【一次創作】本編


   一 失ったもの



 小さな星がまたたく空の下。優しく吹いてくる風は少し冷たく、並木道をすり抜けては木の葉をさわさわと揺らしている。人がまばらになり明かりが町を照らし始める頃、猫の人外姉妹がレンガ敷きの道を歩いていた。大きな木の立つ広場を抜け、とうに戸締りをした店を横目に、二人は自宅を目指して進む。
 姉、青水璃亜あおみず りあはひとつに結んだ青髪を夜風になびかせながら、少し前を行く妹に声をかける。

瑠奈るな、今日の学校はどうだった」

 瑠奈と呼ばれた妹の方は、振り向きもせずに話し出す。

「いつもどーり。あ、でも今日ね、人間の子に勝手に尻尾触られてびっくりしちゃった。勝手に触るのやめてほしいよね」

 早口な瑠奈の声が聞こえてきたので、璃亜は少し考えてから口を開く。

「気持ちは大いにわかる。でも聞いたところによると、人間にとって人外はもの珍しくて興味があるらしいぞ」

 璃亜はそう言って口下手に瑠奈をなだめてやる。瑠奈はふーん、と流していたが「興味がある」という言葉に気をよくしたのか、こちらを向いたときには笑顔になっていた。あいかわらず気分屋な妹だ。
 瑠奈ととたわいのない話を交わす、いつも通りの帰り道。唯一、普段と違う点を挙げるならば、途中で瑠奈が振り返ってある提案をしてきたことだ。

「そうだ、お姉ちゃん。ちょっとうちの憂さ晴らしに付き合ってよ! 最近、近道見つけたんだ。一緒に行こ」

 瑠奈が目を輝かせながら、建物の隙間、裏道へと入っていく。璃亜は姉として、「どれどれ?」と調子を合わせてやりつつ後へ続いた。
 月の光が背の高い建物で遮られ、辺りは一瞬にして薄暗くなる。明かりの少ない裏路地を、瑠奈は楽しそうに駆けていく。十五歳にしては少し幼いところがあるが、この無邪気さが可愛らしいと璃亜は微笑ましく思う。
 石畳の敷かれた狭い道を縫うようにして、二人はしばし進んでいく。

「ここ進めば、あともうちょいで家に着くんだ。近いでしょ」

 得意げにそう言って瑠奈が曲がり角を曲がろうとしたとき、璃亜はぴたっと足を止めた。空気の流れが変わったのを感じた璃亜は、耳をそばだてつつ瑠奈に声をかける。

「……なんか聞こえなかった?」
「えっ、なになに? 怖いこと言わないでよ」

 璃亜の言葉に怯えたのか、少し先を行っていた瑠奈も立ち止まった。二人が黙ると、ひとけの少ない辺りはしんと静まり返る。耳元では、ただ路地裏を抜けていく風の音がヒュウウと鳴るばかりだ。

「……お姉ちゃんの気のせいでしょ? ただの風だって。もう、ビビらせないでよ」

 瑠奈がそう肩の力を抜いて、安堵のため息をついた。璃亜も気のせいか、と思い直し「おかしいなあ」と笑いながらまた帰路につく。
 その時。暗い視界の端で、音もなく黒い影がよぎった。それは一瞬だったが、璃亜は見逃さなかった。
 ——人間? 敵か?
 璃亜は瞬時にそう予測すると、臨戦態勢に入る。なにか悪い予感がする。今日に限って武器という武器を持っていないことが悔やまれた。
 璃亜は危険信号を発する本能に従って鋭利な爪を剥き、暗闇に目をこらす。
 突然、黒い影が目前に姿を現したかと思うと、バッと銃を取り出した。刹那、銃声が響き耳元で銃弾が風を切る。反射的に、璃亜は軽い身のこなしで弾丸を避ける。腕をのばし、立ち尽くしている瑠奈のそばまで駆け寄ると身を呈して守った。
 しかし瑠奈を庇うあまり、流れ弾の一つが璃亜の左腕に命中してしまった。当たり所が悪かったのか、体から力が抜けて瑠奈を抱いていた手が緩まる。そのまま璃亜は声にならない声をあげ、近くの壁に体重を預ける形で座り込んだ。

「璃亜!」

 瑠奈は悲鳴にも近い声でそう叫ぶと、壁際の璃亜に駆け寄り顔を覗き込んできた。そんな瑠奈の後ろから忍び寄る足音がひとつ。

「それは麻酔弾だ。中に即効性の麻酔が微量に仕込まれている。そいつの意識はもう長くないだろう」

 瑠奈は足音と声のする方へ振り返って睨みつけた。敵は全身黒いコートに身を包み、フードを深く被っていて顔はよく見えない。いかにも怪しい風貌だったが、瑠奈は怖気づくことなく爪を光らせると真っ向から突っ込んでいく。

「近づかないで!」

 鬼気迫る面持ちで地を蹴り飛躍すると、鋭い爪を敵めがけて振りかざす。……が、いともたやすくそれをかわされた。
 いくら力の強い人外とはいえ、まだ幼い瑠奈はあまりに非力すぎた。

「瑠奈! 私に構わず逃げて!」

 璃亜は思わずそう叫んでいた。
 空中でバランスを崩した瑠奈は、その勢いのまま地面に叩きつけられた。逃げる隙も与えられず、瑠奈は敵の手によって取り押さえられた。
 瑠奈はそんな状況下でも、反抗的な態度を崩さない。めげずに引っ掻こうとしたらしいが、なぜか途中でぐったりと倒れ込んでしまった。完全に人の外見が崩れ、瑠奈は人外の本来の姿である猫に変化し横たわる。

「……る……瑠奈……」

 霞む視界の中でそんな妹の姿を捉え、壁際に座り込んだままの璃亜は肩で息をしながら小さく呟く。
 黒いコートの敵は瑠奈を手頃な檻に捕獲したあと、ゆっくりと璃亜の方に向かってくる。だいぶ麻酔が回り意識が朦朧とするのを、璃亜はなんとか耐える。相手は目線を合わせるようにしゃがみ込んできた。反抗する隙もないまま相手に首を触られたかと思うと、そこに一瞬刺さるような痛みが走った。

「……う……っ」
「これで確実に意識がなくなる。そうすれば、お前もあいつと一緒に連れていく」

 離れた敵の手に注射器が見えた。そこで、さっき瑠奈が気を失ったのはこれのせいかと気がつく。
 璃亜は驚きと憤りを感じ、相手を睨む。しかし敵の鋭い目は、暗がりのなかで赤く光り動じる気配を見せない。

「おとなしくしていれば殺しはしない。こっちにとっても、死なれちゃ困るからね」
 
 逃れようにも、もう体が上手く動かない。ぐったりとしたまま、抵抗を諦めたその時。

「オラアッ!!」

 どこからか怒号が響き、フライパンが横薙ぎに飛んできた。それは璃亜と黒コートとの間を引き裂くように跳ね返り、耳障りな金属音を周りに散らす。
 璃亜は突然のことに理解が追いつかない。
 人数が増えると厄介だと思ったのだろう。身軽に避けた黒コートの敵は、サッと身を引くと瑠奈を捕らえた檻を手に暗闇へと姿を眩ませた。
 赤い髪のフライパン男がそそくさと近づいてくるのを、璃亜は視界の端で捉えた。

「あっ、コラ待ちやがれ——っておい! 大丈夫か、そこのお前!」

 助かったのか……? でも瑠奈が……。
 安堵と虚脱感のまどろみの中、璃亜の意識はそこで途絶えた。

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