FF編
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第2話
「サッカー部! 部員募集中でーす!!!」
よく通る溌剌とした声が、校舎の中にまで響き渡る。
晴天の下、雷門中学校を駆け回るのは、弱小サッカー部キャプテンの円堂守だ。”帝国学園来る! サッカー部員募集中”と力強い書体で刻まれたプラカードを手に部員集めに勤しんでいる。
あっちへこっちへと忙しなく動き回る橙色のバンダナを、千紗季は生徒会室の窓枠に頬杖をつきながら目で追っていた。
「サッカー部の彼、さっそく頑張っているみたいね」
「だーれかさんが無理難題を押し付けましたからねぇ」
ほんの少し沈んだ声色で嫌味っぽく言い返し、校長室でのやり取りを振り返る。
それは、今日のお昼休みのこと。帝国学園との練習試合と廃部の件について、とうとう火来や夏未の口から円堂へ告げられたのだ。
部の余命宣告を受けてもなお、挫けることなく勧誘に奔走する姿は流石というべきか。思いの外、元気な幼馴染の様子にひとまず安堵する。
「さあ、貴女もずっと外を眺めてないで、仕事に戻ってちょうだい。新年度が始まってから少し落ち着いたとはいえ、まだ処理しなくちゃならない仕事が山ほどあるんだから。それから──」
夏未からホチキス止めされた大量のプリントを差し出される。”生徒会からのお知らせ”と書かれたそれは、各部活動の部長へ配布せねばならないものだ。
「後でこれもお願いね」
「ハイハーイ。承知しました〜」
窓から離れプリントの束を受け取ると、PC画面の縁に貼り付けてある付箋タイプのTo Do リストを手に取る。プリントの配布よりも優先度の高い仕事がまだ二つほどあった。
本日の業務の流れが決まったところで、一度大きく伸びをし、自分のデスクへ着席する。
「あの、副会長……」
すると、緊張した面持ちで執行役員の後輩が声をかけてきた。彼女の手には数枚のプリント用紙が握られている。
「どしたの?」
「あの、昨日の会議の記録です! 確認お願いします……!」
「あら、ありがと。見とくわね」
にっこり微笑んで差し出された議事録を受け取れば、ホッとした様子でぺこりと頭を下げ、自席へと帰って行く。
仕事熱心な後輩の姿を見届け、千紗季も脳内を仕事モードに切り替えた。
***
本日のタスクをテキパキと片付けてしまった千紗季は、夏未から頼まれた仕事を処理すべく、後輩二人を生徒会室から連れ出した。さきほど夏未から受け取った部長たちへの配布資料の半分を二人に預ける。
「じゃ、文化部の方はお願いね。私は運動部の方を担当するから。何かあったら私か生徒会室に電話して」
「はい、ありがとうございます!」
「行ってきます!」
「は〜い、気をつけてね〜」
千紗季の指示に素直に頷き仕事に取り掛かる後輩たちの姿を見送る。
入学してまだ日も浅いので少々緊張した面持ちだった。そんな後輩たちを微笑ましく感じながら、資料の束を抱え直し千紗季も校内を巡る。
本来、配布資料や郵便物は、生徒会室の入口付近に設置されている各部活へのお知らせポストに投函される。しかし、急ぎの案件や説明が必要な書類の場合は直接部長へ手渡す必要があった。
二度手間、遠回りを避けるべく、最適化ルートを頭の中で計算し、部を巡回していく。
(んと、次は……サッカー部か)
廃部寸前とはいえ、まだ部活として機能している以上、サッカー部も配布先の一つであることに変わりは無い。
備品の倉庫と見間違えてしまっても不思議ではない外装(サッカー部再始動前は本当に倉庫として使われていたのだが)の古びた建物──サッカー部部室の扉前へ立ち、ノックする。
中から気怠げな声で応答があった。
扉をスライドさせると、部員二名と視線が絡む。同級生の染岡竜吾と半田真一だ。
染岡は千紗季の姿を認識した瞬間、顔を歪めて鋭い眼光を向けた。
「失礼しまーす……って、今キャプテンは部員の勧誘中だったわねぇ」
染岡の睨みなど一切気にとめず、千紗季は部室を見回す。
部屋の隅に固まっているサッカー部の一年生たちは、千紗季を目にした瞬間、驚きと同時に一斉にしてぽっ……と顔を赤らめた。そうして、内緒話をするかのように小声で会話を始める。
その内容は「あ、あああれって……!」「”月下のかぐや姫”さまですよ……!?」「きれい……」「間近で見たの初めてでやんす……」などというもので、千紗季はげっそりとしながら内心呟いた。
(お願いだから、その”かぐや姫”呼びやめて……)
いつの間にやら一年生にまでその異名が浸透している事実に、千紗季は思い切り頭を抱えたくなった。
千紗季は、自身の顔立ちが飛び抜けて整っていることを自覚していた。
小学生の頃から数えるのも面倒なほど告白を受けてきたし、社交の場では同年代のみならず、成人男性からも舐め回すような視線で見られることが増えていった。これで自覚するなという方が無理な話であろう。
雷門中に入学すると、その美貌に加え、名家の令嬢、夏未の友人という要素から、学年や性別問わず注目を浴びることとなった。
そうして、知らぬ間に”月下のかぐや姫”なんて異名がつけられていたのだ。
(いったい誰なのよ……一年生にこの情報を流したのは……)
千紗季としては恥ずかしいことこの上ないので、全力で異名呼びは止めていただきたいところである。
サッカー部部室の入口で、遠い目をして突っ立っていると、染岡から舌打ちが聞こえてきた。
「……誰かと思えば生徒会の奴かよ」
警戒心全開に千紗季へぶっきらぼうな言葉を放つ。
千紗季はやれやれと肩をすくませて、負けじと言い返した。
「ちょっと染岡く〜ん? お呼びじゃない気持ちはわかるけど、あからさま過ぎない?」
「フンッ」
ふいっとそっぽを向いて千紗季を視界から外す染岡を、半田が困惑しながら「まあまあ……」と宥める。
二人は円堂と秋がサッカー部を復活させた後にやって来た部員で、彼らとも円堂を介して知り合った。
けれども、一年の頃から夏未がサッカー部を目の敵にしていたこともあるせいか、生徒会とサッカー部──特に染岡との間にはちょっとした軋轢があった。
「何しに来たんだよ?」
「生徒会からのお知らせを渡しに来ただけよ」
どーぞとプリントを差し出す。拒否されるかとも思ったが、半田が受け取ってくれた。
簡単に資料内容の説明だけしてしまえば、戸惑いながらもお礼を言ってくれる。なんだか染岡との板挟みにしてしまっているようで、千紗季は少し申し訳ない気持ちになる。
「もうすぐ廃部する部にまでわざわざご苦労なこった」
「おい、染岡……! その辺にしとけって」
「相変わらず刺々しいなあ」
けれども、彼の口調からいつものような鋭さは感じられない。椅子の背もたれに全体重を預け、投げ出すようにだらんと垂れた両腕は、間違いなく彼の今の心情を表していた。
「貴方達は誰かさんみたいに勧誘に行かないの? このままじゃ本当に廃部になっちゃうわよー?」
「無理難題を押し付けた奴らがよく言うぜ」
「それは否定しないわ。でも、最近は練習する姿すら見かけないうえ、そこに転がってるゲーム機や漫画雑誌は何かしら」
ギクリ、と部室の隅っこで先輩たちの様子を伺っていた一年生組が肩を揺らす。
千紗季が指をさした先には、ゲーム機や漫画雑誌が部室の一角に固められていた。
比較的校則が緩い雷門中では、こうした娯楽物が取り上げられることはない。
ただ、普段の活動状況に加え、本来活動中はロッカーに仕舞われているはずのそれらが床に転がっている。それは、練習をサボっている証拠として見なす他ない。
「私たちだって、意地悪で廃部の件をチラつかせてるわけじゃないの。まあ、練習試合の件については、正直私もどうかと思うけど……貴方たちの実績や活動状況を踏まえたうえでの判断なわけ」
ぐうの音も出ないほどご最もな指摘に観念した染岡は口を閉ざしてしまう。
けれども、彼の瞳には諦念のみならず、不満の色が入り交じっていた。これは、サッカー部の一員として今日までやって来たことによる思い入れから滲み出たものだろうか。
千紗季は、その隙を突くように再び口を開いた。
「貴方達の中に、まだ失くしたくないって気持ちが少しでもあるのなら、せめて貴方たち全員が部を守るための最低限の姿勢を見せてもらわなきゃ、私も擁護できない」
「……擁護って?」
千紗季の言葉に違和感を覚えた半田が、その単語を掬い取り、問う。
「私だってね、サッカー部がなくなって凹む幼馴染の姿なんて見たくない。秋もずっと頑張ってくれてるし、グラウンドを借りられなくても、貴方たちが練習に励んでいたことは、よく知ってるわ。どうにかしてあげたいって気持ちはある」
これは紛れもない千紗季の本心だ。
だから、千紗季は敢えて厳しい言葉を放つ。少しでも彼らの心に何か響いてくれたら……と、そんな思いを込めて、背中を押すように、言葉を紡ぐ。
「でも、そんな個人の事情で学校や生徒会の判断を覆せるわけないのよ。この状況を打破するには、サッカー部員である貴方たち全員の力が必要なの」
染岡たちに背を向け、扉に手をかける。
彼らの意欲次第では、例え練習試合の結果が悪かろうと、首の皮一枚なら繋げることができるかもしれない。それこそ彼らの頑張りが奇跡を引き寄せるかもしれないのだ。
「それに、私の言葉ならうちの生徒会長サマも聞く耳持ってくれると思うわよ。多分だけど」
サッカー部復活以来、夏未は彼らの存在を目の敵にしていた。
しかし、夏未は生徒会長を担うと共に理事長代理を務めている程の人物だ。
廃部の件もサッカー部の活動状況を把握したうえでの判断であり、理不尽な理由で廃部を突きつけているわけではない。帝国との練習試合については確かに何を無茶なことを……と思ってしまうだろうが、夏未なりに挽回のチャンスを与えているのだ。
サッカー部全員の頑張りと副会長である千紗季の評価•報告を持ってすれば、廃部の件を再び保留に戻すことくらいはできるかもしれない。
千紗季は自慢の艶やかな黒髪を翻し、ひらりと片手を振って去っていく。
部室には、金木犀の香の香りがほんのりと残っていた。
***
「さて次は、と……」
その後も幾つかの部を巡回し、現在地から一番近い部活動を考える。
ここからだと、次は幼馴染が所属している陸上部だろうか。
(……部長さんいなかったら一郎太に押し付けよっと)
陸上部の練習場へ足を運ぶと、トラックの上では選手たちが各々練習に励んでいた。もちろん、そこには幼馴染の風丸の姿もある。
タイムを測っていたのだろう。ストップウォッチを手にする金髪の選手と言葉を交わしていた。
(あの子は確か……宮坂くん、だっけ)
今年入学した新入生で、風丸の話題にも度々登場する彼の後輩である。
ふと、千紗季の姿に気づいた風丸と目が合う。風丸は不思議そうな表情を見せた後、ひらりと手を振って、宮坂と軽く言葉を交わしてから小走りで駆け寄ってきた。
それに合わせるように、千紗季も階段を下って陸上部のトラックへとお邪魔させてもらう。
「千紗季、どうしたんだ?」
「生徒会からの資料を届けに来たの。部長さんいる?」
「あー……まだ来てないな。委員会の仕事で遅くなるって。良かったら預かっとくぞ」
「助かるわ〜。どの道、居なかったら一郎太に押し付けるつもりだったから」
「はいはい」
相変わらず幼馴染の自分に対しては遠慮というものを知らない千紗季の発言に、風丸はやれやれと息を吐く。
千紗季から簡単に資料の説明を受けた風丸は、「そういえば……」と話題を変える。
「サッカー部、帝国学園と練習試合することになったんだって? さっき”部員募集中”って看板持った円堂から、サッカー部に入らないかって誘われてさ」
「へー。一郎太、いま陸上一筋なのにねぇ」
千紗季から手渡された資料を受け取る風丸の脳裏には、数十分前に円堂と交わした会話が再生されていた。
既に陸上部に所属している風丸を勧誘するとは、何とまあとてつもないメンタルだと千紗季は密かに感心する。
「”一流のプレイヤーと競ってみたいって言ってただろ?”って言われたんだが……」
「それ陸上の話でしょ?」
「ああ、まあ、な……」
もちろんサッカーの世界にだってプロ顔負けの中学生は存在しているだろうが、風丸が語るスポーツといえば陸上に関する事柄だろうに。
一体なにがどうなって円堂の中で陸上からサッカーの話へと塗り替えられたのだろう。だが、その勘違いが円堂らしいと妙に納得してしまう。
「で、どうするの? サッカー部、入るの?」
「あいつが困っているなら助けてやりたいとは思ってるけどなあ……」
面倒見の良い風丸らしい発言だった。
昔から円堂の相談相手は決まって風丸で、どんなに些細なことだって、真っ先に助けを求める相手はいつだって風丸だった。
そして、風丸もそんな円堂の悩み事に親身に寄り添っていた。そんな二人の関係は、中学に上がっても変わらない。
いつまでも変わらない幼馴染達の関係が、千紗季にとっては喜ばしいものだった。風丸に気づかれない程度に、ほんの少しだけ口元を緩める。
「でも完全に転部するって訳にもいかないでしょ?」
「そう、だな……陸上部のこともあるし」
風丸は、陸上部のエースとして、校内だけでなく中学陸上界からも注目を浴び、期待の選手と評されている。
雷門に入学してすぐ陸上部へ入部した風丸は、あっという間にスプリンターとしての才能を開花させた。
昔から彼の足の速さが群を抜いていたのは当然知っていたのだが、去年の全国大会で初出場にも関わらずメダルや賞状を獲得した時は驚いたものだ。
「まあ、帝国との練習試合までまだ少し時間はあるんだし、もうちょっと考えてみてあげたら?」
「そうだな。放課後はいつものとこで特訓してるらしいから、部活が終わったら覗いてみるよ」
いつものとこ、といえば稲妻マークがシンボルの鉄塔広場のことだろう。稲妻町が一望できるその場所は円堂のお気に入りスポットで、いつもそこでサッカーの練習に励んでいた。
風丸と千紗季にとっても、小学生の頃から円堂と共に通い続けていた思い出の場所である。
「どうするか決めたら、私でいいから教えてね。一応、生徒会のデータベースに記録残しとかなきゃいけないから」
「ああ、また連絡する」
「ん。じゃ、引き続き練習がんばってね〜」
風丸に資料を預け、目的を果たした千紗季は陸上トラックを後にする。
資料の部数を確認すれば、残り三分の一くらいといったところだろうか。額に流れる汗をハンカチで拭い、次の部へ向かうのだった。
艶やかな黒髪が見えなくったところで、風丸は預かった資料を手にしたまま、再び同級生や後輩たちの輪へと合流した。
「お、風丸! 四条院さんと何話してたんだ〜?」
同級生の速水真刃が、風丸の肩に肘を乗せて絡んでくる。ニヤニヤとした視線から、恋愛絡みの話題を期待していることが見て取れた。
その視線に煩わしさを感じた風丸はムッと顔を顰め、彼の腕を軽く払い否定する。
「別に大したことじゃないさ。生徒会の資料預かって、サッカー部の話をちょっとな……」
「あー……そういや、なんかサッカー部のやつが叫びながら校内走り回ってたな」
今もどこからか「サッカー部、部員募集中でーす」という円堂の誘い文句が微かに聞こえてくる。
雷門中の校舎はそれなりに広大で、届いた声のボリュームからして、陸上部から随分と離れた場所へと移動しているだろうに。それでも、ここまで聞こえてくるのだから、相当な声量を出しているようだった。
「さっきのサッカー部の人って、風丸さんのお知り合いなんですよね?」
輪の中で二人の会話を静かに聞いていた一年の宮坂が尋ねる。
「ああ。円堂とは小学生の頃からの付き合いなんだ」
「あと四条院さんとも幼馴染なんだぜ? しかも幼稚園からとかさ〜、ほんと羨ましいよなあ。あんな美人で、お嬢様な幼馴染がいて。どこの漫画の設定だよ、くそう」
「お前なあ……それもう耳タコってくらい聞いたぞ」
速水とは、風丸が雷門中に入学して間もない頃からの付き合いだ。
風丸と千紗季が幼馴染であることを知ってからというもの、度々こうして千紗季との関係について冷やかしを入れてくるのだ。
「あんな仲良いのに付き合ってないなんて、不思議だよなあ」
幼馴染。
名前で呼び合う仲。
それだけの要素で、中学に入ってから「付き合っているのか」と問われることが増えた。
結論から言うと付き合ってはいない。
けれども、自分達の関係に色恋沙汰が全く無いと言えば嘘になる。
風丸が千紗季に抱いている感情は、紛れもない恋心だからだ。
「意識とかしねぇの?」
「……しない、わけじゃないけどさ」
片想いをしているくらいなのだ、意識しない方がおかしい。
けれども、回答を濁したのは、この気持ちをまだ誰にも明かしていないからだった。陸上部の仲間にも、円堂にさえも。
「ほーう? その話詳しく!」
「するわけないだろ。変な誤解が広まっても困るしな」
「俺、そんなに口軽く見える……?」
「見えますね」
「宮坂、お前まで……」
いつもの顔色で言葉を交わす同級生と後輩の様子から、千紗季への恋情が漏れ出ていないことがわかり安堵する。
(この気持ちは、まだ千紗季に知られるわけにはいかない……)
幼馴染の関係を壊す勇気を、風丸はまだ持ち合わせていなかった。
何より、千紗季自身が、恋仲になることを望んでいない。そもそも恋愛自体を遠ざけている。つまり──
(今、想いを伝えたところで確実に振られる)
そうなってしまっては、幼馴染であることすらできなくなってしまう。
(それだけは、何がなんでも避けたい……)
もしこの気持ちを誰かに打ち明け、思わぬ形で噂として流れ、千紗季の耳に入ってしまったら、もう取り返しがつかない。
そういった事態を避けるためにも、この気持ちは、まだ自分の心の引き出しに鍵をかけて仕舞っておきたかった。
「お前ら〜! 話し込んでないで、練習戻れよー!」
三年の先輩から注意が入り、三人の背中が同時に跳ねる。速水の「やべっ、戻るか!」の掛け声で、スターティングブロックへ歩き出す。
(今は練習に集中しよう)
ざわついた心を鎮めるため、深く息を継ぐ。
「風丸さん! もう一度タイム測りましょうか?」
「ああ、頼む!」
ストップウォッチを手にした宮坂に返答し、位置に着いた風丸は、スタートラインに合わせて地面に手をつく。
その数秒後、今日何度目となるかわからないピストル音が、陸上部のエリア内に鳴り響いた。
***
資料の配布を終えた千紗季は、生徒会室で再び仕事を進めていた。
夏未が理事長代理を兼務しているため、多忙な彼女に代わり可能な範囲で生徒会長の仕事を処理しているのだ。
一人きりの生徒会室で、千紗季はひたすらパソコンと睨めっこを続ける。体を解すため、ぐっと伸びをした時だった。
校内にチャイムが響いた。後輩が帰ってからは一人静かな空間で仕事をしていたので、ベルの大きさに思わず肩が跳ねる。
(そういえば、いま何時かしら)
時計を確認すると、二本の針は最終下校時刻の十分前を示していた。今日はこの辺で切り上げなければならない。
パソコンの電源を落とし、荷物をまとめ戸締りを済ませると、職員室へ鍵を返却する。下校する前に理事長室で仕事を進めているであろう夏未の元へ向かった。
「夏未、入るわよー?」
「ええ、どうぞ」
応答を確認し、入室する。夏未はまだ理事長用のデスクでパソコンと向き合っていた。
「本日の進捗は?」
「今日はねぇ────」
視線は画面に固定させたままの夏未へ、業務の進捗状況を報告していく。
「と、こんな所かしらね」
「わかったわ、ありがとう。貴女が私の仕事も手伝ってくれてるから、かなり助かっているわ」
「生徒会長の補佐も、副会長の仕事ですからねー。夏未はまだ帰らないの?」
「ええ。今取り掛かっている分がキリの良いところまで仕上げられたらね」
「程々にしなよ」
「あら、それはお互い様ね」
千紗季のこの後のスケジュールを把握している夏未が、溜息混じりに言い返す。
千紗季は帰宅してから就寝時間まで、食事や入浴以外の時間は全て稽古事や勉強で埋まっているのだ。四条院家の方針というより、自ら望んでそのカリキュラムを組んでいる。
「いいのよ、別に。今の私に必要なことをやってるだけだから」
「でもっ……────いえ、そうね」
否定しかけて、止める。
この問答はもう何度も繰り返している。今更同じことを伝えたところで、千紗季は聞く耳を持たないだろう。
「じゃ、私は帰るわ。お疲れ〜」
「ええ、お疲れさま」
何か言いたげな夏未から目を逸らすように、千紗季は背を向けて理事長室を出る。
再び一人きりとなった空間で、夏未は背もたれへと体を預ける。そうして、千紗季に言いかけた言葉を吐き出すように、大きな溜息を漏らすのだった。
***
雷門中を出た後、コンビニで目当ての品を回収できた千紗季はルンルン気分でいつもの通学路を歩いてゆく。
腕に提げたビニール袋には、新発売のロゴが強調された抹茶のシュークリームが三つ敷き詰められていた。好物のスイーツを目の前に思わず手を伸ばしそうになるが、夕食後のデザートだと言い聞かせ我慢する。
「おーい! 千紗季ー!!」
どこからか、幼馴染の声が聞こえた気がして足を止める。
ぐるりと周囲を見渡せば、横断歩道の向こうでこちらに手を振る円堂と風丸の姿を確認した。
信号が青に切り替わり、少し駆け足気味に千紗季の元へやって来る。そんな二人の格好を見た瞬間、千紗季はすうっと目を細めた。
「よっ!」
「”よっ”じゃないでしょー? なあに、その格好。ボロボロじゃないの……」
陽が沈み、暗い夜空の下ではあまり目立ちはしないが、泥だらけのジャージが目につく。
また夢中でボールを追いかけていたのだろうか。いや、タイヤ特訓の方か。
「こいつ、だいぶ無茶なタイヤ特訓しててさ……」
「あ〜、はいはい。タイヤの方ね。そんなにジャージ汚しちゃって、まーた怒られても知らないわよ?」
円堂は、母・温子に叱られる図を想像したのか、「うっ……」と言葉を詰まらせる。
「で、でもさ、帝国に勝つためにはこれくらいやらないとだろ!」
「……本当に勝つ気でいるの?」
「ああ! せっかくの試合なんだ。やるからには勝ってみせる!!」
正直なところ、染岡や半田たちに説教しておきながら、千紗季も彼らの実力で勝利を掴むことは不可能だと思っている。本当に奇跡でも起きない限り、だ。
「それ以前に部員は揃ったの? 七人しかいないでしょ」
「いや、八人だ!! 風丸が入ってくれることになってさ!!」
そう言って円堂は、意気揚々と風丸の肩にポンと手を置いた。
まさか誘われたその日に入部を決めてしまうとは。千紗季は本人から意志を確認すべく、「本当に?」と視線を風丸へと移し、問いかける。
千紗季の目に映った風丸は、やれやれと苦笑しながらも、確かに、大きく頷いて見せた。
「ああ。円堂の無茶な特訓を見てな。って言っても、助っ人として入るから、また陸上部に戻るんだけどさ」
「ふぅん」
中学に入ってからの風丸は、今日までずっと陸上一筋で走り続けてきた。
けれども、小学生の頃は円堂に付き合いよくボールを蹴っていたのだ。
もちろん試合の経験はないが、全くの初心者でもない。風丸が陸上で鍛え上げた俊足を活かしたプレーが、通用することもあるかもしれない。
だから、風丸のことは心配要らないだろう。それよりも他に気にすべき課題は山ほどある。
「それでもまだ部員足りてないし、サッカー部の子たち皆やる気ないじゃない」
「それがな、皆ようやくやる気出してくれてさ! さっきまで皆で特訓してたんだ!!」
話を聞くところによると、諦めることなく熱心に部員の勧誘を続ける円堂の姿に、胸を打たれたらしい。
歩きながら、仲間たちとの特訓について語る円堂の姿とその内容に、ひとまず千紗季は安堵した。
「で、一郎太も守に付き合って、こんな時間までボールを蹴ってたってわけね」
「ああ」
「よし、明日も特訓だあっ!」
握った拳を頭上へ翳し、円堂は十分すぎるくらいの気合いを見せる。
部員不足は解消されてもいないし、帝国に勝てる可能性はゼロだ。しかし、円堂以外はやる気が削がれ、部活動が成り立っていなかった時期を思えば、ようやくあるべき姿になったといえる。
「まあ頑張んなさいな。一応、応援はしてるから」
「へへっ、ありがとな! ゼッタイ勝ってみせる!」
そう宣言した時だった。
ぐぅ〜〜と誰かのお腹の虫が空腹を訴える。
千紗季ではない。どっちだと無言で二人へと交互に視線を移せば、風丸は首を横に振った。その隣で、円堂は汗を流して「俺だ……」と自己申告する。
「腹減ったァ……」
「まあ、あれだけ動けばなあ。流石に俺も腹減ったよ」
「はあ、もう。しょーがないわねえ」
やれやれと、千紗季は片手に持っていたビニール袋を胸元辺りまで掲げる。つい数分前にコンビニで調達した抹茶シュークリームだ。
「公園行くわよ。シュークリーム分けてあげるわ」
「シュークリーム?」
「そ。今日から新発売の抹茶のシュークリーム!」
「千紗季は本当に抹茶好きだよなあ」
千紗季の抹茶好きは昔からのことで、ファミレスや喫茶店のデザートメニューに抹茶がラインナップされていれば、迷うことなく注文していた。新作の抹茶スイーツも常日頃からこまめにチェックしている。
今回もいつものように新作スイーツを隈なくチェックし、入手したのだろう。
風丸はコンビニに立ち寄り、お菓子やスイーツのコーナーを物色する千紗季の姿を想像する。幼馴染の風丸たちには当たり前の光景だが、雷門中の生徒たちが、名家のお嬢様のそんな姿を見たら、そのギャップに大層驚くことだろう。
「でもシュークリームだと三等分できないだろ?」
「ふふん、丁度三つ買ってたのよ!」
風丸の問いかけに、千紗季は得意気に返す。それを聞いた円堂は、ケラケラッと笑った。
「三つってどんだけ食う気だったんだよ」
「なにか? 問題でも?」
「い、いえ、ありません」
千紗季がキッと睨みつけると、円堂は慌てて背筋を伸ばす。
育ち盛りの中学生とはいえ、普段からとんでもない量を平らげる円堂にだけは言われたくはない。
円堂の食事は一品の量が毎度特盛りレベルで、少食寄りの千紗季から見ればそれは異常な量だった。食事をする度にその光景だけでいつも食欲が抑えられそうになるのだ。
現に今も想像だけで空いていた小腹が満たされそうになっている。
「ほーら行くわよ。要らないなら帰るけど」
「い、いりますいります!」
肩を並べた三人が向かう先は、小学生の頃からよく遊び場にしていた公園だ。夕飯時を過ぎたこの時間であれば、他に利用している子供も居ないことだろう。
それを良いことに、公園でもサッカーの特訓を始めやしないか、嫌な汗が流れる。
(もしボールを蹴り始めたら、引っぱたいてでもやめさせなきゃね)
廃部がかかっている試合前に再起不能になられたらたまったものではない。
公園へ向かいながら、円堂は再び帝国との試合に意気込む。
そんな中でも彼の腹の虫は鳴り止まない。お陰様でせっかく勝利宣言したものの、緊張感が何処かへと飛んで行ってしまった。
サッカーボールを抱えて歩く円堂は何とも言い難い表情で、そんな彼の様子に千紗季と風丸は顔を見合せると、同時に吹き出したのだった。
