幸福回廊
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今日の天気は晴れ、温度17度、湿度48%、燃料使用率39パーセント…。
「たま、どうしたんだィ?」
「いえ、何もありません。今日のデータを今の内に上書きしておこうと思いまして記録モードに切り替えていました」
まだ店開きのしていないスナックお登瀬では、働き者のたまが淡々と床を掃いていて、カウンターの裏ではお登瀬がグラスを磨いている真っ最中だった。ちなみにキャサリンはお使いを頼んだきり戻ってきていない。どうせ寄り道しているのだろうと分かり切っているお登瀬は特に何も言わなかった。
「何か上書きする程のデータが今日はあったのかィ?」
「いえ、いつも通りです」
「それが一番さね」
たまがせっせと働くのも、お登瀬が夜に向けて店の準備を始めるのも、キャサリンが寄り道をするのもいつも通り。いつもの夕方のひっそりとした風景が、スナックお登瀬にはある。
一昨日も昨日もこんな風にいつも通りの日々が続いた。お登瀬はそれが一番良いと言って笑うし、たま自身もトラブルよりもこの平穏の方が好きだった。
しかしハタと手を止める。確かにここ数日平和が続いているが、その日常に埋もれた何かを見落とした様な気がしたのだ。
急に動きを止めたたまにお登瀬が声をかける。燃料としてはまだ十分と残っている筈だ。その証拠にたまはすぐに動きだし、再び手を動かし始めた。
だが不思議な事に、その表情がさっきと少し変わっているのにオーナーであるお登瀬は気付く事が出来た。機械なので表情の変化など微々たるものだが、家族であるお登瀬にはすぐ分かったのだ。何かを思案している様な…出てきそうなものが中々出てこない様な複雑そうな顔に見えた。きっとそれはお登瀬にしか見抜けないものだろう。
「たまがド忘れかい。珍しい事もあったもんだね」
「上書きを続けていると、どうしても過去の事が思いだしにくい事がありまして…」
過去、と表現する程昔の事だっただろうか。たまは可愛らしく小首を傾げ無表情のまま「うーん」と唸っている。最近酷く人間の真似をする様になってきた。
「凄く、珍しいものを見た気が……」
いつもと変わらない日常に埋もれていたとある出来事。それを見て自分は果たしてどうしたのか。
そうだ、確か“驚いた”のだ。
その感情を思い出した瞬間、たまの頭脳が数日前まで映像を巻き戻し、そして再生される。
「あぁ、思い出しました」
ポンと手を打ってお登瀬へ振り返る。手を打つ仕草が新八と似ていてお登瀬は少しだけ笑った後に返事をした。
「銀時様が、女性と歩いていらっしゃるのを見かけました。新八様のお姉さまでもなくて、ホステスの方でもありませんでした」
「女…?」
まさか、と言いたげな目をたまに向けたが、彼女の映像データが間違っている事はまずあり得ない。
「私はお会いした事のない女性でした」
頭の中でその時の映像をもう一度見てみた。
いつも通り気だるそうに歩く銀時の隣に、ニコニコと楽しそうに話をしている女性が見える。時折、銀時独特のニヤリ顔で彼女に一言二言茶々をいれれば、まるで茹でダコの様に顔を真っ赤にして銀時に言い返していた。2人の会話までは流石に聞き取れなかったが、あれが俗にいう“イチャつき”というのは、たまの語彙にはまだ登録されていなかった。
そんなたまが、2人を見た時何故驚いたのか。
下に住んでいる者として銀時の事はよーく知っている。性格も表情もデータはだいぶたまってきた。
それなのに、2人が並んで歩いている時、銀時はたまが見た事のない表情をしていた。
元来分かりにくい性格の男ではあるが、あそこまで露骨に優しげな顔をした銀時を見るのは初めてだった。
隣に居る彼女を茶化す顔は、至っていつも通り。万事屋でも新八達と絡む時にああいった表情をするのは見た事はある。
問題の表情はその後に出たのだ。
銀時に何を言われたかは知らないが、今まで機嫌良く話していた女性の顔が真っ赤になる。からかわれているのだろうという事はたまにもすぐに分かった。
当の本人はそれを知ってか知らずか、相変わらず銀時に翻弄され続け、たまは首元まで赤に染まった人間を初めて見た。
貴重なデータだと録画モードにした瞬間だった。
不意に見せた銀時の顔に、自分が機械である事も忘れて“驚いた”。自分がこんな感情を持っていたのかと冷静に分析する暇も与えないぐらい、銀時が見せた優しげな表情はインパクトがあったのだ。
キーキー怒っている彼女をまた茶化す様にケラケラ笑えば、更に怒りを煽る。その繰り返しを見せられていた時、銀時が顔を緩めた瞬間があった。騒ぐ彼女の横で、今目の前にある何かを噛みしめるかの様に銀時は口角を上げていたのだ。
それは例えば、新八が大好きなお通ちゃんの曲を聞いている時の表情だったり、神楽が6合の米をたいらげている時の表情に少し似ていた。
それらが「幸せ」な時にする表情である事を、たまは後々知る事になる。
「とても、綺麗な方でした」
確かに、綺麗だった。銀時と並んで歩く横顔は、たまが見てきた女性の中でも一番だった。
からかわれながらも、銀時と言葉を交わしている様子のはにかんだ笑みは誰よりも綺麗だった。
あのお二人のお陰で新しいデータがたまりました。
たまは静かに言って、黙々と床を掃き続ける。
「そん時の銀時の顔を是非拝みたいもんだねぇ」
「私で良ければ再現致しましょうか」
「いんや、その表情はきっとアイツにしか出来ないし、隣には例の女が居ないと出来ない表情さね」
至極楽しそうに笑っているお登瀬の目尻や頬には皺がある。笑えば筋肉が引き攣り更に皺が寄って、確かに機械のたまには出来ない表情が出来る。しかしお登瀬が言いたいのはそういう事ではなかった。
「今度家賃回収に行く時は、そのネタを突き出してやりな。さて、どんな反応をするやら……」
まさか自分が話のネタにされてるとは知らず、きっとこの時間帯の銀時は昼寝からまだ目覚めていないだろう。もしくはジャンプを読んでいるだけか…。
どちらにせよ、このネタはキャサリンにも言わなければならない。いつも家賃回収を面倒くさがるキャサリンだが、次回はこのネタを引っ提げて喜んで出かけるだろう。
ああ、なんて変哲のない平和な日常か。
穏やかな色をしたデータを上書きして、たまは少しだけほほ笑んだ。
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