぇじゃん?」
見下した目が、どこか吐き捨てるように言って笑う。
そして、改めてこちらを見て、ニイっと口の端を吊り上げた。
「で、どうすんじゃん?もう抵抗するのは諦めるか?俺は別に今すぐここででも構わないぜ?」
ぐっと、震える唇を噛む。
毎晩、コレから逃げられる事はなかった。
それでも、ただ無抵抗で良いようにされるのは、嫌だった。
「せ、めて……せめて、小さく、なって。大きい動物からなんて、逃げられないから」
「ふーん?じゃ、ハンデやるじゃん」
くるりと猫が回ったかと思うと、そこには黒衣の青年が現れる。
だが、猫の耳と尾はそのまま。
変わらず吊り上がっている口からも、鋭い牙がちらちらと覗いていた。
私が、最も嫌いで恐れている姿。
息を飲んで後ずさると、心外だと言うように彼はおどけて笑った。
「おいおい、アンタの要望聞いてやったんじゃん。そんな反応は酷いんじゃねぇの?」
「っ……!」
伸ばされた手から、身を翻して逃げ出す。
薄暗く道も細い森の中、どこをどう逃げれば良いかも分からないが。
ただアレに捕まりたくない一心で、駆け続けた。
闇雲に進んだ先で、走り続けるのに耐えられなくなり、道から外れた木の陰で身を休めた。
いつもより、少しは長く逃げられている気がする。
やはり、人になれば、少しは追跡も遅くなるのかも知れない。
このまま行けば、もしかしたら逃げ切れるのかも知れない。
ほっと息を落ち着けた時、ジャリッと地面を踏む音がした。
思わず、口を手で覆う。
そっと覗くと、尻尾を揺らしながら歩く男がすぐそばを通っていた。
「んー、匂いが追い辛ぇな……。やっぱこの姿だと難しいじゃん」
不満気に鼻をさすり、ぼやく。
辺りを見回す目に慌てて陰に引っ込むと、僅かに草の擦れる音がした。
しまったと思ってもどうにもならない。
ただ息を潜めて、気付かれていない事を祈るしかなかった。
「ん……。まぁ、先に進むか」
そんな呟きが聞こえ、足音が続く。
それが聞こえなくなるまで、身動ぎせずに息も抑えて待った。
やがて、何も聞こえなくなってから、はあっと息を吐く。
緊張で冷たくなった手足を、震えながらさすった。
なんとか、やり過ごした。
このまま、このまま目が覚めるまで耐えたい。
さっき音を立てた為、どのみちここに居るのはマズいだろう。
別の場所に移動して、また隠れておこう。
そう考え、体の横に手をつき立ち上がる。
と、ふわりと頬に柔らかい毛が触れた。
「よぉ、随分と気付かなかったな。待ちくたびれたぜ」
べたりと、尻もちをつく。
すぐ目の前の闇に、ニタニタと笑う男の姿があった。
「な、んで……!いつから」
「足音消すのは猫の十八番じゃん。知らなかったか?」
ずいっと身を屈めてから、がっしりとした手で手首を掴まれる。
鼻先の付きそうな距離で、暗闇に光る目が、ギラリと仕留めた獲物を見つめた。
「つーかまーえた」
掴んだ手首を引かれ、支えを失った体が地面に背中をつける。
そしてそのまま、男は覆い被さるようにして私の唇を奪った。
「ん、やっ……!やだ!いやっ……!!」
「相変わらず元気良いじゃん。ははっ、嫌なら目を覚ませよ」
「出来ないって、分かってるくせに……!」
「そりゃあそうじゃん。アンタはもう俺に捕まったんだ。現実には指一本伸ばせやしないけどな、ここでは……」
暴れる私を押さえながら、ガリっと耳を甘噛みされる。
「逃がしやしねぇぜ?」
ザラリと舌で噛み跡を撫でながら、どこか冷たい声が囁いた。
恥も外聞も無く暴れ泣き喚く私を、ソレは今日も蹂躙していく。
私の意志などここには無く、朝まで開かぬ大きな牢の中。
夜毎招かれる彼の世界で、私はただ日々壊されていく。
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