FF編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
第4話
「うわっ、何これ……」
本日も全ての授業が終了し、生徒会室へとやって来た千紗季は、共有机に山積みされた書類を目にして頬を引き攣らせた。
「練習試合の申し込み書よ。サッカー部へのね」
棒立ちしている千紗季に向かって、夏未は会長用のデスクで書類を捌きながら答える。
「もしかして、帝国との練習試合で……?」
部員も揃っていない弱小サッカー部が負けるに違いない。天地がひっくり返っても雷門が勝つなど有り得ない。
誰もがそう思っていたであろうこの試合は、帝国の試合放棄により雷門が勝利する結果となった。更には、そんな実力皆無の弱小チームが、帝国から一点を奪ったのだ。
この結果を耳にした者たちは、皆さぞ驚いたことだろう。
(うちのサッカー部の実力に興味を示して送り付けられたものか。もしくは、豪炎寺くん狙いってとこかな)
千紗季は夏未の指示で、練習試合以降に流れ始めた雷門サッカー部に関する噂話を集めていた。豪炎寺が雷門へ転校したことや、練習試合での得点は彼によるものであることは、既に広まっているようなのだ。
(帝国と同じように、彼の実力を確かめたいのか。あわよくば、スカウトしようって魂胆かしら……)
誰もが思ったのではなかろうか。全国レベルの実力を持つ豪炎寺が、なぜ弱小チームの雷門へ転校したのか、と。
だが、目的が豪炎寺だけとは限らない。円堂が帝国のシュートを止めたことも、ちらほらと話題に挙がっていたからだ。
(守の話が真実かどうか知りたいって人もいそうよね。まあ、大半はまぐれだって思ってそうだけど)
弱小チームのキャプテンが帝国のシュートを止めた。単なる噂にすぎないのか、真実なのか。だとしたらまぐれなのか、実力によるものか。
それを確かめる手段として、練習試合を申し込んだことも考えられる。
「ほら、早く席に着いて貴女もその書類を捌いてちょうだい」
書類を眺めながら考え事をしている千紗季に、夏未は相変わらずの涼しい顔で指示を出す。
しかし、一つ腑に落ちないことがある。
千紗季はようやく書類から外した視線を夏未へと流した。
「会長、一つ質問しても?」
「何かしら」
「これって普通、顧問の仕事なのでは? なんで生徒会室に持ち込んだのさ」
各部活宛に届いた書類は、本来であれば顧問が窓口となる。だというのに、なぜ千紗季や夏未がこれを捌く必要があるのだろう。
とはいえ、夏未とも付き合いは長い方だ。わざわざ聞かずとも彼女の考えていることはなんとなくわかっているが、ほんの少しの嫌味を込めて敢えて質問した。
「あら、千紗季だってもう気づいているでしょう? 申込件数が多すぎて、冬海先生一人じゃ捌ききれないの」
想像通りの回答に、千紗季はどっと溜息を吐く。正直、面倒くさいのが本音だ。
夏未曰く、どうやら電話やメールでも申し込みが殺到しているようで、冬海はそちらの対応で手一杯らしい。
「それに、理事長が不在の場合、最終的に許可を出すのは私だもの。それなら、私が直接確かめたってよくないかしら?」
「…………」
夏未の言葉に、千紗季は返答できなかった。
サッカー部に対しここまで夏未が積極的に関わろうとするなど、これまでの態度を振り返ればありえない光景だ。とても廃部を突きつけた者のする行動とは思えない。
(一体どういう風の吹き回しよ……)
ただ一つ言えるのは、先日の練習試合の一件で、夏未が雷門サッカー部、そして、円堂に何か価値を見出した、ということ。
(ま、どの道、廃部の件は一旦保留になってるだろうし)
練習試合の申し込みを夏未自ら捌いているということは、おそらく次の試合でサッカー部の実力を確かめ、改めて部の存続を決めるつもりなのだろう。
仕方がないかと千紗季は観念して自席に着く。夏未からこき使われるのは慣れっこだ。
「それと、帝国との試合後に頼まれてた件、調べておいたわよ〜」
「流石ね。仕事が早くて助かるわ」
「どーも。データまとめといたから、夏未のフォルダに移しとく」
「お願いね」
持参したUSBを嵌め込み、マウスでパソコンを操作する。
データを夏未のフォルダへ移し終えたあと、千紗季は共有机に積まれた封筒の山を崩して自席へ移動させた。封筒を開封し、ざっと目を通す。
(うーん……夏未がすぐに確認できるよう、必要な部分だけチェック入れとくべきかなあ)
筆立てから黄色のマーカーを手に取り線を引くと、クリップでまとめたものを夏未へと手渡した。この作業をひたすら繰り返す。
書類を捌き始めてしばらくしてからのこと。ふと集中力が途切れ、書類から顔を上げた千紗季はなんとなく夏未へと視線を流す。相変わらず真剣な表情で書類を捌いていた。
いつもサッカー部のことは軽くあしらっていた夏未が、なぜここまでするのか。何が彼女をそうさせたのか。
「夏未さ〜、随分サッカー部に入れ込んでるじゃない? 急にどうしたのよ」
「入れ込んでいるつもりはないのだけれど」
「でも気になってはいるでしょ?」
質問の仕方を変えて問いただす。
「…………否定はしないわ」
その妙な間は何なのだろうか。
素直じゃないのはいつものことなので、特に不思議なことではないのだが。
「わざわざ豪炎寺くんのことまで調べちゃってさあ」
夏未の手が、一瞬だけピタリと停止した。
千紗季が雷門サッカー部の噂話に関する情報を集めていた傍ら、夏未は豪炎寺について調べていたのだ。
「帝国学園がわざわざ直接確かめに来るような人物なのよ。把握しておくべきなのは当然でしょう」
「そーですねぇ」
あくまで理事長代理としての仕事を全うするため、という姿勢を貫きたいらしい。
とはいえ、夏未とそれなりに時間を共有してきた千紗季には、意地を張られても通用しない。
(本当はちょっと期待し始めている癖に……)
帝国との試合の後に夏未が放った一言が、脳裏をよぎる。
『あえて言うなら、”あの諦めの悪さ”……というところでしょうか』
素直に認めたがらないが、夏未なりに円堂を評価していた。何度倒れても立ち上がるその根性に、信念に、夏未の心が少しずつ動かされている。
そうでなければ、自らサッカー部の案件を担うことはないはずだ。
「……あら」
「どしたの〜?」
「面白い挑戦状を見つけたわ」
書類の山からたまたま手に取った挑戦状に目を通した夏未が不敵に笑む。
(練習試合の申し込みに、面白いもなにも無いと思うんだけど)
とにかく夏未が何か企みを思いついたのは間違いない。再びやって来る波乱の予感に、千紗季は気だるげな表情を浮かべる。
「千紗季」
「はいはいなんでしょう」
「尾刈斗中学校についての情報をまとめておいてもらえる?」
夏未のいう情報とは、尾刈斗中の噂のことだろう。千紗季も人伝に聞いたことがある。学校名が表すように、その内容は奇妙なものばかりであったと記憶している。
「期日は?」
「可能なら明日までだと助かるわね」
「今日中に片付けてやりますよ」
尾刈斗中の噂は、誰もが知っている学校の怪談というほどでもないが、耳にしたことがある者は少なくは無い。ほんの少し探りを入れる程度でも十分に情報は集まるはずだ。
(この流れ的に、次の対戦相手は尾刈斗中ね)
夏未がピンポイントで情報収集を命じたということは、他に対戦校の候補が出ない限り尾刈斗中で確定とみて間違いないだろう。
そして、そんな千紗季の予想は、翌日見事に的中する。
「対戦相手を決めたわ」
お昼休みの理事長室にて。
絵になるほどの優雅な所作で紅茶を味わう夏未から、サッカー部の話題が切り出される。
そんな彼女の手元には、ホチキス止めされた資料があった。これは今朝、千紗季から夏未に渡ったものだ。資料には夏未の要望で掻き集めた尾刈斗中にまつわる噂話がまとめられている。
「尾刈斗中でしょー?」
「ええ」
「なーんでまたあんな怪しげなところを。変な噂ばっかじゃない」
千紗季は緑茶を啜りながら、尾刈斗中の噂を思い浮かべる。
試合をすると高熱で倒れる、シュートを決めようとすると足が動かなくなるなど、呪いと呼ばれるほどの奇妙な話が溢れ返っているのだ。
「だから面白いんじゃありませんか」
「へーえ、会長はああいう噂を信じちゃう側の人なのねぇ。初耳だわ〜」
「そんなんじゃありません」
また相棒の揶揄い癖が発動し、夏未はムッと顔を顰める。
もちろん千紗季は、夏未が噂に流されるような人間ではないとわかっている。
その上で茶化してくるのだから困ったものだ。
夏未はコホンと一つ咳払いをして、千紗季に封筒を差し出す。
「なあに、これ」
千紗季は疑問符を飛ばし、その封筒を受け取った。
当たり前だが、宛先は雷門サッカー部であった。中の用紙は蛇腹状に折り畳まれている。ところどころ用紙に付着しているインクはなんなのだろうか。血が垂れ流れたような模様で気味が悪い。
用紙を広げ中身を確認する。そして、言葉を失った。
「もしかしてとは思ったけど……」
差出人は尾刈斗中であった。
その文章に、時候や結びの挨拶などは一切書かれてはいない。「我が校との勝負を受けないと呪いを受けることになる」とだけ記されている。
ご丁寧にわざとらしくぐにゃりと歪んだ線で綴られた文字は、ホラー映画やお化け屋敷に登場してもおかしくないほどのクオリティだ。
「やっぱりこれ、尾刈斗中からの挑戦状ね」
「ええ、そうよ」
「なんで練習試合の申込み方までホラーチックなのよ」
ここはいつからホラー映画の世界となったのだろうか。呪いの宣告を受けた登場人物の体験でもしているかのようだ。
「ちょっとちょっと会長、もしかしなくても呪いが怖くって申し入れを受けるとか、そういうアレですか~?」
「そんなわけないでしょう? 貴女さっきからいい加減になさい」
流石にそろそろ夏未の堪忍袋の緒が切れそうなので、茶化すのはここまでにした方が良いだろう。
「じゃあ真面目な質問なんだけど」
「あら、何かしら」
「この練習試合、ただ試合をさせるだけじゃないわよね。何か企んでるでしょ」
「企むだなんて人聞きの悪い。先の試合、帝国学園が棄権しなければサッカー部は間違いなく廃部だったでしょう?」
サッカー部の廃部については、保留のままとなっている。そんな中、帝国との練習試合を終えて直ぐに別の試合を組むということは────
「要は、”次の試合でまともな結果を示せ。それができなければ、今度こそ廃部”って言いたいわけ?」
「察しがよくて助かるわ。その代わり……勝てば、フットボールフロンティアへの出場を認めるつもりよ」
「え、うそ」
「嘘じゃありません」
まだギリギリではあるが、部員も十一人揃い大会に出場できる体制は整っている。
尾刈斗中との試合に勝利し、大会への出場が認められれば、サッカー部はかなりの大躍進だ。
(やっぱり、夏未ってば期待してるんじゃない)
部員数が揃っているなか存続が決定すれば、理事長代理として部の本格的な活動を支持する必要もあるのだろう。
とはいえ、あれほど邪険にしていたというのにこの変わりよう。サッカー部に対する期待があってこそではなかろうか。
「放課後、サッカー部にこの件について話しをするわ。貴女も着いてきてちょうだい」
「はいはい」
注文の多いお嬢様だ。
千紗季はやれやれと肩を竦めるのだった。
***
「そこの貴女、ちょっとよろしいかしら?」
「はい?」
サッカー部の部室へ向かう道中、制服からジャージに着替えた秋と鉢合わせた。
声をかけられ振り返った秋は、自身を呼び止めた人物が夏未であることを認識し目を丸くしている。
「サッカー部マネージャーの木野秋さん、ね?」
「あ、はい……」
また廃部の話を持ちかけられるのではないかと緊張しているのだろう。
秋は何事かと、夏未の後ろに控えている千紗季へそろり……と視線を寄越す。
戸惑う秋に向かって、千紗季は苦笑いを浮かべて顔の前で手を合わせることしかできなかった。
「サッカー部の皆さんにお話があるの。案内してくださる?」
「は、はい! こちらです」
ぎこちない表情で案内する秋に、なんだか申し訳ない気持ちがじわじわと沸いてくる。この空気を和らげねばと、千紗季はいつものように軽い口調でさらりと口にした。
「もう、夏未は私みたいにもうちょっとフレンドリーさを身につけた方がいいと思いますー」
「急に何なのかしら」
夏未の涼しい顔が、一瞬にしてムッと歪んだ。
「そうそう、それくらい分かりやすい方が、まだ親しみやすいって」
「親しみやすさは大切だけど、貴女に関しては私に対してもう少し遠慮というものを持つべきではなくて?」
「えぇーー。私と夏未の仲じゃない」
「どんな仲よ!」
「ふふっ、二人とも仲が良いんですね」
「だってさ〜」
ほぼ素で対応する夏未の雰囲気に、どうやら秋も少しだけ肩の力が抜けたようだ。二人の掛け合いにくすっと笑みを零している。
「……何故かしら。とても複雑だわ」
しかし、夏未は納得がいかないのか、少々不満気な様子だ。なんだか千紗季の手のひらの上で転がされているような、そんな感覚がして秋の言葉を素直に受け入れられない。
反対に、千紗季は今にも鼻歌を口ずさみそうな程にご機嫌だった。
「私は素直に嬉しいけど?」
「……全くもう、調子が狂うわね」
上機嫌な相棒の姿に夏未はとうとう観念する。
千紗季のこの揶揄い癖は、警戒心が人一倍強い彼女が、自分以外の人間に信頼を寄せている証であり、彼女なりの甘えでもあった。
そのことを理解しているから、夏未も最終的には千紗季のペースに呑まれることを許してしまう。
少し悔しいが、嫌な気はしない。
そんな風に思ってしまうのは、夏未もまた千紗季に対し絶対的な信頼を寄せているからに他ならない。
「では、皆に声をかけてくるので、少しここで待っててください」
そんなやり取りをしている間に、部室前に到着してしまった。
中から複数人の声が聞こえる。ミーティングでもしているのだろうか。
秋が古びた部室の扉を開いて来客を知らせる。そして、「どっ、どうぞ……」と困り顔を乗せて夏未と千紗季を部室の中へ通した。
「えっ」
来客が夏未だと知った円堂は、数分前の秋と同じように困惑した表情を見せる。それは他の部員たちも同じで、部室内に緊張感が漂い始めた。
(あー……っと、これはまずいわね)
張り詰めた空気を少し和らげねばと、千紗季は咄嗟にフォローへと回る。
「どうもこんにちは〜、サッカー部の皆さん!」
夏未の後ろからひょっこりと顔を出し、いつもと変わらず親しげな口ぶりで挨拶をする。
「……臭いわ」
「夏未、ストレートすぎ」
しかし、千紗季のフォローは虚しく終わった。
部室に足を踏み入れた途端、盛大に顔を顰めて鼻を押える夏未の言動に、千紗季は口を尖らせる。
(せっかく場の空気を和ませようと思ったのに。まあ臭いのは否定はしないけどさ)
千紗季は少しむくれて、隣に控えている秋にこっそりと耳打ちをする。
「夏未こそ人に遠慮ないわよねぇ?」
「千紗季、何か仰いました?」
「いえいえ何も~。仰ってませーん」
「あはは……」
二人のやり取りに、秋は苦笑する。
来て早々こちらのペースで会話をしていると、「おい」と不機嫌な声が千紗季たちのやり取りをぶった斬る。生徒会二名の登場に不満の声を上げたのは染岡だ。
「こんなヤツら、なんで連れてきたんだよ!」
「話があるって言うから……」
「チッ」
夏未はともかくとして、千紗季もまだ染岡から敵視されているらしい。いつになったらその刺々しい空気を収めてくれるようになるのだろうか。
「まあまあ、そうカッカッしないでよ。別に悪い話……を全くしないわけじゃないけど〜」
「あ”?」
最後は余計な一言だったかもしれない。あっけらかんと言って見せた千紗季に、染岡の苛立ちが更に募ってしまった。
ふと、部室の奥からじとっとした視線を感じ、そちらへ目をやる。
風丸だ。わかりやすい程の呆れ顔でこちらを見てくる。
(なによう、一郎太ってば。もう余計なこと言うなって?)
風丸とは一番付き合いが長い。わざわざ言葉を交わさずとも、表情や態度で彼の思考がわかる時があるのだ。
夏未へのフォローは不発に終わり、何故か未だに染岡には噛みつかれ、挙句、幼馴染には呆れられ、千紗季のやる気が急降下していく。
(わたし、もう帰っていいかな)
投げやりモードになりつつある千紗季などお構い無しに、夏未は一歩部室へ足を踏み入れる。
「帝国学園との練習試合、廃部だけは逃れたわね」
「お、おう……! こらからガンガン試合していくからな!」
夏未の登場に戸惑いながらも円堂は拳を握って宣言する。
そんな円堂の様子に夏未はふっと笑みを返し、続けた。
「次の対戦校を決めてあげたわ」
「次の試合!?」
その吉報に、夏未の存在をそっちのけにして部員たちがはしゃぎ始めてしまった。
話が中断され、夏未の眉間にみるみると皺が寄っていくので、後ろに控えていた千紗季は「まあまあ」と相棒を宥める。
「話を聞くの? 聞かないの?」
「ああ、すまない。で、どこの学校なんだ?」
「尾刈斗中。試合は一週間後よ」
学校名を聞いてもあまりピンと来ないのか、きょとんとする一同。この様子だと、例の噂は誰一人知らないのだろう。
「もちろん、ただ試合をやればいいというわけではないわ。今度負けたらこのサッカー部はただちに廃部」
「またかよ……」
「千紗季がさっき言ってた”悪い話”って、やっぱり廃部のことか」
「そうそう、さっすが一郎太。私のことよくわかってる〜」
「…………」
ついさっき風丸から呆れた目を向けられたばかりだというのに、千紗季は懲りずにいつもの調子で会話に加わる。
そんな彼女に風丸は再び物言いたげな様子だ。
「ただし」
少し沈んだ空気を止めるかのように、夏未は続きの言葉を発する。
「勝利すればフットボールフロンティアへの参加を認めましょう」
「えっ!?」
円堂は驚愕した。ここで大会出場のチャンスが得られるとは。それも、夏未の口から告げられるなど夢にも思わなかった。
「精々頑張ることね。行くわよ、千紗季」
「はーい」
夏未は赤みがかった茶の髪をふわりと翻し、部室を去っていく。
千紗季は相棒の背中を一瞥してから、再び円堂たちに向き直った。
「守」
「なんだ?」
「夏未はいっつもあんな感じだけどさ、ちゃんと約束は守る人だから」
お嬢様というだけでなく、理事長の娘という立場から夏未に反感を持つ生徒だって存在している。
オマケに絵に描いたような優等生かつ堂々とした物言いや立ち居振る舞いから、お高くとまってると評されることもあった。
しかし、夏未は決して高慢ではない。
だが、学園を預かる身として威厳を示す必要があるのだ。立場上、時には情け容赦ない判断を下すことも求められる。
廃部の件もその一例と言えよう。
それでも、結果を残せば大会出場の権利を与えるなど、夏未の対応は実に公平なものなのだ。
「私が保証する」
夏未が中学生でありながら長としての責務を全うできるのは、きっと資質だけではない。彼女自身が、理事長代理という立場を心得ているからこそである。
夏未の言葉は、理事長の言葉。
気分でそれを取り下げ、責任を放棄することなど絶対にありえない。
夏未の使命感に対して、千紗季は絶対的な信頼を彼女に寄せていた。
「……そっか。わかった!」
千紗季の言葉に円堂は納得したようだが、他の面々は「何を根拠に……」と言いたげに、複雑な表情を見せる。
「……本当に、出場させてくれんのかなあ」
渋い顔でそうぼやいたのは半田だった。
これまでの待遇を考えれば、疑ってしまうのも無理はないだろう。
けれども、その不安を薙ぎ払うように円堂はニカッと笑って見せる。
「千紗季が言うなら大丈夫さ!」
「はあ?」
「
「まあ、そりゃあそうだろうけど……」
風丸だけでなく、円堂と千紗季が幼馴染であることは半田も知っている。もちろん、それは染岡も同じだ。
千紗季個人との深い交流はないが、なんとなしに彼女の人となりは理解している。円堂の話題にも度々登場しているし、円堂を介して千紗季と言葉を交わしたこともあった。
それでも疑いを持ってしまう理由は、夏未と仲が良いうえに生徒会の一員だからだろう。
入学した頃から、学校で千紗季を見かけるときは高頻度で夏未の姿が隣にあった。そして、今では生徒会長、副会長のコンビで雷門中を牛耳っている。
本当にこちらの味方なのかと、どうしても警戒心が強くなってしまうのだ。
「……何度も言うけど、これでも私はちゃんと守たちのこと応援してるつもりなんだからね〜」
「…………」
そんな半田を見かねた千紗季が、うんざりするほど繰り返した言葉を投げる。
それでも半田の表情には、まだ不安の色が滲んでいた。
生徒会とサッカー部の溝が埋まるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
「次の試合も頑張りなよ」
「おう! 任せとけ!」
「でも特訓で飛ばしすぎちゃダメよー?」
「わ、わかってるって」
「ホントかなあ。一郎太、守のことちゃんと見ててよね?」
「ああ」
千紗季と円堂のいつものやり取りに、風丸は苦笑しながらも頷いて見せる。
満足した千紗季は、「じゃあね〜」とひらりと手を振り、部室を出て夏未の後を追った。
「何を話していたのかしら?」
部室から少し離れた位置で、夏未はムッとした表情で相棒を待っていた。遅れて出てきた理由を問うてはいるが、この様子だと千紗季がどんな話をしていたのか察しているだろう。
「んー? 何って、フォロー入れてたのよ。だーれかさんが素直じゃないから」
「貴女はいつも一言余計なの。もう、行くわよ!」
夏未はほんのり頬を染めてふいっと顔を背けると、少し早歩きで校舎へと向かっていく。ツンケンしているが、なんだかんだ千紗季の心遣いに感謝している夏未であった。
***
練習試合の件をサッカー部へ伝えたことについて、校長と顧問にも報告せねばならない。
廊下を歩いていた冬海とばったり遭遇した二人は、彼を引き連れて校長室へ訪れる。
「尾刈斗中との練習試合の件、サッカー部には私から伝えておきました」
デスクに腰掛けた火来は、不安げな面持ちで夏未に問う。
「皆さんのご様子は……?」
「次の試合が決まって、大層嬉しそうにしていましたよ」
「しかし、何故また尾刈斗中からの申し出を受けたのですか……?」
尾刈斗中以外からも練習試合の申し込みは届いていた。
だというのに、何故わざわざ奇妙な噂で溢れかえっている尾刈斗中を対戦相手として選んだのか。当然の疑問だろう。
「千紗季」
「はーい。こちらをどうぞ」
夏未に呼ばれて意図を察した千紗季は、預かっていた尾刈斗中の挑戦状を取り出し、火来へ手渡す。
不思議そうに受け取った火来は、挑戦状を開いた途端、「ヒッ……」と小さく声を上げた。
おどろおどろしい模様や文字に驚いたのだろう。怯えながらも内容に目を通した火来の手が震え出す。
「……この挑戦状の件は、サッカー部に?」
「伝える必要がありまして?」
「それは……そうだが……」
火来の様子に、冬海も横から挑戦状を覗き見る。彼もまた火来と同じ反応を見せた。
「ほ、本当なんでしょうか?」
「尾刈斗中は、様々な噂の耐えない学校です。面白い相手じゃありませんか」
「夏未も人が悪いわよねー」
だが、今となっては夏未が尾刈斗中を対戦相手として選んだ理由がわかったような気がした。
過去の試合データを確認したところ、尾刈斗中サッカー部の奇妙な噂に間違いはなく、謎の現象が次々と巻き起こっているのだ。
この奇怪な現象を突破できるか否か。
サッカー部の本当の実力を見極めるのに相応しい相手だと判断したのだろう。
「千紗季もしばらくはサッカー部のことを気にかけておいて」
「言われなくとも」
円堂がサッカー部を復活させてから、度々気にかけてはいたのだ。千紗季にとっては今に始まったことではない。
今日もサッカーバカな幼馴染は、練習時間が終わると鉄塔広場で自主練に励むのだろう。
帰りに少し様子を見に行こうか、などと考えていたところ、携帯が振動した。
(あ、穂波からだ)
送り主は侍女の穂波からだった。メールの本文には、『本日の夜会、忘れないでくださいね』と簡潔に要件のみが記載されている。
(あ〜……そうだった、忘れてた)
今日は学校が終わった後、とあるセレブが主催したパーティに、四条院家の代表代理として出席することになっている。
現在、我が家の当主は千紗季の伯父が務めているが、出張で今は夫婦ともに不在。千紗季の従兄にあたる次期当主は大学生で、海外に留学中だった。先代当主の祖父は、持病を抱えているのでできる限り働かせたくはない。
そうなると、順番的に千紗季にその役が回って来るのだ。
今朝の身支度中、穂波がスケジュールを音読してくれたというのに、すっかりと頭から抜け落ちていたらしい。今回もそれを見越してメールを寄越してくれたのだろう。
(さっすが穂波。
(行きたくなーい)
携帯を手にしたまま項垂れる。とはいえ、これも我が家のためになるのであれば、嫌いなパーティも我慢するしかない。
しかし、これでは鉄塔広場に寄る時間はなさそうだ。
今日一番の大きな溜息を吐いて携帯をポケットに仕舞う。これからの予定を思うと憂鬱で仕方がなかった。
ふと、窓外に広がる空を見上げる。夜会のせいで機嫌が曇りのち雨な千紗季とは正反対に、空は皮肉なほどに晴れ渡っていた。
