【一次創作】過去編


   和の過去編2



「そういやさ、なんで和は人外が嫌いなんだ?」

 ふいに、蛍の疑問の声が和の部屋に響いた。人外関係の事件を資料にまとめるため机に向かっていた和は、その手を止めて振り返る。声の主はベッドに寝そべりながら、持ち込んだ本を読んでいた。
 和たちが過ごすこの研究施設には構成員それぞれに個室が用意されているのだが、報連相を重視する仕事柄お互いに行き来することも多い。だから蛍が度々部屋に来て、進捗報告や世間話をしながら勝手にベッドでくつろぎ出すのにももう慣れた。
 和がどうしたものかと考え込んでいると、蛍が付け加える。

「いや、僕は人外の研究がしたくてここにいるわけなんだけど、和はどうなのかなーって。軍に来たってことは、少なくとも人外にいい印象は持ってないんでしょ?」
 
 和は他人にそうやすやすと、自分の情報を開示したくない気質だ。それがたとえ、小学生の頃から付き合いがある蛍でも。
 ただ、同期である人間にいつまでも秘密を抱えているのも居心地が悪い。和は少し考えてから慎重に口を開く。

「……人外にちょっとしたトラウマというか、因縁があるだけ」

 和がしまった、と後悔する頃にはもう遅かった。なるべく抽象的な表現に留めようとしたが、"因縁"などという含みのある言い方は好奇心旺盛な蛍にかえって逆効果なのだ。

「へえ、トラウマに因縁ねぇ。和っていつも飄々としてるから、怖いもの知らずだと思ってた。……ちなみにどんな?」

 案の定、蛍は本から視線を外し、ニコニコしながら聞いてきた。
 あー、もっと言葉少なに済ましておけばよかった。

「他人のトラウマ掘り返すバカがどこにいるんだよ」
「えー。そうやって隠されたら、余計に気になるじゃん」

 その意気を削がそうと、言葉の端っこにストレートな悪口を刷り込ませてみた。しかし、意地悪な笑顔を張り付けた蛍はそれを華麗にスルーしてみせる。和はため息が出そうになった。
 ダメだ、話題を逸らそうとしても無駄なようだ。
 和は観念して、あまり口にしたくなかった真実を打ち明ける。

「……幼少期に、人外に妹を殺された」
「ほう。…………お、重いな」
「お前が聞いてきたんだろ」

 さっきと一転し、引き気味になった蛍の態度が癪に障った。真面目に答えただけ無駄だったかもしれない。
 和が作業机に向き直ろうとすると、「待って待って、ごめん」と焦った声が呼び止めてくる。

「和って自分のこと話さないだろ? 急に複雑な私情を言われて驚いたんだ」
「……俺のこと、感情がないただの根暗人間だと思ってるだろ」
「うん、正直思ってた。ごめん。だって和のそんな過去、いま初めて聞いたよ。長い間一緒にいるのに、和のことあんまり知らなくて」

 ベッドの端に座り直し、すっかり肩をすぼめた蛍があまり素直に謝るので、こちらも居心地が悪くなった。それに彼の言うとおり、自分のことをしっかり話したことがなかったのも事実だ。
 蛍にいいかげんな人間ではないと証明するためにも、この際和は思い切って自分の過去を明かすことにした。

「……小さい頃から俺は才能もないし、できぞこないでいじめられるような人間だった。そんな俺に味方してくれたのが妹の香だったんだ。俺にとって唯一頼れる存在で、周りからも好かれてた」

 一度口に出すと、頭の奥底で眠っている幼少期の記憶がぽつぽつと浮かんでくる。堰を切ったように、ただただ溢れ出る言葉をひたすら吐き出した。

「いつもそばにいてくれたし、俺が困っていれば真っ先に飛んできてくれた。昔から引っ込み思案だった俺のことを認めてくれて、一人の人間として真摯に向き合ってくれたよ」

 香のことを思い出すと、いつもやるせない思いと共に動悸がしてくる。冷静ではなくなっている自分に気づきながら、それを上手く制御できずにいた。
 和は独白のように続ける。

「……なのに人外のせいで……あの時俺が庇っていれば、香は死なずに済んだ。本来生きるべき人間が助かったんだ。……よくある通り魔事件だったし、人外側は単なる気晴らしだったかもしれないけど、俺の恩人は死んだ。こんなことなら、俺が死んだ方がよかった……!」

 自分のせいで、わずか九つでこの世を去った妹のことを想うと、思わず声が震えた。喉が詰まったように息苦しくなり、頬が涙で濡れた。香を置いてのうのうと生きている自分が不甲斐なくて、みじめだ。

「……もっとしてやれたこと、あったはずなのになあ」

 机に向かってうなだれていると、口出しせずに聞いていた蛍の気配が近づき、その手が背中を撫でるのを感じた。



 どれくらい経ったのだろう。
 浅い眠りから覚めたような心地がした。机に突っ伏していた顔を上げると、肩からブランケットがずり落ちた。蛍がかけてくれたものだろうか。
 眠る前と同じようにベッドの端に座っていた蛍は、和が起きたのに気づくと読んでいた本を閉じた。どうやらこの間ずっとそばにいてくれていたようだった。

「僕が言うのもなんだけど……同情するよ。あまり踏み込まれたくない部分に触れて悪かった」

 蛍がそっと呟いた。上体を起こした和は蛍の姿を認めると、なんだか体の力が抜けるのを感じた。目が覚めた時、見知った人がそばにいることに和は心から安堵した。

「……べつに。俺は自分が死ぬのは怖くない。ただ、これ以上大切な人を失うのが怖いんだ」

—————————————————————————

 別の日、蛍は仕事の進捗報告がてら、結菜の部屋でたわいもない話に花を咲かせていた。
 話題が仕事から仕事仲間の話に転換したところで、結菜が思い出したように顔を曇らせた。

「そういえば、蛍は和の自傷の意味を知ってるか? いや、部下のことを把握しておくのも上司の役目なんだが、本人に直接聞くのは憚られるだろう」
「知ってますけど……以前、重い口を開いてくれたので。和が幼い頃に、身内が人外から被害を受けたとかどうとか」

 蛍は和の胸中を察して最低限の情報共有に努めた。

「……そうか。つまりそのトラウマからくるものなんだな。するつもりもなかったが、やはり詮索はしない方がいいかもな」
「そうですね」

 しばらくぎこちない沈黙が二人の間に流れたが、最後に蛍が「ただ近くにいてやれば和の気も紛れるのではないか」とだけ提案してこの話は終わった。

「とは言っても、蛍のこともあまり知らないんだがな。二人して自分のことをあまり話したがらないから」
「僕のことは気にしないでください、至って普通の人間ですから」

2/2ページ