FF編
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第6話
路地の入口で、カツンとヒールの音が止む。
ホテルから全力疾走してきた千紗季は、ドレスの上から膝に手をついて、乱れた呼吸を整えた。
体の奥からバクバクと脈打つ心音を感じながら、ゆっくりと顔を上げる。
たくさんの車が、人が、煌々としたネオンの中を行き交っている。道路から鳴り響くエンジン音とあちこちから聞こえる喋り声が、千紗季の不安を和らげてくれた。
ふぅ……と、一つ深呼吸をする。
握り締めていた通話状態の携帯を耳に当てた。
「……もしもし?」
五数秒ほど経った頃だった。
『──っ、お嬢様!?』
穂波の泣きそうな声が響いた。
『ご無事ですか!?』
「うん、大丈夫。いま駅前通りに出たとこ」
『そう、ですか。申し訳ございません。お嬢様をお一人にさせてしまって……怖かったでしょう?』
「へーき。穂波たちも大変だったでしょ? ありがとね」
穂波が応答しているということは、あの男の従者から解放されたようだ。
警備員に追われたあの男はどうなったのか。
それについては後で考えるとして、まずは穂波たちと合流することが先決である。
「近くのベンチにでも座って待ってるから、迎えに来てね」
『はい。ですがお嬢様、人通りが多いからといって、油断してはなりませんよ? ナンパや勧誘などには注意してくださいね……』
「はーい、わかってまーす」
そう、ひとまず男から逃れられることはできたが、まだ油断はできない。
ナンパやアイドル事務所の人間に、しつこく付き纏われることだってあるかもしれないのだ。
(まあ、仮に声をかけられたとしても、しつこかったら周りに助けを求めるなり、近くの店に入り込むなりすればいいか)
さっきの状況と比べれば、ナンパや勧誘をあしらうことなど容易いものだ。
千紗季は通話を切って携帯をバッグに仕舞うと、再びドレスを鷲掴んだ。
「さて、と……」
路地から一歩踏み出して、大通りの歩道へと進む。
「おわっ……!?」
「ッ!」
建物の影から飛び出して、人とぶつかりそうになる。
少し気が抜けたせいか、曲がり角の確認を怠ってしまった。
「すみませっ…………あれ?」
謝罪の言葉と共に顔を上げた千紗季の視界に、見慣れた顔が映る。
「……一郎太?」
「えっと…………千紗季、だよな……?」
ばったりと遭遇したのは風丸であった。
私服姿で買い物袋を下げていることから、おつかいで駅前のスーパーにでも訪れていたのだろう。
「てか、その格好……」
「さっきまで夜会だったのよ」
「あー……なるほど、な……」
ポカンと突っ立って微動だにしない風丸を不思議に思った千紗季は、距離を詰めて顔を覗き込んだ。
「ちょっと、一郎太?」
「…………え?」
「どうしたのよ。ぼーっとしちゃって」
千紗季が呼びかけると、意識を引き戻したらしい風丸は、突然、驚いた表情でズズズッと後ずさる。
「〜〜〜っ!!」
「なによう、そんなに驚くことないでしょー?」
「あ、いや。その……えっと、ドレスが、さ……」
「なあに?」
「………………………………すげぇ、似合ってる」
今度は千紗季がポカンとする番だった。きょとん顔で、頬を真っ赤にした幼馴染を眺める。
「一郎太ってばほーんと初心なんだから」
「……今それを言うのかよ」
「別に私のドレス姿なんて、小さい頃に何回か見てるでしょ?」
「それは、そうだけどさ……」
そう、これが初めてではない。
小学生の頃も正装する機会は数え切れないほどにあり、屋敷の前で風丸や円堂と遭遇した時なんかに見られたことは何度もあるのだ。
「……中学に入ってからは、初めてだろ?」
「そうだっけ?」
記憶を遡ってみる。
言われてみれば、中学生になってからは、ドレス姿を一度も目撃されたことがない。生活リズムが変化した影響だろう。
とはいえ、だ。今日の反応は、これまでの中でも一番大きなものだったように思う。そこまで照れる理由がわからず、千紗季の頭にはてなマークが浮かぶ。
────が、それはすぐに弾けて消えた。
「まあ、一郎太が初心なのは昔からのことだしねぇ?」
「……うるさい」
風丸の照れ屋は今に始まったことではない。昔からドレスや着物で着飾った千紗季の姿を見る度、林檎のように顔を真っ赤にさせていたのだ。
風丸は、未だにほんのり頬を染めまま、千紗季を見ようとしない。
いつまでも変わらない幼馴染の反応に、揶揄いモードに入った千紗季はクスクスと笑って、そして、穏やかな眼差しを宿す。
「……ありがとね」
「なにが?」
「ドレス、褒めてくれたこと」
夜会で嫌というほど浴びせられた数々の褒め言葉を思い浮かべる。
”なんて可憐で美しい”
”まるで月の女神のようだ”
他にも挙げるとキリがないのだが、どんなに上手い褒め言葉も、千紗季には何一つ響かなかった。
反対に、風丸の言葉は素直に嬉しいものだった。彼の言動には醜い野心がない。
照れながらも純粋な気持ちを伝えてくれたことが、千紗季にとっては暖かいものに感じられたのだ。
「お、おう……」
風丸は真っ赤な顔のまま、ふいっと視線を逸らす。
遭遇してから何故だかやけに挙動不審な幼馴染が、不思議でならない。
風丸は千紗季の視線を浴びながら、自身の熱を抑えるのに必死であった。
ご機嫌な様子でふわりと見せた千紗季の笑顔が、あんまりにも嬉しそうで、無防備なものだったから────
(反則だろ、その笑顔は……!!)
普段と異なる装いのせいで、千紗季の顔すらまともに見れない。目の前の千紗季は、童話のプリンセスがそのまま飛び出してきたかのようだった。
ふわりと広がる蜂蜜色のドレス。散りばめられたラメは街灯に照らされ、星のように煌めいている。
髪は編み込んだハーフアップにセットされ、幾つもの純白のパールと小さなレモン色の造花が、気品さと同時に愛らしさを引き立たせていた。
毛先もゆるく巻かれ、いつもの古風な雰囲気から打って変わって、今の彼女は洋風のお嬢様だ。
装いに合わせほんのりと乗せられた化粧も、耳元で揺れる三日月のイヤリングも、ネックレスも、何もかもが千紗季の美しさを際立たせている。
その美しくも可憐な姿に、千紗季と鉢合わせてからしばらくは目が離せなかった。体に宿った熱は、しばらく落ち着いてくれそうにない。
また千紗季に揶揄われる前に話題を変えなければ……────
そこで風丸は、ふと感じた疑問を投げかける。
「そ、それはそうと、なんでそんな格好で、こんな所に一人でいるんだ?」
夜会ということは、必ず穂波や護衛たちの送迎があるはずなのだ。近くに穂波たちが控えている様子もないことに気づき、何かあったのだと察する。
「えぇっと……ちょっと、よんどころ無い事情がありまして?」
「事情って……?」
千紗季の言葉に、風丸の顔つきが段々と険しいものへ変わっていく。
(うっ。ここでロリコンに追われてた、なんて言ったら……絶対、過保護になるだろうしなあ)
千紗季が年齢問わず男性から好意を抱かれやすいことは、当然ながら風丸もよく知っている。この手の話となると、千紗季に対する心配性が発動し、少々過保護になるのだ。
このまま会話を続ければ確実に尋問コースである。どうにかしてルートを回避したいところだ。
「とにかく大丈夫よ〜。GPSで私の居場所は穂波たちに伝わってるから。その辺のベンチで迎えを待つわ」
「あ、おい……!」
そう言って、この場から移動しようと歩き出した。
────が、緊急停止する。
「……どうした?」
「……………………」
「千紗季?」
突然動かなくなった千紗季に、風丸も戸惑い始める。
「…………足」
「え?」
「靴擦れ……した、かも……」
両足からズキズキと痛みを感じる。ヒールでホテルから長距離を全力疾走したのだ。靴擦れしないわけがない。
さっきまでは逃げることに意識が集中して、痛みに気づかなかったのだろう。
「千紗季、ほら」
風丸が千紗季に背を向けしゃがみ込む。痛みで歩けない千紗季を背負うつもりなのだろう。
「とりあえず、そこのベンチまで移動しようぜ」
「…………」
とても有り難い申し出なのだが、こうなっては尋問コースは避けられない。しかし、歩行困難な状態で、一人この場に留まるわけにもいかない。
いや、そもそもこんな状態の千紗季を風丸が放っておくはずもないのだが。
「千紗季」
「……なに?」
「千紗季の口から事情を聞かせてもらうからな?」
「むぅ……」
あまり心配をかけたくないので、できれば知られたくはない。だが、ストーカーのような被害にまで発展した以上、身近な人間には共有が必要だろう。
何より、会場の警備員へ対処を委ねたことにより、四条院家と男の家、双方のみの問題ではなくなった。今回の件が第三者に知れ渡るのも時間の問題なのだ。
そうなれば、まず確実に噂としてセレブの間で男の不祥事が知れ渡り、男の信頼は地に落ちる。その逆恨みで日常生活にも危険が及ぶ可能性も否めない。
”話さないこと”で返って周囲の者を巻き込んでしまうかもしれないのだ。
とうとう千紗季は降参し、素直に風丸の背中に身を任せることにする。
「……じゃ、お言葉に甘えますね」
「そうしてくれ」
後ろから抱き締めるように、千紗季は風丸の首元へ腕を回す。当然、二人の距離はゼロとなり、ぴったりと体が密着した。
同時に、風丸の背中に柔らかいものがあたった。
「ッ!!」
その瞬間、風丸は息を呑む。
千紗季を背負うのは、これが初めてではない。幼い頃はもちろん、中学生になってからも、体調が優れない彼女を背負ったことは幾度となくあった。
とはいえ、風丸にとって千紗季はもう単なる幼馴染ではない。身体だってどんどん成長していく。何度経験しようが、意識してしまうものなのだ。
風丸は内心慌てながら、必死に平静を装おう。下心とも呼べるこの感情だけは、何がなんでも千紗季に知られる訳にはいかない。
「じゃ、じゃあ、立ち上がるぞ?」
「……ん」
声が、少し裏返ってしまったような気がして、額からダラリと汗が流れ落ちた。
風丸の声掛けに返事をする千紗季はいつも通りだ。こちらの動揺が伝わっていない様子に、ひとまず安堵する。
立ち上がった風丸は、ストンと千紗季を抱え直すと、ゆっくりと歩き始めた。
周囲からの視線が痛い。
買い物袋を下げた私服姿の少年が、ばっちりとドレスアップした少女を背負っているのだ。目立たないわけが無い。
風丸は広場へ移動すると、千紗季をベンチに座らせる。そのまま彼女の前に跪いて、ヒールにそっと手を添えた。
「……その、脱がせて大丈夫か?」
「え? うん。いいけど」
「そ、そっか。じゃあ……」
何故だかまた顔を赤らめるので、千紗季は再びどんだけ初心なんだとつっこんでやりたくなった。
風丸の手により窮屈なドレスシューズから解放される。確認してみると、足の甲、小指の側面、踵が赤く炎症していた。それも、両足ともにだ。
「……これは、痛いな」
「こんな格好で、会場のホテルからここまで全力で走ってきたんだもの。そりゃあ靴擦れするわよねぇ。背負い投げした時にも負担かかっちゃったのかなあ」
「せ、背負い投げ……」
「絆創膏持ってるから貼ってもらってもいい?」
背負い投げなどというワードをさらりと零す千紗季に、風丸は頬を引き攣らせながらも黙って絆創膏を受け取る。
「で?」
「え?」
「何があったんだ?」
「……えぇっと」
絆創膏を剥きながら始まってしまった尋問タイムに、千紗季は目を泳がせた。
背負い投げをかましてホテルから脱走してきた、なんて聞けば問い詰めずにはいられないだろう。
「”また”変な男に付きまとわれたんじゃないのか?」
「…………」
誤魔化す間もなく正解を突きつけられる。声のトーンが低くなったのは、絶対に気のせいではない。
風丸からぶよりぶよりと漂い始める負のオーラに少し気圧されながら、千紗季はおずおずと告白する。
「……ロリコンに、捕まってた」
「ロリコンに捕まってたぁ!?」
「あ、ごめん。待って。今の説明雑すぎた。今のナシ。流石に語弊があったかも」
捕まったという表現は、あながち間違いではない。ただ今の伝え方は”攫われた”と解釈されても不思議ではないだろう。
「攫われたわけじゃないから。待ち伏せされたり、追いかけ回されたりしただけで……」
「それも十分危険な状況だろ!! 芒さんや護衛の人たちは一緒じゃなかったのか?」
風丸は四条院家の護衛を思い浮かべる。
幼い頃、常に鋭い目付きで威圧感を振り撒く彼らを初めてお目にかかったときは、どこのヤクザかと身構えたものだ。
千紗季が歳の離れた成人済みの男性から捕まりそうになった、なんて話を聞けば、彼らは血相を変えて殴り込みにいくのではなかろうか。
「会場内は付き人厳禁でね。エントランスで待ってもらってたの。本来は一緒に帰る予定だったのよ?」
「じゃあ、なんでこんなことになってるんだ?」
千紗季は溜息を一つ零して、自分の身に起きた一部始終を説明する。
話し終わった頃には、靴擦れの処置が完了していた。
一度、話を中断して礼を伝える千紗季の目に映ったのは、明らかに怒りを滲ませた風丸の表情だった。重苦しくなっていく空気に耐えられず、千紗季はいつもの軽い口調で話を続ける。
「穂波たちにまでわざわざ従者を派遣させるなんて、完全にやられたわねぇ」
本人はあっけらかんとしているが、風丸としては想いを寄せている幼馴染がロリコン野郎に絡まれ、追いかけ回されていたなどという話を聞いて、平然としていられるわけがなかった。
靴擦れの処置を終えた風丸は、静かに立ち上がり千紗季に問う。
「今日みたいなことって、これまで参加したパーティでもよくあったのか?」
今日一番の低い声に、千紗季は少し身構える。風丸から本気の怒りを感じ取り、遠慮がちに口を開いた。
「……会場内でしつこく付き纏われることはよくあったわ。こんなに必死に逃げなきゃいけないほど追いかけ回されたのは、今回が初めてね」
「付け回されるだけか? 他に変なことされてないか!?」
風丸は千紗季の両肩に手を置いて、必死の形相で詰め寄る。
「ちょっと、落ち着いてよ」
「落ち着けるわけないだろ!!」
思わず口調が強くなる。
千紗季は少し躊躇う様子を見せ、重々しく口を開いた。
「……小学生の頃から、周りの視線がやらしいなって思うことはあったわ。絡まれるようになったのは、中学に入ってからね」
「絡まれるって……?」
「…………食事に誘われたり。肩、抱かれたり。あとは…………おしり触られそうになったり、とか」
「なっ……!」
風丸は言葉を失った。
千紗季に対する男性からの好意が、犯罪レベルにまで達しているとは思わなかったのだ。
自身の体温が、どんどん下がっていくのを感じる。
「……それ、千紗季のおじいさんや芒さんは知ってるのか!?」
「穂波にはちゃんと伝えてる。蓬莱たち護衛の皆にもね。いつもそうしてるの知ってるでしょ?」
その返答に、風丸は一先ず安堵した。
千紗季は幼い頃から、”周囲の者達に心配をかけたくないから”なんて理由で、問題事を隠すようなことはしない人間だ。
しかし、今の答えでは、彼女の育ての親である祖父には伝わっていないようだ。
「おじいさんには?」
「……じい様には、話してない」
「理由は?」
「…………だって、話したらもうパーティに出席するなって言われるでしょ。だから言わない」
「なんでだよ。お前、元々パーティ自体嫌いじゃないか。なら、」
「それはダメ。私が出られなくなったら、消去法でじい様が出席することになるじゃない」
「それじゃダメなのか?」
千紗季は黙り込む。ドレスのスカートの上で重ねられた両手に、ぎゅうっと力が込められたのが見えた。
「…………じい様の病気、悪化してるの」
遠慮がちに吐き出された言葉とともに、千紗季から表情が消える。
「薬もどんどん増えてて、毎日飲んでる。無理して……欲しくないの」
千紗季の言葉と表情に、風丸は何も言えなくなってしまった。
普段の千紗季は笑みを絶やさず、飄々としていて冗談も言える。良い意味でお嬢様らしかぬ親しみやすさを携えた少女だ。
しかしその姿は、半分は素であり、もう半分は他人と距離を図るための仮面であった。
では、仮面を被ったもう一人の千紗季はどんな姿なのか。
今の千紗季がそうなのだ。
表情に感情を乗せることはない。けれども、内に溢れた感情が前に出ぬよう必死で堪えている、取り繕う余裕すら無い姿。
(……ずっと、怖かったんだな)
祖父の病が進行しているということは、つまり、祖父との別れのカウントダウンが始まってしまったということ。
その事実を突きつけられた瞬間から、千紗季がずっと、密かに怯えていたことを理解した。
風丸と千紗季が出会ったのは、二人が六歳の頃のことである。
その時には既に、千紗季に”両親はいない状態”だった。
千紗季が母方の四条院家に引き取られてから数年後に祖母は他界。
父方の祖父母とは、ほぼ絶縁状態にあるようだった。
その理由を、風丸は知らない。円堂だって。
千紗季の家族のことは安易に踏み込んではならない。それは、風丸と円堂の中で自然と生まれた暗黙のルールだった。
千紗季の身に何が起きたのかはわからない。
けれども、彼女と長い時間を共にして、わかったことがある。
千紗季は恐れているのだ。
自分の元から、家族や大切な人がいなくなってしまうことを……────
風丸は再び千紗季の前に膝をつく。そうして、寄り添うように、幼馴染の顔を覗き込んだ。
「……他の人じゃ代わりが効かないのか?」
優しく問いかける。さっきのように強い口調で問い詰めることはしなかった。
「伯父様の部下がたまに代理で出てるけど、催しの趣旨によるわ。今回は四条院家への案内だから、家の者が出ないと体面が悪いでしょ」
淡々と述べるその声に、抑揚はない。千紗季の表情は、消えたままだ。
「穂波にだって無理に出席する必要はないって言われたわ。でも、今回のはけっこう重要な会だったから」
今、共に暮らしている家族が大切だからこそ、千紗季は四条院家の人間として、その責務を全うしたいのだろう。
これまでもそうだった。
跡を継ぐ者が自分でなくとも、家の恥にならぬよう、勉学や芸事にも努力を惜しまなかった。
だからこそ、今回の夜会が付き人厳禁であったとしても、出席することを選んだのだろう。四条院家が築き上げてきた人脈を守るために。
「家族を大切にしたいっていう千紗季の気持ちはわかるんだけどさ……でも、自分を犠牲にしてほしくはない」
今の発言は無責任だったろうか。
風丸には、千紗季が住む世界を、彼女の立場を、その重責を、完全に理解することなどできはしない。
であったとしても、千紗季が家族を大切に思うように、風丸もまた千紗季が大切なのだ。
できることなら傍で守りたいが、それは叶わない。ならば、こうして千紗季に声を届けるしかないのだ。
「別に犠牲してるつもりはないんだけど」
「俺にはそういう風にしか見えないぞ?」
「私はただ責務を全うしてるだけよ。家のためにできることがあれば何かしたいし、じい様の負担を減らしたいの」
澄した顔に宿る瞳に、迷いはない。
これ以上止めても、千紗季は譲らないだろう。
「私一人で対処できるように、訓練だってしてるし対策も練ってる」
千紗季は、自身の容姿が人目を奪うものであることを自覚している。その分、男性関係のトラブルを引き寄せやすいことも、これまでの経験から身をもって知っている。
ゆえに、千紗季は護身術をはじめ、自分の身を守るための訓練を怠らない。護衛に頼りきること、守られることに、依存しないのだ。
何より、千紗季が危険な目に遭えば、その責任は侍女や護衛が問われることになる。
千紗季はお嬢様で、侍女や護衛に守られる立場だ。しかし、千紗季は主人として彼らの人生を守る責任があると、そう考えている。
千紗季が、リスク回避の術を持つことで、彼らの地位や名誉、生活を守ることにも繋がるのだ。
「それに、一郎太も知ってると思うけど、伯父様や穂波、蓬莱たちには何かあったら隠さずすぐに共有してるわ。だから、そこは安心して」
千紗季はまだ中学生の子どもで、非力な少女であることに変わりはない。”できる事には限界がある”と自身の力量を正しく認識すると同時に、被害の拡大を防ぐため周りの大人へ共有し、頼るのだ。
「今回の件についても、泣き寝入りするつもりはないわ。ちゃんと対処して、じい様にも報告するつもりだから」
その口ぶりから、警察に相談することを視野に入れているのだと察し、風丸はようやく安堵する。
流石に警察沙汰ともなれば、祖父にも共有すべきだと判断したのだろう。
「……わかった。でも、せめてこれからは、護衛無しのパーティにはあまり出ないで欲しい」
「ん。私も今日の一件で、心の底からそうしようと思ったわ」
付き人の同伴が禁じられていたため、千紗季も警戒してはいたのだ。
だが、家の名を背負い、かつ招待者の立場である人間が、まさかあのような愚行に出るなど、流石に想定外であった。その認識が僅かな隙を生んだのだろう。
やはり付き人厳禁のパーティには、一人で参加すべきではない。最低一名は同伴者が必要であろう。
「はあ…………つかれた」
風丸に事情を話したからだろうか。ようやく緊張が解けた気がして、千紗季から長い溜息と共に呟きが零れ落ちる。
ふと、膝の上で重なった自身の両手が目に入る。
なんとなく指先に触れてみると、意外にも冷たくなっていた。温めるように、片手でぎゅうっともう片方の手を包み込む。
「千紗季、ちょっとここで待っててくれ」
「えっ」
頭上から風丸の声が降ってきたかと思えば、顔を上げた時には、既に彼は近くの自販機の元へ向かっていた。
数秒後、ガコンと自販機からペットボトルの落下音が響く。
しゃがんでドリンクを取り出した風丸は、駆け足で千紗季の元へと戻ってきた。
「ほら」
差し出されたドリンク──抹茶ラテのラベルを凝視し、千紗季は目をぱちくりとさせる。
そして、素直にそれを受け取った。
「ありがと」
「ホットがあれば良かったんだけど、冷えたやつしかなくてさ」
風丸の言葉に、千紗季はキャップを開けようとして、停止した。
さっきの千紗季の仕草で、指先が冷えていることを察していたらしい。
「……ほんと、一郎太にはお見通しなのね」
「長い付き合いだからな」
幼馴染の言葉に、千紗季は表情を緩める。
そして、ペットボトルを傾け抹茶ラテを口にした。
「あっ、この抹茶ラテ、抹茶の苦味が効いてて美味しい」
抹茶の甘みとほろ苦さ、好物の味がまた心を落ち着かせてくれた。
そこで、ホテルからここまで全力疾走したにも関わらず、水分すら摂っていなかったことに気づく。
乾いた喉に流れる冷えた抹茶ラテが心地よかった。
「……ねぇ、一郎太」
「ん?」
「ありがと。一郎太が居てくれてよかった」
日が沈みきった夜に、恐怖心や緊張感を抱えたまま、穂波たちの迎えが来るまで一人待ち続けるのは、きっと心細くて、寂しかったことだろう。
だから、風丸と会えて良かったと、心底思うのだ。
素直に礼を伝えるも、風丸からの反応がない。
手元の抹茶ラテから、ふっと顔を上げると、そこにはまたもや顔を真っ赤にさせた幼馴染がいた。
「なあに? また照れてるのー?」
「えっ、ああ、いや……その…………俺も、千紗季の力になれたのなら、よかったよ……」
「ふふっ。もう、照れすぎでしょ」
「う、うるさい……」
幼馴染の風丸との、いつもと変わらないやり取り。
さっきまで自分は本当に逃走劇の最中に居たのかと疑ってしまうほどに、この時間は穏やかだった。
暫くして、GPSで千紗季の居場所を特定した穂波たちが迎えにやってきた。
主人の無事を確認した穂波が、涙を浮かべて力いっぱいに千紗季を抱き締める。
その腕の中で、千紗季は母のような温もりに身を委ねるのだった。
